第56話「自分の顔がついているように見えてきた」
「……静かだねぇ」
「ああ、暇で死にそうだ」
「エルフ狩りなんて、楽しいのは安全確保された道を歩いて取り放題の入れ食いをやるお偉いさんだけだよなぁ」
「取りこぼしの囲いなんて、下手すりゃ作戦終了までずっと黙って立ってるだけで終わりだしなぁ」
「ま、黙ってはいねぇけどな」
「違いねぇ!」
ワハハハハ……品無く笑うのは、ア=レジル防衛都市に王都から派遣された兵士達だ。
彼らは上官――つまりはア=レジル防衛都市の要請によってシルツ森林攻略の責任者として派遣された役人が主導で行っている、聖なる森のエルフ狩りのために連れてこられた下っ端達である。
役割は、森を囲って逃げてくるエルフを捕えること。と言っても森をぐるりと隙間無く囲うのではなく、事前に調べてある森の道を塞ぐ形で配置されているだけである。
つまり、森に住む獣などが移動の度に草を踏み枝を折ることで作られる獣道を塞いでいるということであるが、当然そんなことはエルフ達にもわかりきっていることだ。
結果、森に慣れたミーファーの一団は獣道が全くない未開のルートで森を脱出してきた。つまり彼らの包囲網は『逃がさないためと』いう目的から言えば全くの失策であったのだが、偶然にもそれは外から戻ってくる道を塞ぐ、という目的には効果を発揮していた。
……いくら住み慣れたエルフ達でも、森は一瞬の油断で方向感覚を狂わせる天然の迷宮なのだ。
それを、森の外に出るだけならばともかく、森の中に隠すように建てられた集落へ向かう――となると、侵入経路はどこでもいいとは流石にいかないのである。
――その偶然が、彼らの命運を決めた。運命を司る神々を味方につけていると信じる人間達であるが……少なくとも、この瞬間、彼らの神は休みを取っているらしい。
「――あひゅ」
「あ? なんだ? 変な声出して?」
人間の兵士達は、等間隔で並んで立っていた。
その内の一人――隊列の端に立っていたはずの男が、妙な声を上げたのだ。
何事かと、その場にいた兵士達は森から目を離し、隊列の端に――つまり、全員が同一方向に意識を取られたのだ。
「なっ――」
「なんだ!?」
元々、さほど真剣に警備していたわけではない。森の中ばかりを警戒して周辺の警戒を怠っていた兵士達への不意打ちなど、彼ら野生に生きる者達からすれば簡単なことであろう。
「し、死んで――」
最初に奇声を上げた男は、首に細い針のような刃物を突き立てられて絶命していた。
黒針、と呼ばれる暗殺用の黒塗り武器であり、本来は視界の利かない闇夜や深い森の中で使うことを想定された武器だ。
短剣として使うこともできるが、メインは投擲具としての使用法。見事に一撃で首を射貫いたその一射は、確かな技を感じさせるものであった。
「クヒッ!」
しかし、兵士達にそれを嘆く暇も驚く暇も無い。堪えきれないと漏れ出した、殺しの愉悦を感じさせる声が、すぐ近くから聞こえてきているのだから。
「ガッ!?」
「て――敵襲!」
反対側の一人が殺された。最初の犠牲者に動揺した隙を突かれ、背後からの奇襲に反応できなかったのだ。
「……雑魚だな。一人も逃がすんじゃないぞ」
「クッ――」
「ば、化け物!?」
「おい! センサー係! 何で報告しない!?」
瞬く間に二人殺された兵士達の前に、今度は正面から堂々と一匹の鬼が現れた。
それは、人間なら誰もが見たことがある奴隷魔物とは比較にもならず、また下っ端兵士達でも見たことのあるような野生の子鬼とも、全く次元の違う生き物。赤い皮膚をこれまた赤い鎧で覆った、災厄指定されていてもおかしくはない強大な魔物であった。
彼らの隊長がそれを視界に入れた瞬間、周辺の警戒を担当――といっても、支給されたマナセンサーに頼るだけのセンサー係に怒号が向けられた。
しかし、センサー係は、首を振りながら震える声で自分の腕につけられたマナセンサーを見つめるばかりであった。
「は、反応……なし。センサーによると、周辺に危険なマナを持つ生物は確認できません!」
「はぁ? 何を言っている! 現に目の前に――」
「敵を前にしてお喋りとは、随分余裕だな、人間」
ブオンッ、と風をなぎ払うような音が響いた。
次の瞬間、兵士達のまとめ役である隊長の身体が二つに千切れた。赤い大鬼が一瞬で距離を詰め、背にした大剣を振り抜いたのだ。
「た、たいちょ――」
「に、にげりょ! 逃げるぞ!」
焦りの余り、呂律が回っていない様子で一人の兵士が叫んだ。
彼は兵士達の中では比較的古株……ただの出世できなかったドロップアウト組とも言うが、年の功ということで若い連中のまとめ役を担うこともある男であった。
と言っても、真っ当な人格と最低限の能力があればとっくに出世をしていてもおかしくはない年齢でありながら、未だに新米の兵士と同列の下っ端をやっているのだから、その人望はお察しだ。
それでも、年長者としてのプライドか、撤退を叫べたのは立派な物だろう。突然の悲劇を前に動けなくなっていた兵士達は、その叫びで動き出すことができたのだから。
「……人間とはこの程度のものなのか? 俺の住処を襲ってきた奴は、もう少し歯ごたえがあったものだが」
とはいえ、そんな頑張り、意味はないのだが。
この場にて絶対者として君臨する大鬼――ケンキからすれば、自分の間合いに入った状態から動き出してももう遅い。近くにいた人間を無造作に刈り取り、駆逐するだけだ。
そして、運良くケンキから離れていたために逃げ出すことに成功した兵士達は――
「鈍い」
「弱い」
「な、なんでこんなとこに、進化種の群れが……」
ケンキ配下の精鋭達に、一瞬で狩られていく。
彼らの作戦はシンプルなもので、暗鬼と毒鬼が不意打ちを食らわし、動揺したところに最強戦力のケンキが突撃。兵士達が逃げ出したところを周辺を囲っていた残りの鬼軍団が仕留める。それだけだ。
それだけの作戦で、あっさりと人間の兵士達は壊滅。一人の生き残りもなく全滅したのであった。
「終わった?」
「うむ……一人の取りこぼしもない。魔道による通信はどうだ?」
「大丈夫だと思うよ。無の道の遮断結界張っておいたから、あいつらの機械も作動してなかったでしょ?」
戦いが終わったところで、離れたところで術を使っていたコルトがひょっこりと顔を出した。
コルトは自らの得意系統である無の道を使い、人間達のマナセンサーからケンキ達を隠し、更に通信機能をマヒさせていたのである。
この手の魔道による工作の腕では、鬼軍団の誰よりもコルトが勝る。こういう時のためにコルトを自分と共に来るように命じたのかと、ケンキは一人自らの王の考えに思いを馳せるのであった。
「……す、凄まじい……ここまで一方的とは……」
戦いの終わりを感じ取り、離れたところで隠れていたミーファー達エルフの一団も恐る恐るといった様子で近づいてきた。
その顔には勝利の喜びではなく――隠しきれない警戒心と恐怖が浮かび上がっていた。
(……王によれば、我々との協力要請は本心からのものではないとのことだったが、なるほど。確かに、できれば関わりたくない……という気配がにじみ出ておるな)
エルフ達の様子を見て、ケンキは魔王ウルの話に得心がいったと心の中で頷いた。
そんなケンキに、エルフを代表して護衛団長のシークーが声をかけてきた。
「ケンキ殿……お見事ですな。彼らには我々も苦労しているのですが……」
「謙遜は無用だ。見たところ、貴殿ならばこいつら程度は問題が無いはずだ」
「……さて、それはどうでしょうね」
敵の強さを察知するのは、野生においてもっとも重要な能力と言ってもいい。
ケンキの感覚では、少なくとも人間の下っ端兵士よりはシークーの方が上である。元森の支配者であるケンキには劣るものの、この程度の雑兵ならば問題なく処理できたはずだ。
実力を隠したいのかとも思うケンキであるが、今はそんなことよりも先にやるべきことがあった。
「よし! 獲物を確保するぞ!」
『おう!』
ケンキの号令で、鬼軍団はそれぞれ動き出した。
各自が手分けをして、物言わぬ死体となった人間だったモノを拾い集めて一カ所に集めているのである。
シークー達は『何をしているんだろう?』と首を傾げるも、殺した人間達の死体を回収している姿を見て、この場での戦闘の痕跡を残さないための工作かと予想する。
この場に兵士達がいなくなったことで、人間達にも何かがあったことはいずれ露見する。だが、具体的な情報の量と質に関しては、遺体の痕跡を調べられるかどうかで大きく変わるのだ。
今回で言えば、暗鬼によって暗殺された遺体を見れば首筋に一撃を加える技巧派がいたことを。毒鬼にやられた遺体を見れば、毒を持つ生物にやられたことを。そして、ケンキに斬られた遺体を見れば、巨大な斬撃を放つ相手が下手人であることを推測することだろう。
そうなれば、対策されてしまう。実際にどのような手段を取るのかは未知であるが、こちらの手の内を知られてしまうことはどう考えてもマイナスにしかならない。
そのために、遺体を処分しておくのだと、シークーは魔物達の行動に意味を見いだしたのである。
もっとも、それは点数をつけるのならば50点でしかない。そういった意味ももちろんあるのだが、彼らにとってはそんなことよりももっと重要な事があるのである。
「では――食うぞ」
『おう!』
「は?」
死体を一カ所に集め終えた後、魔物達は一斉に人間の肉に生のままかぶりつき、咀嚼していった。
文字通り骨までしゃぶる勢いで……否、それどころか骨の欠片すらも残さないと、もの凄い勢いで飲み込んでいくのであった。
「な、何を……?」
突然の惨劇に、エルフ達は自分の口元に手をやり吐き気を抑えようとする。
エルフにとって、もはや人間は忌むべき怨敵。しかし、それでも身体のつくりが自分達に近しい種族がバリバリと食われていく光景というのは、精神的にいいものではなかった。
「……見ての通り、食事だが?」
「な、何故ここで、そんなものを食べる……ので?」
「我が王の教えだ。命を奪ったのならば、最大限有効活用しろ、とな。骨や皮を工業に利用することができるのならばそのように、できないのならば徹底して食らう。殺したら殺しっぱなし……というのは、流儀に反すると仰られているのだ。あくまでも我が王個人の流儀であって我々に強制するつもりはないとのことだが、王の臣下としてはやはり王のお考えに沿いたいものだからな」
「そ、それは……供養、ということでしょうか?」
エルフにも、似たような考えはある。狩りをする際、命を奪うのは最小限に、必要な分だけを狩る。そして、一度奪った命には最大限の感謝を捧げると共に、無駄にすることなく活用する。それが命を奪う者としての、せめてもの礼儀である……という教えだ。
魔物達も自分達と同じような考えを持っているのか……と、生理的に受けつけるかどうかは別にして、シークーは納得しそうになる。
しかし、それは見当違いというものだ。
「供養? 確か……死者の尊厳を守り、弔うこと……だったか?」
「ええ、まあ……冥福を祈るということ、ですね」
「それは違うな。何故我々が人間の死後に祈りなど捧げればならん?」
「え? では、これは……」
「言っただろう? 流儀だ。自分がそうすると決めたからやっているだけであって、別に殺した相手のことなど考えてはおらぬ。大体、俺ならば自分の身体を貪られるよりも土に返してくれた方がまだマシだな」
「……な、なるほど」
「正直人間の肉は旨いものではないのだが、一度王に倣おうと決めたのだ。それを不味いからといって例外を設けるようでは忠義に反するだろう?」
――ウル・オーマは、敵と定めた相手は魂までも食らい尽くす。
だから、ケンキ達もそれを真似ている。ただそれだけであり、死者の冥福など考えてもいない。
今や調理された美味なる食事を堪能しているケンキ達にとって、雑食動物である人間の肉など臭くて硬くて筋張っている不味い食材でしかない。未調理となればなおさらだ。それでも、食うくらいしか使い道がないから……というだけの話なのだ。
やりたいからやっている――という以上の意味はなく、それ故にシークーは、得体の知れない恐怖を感じるのであった。
(……いかんな。食われている肉に、自分の顔がついているように見えてきたぞ……)
もし、集落に残った同胞達がウル軍との協力を拒否した場合、目の前の鬼達は即座にホルボット集落への攻撃を開始するだろう。
こちらから交渉を持ちかけ、服従を条件に命を見逃された上でそれを反故にしたとなれば、それはウルの顔に泥を塗るに等しい。
はっきりと王に対する忠義を見せるケンキが、それを許すはずがない。今見せた戦闘力と、残虐性。そして捕食性を考えれば……そうなったとき、エルフの未来は終わるのだ。
(……それを、改めて見せつけるって、意味もあるのか?)
シークーは、苦い顔で魔物達の捕食から目を逸らした。
もはや、意地でも同胞を説得する以外に道はない。改めて、それを胸に刻みながら……。
文明を得ても知恵を得ても、それでも人食いの怪物に変わりなし。