第52話「地に這い王を崇めよ」
「あの……どこへ向かうのでしょうか?」
「なに、交渉に来たというのならばそれ相応の対応をしなければこちらの品位が下がるというものだ。成立不成立は別にして、檻の中というのはあるまい」
ミーファー達エルフの一団は、魔の森ことシルツ森林の中を歩いていた。
案内役は、森の王を名乗る魔物、ウル・オーマ。護衛なのか側仕えなのかはわからないが、数匹のゴブリンを引き連れている。
(……このゴブリン達は、本当にゴブリンなのかしら?)
武器も無く、逆らうことができないミーファー達は、ウルの提案に従って素直について行っている。
そんな中で、ミーファーはワーウルフのウルに従うゴブリン達に疑念を抱いていた。
(……大きい、わよね? それに、着ている服も立派だわ)
ウルが引き連れているゴブリン達は、ミーファーの知識にあるそれとはすこし違った。
まず、体格がいい。ゴブリンなど通常なら痩せ細った貧相な身体をしており、服装など大半が裸、よくてボロボロの布きれのようなものを纏っているのが精々である。
しかし、このゴブリン達は違う。しっかりと食べ、しっかりと鍛えていることが服の上からもわかる筋肉を育てており、衣服もかなり上等なものに見える。よくよく見れば技術的に拙いという場所も見えてはくるが、素材はかなりいいものを使っている――それこそ、ホルボット集落のエルフ族としては高位に位置するミーファーの衣服ですら下手すれば負けるのではないか……という不思議な光沢を持っているのだ。
その観察眼は、正しい。
ゴブリン達――というよりも、現シルツ森林にて魔王ウル・オーマの傘下に入った者達が纏っている衣服のほとんどには、大蜘蛛一族が造り出す鋼糸が編み込まれているのだ。
大蜘蛛の鋼糸は、金属にも負けない硬度を誇る素材として、人間社会でもかなり重宝されるものである。鋼糸が造れる程の力を持つ大蜘蛛自体が希少なこともあり、かなりの高級品だ。ちなみに、この鋼糸に鋭さと速度を持たせて放つと斬撃糸と呼ばれる技になる。
だが、ウル軍にとってはありふれた素材だ。女王アラクネことアラフに統率され、豊富な食料を元にすくすくと育っている大蜘蛛達の多くが鋼糸の生成を可能としており、警備班以外はそれを生み出すのが一日の仕事となっているため、かなりの量の鋼糸がウル軍にはあるのだった。
そのおかげで、今では末端のゴブリンですらその辺の鎧よりも優れた防御力と機動性を併せ持った服を身につけられるようになったのである。
(……どうしよう。武力でならともかく、文化とか文明で負けてるなんて言われたら……)
まだ衣服を見ただけであるが、ミーファーの自信はぐらついていた。
魔物達との交渉材料として、エルフ達は自分達の技術を使うつもりでいた。木工細工や服飾技術、あるいは植物の栽培方法から魔化技術までいろいろ考えてはいたのだが、もしそれを『理解できないから』ではなく『低レベルだから』で拒否されたらどうしようと。
(だ、大丈夫よね、いくらなんでも……)
文化を持たない野蛮な獣。魔物とはそういう存在であったはずなのだが、何故こんな心配をしなければならないのか。誇り高きエルフ族の文明が、何故魔物に劣るなど心配しなければならないのか。
産まれてから今までに培ってきた常識が抗議の声を上げていることを自覚しながら、ミーファーはウルの背中を見つめて森を進むのだった。
そして――
「さて……交渉を始めようか?」
「は、はい。よろしくお願いします」
「ならば、まずはそちらの用件を――っと、その前に、だ」
ウルに案内されて到着したのは、森の中に建てられた大きな家屋であった。
まさか魔物がこれを造り上げたのかと信じがたい気持ちでいっぱいのミーファー達だったが、事実としてここにあるのだから仕方が無い。
内装こそ殺風景で、テーブルと椅子があるだけのものだが、こんな立派な建物はホルボット集落にも早々ないと断言できるものであった。
「今のところ、お前達は客人だ。ならば、ささやかながら食事を振る舞うとしよう」
「しょ、食事……ですか?」
「空腹では頭も回らないだろう? 見たところ疲れているようだし、軽く食べながらの方が話も弾むというものだ。準備するように連絡はしてあるから、もうすぐに届く」
話の前に、食事を振る舞ってくれる。
これは歓迎の意を示すという意思表示なのか、それとももっと別の意味があるのか。
もはや、目の前の魔物を力ばかりの野蛮な生き物だと軽んじるのは危険と判断したミーファーは、できる限りその意図を読み取ろうと努力する。
そんな中、椅子に座ったミーファーの後ろに控えていたシークーが、ミーファーにしか聞こえないくらいの声でぼそりと呟いた。
「大丈夫でしょうか……その、魔物の食事、というのは」
(あ、そういえば……)
ウルの考えばかりを気にしていて、ミーファーは直前に迫っていた危機を見逃していたと顔を青くした。
当たり前だが、魔物のエサとエルフの食事では内容が全く違う。コボルトやゴブリンが飢えを凌ぐために口にしている虫など、ミーファーにはとてもではないが食べられない。
いや、そんなものならばまだマシだ。最悪、人肉とかエルフ肉とか出てきたって不思議は無いのだ。
(さ、流石にそれは……大丈夫、よね? 歓迎のためなんだし)
歓迎を装って精神攻撃を仕掛けるという可能性に、ミーファーは全力で目をつぶる。
エルフにとって同族食らいは禁忌である。腹が減れば死んだ仲間を食らうことにも躊躇しないゴブリンとは違い、それはたとえ殺されても犯さないエルフの禁忌なのだ。
また、いくらエルフが人間を憎んでいても、だからといって食べたりはしない。エルフと人間は子を作ることも可能なくらいには生物として近しい近親種であり、それを食べるというのは同族食いに近しいものだという認識があるのだ。
しかし、魔物からすれば人間もエルフもエサに過ぎないのかもしれないと言われれば否定はできない。何せ、シルツ森林に来るときに一番怖かったのが、他ならぬ『魔物に食われて死ぬ』という結末なのだから。
「あ、あの、やっぱり……」
「お、来たようだ。さあ、遠慮することは無いぞ?」
恐怖に負けて『歓迎を拒否する』という、礼節としては最悪に近いことをやろうとしたミーファーであったが、時既に遅し。白い服を身につけたコボルト達が、次々と透明な石のようなもので作られた食器に盛られた料理を運んできたのだ。
「これは――宝石の皿ですか? それに、この料理は……」
「ただのガラス皿だよ。少々歪なのは勘弁してくれ。ちなみに、料理は――」
ウルは、料理を運んできたコボルト達で異彩を放つ存在、唯一種族が異なる目つきが鋭いゴブリンへと視線を向けた。
「ピリ芋のステーキに、百モロコシのスープと紅色トマトのサラダ。主食には一等品の黄金小麦パンとオイリーココナッツバターを用意しました。デザートには冷やしたメロメロンを。甘雫草の蜜を使ったシロップをご用意しましたので、お好みでどうぞ」
「は、はあ?」
「エルフ族も肉を食ったとは思うが、基本的には菜食であったと記憶している。間違いであったら済まんが、今日はこのようなメニューとさせてもらった」
「あ、はい。お気遣い感謝します……」
「料理は私、料理長を任されておりますオレンが担当させて頂きました」
優雅に一礼するゴブリン――オレンがすらすらと説明した料理は、どれも未知の魅力を放っていた。
心配していたゲテモノでもなければ倫理に反するようなものでもない。精霊の異界である聖なる森の中ですら見たことのない、希少食材のオンパレードであったのだ。
それも、エルフが最も好む菜食のみで固めてきている。エルフも肉や魚を食べないわけではないのだが、一番好むのは菜食なのだ。
それを知っていると言外に語り、こちらを牽制するのが目的かと頭の片隅で考えはするミーファーであったが、残念と言うべきかなんと言うべきか、五感と脳の9割は並べられたご馳走に集中しているのであった。
「まだまだ料理文化というやつを取り入れてから日がないので、粗はあるかもしれんが、精一杯のもてなしだ。我が領域で採れた品だが、楽しんでくれ」
「い、いえ! そんな、粗なんて……」
「まあ、このオレンは特に上達が早く、才にも恵まれていたようなのでな。見る見るうちに上達し、今では恥ずかしくないものを出せるようになったと思っている。さ、遠慮はいらんぞ?」
バウバウと吠えるコボルト達を引き連れ、去っていくオレンを横目で見つつ、ミーファーは恐る恐る用意されていた木製のフォークを手に取り、料理を口に運ぶ。
すると――
(――美味しい! まがい物でも何でも無い、本物の異界資源――! 料理としても粗いなんてとんでもない。家の料理人にも負けないんじゃないかしら?)
芋のほくほく感と、ピリリと舌を痺れさせる辛みを持つピリ芋。それをほどよい厚みに切り分け、適度に火を入れた絶品であった。
更に、続けて他の料理も次々と、もはや警戒心などかき消えた様子で口に運んでいくミーファー。最低限『交渉前に素直な感情を口に出してはいけない』という常識に従って言葉にはしていないが、何を思っているのかは緩んだ表情と輝く目、そして食事のスピードを見れば誰にでもわかる姿であった。
「これは……」
「本当に旨い。パンもふわふわじゃないか」
「どこでこんな技術を……」
続けて、ミーファーの護衛達も、自分達の前に並べられた、あるいは用意された分を口にしていく。
本来護衛が迂闊に食事を取るものではないのだが、用意されたのに断るのは無礼という建前の下、空腹の胃袋の命令に従って次々と食を進めていったのだった。
「どうやら、楽しんで頂けたようだね?」
「あ、えーと……はい。とっても美味しかったです……」
気がついたら、ミーファーは皿の上の中身を完食していた。胃袋はほどほどの満足感を感じつつも、欲望がまだ食べたいと訴えているような気がする。
交渉相手を無視して暴食の限りを尽くすなど、相手に飲まれたと言われても文句は言えない。料理長を名乗ったゴブリンのオレンがいなくなってくれていてよかったと思いつつ、できればあのゴブリンを自分の里に連れて帰りたいと思うミーファーであった。
「料理部門は俺自らの舌で徹底的に鍛えたからな。満足してもらえたのならば何よりだ」
クククと笑うウルからは、完全に余裕しか見えなかった。
完全に、上下関係というべき空気が形成されている。食事を恵んでやった方と恵まれた方。そんな関係ができあがっていたのだ。
所詮は食事……と突っぱねるには、余りにも美味しすぎた。森の奥地で細々と暮らしているエルフ族にはもはや暴力的とも言える、食にうるさい魔王が一年かけてプロデュースした贅沢料理は、心への先制パンチとして確かに効いていたのだった。
「それで? 俺に願いがあって来た――と言ったな? 話してみるがいい」
精神的な上手を取りながら、本題を振るウル。
そのボールを受け取ったミーファーは、心を落ち着けようと一度大きく息を吸った後、緩んだ心を引き締めろと自分に活を入れて話し始めるのだった。
「実は――」
自分達がホルボット集落というエルフの里から来たと言うこと。人間に故郷を攻められ、大勢の仲間が危機に晒されていること、それに対抗すべく仲間を探していること。
もう自分達には後がない――というような、今後の交渉に都合の悪い事実はぼかしつつ、ミーファーはウルへと協力を求めるのだった。
結果――
「……要するに、人間に侵略されて手も足も出ない。もう自力じゃどうしようもないから俺たちの手を借りたい、ということだな?」
――隠しておきたかった部分まで含めて、全部ばれていたのだった。
「い、いえ。私達だってまだまだ――」
「俺たちがそれなりに名を売った国家であるというのなら、それもありえるかもしれんがな。まだまだこの森の中だけで活動しているだけの、得体の知れない魔物集団でしかないだろう? そんな相手に協力をなどという発想が浮かぶ時点で、崖っぷちを通り越して崖から飛び降りてでも活路を見出したいって状況なのは考えなくともわかる。駆け引きがしたいのならもう一月は前に行動に出るべきだったな」
「――ッ!」
ウルは、ミーファーの言葉を鼻で笑う。
そう、ウルはもう見ているのだ。いくら相手の好みに合わせ、用意できる最上級の料理を用意させたと言っても、代表はともかく護衛まで魔物が用意した食事に飛びついてしまう台所事情まで、全てを。
「ふむ……それで? 俺も人間を狩ること自体には反対する理由は無い。だが、そのために死にかけのエルフというお荷物を抱えろというのならば、貴様らは俺にどんな対価を用意できるというのだ?」
傲慢な言葉だった。
ミーファーは『エルフとウル軍の同盟を』という話をしたのに、ウルの言葉は完全に『ウル軍がエルフを一方的に助ける関係』を前提としている。
それに屈辱を感じるエルフ達だが、ここで怒りをぶつけても死ぬだけだ。必死に冷静さを保ち、何とか立場を対等まで戻そうとミーファーは努力する。
「……人間の最終目的は、この森への攻撃です。私達への攻撃も、そのための兵力調達が目的でしょう。このままでは、あなた方は人間とエルフの両方の勢力から攻撃を受けることになります。そうなるよりは、今ここで私達を味方に引き入れる方がそちらにもメリットがあると思いますが?」
「なるほど。だが、お前らと手を組むということは、当然既に攫われているエルフ共の救出を望むということだろう? こちらとしては人間もろとも纏めて殺してしまうのが一番簡単なんだ。それなのに、人質救出なんてリスクのでかい仕事を背負うのは割に合わないと思うがね」
「そんなことは――」
「それに、話を聞く限りではお前らホルボット軍の戦力は半壊状態。それが人間共の軍に吸収されたところで高がしれているようにも思えるし、俺の軍に加えたところで人質一つで無力化されるんだろう? 危険回避のためお互いに利がある、などという理屈では頷けんな」
ウルの言葉は、冷たかった。
先ほどまで歓迎の意を示していたとは思えない程に、ウルの言葉の一つ一つからエルフへの関心というものが感じられない。先ほどの美食との落差に、エルフ達の心は追い込まれていった。
同時に、強い自信を感じる。たとえ人間とエルフを同時に敵に回しても、自分達の軍勢ならば問題ない――という、強い自信を。
「……協力してくださるのならば、エルフ族の技術や物資を提供します」
「技術に物資とな? 具体的には?」
「……エルフ族の作る木工細工は、精霊の加護を宿した守りとなります」
「精霊ならばこの森にもいるし、細工も自分でできるな」
「森の植物を使った伝統衣装は……」
「見たところ、服飾技術ではさほど差があるようには思えんな」
「……植物を育てる知識では、エルフは何者にも引けを取りません」
「魅力的には違いないが、何者にも……というのは言い過ぎだな。いくらエルフが優れていても、結局自然そのものである精霊には劣る」
「…………私には、魔道の心得があります。それによる魔化技術を」
「何と言われるかわかっている提案をするな。もうわかっているんだろう? 魔化ならば、俺たちの方が上だ」
「……ッ!」
ミーファーは、悔しさからギュッと膝の上で拳を強く握った。
ここに来るまでに抱いた懸念が、現実になってしまったのだ。既にシルツ森林の魔物達は高度な技術を有しており、エルフ達が自分達のコミュニティの中だけで継承してた技術など、既に魅力を感じないところまで来てしまっているのだと。
それを雄弁に語る高度な魔化が施されていると思われるウルの装束を前にすれば、反論など許されるはずもなかった。
「――だったら、だったらどうしろって言うんですか!」
「ミーファー様!」
余りにもとりつく島の無いウルの態度に、ミーファーは叫んでしまった。それは、交渉の場における降伏宣言にも等しい無様な姿と言っても過言ではない。
食事の後は後ろに控えていたシークーも、その気持ちはわかるがと顔に書いてある様子でミーファーを止めようとする。
しかし、それよりも前に、魔王が動いた。
「どうしろ、か。ならば教えてやろう。……諦めろ」
「なっ!? 同胞を、見捨てろというのですか!」
「それもまた一つの選択だが……それが嫌ならば、もっと前に諦めるべき事があるだろう?」
ウルは椅子から立ち上がり、威風堂々とした姿で力強く、まるで地獄の底から語りかけているかのような禍々しい威圧感と共にミーファーへと言葉を投げかける。
「この俺と、魔王ウル・オーマと対等になろうなどという驕りを諦めよ。吹けば飛ぶようなプライドなど投げ捨て、地に這い王を崇めよ」
その姿を見て、ミーファーは自らの最大の間違いに気がついた。
目の前にいるワーウルフは、影武者などではない。正真正銘の、王。魔物の王――魔王ウル・オーマであるのだと、彼女は魂で理解したのであった……。
※悪魔は契約は守るがそれ以外のところでは平気で嘘を吐くので注意とのこと。