第50話「先に裏切ったのは」
「……被害は?」
「森の外周部が火災により壊滅状態。不幸中の幸いというべきか、居住区までは燃え広がることはなかったですが……外敵への備えとして用意していた守りのほとんどは、もう使いものになりません」
「人的な被害としては、迎撃に出た兵士100名の内、30名が軽傷。これは数日で治る程度のもので、戦力としては問題ありません。しかし、10名が重傷によりしばらく戦線復帰は叶わず、5名が死亡となっています」
「また、23名が消息不明……恐らく、攫われたのかと」
聖なる森と呼ばれる深い森に住まう民――エルフ。彼らの住処であるホルボット集落の一室に、重い空気が漂っていた。
原因は人間による侵略。世界の覇者であり最も神聖な種族、神に選ばれし崇高なる民である人間の命に従い、魔物と戦えと要求してきているのだ。
エルフという種族は、かつて神と魔王の戦いが起きた古代戦争の際、人間と同じく神に従い魔物と戦った側だ。
そのため、神に選ばれた――という話ならば、人間とエルフは対等の存在である。外見的にも人間より色白で耳が長い程度の違いしか無い近親種である人間とエルフには、本来戦う理由も襲われる謂われも無いはずであった。
しかし……人間とは、どこまでも傲慢で強欲な種族なのだ。加えて、ほんの些細なことですら自分と違えば恐怖し忌諱し、挙句差別や排除を訴える、恐ろしい程に器の小さい性質。その二つが合わさり、今ではかつて神の名の下に肩を並べて戦った盟友を『人もどき』という意味で亜人種と蔑み、果てには魔物同然の存在として狩ることすら行っている有様なのである。
何とも傲慢な話だろう。亜人などという言葉は、自分達人間を世界の中心と思っていなければ決して出てこない言葉なのだから。
今回の襲撃も、その一環。聖なる森とは繋がっていないが近隣に存在するシルツ森林、今では魔の森と恐れられる魔物の巣窟に攻め込む兵力として、エルフを狩りに来ているのである。
「クッ……人間共め!」
「我らを何だと思っているのだ!」
生き残ったエルフたちは、人間への憎しみを募らせる。もはや、彼らの目には人間を仲間だとか同胞だとか、そんなものだとは全く思ってはいない憎悪の炎だけが燃えていた。
当然だろう。同胞として共に戦ってほしいと交渉に出てきたのならばエルフとて応える選択肢があったかもしれないが、人間が行ったのは最初から降伏勧告。死ぬまで戦う戦闘奴隷として徴兵する――と言っているも同じ条件を突きつけてきたのだから。
だが、今を生きる人間にとっては、それが当たり前のことである。世界の支配者は自分達人間であり、それ以外の種族など自分達の奴隷として働いて当然――というのが人間社会の常識なのだ。
「……落ち着くのだ」
怒りに燃える同胞達を鎮めるように、重々しい老人の声が響き渡った。
発言したのは、彼らの集落の長――ウィームー・ホルボット。この聖なる森に構えられるホルボット集落のエルフ達の命を背負う長老である。
「怒りに囚われるのは、愚かな道に進むだけだ。今は現実を見るときだ」
「はっ……!」
「シークーよ、単刀直入に聞こう。次に襲撃されれば、どうなる? 囚われた同胞を救う手立ては?」
長老ウィームーが水を向けたのは、エルフ達の狩猟隊長、シークーである。
弓矢の扱いに長けるエルフ族の戦士であり、普段は狩人だが有事の際には軍事の隊長として動くことになっていた。
狩猟班最年少でありながら最強の実力者として隊長の地位に就く、戦の天才児。それが彼だ。
「……同胞を助け出すどころか、次に襲われれば今度こそお終いというのが正直な意見です」
「そんな……」
「弱気な!」
基本的に細身の者が多いエルフ族の中で、それでも鍛え込まれたゴツゴツとした身体を持つ青年隊長の弱気な発言に、集まっている若いエルフ達が怒りの声を上げた。
その反対に、年齢を重ねた年配のエルフ達は「やっぱり」と言いたげな表情で顔を俯かせている。
「……今回の防衛には、若く力あるエルフを総動員してのものでした。しかし、それでも人間達の軍勢は強く、半数近くの兵力を失うことになっています。更に、地の利も大きく削がれた状況……また同じだけの兵力を向けられれば、今以上の悪条件で戦うことを強いられ、更に戦えない女子供老人を背にするとなれば……結果は、火を見るよりも明らかです」
「うぅ……」
「今回の戦いは森の浅い部分に居を構えていた者達を逃がすという目的で行っていましたが、既に残されているのはこの最深部の集落のみ……これ以上は、逃げることも不可能です」
「それは……」
「また、食糧問題も深刻です。直接的な軍による攻撃は前回の戦いが最初ですが、ご存じの通り人間共による攻撃は半年程前より始まっていました。散発的に我々狩猟班を襲い、森の恵みを奪い、あるいは破壊する兵糧攻め……それでもここまではギリギリ持たせてきましたが、今回の一件で収穫量が激減するのはもはや避けられません。もはや、次の戦いになれば本来の力の半分も出せない者がほとんどでしょう」
「……お、俺は戦えるぞ!」
自らの若さを殺し、自らに課せられた責任を果たすべく冷静で客観的な事実だけを述べる隊長の言葉に、今回の戦いでは生き延びた血気盛んな若者達も黙るしかない。
それでも騒ぐ者の口から出てくるのも、建設性の欠片もない意気込みだけの言葉であった。
「……人間の要求を呑むことは?」
「おまえ……ふざけているのか?」
「ここまでやられておいて、人間に尻尾を振る気か貴様は!」
自分達の不利を悟った一人が降伏の道を口にするも、それは許されないと年齢問わず多くのエルフ達が叫んだ。
また会議が怒号で中断されそうになったため、再び長老ウィームーが杖で地を叩いて注目を集めた。
「お主の気持ちもわかる。儂とて、これ以上同胞の命を無駄に散らさずに済むのならばそれも考えた……だが、今回ばかりはそういうわけにはいかないのだ」
「……人間共の要求は、我々に死ねと言っているも同じもの。素直に人間に従い武器を取ったところで、あの恐ろしい咆吼の主……魔の森の悪魔に殺されるのがオチでしょう」
「仮に勝利し生き残ったとして、それで我らを人間が解放するとは思えん。そのまま奴隷となり、死ぬより辛い生活を送ることになるのは想像に難くない」
「特に、女達はな……」
「いや、人間ってクズ共は、男も女も関係ないらしいぜ?」
今のエルフ達にとって、人間への信頼はゼロ以下だ。
千年かけて積み重ねていった、負の信頼。一度人間に従ってしまえば、どこまでも増長した神の僕とやらはその威光を免罪符にどんな非道でもやる。
外見的にはほとんど人間と変わらないエルフは、人間目線でも美形が多い。同列に並ぶことは認めないが奴隷としては男女問わず人間に人気が高く、それでなくとも奴隷狩りの対象として有力だというのだからその末路は考えたくもないものだ。
「もはや、せめてエルフの尊厳だけでも守るしかないのか……」
誰かが呟いた一言に、皆沈黙して俯いてしまった。
尊厳だけは守る。つまり、人間に辱められることの無い内に、命ある者の手が届かないところに行く――つまりは、そういう意味だ。
「同胞と共に逝けるよう、爆弾でも抱えて特攻しますか?」
「それはいい。囚われた者たちも、良くて人間の慰み者になるなんて未来よりは同胞の手にかかることを望むでしょう」
ハハハ、諦めを含む乾いた笑いが森に響いた。
そんな考えは良くない。死に急いでも何の解決にもならない。そんな正論は、この場においてはなんの意味もないのだ。
あるいは、逃げてしまうというのも一つの手だろう。しかし、自らの家であり故郷である森を捨てたエルフの未来など、どのみち明るくはない。
世界中どこに行っても、エルフが住める場所には人間がいるのだから。
そんな達観した空気が蔓延し始めたとき――一少女の声が重苦しい雰囲気を切り裂く。
「少し、待ってはいただけませんか?」
声を出したのは、エルフの中でも特に若い、青年隊長よりも更に若い女の子であった。
本来ならば、種の命運を決める会議に参加することなどあり得ない幼い少女。外見的にも人間換算で十代半ばかそこら、実年齢もそのくらいの少女だ。
エルフは長寿である代わりというべきか、出生率がとにかく低い。平均寿命が600年ほどある代わりに、赤子が産まれることなど数十年に一度というのが現状なのだ。数の少なさはエルフ全体の人口が少ないということもあるが、とにかく少女は、現在ホルボット集落最年少の子供なのである。
「まだ、諦めてはいけないと思います」
「ミーファーよ。お前の気持ちもわかるのだが、もうどうしようもないのだ……」
少女――ミーファー・ホルボットは、長老ウィームーの孫娘である。
ミーファーの両親は既に亡くなっており、彼女こそがホルボット集落の次期長候補となる。そのためこの場に留まることを許されていたのだが、もはや彼女が何か言ってどうにかなる状況ではないはずであった。
しかし、ミーファーは止まらない。
「わたしたちの力ではどうにもならないのならば、助けを求めてはどうでしょう?」
「助け? そうじゃの……そんな相手が居てくれるなら有り難いが……」
「この辺りに、助けになってくれるエルフの集落はありません。あったとしても、人間の勢力に太刀打ちできるほどの力は……」
エルフは、何もこの聖なる森のホルボット民族だけではない。世界を探せば他にもエルフの集落はいくつもあるのだが、助けになってくれるような相手に心当たりは無かった。
百年前ならばまだいくらかいたのだが、それも心ない人間によって壊滅させられており、もはや孤立無援なのだ。
だが、ミーファーの考えはそういうことではなかった。
「いえ、エルフではない、他の協力を求めるのです」
「同族以外……ですか?」
「そんな相手、いますか?」
ミーファーの言葉に、他のエルフ達は顔を見合わせた。
人間のことを憎むばかりのエルフ達だが、実のところ彼らは彼らで問題が無いわけではない。決して悪気は無いのだが、彼らは非常に閉鎖的で身内以外との交流に消極的なのだ。
彼らは森と共に生きる民としての生活に誇りを持っており、まず滅多なことでは森を出ることがない。その時点で交流の大半が消滅し、必要に駆られて外に出ることがあっても極力他者との交流を避けようとするのだ。
これは同族以外との接触経験が無いためコミュニケーションが苦手というのもあるが、他種族を信用してないというのも大きい。
森の恵みはエルフ以外の種族にとっても非常に有益なものであり、特にエルフが住まう聖なる森とは、つまり彼らが独自の神として崇めている土地神――精霊が領域支配者として君臨する土地ということなのだ。
有益な異界資源を入手できる貴重な伝手であり、精霊の庇護下――といっても、暮らすことを許すだけで守ってくれるわけでは無い――にあるエルフを利用し、何とか森の恵みを手に入れたいと思ってるよそ者は多い。
過去に外に出たエルフを利用した詐欺同然の取引の持ちかけなどもあったため、エルフ達はよそ者との交流を拒絶するようになっていったのだった。
「……仮に、誰かしらが手を貸してくれたとして……人間に勝てますか?」
「品性や倫理で勝負するのならともかく、武力だけなら人間はもはや世界最強の勢力です。それが嘘でも過言でもないことは既に証明されているので、助けがあったとしても死期を多少延ばすだけかと……」
人間も、伊達に世界の支配者はやっていない。本人は神の僕と言い張りつつも、自らの私利私欲で世界を食い荒らし他種族を支配するような真似ができているのは、何よりも武力が大きいのだ。
その考えが誤りである可能性に賭けて一戦交えたが、結果は噂どおりということで終わったのが今の状況なのである。
もちろん、ミーファーとしても、それは百も承知だ。
「一つだけ、あります」
「何がですかな?」
「人間達が、自分達の力だけでは勝てないと認めているほどに強大な戦力が、近隣に一つだけあるのです」
「……まさか、それは……」
「はい。魔の森……シルツ森林に君臨する、王。三大魔と呼ばれている強大な魔物のいずれかだと思われる、あの咆吼の主……かの存在ならば、人間に勝る武力を持っている可能性は高いと言えます」
ざわざわと、エルフ達は動揺を露わにした。
共通しているのは、恐怖と嫌悪だろうか。理屈としては理解できるのだが、だからといって魔物相手に助力を求めるなどあり得ない――という、常識に基づいた考えが主流のようだ。
「ま、魔物など、所詮は知恵無き獣です! 助力を求めるどころか、こちらが食われてしまうに決まっています!」
「いいえ。確かに、この聖なる森にも少数生息している魔物ならばそうですが……強大な力を得た魔物は、時に高い知性を持つと聞きます。違いますか?」
「それは……そうなのですが」
「あの咆吼の主ならば、交渉の余地があるかもしれません。もちろん、文化も文明も持たない凶暴性だけの存在である可能性は高いですが、だからこそ我々の技術や道具に興味を持つかもしれません」
「……しかし、我々は、かつて神と共に魔を滅した一族ですぞ……?」
エルフとは、太古の時代に魔王と敵対し、魔を討った一族。確かに千年の時のなかで人間とは不倶戴天の敵といえるほどに関係が悪化してしまったが、魔物はそれ以上に昔からの敵なのである。
そんな相手にすがるなど、長く生きたエルフであればあるほど嫌悪の念が募ってしまう。それは、仕方がないことだ。
自分達は、腐り果てた人間等とは違う、真の神の僕であるという自負があるのだから。
だが、そんなもの、新しい世代からすれば――
「神など、今さらなんだと言うのです?」
――鼻で笑うものでしかない。
「な、なにを……」
「神など崇めて、何の得があるんですか? いくら崇め祈ったところで、神は人間にばかり祝福を与え、我々は滅びの危機です。……仮に魔物に助けを求めるのが神への裏切りだとして、先に裏切ったのはあちらでしょう」
所詮は、集落単位の小さな集まり。王族と呼ぶほど大層ものではないが――それでも、長の血族が神への敵対を断言する。
それは、少なくない衝撃を彼らに与えた。先ほどの特攻論とて、死後の安息を神に祈るという意味がなかったかと言われれば嘘になり、どれだけ冷遇されていても『神と共に戦った一族』としては簡単に受け入れられる話ではない。
そんな感情論を、ミーファーは全て切り捨てるのだ。
「死んでも救いになどなりません。ここまで我らを一切救わなかった神々が、死んだからといって救いを与えると思いますか? ご贔屓の人間に従わなかったと、怒りを買うのが関の山でしょう」
「うぅ……」
感情的に反対したいエルフたちは、その言葉で黙らされる。
結局、神が人間ばかりに祝福を与えているというのが、ここまで人間が増長した最大の原因なのだ。となれば、もはや神々に義理立てする必要などあるはずもない。
「しかし……いったい、どうやって魔の森の王と会うので? 下手をすれば、それこそ知恵なき魔物に襲われただけで終わりになりかねませんが」
「そこは、出たとこ勝負しかありません。我々は森の民……たとえ魔の森の中でも、きっと導きがあるはずです」
「しかし……」
「元より、座していては死ぬだけなのです。ならば、危険を冒してでも私は進みます。もちろん、もっとも危険な役割となる先触れは……」
そこで、ミーファーはごくりと唾を飲み込んだ。
「……私が、行きます。未来の長として」
もっとも若いエルフの、覚悟の言葉。
それを前に、もはや言葉などなかった。こうして、エルフの愛し子ミーファーは、シルツ森林へ足を踏み入れることになったのだ。
「そういうことなら、私もお供します」
「シークー……ありがとうございます」
ミーファーの決意に真っ先に反応したのは、狩猟班の青年隊長、シークー。
エルフ族の中では若年に当たる二人はいわば幼なじみと呼べる関係であり、立場に明確な差はあれどお互いに気を許した存在でもある。
「しかし、それでも魔物側が我々に協力するとは思えませんが……」
「太古の時代以来、種族単位で敵対している関係ですからな」
が、それでもそんな声は出る。
そんな老人達に、ミーファーは笑顔でこう言ったのだった。
「そんな、大昔の対戦で誰がどっちの味方かなんて、今となっては昔話の中のこと。当事者なんて誰も居ないんですから、今を生きる者として精一杯言葉を尽くすのみです」
そう、力強く言ったのだった……。