第54話「契約不成立にしかならない」
魔王の功罪・悪魔との契約。
魔王ウル・オーマの魂に宿る能力であり、本来の種族である悪魔としての性質を起源とする功罪である。
契約を持ちかけるのは術者であるウルからでも、あるいは契約を結ぶ相手からでも構わないが、発動までに必ず行わなければならない必須条件が二つ、任意で行う追加条件が二つある。
まず、必須条件の一つ目は『契約に両者が同意すること』。
言うまでも無いが、契約という形を取っている以上、どれほどお互いに力の差があろうとも同意なしでは発動しない。契約対象が複数人いる場合、一人でも拒む者がいればそもそも発動できないのだ。
必須条件の二つ目は『契約内容を決めること』。
これもまた当たり前の話だが、まずは契約者Aが何かをする、その対価として契約者Bは何々をする、というお互いが義務として背負う約束を決める必要がある。
この際、一方的な条件では契約不成立となる。契約者Aは財産を契約者Bに渡すが、契約者Bは何もしない……といった不平等な条件は無効となるのだ。
お互いの条件が等価であるかどうかの基準は『お互いが合意したか』に委ねられるとはいえ、契約による命令はできないということである。
任意条件の一つ目は『契約内容の履行が行えなかった場合の代償条件の設定』である。
例えば『牛十頭をプレゼントする』という契約内容を達成できなかった場合、代わりに金貨百枚を贈る、と事前に設定しておけば、金貨さえ支払えば功罪の罰を受けることがなくなるということである。
いわば、達成すべき義務を複数用意するための項目だ。
任意条件の二つ目は『契約期間の設定』である。
その名の通り『この契約は、契約履行より○○年有効である』と時間で区切るということだ。
時間設定をしておくと、指定した時間が過ぎた時点で契約の全ては無効となるため、一定期間の限定的な協力関係を築く時などに使われることがある。
ちなみに、この条件設定を行わずに契約が成立した場合、有効期限は『契約者のどちらかが死亡するまで』となる。
以上の条件を満たした場合、両者合意の上で悪魔の契約は結ばれる。
契約違反の代償は、契約者の魂。ウルが契約を破れば魔王として蓄えた全ての力と知識が対象へと所有権が移り、ウル自身の意識は消滅する。また、契約者が契約を破った場合、その魂と肉体の所有権を魔王に奪われ、魂を食われることになる。
それが、魔王の功罪・悪魔との契約の能力である――。
「……と、この黒い契約書には書かれていますが、これは全て事実ですか?」
「ああ、功罪により造り出したものだ。一切の嘘偽りはあり得ない」
ウル・オーマより手渡された、強大な魔力により造られた黒い契約書。
そこに書かれているのは、エルフの愛し子ミーファーを含む現在生き残っているホルボットエルフ全員と、魔王ウル・オーマによる契約の詳細および、功罪の詳細であった。
契約内容はシンプルなもので、魔王ウル・オーマはエルフの保護と捕虜の救出に力を貸す。エルフは魔王ウル・オーマの傘下に入り、その命令に従うことというだけである。
(……契約内容はいいけど、なんで功罪の詳細まで……?)
ミーファーは、自分の素直な疑問について考えを巡らせる。
通常、自分の功罪の情報をこのように渡すことなどあり得ることではない。少しでも隠し、優位に立とうとするのは当たり前のことだ。
それなのに、わざわざ書面にまでして教えるということは――
「……これも、あなたの功罪の条件なのでしょうか?」
――教えることそれ自体に利がある場合、である。
「まあ、発動条件ではないがな。実際、俺がこの功罪を持っていることを説明しなくとも、そこに書かれた条件さえ満たしてしまえば……つまり、契約に同意さえさせれば、発動することはできる。しかし、それでは浅いのだよ」
「浅い?」
「この功罪、分類的には呪いに入るんだが……ああ、呪いはわかるか?」
「ええ……いわゆる、魔力により対象に害を与える能力の総称……ですよね?」
「大雑把に言えばそういうことだな。火や雷を生み出して攻撃するのも害を与えていることに違いは無いが、魔力が起こしているのはあくまでも自然現象の再現だ。それに対し、呪いは魔力そのものが何かしらの害を与える効果を持っているということだ。俺のこれも、条件を満たせば魂を奪う……つまり逆らうことを許さないという害を与えていることには違いない」
約束を破らなければ何も起こらないとはいえ、生命を危険にさらす以上は呪いと表現しても仕方が無いだろう。
「では、呪いを祓う……いわゆる解呪のことは?」
「……本で読んだことは、あります」
ミーファーは、余り詳しくはないと正直に話した。
エルフ族に呪いの類いを扱う者はおらず、聖なる森に住む他の生物も同様だ。そんなややこしいことをするくらいなら直接殴るという輩の方が多い。
そのため、魔道に優れる者であっても、そういった術への対抗策は発展していないのである。
そんな拙い知識であるが、昔読んだ本の内容をミーファーは必死に思い浮かべるのだった。
「確か、呪いというのは、基本的に長期間に渡って対象者を苦しめる性質のものである。だから、そのカウンターとして、そういった呪いを根本的に消滅させる解呪術というものが作られた……とか」
「苦しめられれば、誰だって何とかしようとするものだ。であるならば、呪う側がその対策をするのもまた自然な流れだろう? 特に、これは契約を軸に据えた功罪であるからして、その強度は呪われた側……つまり、契約者がどれだけ納得しているかによって変化する」
「……功罪による契約なんてするつもりはなかった。死のリスクがあるなんて知らなかった。そういった逃げ道があると、解呪しやすくなるということですか?」
「そういうことだな。この黒い契約書を使い、詳しく俺の功罪を知った上で契約を交わせば、絶対に解呪することはできない。……こちらに仕事をさせた後、契約を根元から祓われては困るのでね」
ククク、と、ウルは挑発するように笑った。
今ウルが説明した功罪の原理……その理屈で言えば、最も強く呪われるのは他ならぬウル本人であり、自身の功罪の全てを知り尽くした上で契約を交わすウル側からは、もはやどんな手段を使っても一方的な契約破棄を行うことはできない。
そう、この説明は『一度契約を交わせばもはや逃げられない』という脅迫であると同時に『俺は絶対に契約を破らない』という高潔な宣言でもある。
約束を破るつもりがある者からすれば、挑発に。約束を守るつもりがある者からすれば、宣言に聞こえる言葉。
ミーファーの答えは……
「……すみませんが、ナイフか何かをいただけますか?」
「ミーファー様?」
「わかっています、危険なことは。ですが、ここまで言われて、やっぱり止めますなんて……私達の誇りにかけて、できません」
ミーファーは、血印を押すべくナイフを要求した。
シークーは護衛として、確認の意を込めて名を呼ぶが、もはやミーファーの覚悟は決まっているのだった。
「ナイフがいるのか? ならばこれを使うと良い」
「ありがとうございます」
刃物の要求というところで一悶着あるかもしれないと警戒したミーファーだったが、ウルは何でも無いように頷き、懐から小ぶりな刃物を取り出した。護身用……というにも小さく、どちらかと言えば糸を切るために使うような作業用の刃物だ。
指を軽く傷つける程度ならばこれで十分だが、武器にすることは難しい。これならば悩む必要などないだろう。
「……ところで、私が同意しても、森に残った同胞が賛同するとは限りません。その場合はどうなるのでしょうか?」
親指を軽く刺し、数滴の血を流すミーファー。
その痛みに若干顔を顰めつつ、さあ押すぞ――というタイミングで、ミーファーは思いついたようにウルへの言葉を投げかけた。
「この契約の対象となるのは、お前達の集落の民全てだ。全員の同意が必要になる……と言いたいところだが、但し書きを付けない限りは本人同意無しでも契約に巻き込むことは可能だ」
「では、私の決定が集落全体に即刻影響を与えるのですか?」
「本人同意無しで契約に巻き込めるのは、契約者当人が生殺与奪の権限を握っている相手……つまり、従わないのならば死ねと命令できる相手のみだな」
余談だが、一年前のウルとオーガ軍との戦いの際、オーガ軍全員を契約に飲み込んだのはこの方法である。
「お前は族長の娘ということだったが、どれほどの権限があるんだ?」
「流石に、そこまでの権限はありません……。御爺様の命令ならば反逆者として処刑することも不可能ではないですが、私にはとてもそこまでは……」
「ならば、まずはお前自身とここにいる護衛のエルフ全員だけで契約を結ぶのだな。その後、故郷に戻って他のエルフを説得しろ。しつこいようだが、俺が望んでいるのはお前の一族全員の服従だ。それが成されない限りはそもそも契約不成立にしかならないのでな」
今のままでは、発動条件の中でも必要不可欠な『契約対象者全員の賛同』が満たせない。
ウルの求める対価がホルボット集落全員への命令権なのだから、そこは譲れないところだ。
「……わかりました。すぐに故郷の森に戻り、皆を説得します」
「ああ。その契約書類は持っていけ。そこに契約に参加すると宣言すれば自動的に名前が追加されるようになっている」
「そうなんですか。では――」
ミーファーは黒い契約書に血印を押し、それに倣うように護衛達も皆契約書に承認の意を込めて自分の血を押していく。
この場の全員の同意が取れたことを確認した後、ミーファーはすぐに里に戻ろうと歩きだす。シークー達もそれに従い、動き出そうとするが――
「あぁ、待て待て。焦る気持ちもわかるが、ここからどうやって戻るつもりだ?」
「……あ」
そう言われて、ミーファーは今自分が置かれている立場を思い出した。
今いるのは、地理情報を一切持たない魔の森こと、シルツ森林の中だ。森の民であるミーファー達の感覚ですら発見できない罠が敷き詰められた、魔境である。
そんな場所を、装備の全てを失った状態で歩くのは危険という領域を越えてもはや自殺だろう。ウルとの同盟が仮とは言え成立した以上魔物が襲ってくる危険性は少ないのかもしれないが、それが無くとも自然の驚異は健在なのだ。
「俺の領域は恵みの豊富さが自慢だが、それに比例して危険性も高いからな。案内なしで森を歩けば、すぐにでも死ぬぞ? 森歩きの達人――エルフであってもな」
「……えっと」
「わかっている。お前達の装備は返してやるし、案内役も付けよう。ついでに、お前らの故郷に戻るまでの護衛もそいつらにやらせるとしようか。俺との協力関係を築けた証にもなるだろうし、この森からお前らの森までの道のり……安全ではあるまい?」
「はい……ここまでは運良く人間に見つからずにこれましたが、帰りもそうである保証は……」
「もちろん、その時は我々護衛団が死力を尽くす覚悟ですが」
「覚悟は買うが、戦力は多いに越したことはあるまい。それに、そっちの森で契約が成立すると同時に、俺にはお前ら一族を守る義務が発生するのだ。お前らを無事に送り届けた後、契約成立を見届けた後はこの案内役がそのままお前らの集落を守るための戦力第一陣ということになるわけだな」
「……契約成立後、ですか」
「あの、シークー?」
「お嬢さんはともかく、お前は意味がわかっているな? ならば、死ぬ気で同胞を説得するがいい」
――もし同胞の説得に失敗し、契約不成立になった場合の安全の保証はしない。それは当然だが、これはその程度の意味ではない。
ここまでやっておいてやっぱり止めますなどと言えば、守るどころか報復の対象になる。王の顔に泥を塗るならば、それ相応の対応をさせてもらう、ということだ。
案内役が守護者としてエルフを守ることになるのか、それとも侵略者となってその歴史に幕を下ろす役割を担うことになるのか。
全ては、ミーファーの手腕にかかっている。ウルはそう言っているのである。
言葉の裏を読めていないミーファーはまだ自分のか細い両肩に乗った重責を理解していないが、それもすぐに知ることとなるだろう……。
「よくわかりませんが……ところで、いったいどのような方を?」
「うむ……まあ、急な話であるためさほど数は用意できんが、その分質は保証する。俺の手駒の中でも一、二を争う強者……鬼族の精鋭部隊を付ける」
「お、鬼……ですか」
「お前達もよく知る、ゴブリンの進化種だな。森住まいなら慣れたものだろう?」
絶対に、ゴブリンと同一視していい存在ではない。
それだけは、ミーファーにもよく理解できたのだった。
「あ、それともう一人。こっちはまあおまけだが……」
「はい?」
「いやなに、実は昨日、ちょっとした祭りを行ったのだが、適当な言い訳して逃げた奴がいてな? お前達が目覚めるまでの時間に締めておいたんだが、気合い入れ直すついでに実戦に放り込んでやろうと思ってな。丁度いいから一緒に連れて行ってくれ」
「はあ……?」
その「おまけ」のことはよくわからないミーファーであったが、そんな疑問はすぐに吹き飛ぶことになった。
なぜなら――
「王の命により、お前達の護衛を仰せつかったオーガのケンキだ。道中よろしく頼む」
「よ、ヨロシクオネガイシマス」
「あ、僕はコボルトのコルトです。……はあ、なんでこんな目に」
――案内役として付けられた『鬼』のインパクトで、おまけのコボルト一匹のことなど、考えている余裕がなくなったからである……。