第55話「ここは彼らに頼るのが一番かと」
「……その、ケンキさん?」
「何だろうか?」
「ここは左に行くよりも右に行った方が道が整っているのではないですか?」
「ああ、そう見えるように少しだけ整備してあるだけだ。ここを右に曲がると、食獣植物の群生地に出て少々面倒なことになるようになっている」
「あ、そうなんですか」
ミーファー達ホルボットのエルフは、大鬼ケンキの案内でシルツ森林を抜けようとしていた。
森に精通するエルフの感覚ではもっと楽な道があるように感じられるが、その方向を示すと『そっちは領域の環境が厳しい、修練ならともかく移動には適さない』とか『わかりづらいが、そっちに行くと罠が仕掛けてある』とか、案内役であるケンキに逐一ダメ出しされていた。
エルフとして、森を歩くことにかけては何者にも負けない自負があった。が、その自信を歩くだけで粉砕される魔境……それが魔の森であるということを、ミーファー達は嫌でも理解させられるのであった。
(……まあ、拠点の守りを教えないために、嘘を言っている可能性もあるんだけど……)
自分を慰められる可能性を考えるも、その可能性は低いだろう。
目の前の巨大な鬼、ケンキは嘘をつき謀略を張り巡らせるタイプには見えないし、そんなことをするくらいなら背負っている大剣で一刀両断にしてくる方がよほど想像できた。
(……正直、魔の森舐めてたわね……。あのウル・オーマの威圧感も凄かったけど、こっちは純粋な暴力が凄いし……)
内心、ミーファーはケンキの迫力にタジタジであった。
あの魔王の命令を受けて護衛を請け負っている以上、突然襲ってくることはないとはわかっているが、それでも一人の生物として目の前の鬼は恐ろしい。
もし聖なる森にケンキが敵意を持って現れた場合、万全だったとしてもエルフの全戦力を集結してギリギリ勝てるか勝てないか……というところであろうと見ているくらいだ。
「あの……」
「え? はい?」
案内役として先頭を歩くケンキに気を取られていたら、いつの間にか後ろに小さな魔物が近づいてきていた。
身ぎれいに整えられた体毛と、それを隠す青い服に身を包んだ小さな魔物――コボルト。ウル・オーマよりついでにと言われた、コルトと呼ばれる魔物だ。
「なんでしょう?」
「ホルボット集落って、エルフが住んでいるんですよね? 他にはどんな種族が住んでいるんですか?」
「いえ、集落にはエルフだけですよ」
「そうなんですか? じゃあ、集落の外の森ってどんな感じなんですか? 危ないの住んでたりします?」
コルトの口から出てきたのは、半分世間話の質問であった。
ケンキの迫力に怯えている自分の気を紛らわせようとしているのかとも思うミーファーであったが、さてこれは中々答えづらい質問でもある。
(……いいのかな? 詳しく言っちゃって?)
森に住む種族のデータとは、そのまま森の防衛機能そのものと言っても過言ではない。
ホルボット集落は聖なる森の奥にあるため、まず集落まで辿り着くのが難しい。森を知り尽くしたエルフでもなければ、簡単には近づけないだろう。
人間達は何らかの方法で森を解析し、進軍を可能としているが、それでもその間に住まう魔物や獣との戦いは避けられず、それが最後の防波堤となっている状態だ。
人間達が辛うじて集落まで攻め込んできていないのも、エルフとも人間とも何の関係もない原生生物の対処に手こずっているからなのである。
その情報を……エルフの手で用意した防衛設備が壊滅している今となっては、防衛の最重要機密とも言える情報を気軽に漏らして良いのか……という葛藤である。
「この森に住んでいるウル殿の配下とは少し違いますが、ゴブリンが多いですね。後は、虫系のモンスターがやはり多いかと」
「へぇ……ケンキさんみたいなのは?」
「いや、流石にそのクラスがいるというのは……」
ミーファーが悩んでいると、後ろからシークーが助け船を出してくれた。漏らしても問題は無い――どこを見ても生息しているゴブリンや虫魔物程度の情報で誤魔化すことにしたのだ。
答える義務はないが、今のエルフ達は魔物達に助力を求めている立場。下手に機嫌を損ねるのはまずいが、かといって正直に答えるのも不味い……という気持ちが伝わってくる回答だった。
そんな返事を受けたコルトは、特に気にすることもなく質問を続ける。どうやら、戦力を暴きたいということではなく、初めて見るエルフ族に好奇心が抑えられないというところらしい。
(……もしかして、子供なのかしら?)
ミーファーにコボルトの知識などほとんど無いが、無邪気で好奇心旺盛なところを見ていると、まだ幼いのかもしれないと考えた。
ウル軍の魔物は皆、他の同種の魔物に比べると一回り大きく成長している。そのため大きさはあまり比較にならないのだが、今のコルトの大きさは標準的なコボルトと同程度。となれば、まだ成長途中の子供……と考えることも可能だ。
「エルフ族の武器って、その……弓? なんですか?」
「ええ。我々はこの弓矢の扱いを子供の頃から学びます。……知識があるということは、あなた方にも弓兵がいるので?」
「いやー……。ウルが知識だけは教えてくれたんですけど、実際に作ってみても中々真っ直ぐ飛ばない上にあんまり威力も出なくて……。まだ武器工房の方で研究中とは言ってましたけど、実用化には至ってませんね」
「そうなんですか」
反対に、コルトから情報を抜き出そうとし、上手く語らせることに成功するシークー。
その言葉を聞いて『交渉材料に弓矢の技術使えば良かった』とミーファーは若干後悔したりもしつつ、そうこうしている内に――
「……森を出る。ここからは我々の領域の外。警戒を怠らぬよう」
「はい。ここからは、我々が先導します」
――エルフの一団は、鬼の一団と共にであるが、魔の森ことシルツ森林からの生還に成功した。
これは、奇跡と言えるだろう。一度魔物に囚われ生還するなど、よほどの幸運がなければ不可能なのだから。
「我々の森までは、徒歩で半日ほどかかります」
「そんなにかかるのか?」
「ええ……真っ直ぐ進めばもう少し早いのですが、人間の目を避けながらとなると、どうしても……」
「……まあ、今はまだ開戦許可が出ているわけでもない。貴殿らの誘導に従おう」
エルフ達が選ぶのは、行きでも使った隠れる場所が多いルートだ。
真っ直ぐ最短距離ではどこかで人間と遭遇する恐れがあるため、人目のない場所を選んで行くことになる。
それでも全く遭遇する危険性がないわけではないが、そこはルートを確認し、チーム全体を導く斥候エルフの腕の見せどころというところだろう。
――しかし、彼らには一つ誤算があった。
「……まずいですね」
「どうかしたか?」
しばらく平地を歩き、もう少しで目的地の聖なる森というところまでは順調に辿り着いた。しかし、そこで一人先行してルートを確認していたエルフが焦った顔で戻ってきたのだ。
「この先に、人間が何人かいます。武装からして、我々の森を襲っているものと同じ勢力かと。恐らく、森から逃げ出そうとする同胞を捕えるのが目的です」
「うむむ……上手く避けることは?」
「我々だけなら、なんとか。ですが……」
そこで、斥候エルフはチラリとケンキの方を見た。
具体的には、その人やエルフの身体の倍以上はある上に目立つ赤い鎧と身体を。
「……鎧を隠しても、意味はないだろうな」
「はい。確実に見つかります」
今のケンキは、自身の身体と同色の鎧を身につけている。
これもまた急速な進歩を遂げたシルツ森林の加工技術が生み出したものだが、はっきり言って隠蔽など全く考えていない鮮やかな赤だ。
ケンキは戦闘部隊の隊長として、常に目立ち味方を鼓舞するのが役割。そのため、その威容を目立たせることを重視して鎧も作られているのである。
尤も、だからといって鎧を隠せば目立たないのか……といえば、そんなことはない。単純に、並みの魔物とは比較にならない圧倒的なまでの威圧感を持つケンキは、どれだけ離れていても目立つのだから。
「……敵がいるのか?」
「え、ええ。後はこの丘を降りればすぐなのですが、森の前に人間が陣取っています。ここを避けるとなると大幅な遠回りになるので。……どうしようかと」
「元々、逃げ隠れは性に合わん。いい手がないのならば、先制攻撃を提案するぞ?」
「う……そ、そうですね……」
当のケンキの意見は、先制攻撃。隠れることができないのならば、発見される前にこちらから攻め込もうというものだ。
それ自体は、実のところシークー達も真っ先に考えたことだ。元々、シークー自身も手練れであり、多勢に無勢ということでもなければ人間に負けるつもりは無い。
しかし、今までは護衛対象であるミーファーと一緒にいたからこそ極力リスクを避けていたのだが……
(……今ならば、いけるか? 鬼軍団が攻撃、我々はミーファー様の護衛という立ち位置を取れば――)
虫のいい話だが、戦闘をケンキ達魔物組に全て任せてしまえばシークーにとっては何らリスクのない話だ。
問題は、一方的に貧乏くじを引かせるような提案を、どうやって通すかなのだが……
「それなら、僕らだけでやった方がいいよね?」
「コルトの言うとおりだな。現状、我らとエルフ族との繋がりはない。一人も逃がすつもりはないにしろ、情報が漏れたとしても通りすがりの魔物に襲われたとだけ思ってもらうのが一番だろう」
……などとシークーが考えていたら、何とコルトとケンキの二人が自発的に提案してくれた。
そう、情報という観点から考えれば、まだエルフ族が魔物と手を組んだ――あるいは組もうとしているという事実を知られるのは損にしかならない。
ホルボットエルフとウル軍の同盟の成立が人間からの攻撃を躊躇させる、という可能性に期待するのならば宣伝するのも無意味ではないが、戦闘を前提に考えるならばウル軍の戦力は伏せておくべきだ。
もしその存在を知られれば、ホルボットの聖なる森に攻め込む人間達はそれ相応の戦力を整えてくる。それよりは、エルフだけを相手にするつもりの勢力に魔物軍をぶつける、一種の奇襲を行った方が効果的なのだ。
……と、そんな理屈でケンキ達を説得しようとしていたシークーであったが、まさか自分達でその結論に達するとはと、表情には出さないように努力しながらも冷や汗を流した。
(……腕力だけではなく、咄嗟の機転にも優れるか。やはり、あの森の魔物達と敵対するのはあり得ないな)
単純な武力では、圧倒的大敗。それに加えて知能や技術でも簡単には勝れないとなれば、もはや戦闘と自殺に差が無い状態になる。
それを強く自覚し、シークーは同胞達の説得を意地でも成功させようと改めて誓った。
「えっと、その……」
「……ミーファー様。ここは彼らに頼るのが一番かと」
軍事に関しては正真正銘の素人であるミーファーへの説明は後回しにし、とにかく自分達の長としての承認を求めるシークー。
よくわからないまでも、今は緊急の判断が求められる場面なんだと理解したミーファーは、シークーの言葉にとりあえず力強く頷くのだった。
「了解した。では、エルフの方々は身を隠すよう願う」
「はい、ご武運を」
ウル軍とエルフ達の関わりが露見することがないよう、姿を隠してもらう。
発見される危険性がなくなったと判断したところで、ケンキは今までの理性ある顔を少しだけ崩し、その鬼の本能に相応しい獰猛な笑みを浮かべた。
「さて……者ども。非公式的なものではあるが、これより我ら、森の外での初陣だ。我らの勝利を、我らが王に捧げるぞ!」
『おう!』
森で産まれ森で育ったケンキ達にとって、これは森の外での初めての戦い。しかも、ウルの配下として、宿敵である人間相手に剣を振るう最初の機会だ。
否応にも気合いが入る状況。ケンキ直属の配下として共についてきた鬼族の精鋭十数匹――
通常種よりも大きく色白の身体を得た上位子鬼三匹。
鬼本来の特性に加え、異種族の特性を得る異種進化を経た豚鬼五匹。
機動力を重視し、下半身を肉食獣のそれに変えた半鬼半獣三匹。
従来の腕力に加え、搦め手を会得した毒鬼二匹。
隠形に特化し、追跡と暗殺に優れる暗鬼一匹。
そして、未だ進化種の領域には至っていないものの、もう間近と言われるノーマルゴブリン数匹。
強い王と豊富な食料の下、ゴブリンより進化し、見事精鋭と認められた鬼族の進化種達。そしてその領域を目指す配下は、前方で暢気に聖なる森を眺めている人間達を前に、殺意を滾らせるのであった。
「……えっと、一応言っておくけど、逃がさないように包囲するところからだからね?」
「うむ。何人かノーマルを連れて奴らの側面に回ってくれ。配置につき次第、残りの者は私に続け!」
『おう!』
鬼らしく敵意を膨れ上がらせる仲間達をやや離れた位置で宥めるコルトも交えて、人間相手に初めて『攻める戦い』が始まろうとしていた――。