第51話「俺との契約を望むということか?」
「ここが、魔の森……」
ゴクリと、幼いエルフの少女……ミーファーは息を呑んだ。
今、彼女は少数の護衛と共に魔の森と恐れられるようになったシルツ森林の前までやって来ていた。
目的は、前代未聞の魔物相手の同盟。到底成功するとは思えない博打を、自らの命をチップに行いに来たのだ。
「禍々しい気配を感じます……こう、肌がピリピリとするような」
自然エネルギーそのものである精霊と懇意にしているエルフ族は、自然が放つエネルギーに対する感知能力が高い。
そのエルフの感覚からすると、このシルツ森林が放つ気配は彼女達の故郷である聖なる森のそれとは全くの別物であった。もはや、同じ森というカテゴリに入れてもいいのかと疑問を持ってしまうくらいには。
「これでは、人間であっても入るのを躊躇うでしょうね。私達のような高い感知能力が無い人間であっても、これは本能が忌諱するでしょう」
「シークー……ええ、同意見です」
ミーファーの呟きに反応したのは、護衛としてせめて共をさせてくれと願い出たエルフ軍の戦闘隊長――シークーだ。
若年ながらも戦闘力ではホルボット集落最強のエルフを自負する彼がいれば、生存確率が少しは上がるかもしれない。ミーファーとしては彼には故郷の守りについていてほしいという思いもあったのだが、どうせミーファーが失敗したり遅れたりすればシークーが居ても結果は変わらないのだ。
ならばこっちにいた方が集落全体の生存確率も上がるだろうということで、以前の会議での宣言どおりにエルフ最強の戦士は護衛団の隊長としてお供となったのだった。
「ミーファー様。ここでじっとしていても仕方がありません。いつ人間に見つかるかもわかりませんし……」
「え、ええ。わかっています」
護衛の一人の言葉で、ミーファーは森を前に固まっていた身体をぎこちなく動かした。
エルフの同胞の前では格好いいことを言ったが、いざ魔の森を前にすると決意が揺らいでしまったのか?
一見するとそうとも見えてしまう姿が、その実態は――
(コワイコワイコワイコワイコワイ)
超ビビっていた。というか、実は故郷に居る段階で既に怖くて漏らしそうになっていたのだ。
(でも行かなきゃ皆が殺される。成功しないと皆が酷い目にあう。捕まった人達も助けられない。だから、行かなきゃでも怖い)
エルフの愛し子、集落最年少の少女ミーファーは、率直に言ってビビりである。
誤解無きように願いたいが、彼女も流石は未来の長というだけのことはあり、エルフの中でも高い潜在能力を持っている。更に努力も怠らない真面目な性格もあり、弓兵として見れば既に大人顔負けの技量を持っており、更にエルフに伝わる秘伝魔道の使い手としても中々の腕前を持っている才女だ。
しかし、実力があるのと度胸があるのは全く別の話であり、彼女は生来の小心者なのである。
そんな本質をねじ伏せ、勇気を奮い立たせられる責任感の強さを併せ持っているというだけであり、決して邪悪な魔物の巣窟に意気揚々と入っていける英雄タイプではない……というだけの話なのだ。
「――い、行きます!」
自信に満ちた英雄ではないが、それでも彼女は勇気ある者であった。
同胞達の未来のために、里の未来のために、死のリスクがすぐ側にある森の中にミーファーは足を踏み入れた。
森の民としての経験から、彼女を中心としたエルフの一団はすいすいと森を進んでいく。シルツ森林に入るのは皆初めてだが、本当に順調に森の奥へ奥へと足を進めていく。
そう、不自然な程に、楽々と。
「……妙ですね」
「え? 何がですか?」
「ここまで、一匹の魔物とも遭遇無し。いくら我々が森に慣れていると言っても、魔物の領域に入ってこんなに順調なのはおかしい。加えて、森の流れもそうです。まるで、何者かに誘導されているかのように道が分かりやすいにも程が……」
護衛隊長のシークーは、三十分ほど進んだところで、周囲を警戒しながら疑念を口にした。
それは、他の護衛達にしても同じ感想だったことだろう。まだまだ経験が浅いミーファーだけが気がつかなかっただけで、他の戦士達は皆このシルツ森林の異様に気がついていたのだ。
「……あら、気がついてたの。思ったよりも知恵が回るみたいね」
「ッ!? 何奴!」
どこから聞こえてくるのかわからない、不思議な反響に乗って何者かの声が聞こえてきた。
咄嗟に、護衛団はミーファーを中心とした円陣を組み、手にした弓に矢を番えて構える。
しかし、敵の場所がわからない。否、同盟を求めてきたのだから相手を敵と見なすのがそもそもの間違いである。
構えるべきは武器では無く言葉なのだが、咄嗟のことにミーファーは硬直し、戦士達は思考が戦闘一色に染まっていったのだった。
「何奴……と言われても、それはこちらの台詞ではないかしら? 侵入者の……人間?」
「我らは人間などという薄汚い略奪者ではない! 我らは聖なる森のエルフ、ホルボットの民である!」
謎の声が人間と口にした瞬間、シークーは反射的に叫んでいた。今のエルフ達が腹の中に抱える憎悪が見える叫びだ。
「エルフ? それはまた珍しいお客さんだけど……ま、とりあえず捕縛でいいわよね?」
「あ、あの、ちょっとま――」
「塞ぎなさい」
「――ミーファー様!」
声の主が何かに指示を出すと同時に、今までミーファー達が歩いてきた道が突如消えた。左右から出てきた白い何かに塞がれ、一瞬で退路を塞がれたのだ。
明らかな罠。森の民であるミーファー達にも気取られないほどに静かに、侵入者を捕える罠を仕込んでいたのだ。
(嘘でしょ!? いくら知性の高い高位の魔物だからっていっても、ここまで――)
ミーファーの想像していた『高い知性のある魔物』とは、言語による意思疎通が可能かもしれない……というレベルだ。
単純なトラップくらいならばあり得ても、自分達が全く対応できないほど大がかりで高度な罠が仕掛けられるなどとは想定もしてはいなかった。もちろん直接対決となれば王クラスの魔物には勝ち目が無いとは思っていたが、言葉を交える直接対決に移ることすらできない――なんて、考えてもいなかったのだ。
「ク――これは、糸か!」
「だ、ダメです! 斬れません!」
退路を塞いだ糸の束――糸壁は、そのままミーファー達を包むように狭まり、その動きを封じていく。
エルフの戦士達は、咄嗟に身につけていた短刀で糸を斬ろうとするも、粘着質の糸は刃を絡め取るばかりで斬れる気配は全くない。
こうなれば弓の出番もあるはずが無く、エルフ達にできることはもはやなかった。魔道ならばまだ使える可能性もあったが、流石に全身を糸で封じられた状態からの起死回生を可能にするような便利な力は無い。
四肢の動きを封じた糸は、続いて口と目を塞ごうと動き続ける。
ミーファーは、このままでは何もできないまま殺されてしまうことを確信した。
もはや、動かせるのは口のみ。ならば、せめてもの抵抗と、恐怖も何もかも忘れて叫ぶのだった。
「私達は! 敵ではありません! あなた達の王に話があってきました!」
その叫びを最後に、ミーファーの口は塞がれ、視界も封じられる。
ただ、目を白い糸が覆う直前に、興味深そうな顔をしている下半身が蜘蛛の姿をしている怪物が見えた気がしたのだった。
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…………………………
……………………
「……うぅ」
糸に縛られ、意識を落とされたミーファー達が意識を取り戻したのは、それから数時間の時が流れてからのことであった。
「お目覚めですか、ミーファー様」
「シークー……ここは?」
意識を取り戻したミーファーの目に飛び込んできたのは、ほとんど何も見えない闇。
僅かな光が零れているので、夜目が利くエルフだからこそお互いの姿を視認できているが、ここにいるのが人間であれば何も見えなかっただろうと言える密閉空間であった。
寝転がっていた地面の感触からして、金属の檻のようなものではなく、植物のようなものを材料に作られているのだとミーファーは理解するが、それ以上のことはわからなかった。
そして、それは先に目覚めていたシークーもまた同じであるようだ。
「わかりません。気がついたらこの暗闇に囚われていました。幸いというべきか、一人も欠けている者はいません」
「それはよかった……と、言うべきでしょうか?」
「どうでしょうな……拘束は外されているとはいえ、武器の類いは全て奪われています。加えて、この密閉空間への幽閉。どう考えても、良くて捕虜と言ったところでしょう」
「食料保管庫ではないことを祈るばかり……ですね」
ミーファーは、自分で口にした想像に震える。
魔物になど会いに行っても食われるのがオチだとエルフの里の老人に言われたが、このままでは本当にそうなりかねないと強く思ったのだ。
しかし、どうすることもできはしない。武器の類いが奪われたのも痛いが、それ以上に現在地を見失ったのが痛すぎる。仮にミーファーの魔道でこの場所に穴を開けて脱出したとしても、ここは魔物達の庭。到底逃げられるものではないだろう。
「……どうやら、待つしか無いようです。まさか、このようなことになるとは……」
「私も、侮っていました。如何に強力な魔物とはいえ、このような方向性の強さは想定していませんでしたよ」
ミーファーは力なく笑う。
結局、甘かったのだ。所詮は魔物という驕り。人間を驕り高ぶった俗物と見下しながらも、自分達とてそれを言えた立場では無かったことを痛感していた。
未知の存在を甘く見てはいけない。自分達がやるべきことは、武装して森に入ることではなく、白旗でも掲げながら対話の意思を示すことだったのだ。
こうして囚われてしまっては、もう話し合いが目的であるなどと言っても聞き入れる者などいない。他者の領土に無断で武装して侵入するなど、敵意がありますと言っているも同じことであり、魔物相手だからそれが当然――という驕りこそが、この状況を作った原因であるのだとミーファーは感じていた。
そんなとき――
「ッ!? ミーファー様、お下がりください」
「……光?」
暗闇を切り裂くように、壁が裂けて光が入ってくる。
突然の明かりに目を閉じてしまうミーファーだが、戦士として鍛えられているシークーは、両の眼でしっかりと壁を開いた何者かを捉えている。
そこにいたのは――
「ほう? 本当にエルフか。珍しい客人だな」
「……二足歩行型の獣。ワーウルフ、という奴か?」
「如何にも。この森を支配しているウル・オーマという。俺がお前達を忘れるまでは覚えておいた方がいいぞ?」
「支配……?」
シークーは、緊張を隠さずに目の前の魔物を見据えている。
そして、光に目が慣れたミーファーは、ウル・オーマと名乗った魔物に違和感を覚えていた。
(支配者……ということは、この魔の森で最強であるということ? でも、それにしては……)
ミーファーの疑念。それは、ワーウルフのウル・オーマから感じる力であった。
確かに、その言動からは高い知性を感じられ、有象無象の魔物とは一線を画す存在であることはわかる。力だけで言っても、今までミーファーが見てきた聖なる森に僅かに住まうコボルトやゴブリンなどとは比べものにならないものがあり、恐らくは進化種と呼ばれる強大な存在であることはわかっていた。
しかし、今も耳の奥に残っているような気さえする、あの咆吼の主として考えると物足りない。一回り……否、二回りは足りないように感じられたのだ。
(……なるほど、影武者、ということですか。想像以上に知性が高い……)
ミーファーは、自分の直感を信じた結果、目の前のウル・オーマはあの咆吼を放った存在の代役であろうと推測する。
今のエルフ達には一切の信用など無いだろうから、確かにトップが出てくる必要など全くない。となれば、影武者か何かだと思う方がよっぽど自然だろう。
「さて……お前らは、俺に何か話があると聞いているが?」
「……あ、はい!」
一瞬の迷いの後、ミーファーはウル・オーマの言葉に頷いた。迷ったのは、自分の直感を口にすべきか否か――である。
(もしここで『お前が影武者であることはわかっている。本物の森の王を出せ』と言ったとして……心証ってどうなるのかしら?)
ホルボット集落にも僅かに存在する、娯楽小説の中ならば『よくぞ見破った。中々眼力があるようだな』とか言って評価してくれるというパターンもある。
しかし、影武者を出してきたのならば、それを見破られたくはないと思っている可能性もある。というより、普通はそっちの可能性の方が高いだろう。
もう少し対等に話せるテーブルであればそういった駆け引きも悪くはないが、今現在、ミーファー達エルフ団の生殺与奪の権利は全て魔物達が握っている状況だ。となれば、ここで迂闊なことは言わなくてもいいだろうと、ミーファーは口をつぐみ目の前の魔物を王として接することにしたのだった。
「実は、折り入って、魔の――シルツ森林の支配者様に、お願いがあってやって参りました」
魔物相手に、こんな下手に出る発言など、本来はあり得ない。
あり得ないからこそ、ミーファーは真摯な気持ちを理解してもらいたいと、最大限の礼儀を払って頭を下げるのだった。
「ほう? つまり――俺との契約を望むということか?」
そんなミーファーに対して、ウル・オーマは何も感じてはいないと言いたげな自然な態度で一言返したのであった。