第5話「ここでお勉強だが」
「まずは……立場の違いを教えてやろう」
現れたのは七体のゴブリン。知性に乏しく、本能と暴力に生きる鬼族の魔物。その戦闘力は、魔物全体で見れば低い。一対一なら特別な訓練を積んでいない人間の成人男性と互角程度というところだ。
だが、正面から喧嘩するなら人間の子供と同程度とまで言われるコボルトよりは上である。
性格は残忍であり、自分たちのために他種族を犠牲にすることを躊躇しない。否、同族が相手であろうともそれは変わらない。弱った者がいるなら誰が相手でも死ぬまで蹴り、食い散らかす悪鬼なのだ。
そんな危険な魔物を前に、コボルトの身体を持つ謎の魔物――ウル・オーマは腕を組んで仁王立ちする。この程度の相手、何の問題も無いと全身で主張しているかのようだ。
「に、逃げた方がいいって……」
そんなウルを、つい数時間前に人間の襲撃によって滅んだコボルトの群れ唯一の生き残りであるコルトが震えた声で諫める。
コボルトは正面から戦うような種族ではない。数ですら負けているのに、勝ち目なんて無いんだと。
人間達との戦いで見せた不思議な力を持っているのはわかっているが、それも使えばすぐに倒れてしまう。それでは数には勝てないだろうと考えて。
――一方、
「ギギ?」
ゴブリン達は、謎のコボルトの行動に一瞬首を傾げていた。コボルトが自分たちを見れば、痛めつけて服従させるまでは逃げ出すのが彼らの小さな脳みそに刻まれている常識だ。
自分たちという強者を目の当たりにし、怯えて逃げ出すコボルトを狩る。これはゴブリンにとってこの上ない娯楽なのだ。
コボルト以外の種族が相手では容易く狩られ、食われる側に回るゴブリンにとってコボルトとは都合のいい索敵機兼奴隷なのである。
だからこそ、変な臭いに混じってコボルトの血の匂いがしてくる方角へと向かって集団でやって来たのだ。相手が逃げることを想定しているなら複数で囲む――というような知性も無く、そしてその必要もないと言わんばかりに真っ正面から。
にもかかわらず逃げも隠れもせずに堂々と突っ立っているコボルトに、ゴブリン達は疑問を抱く。抱くのだが――すぐにそんな考えを放棄し、バラバラに襲いかかることにした。
ゴブリンは難しいことは考えないのだ。
「どれ……まずは軽く調教してやろう」
謎のコボルトはそう言うと――ゴブリンに言葉は理解できないが――何かを投げるかのように腕を動かした。
その意味は、ゴブリン達の足下から現れる。
「[地の道/一の段/泥沼]」
「ギギッ!?」
ゴブリン達は、揃って前のめりに倒れた。突然足下が沼地に変わり、足を取られたのだ。
「……むぅ。この程度の低位段魔道一つ使うだけで息が上がるとは……一の段を後二つも使えば打ち止めか?」
「え? よ、よくわかんないけど……じゃあ、もう今の力はほとんど使えないってこと……?」
「そうなるが……オマエは何を下がっている?」
揃って倒れたゴブリン達を前に、謎のコボルトは少し乱れた息で呟いた。
ゴブリン達はその呟きの意味はわからないが、その意味を理解しているのだろうもう一匹のコボルトが後ろに下がったことで何となく状況を理解する。
コボルトが怯えているということは、つまり自分たちが有利なんだろうと。
「ギギッ!」
ゴブリン達は急な環境の変化に驚きつつも、立ち上がろうと藻掻く。深く考えない、という性質はこういった混乱を乗り切る場合は長所となる。
だが、謎のコボルトがゴブリン達を自由にさせるわけもない。立ち上がろうとするゴブリンを制するべく、続けて魔道を発動させたのだ。
「[無の道/一の段/地縛り鎖]」
「ギ?」
立ち上がろうとしていたゴブリン達が、また倒れる。何かに引っ張られているかのように沼地に倒れ込んだのだ。
ゴブリン達は何が起きているのかと、何かに引っ張られている感覚がある場所を見る。それは主に両足首であり、そこから何かに引っ張られているのだ。
だがそこには何もない。何か縄のような物が足を引っ張っているように触覚が伝えてくるが、視覚はそれを裏切るように自分で自分の足を沼に埋め込んでいるように映すのだった。
「えっと、何が?」
「……魔道の基礎の基礎も知らんのか?」
「……知らないけど」
「はぁ……。貧民とはいえ、そこまで教育が行き届いていないとは……今の世の教育制度はどうなっておるのだ」
謎のコボルトはため息を吐き、子供コボルトは少し不機嫌な様子となった。
突然現れた小さな沼地で平伏しながらも、ゴブリン達はその姿に憤りを覚える。コボルト風情が自分たちを前に取るべき態度は、そんなものではないと。
だが――その身の程知らずの傲慢は、次の瞬間に襲ってきた寒気によってあっさりと吹き飛ばされるのだった。
「ギィッ!?」
「キギャギャ!!」
ゴブリン達は立ち上がれないままに暴れる。それは敵を倒すという闘志からではなく、突然湧き上がってきた恐怖から逃れるための行動だった。
理由はわからない。だが、ここから離れろと全身の細胞が訴えかけてくる。まるで、決して敵わない凶暴な魔獣が目の前にいるかのように。
その感覚を、太古の人類であればこう称するだろう――魔王の食欲と。
「……腹が空いた」
「さっき食べたじゃない」
「あの程度では最下級の魔道二発分にも届かん。人間共を食った分がまだ少し残っているが……手駒にするつもりだったが、食ってしまうのも悪くないかもしれんな」
謎のコボルトがぼそりと呟くと、ゴブリン達を襲う寒気はより強くなり、その出所が漸く理解できるようになった。
ゴブリン達は、その小さな脳みそでもはっきりと理解できるほどに恐怖する。コボルトの形をしている目の前の怪物の中身が、とんでもなく大きい何かであると。
自分たちは、今まさにその怪物に食われようとしているのだと。決して挑んではならない強者に挑んでしまったのだと。
それを、七匹全員が瞬時に理解する。その場合にゴブリン達が取るべき行動は、ただ一つしか残されていなかった。
「ギィィ……」
「……あれ、頭を下げた?」
「平伏しているつもりか? ようやく格の違いを理解したか」
ゴブリンは、決して強い種族ではない。コボルトを奴隷にすることもあるが、自身もより強い魔物の奴隷として使われる種族だ。
故に、上位者に対する行動は理解していた。平伏し、頭を下げる。それはゴブリンが上位者に敵意がないと示すための動作だ。
謎のコボルトはそれを理解しているのか、少し考えた末に放っていた殺気を、食欲を霧散させるのだった。
「……よかろう。俺の偉大さを理解し、平伏した者を殺しては王の沽券に関わる話だ」
「偉大さって……自分で言う?」
「真実を口にして何が悪い? ……というわけで、小鬼共。俺に服従するのならば、しばらくは生かしておいてやる。それで、いいな?」
尊大に語る謎のコボルトは、泥沼に平伏するゴブリン達に冷たく告げる。
ゴブリン達は、言葉の意味を頭では知解できずとも本能で察し、ただ頭を下げ続けるのだった。
◆
「さて、では本とやらを持ってこい」
「う、うん」
いつの間にか、小さな沼は消滅し、ゴブリン達は元の地面の上に平伏を続けている。
天敵生物のその姿にコルトはどう反応していいのかわからなかったが、今場を支配しているウルに逆らうのはまずいと思い、深くツッコミを入れることなく洞窟へと入る。
まだ中は人間達が使った臭い匂いが残っているが、時間が経ったおかげで我慢できないことはないという程度には落ち着いていた。
「本、本……」
コルトは洞窟の中に置いておいた自分の本を何冊か持ち出す。
ここにあるのは、全て森の中に入って何らかの理由で死亡した人間が持っていたものだ。森の獣や魔物は本になど興味を示さないので、コルトでも捨てられていた本を集めることは容易だった。
といっても、森で死亡した人間が本を持ち込む割合は決して高くないので、五冊しかないのだが。
「えっと、持ってきたよ」
「どれ……って、臭いぞ」
「それは人間のせい」
本にはバッチリと臭い煙の匂いが染みこんでおり、受け取ったウルは顔を顰める。
その場で中を見るのかと思ったが、本の表紙だけ見た後そのままコルトへと返すのだった。
「それを読むのはまた後だ。最初にこやつらの処遇を決めるとしよう」
「そう? それならそれでいいけど……」
「オマエはその本を日の光に晒しておけ。多少は匂いも薄まるだろう」
ウルはそれだけ言ってコルトに背を向ける。どうやら本の匂いが嫌だったらしい。
コルトとしてもこのまま読むのはいろいろ嫌だったので、指示に素直に従うことにした。
「さて……小鬼共」
「キ、キィ……」
「……本当に言葉すら理解していないのか?」
ゴブリンはキィキィと鳴くばかりで、言葉を話すことはできない。
ゴブリンの知性はコボルト以下であるのでそれが普通なのだが、ウルは不可解だと首を傾げる。
そんなウルに、堪らずコルトは自分の常識を語るのだった。
「ゴブリンが言葉を話せないなんて当たり前でしょ?」
「……俺が知るゴブリンは、言葉くらい当然のように操るぞ? それどころか商売人から軍人まで様々な職に就く者もいる器用な種族だったはずなのだが……」
ウルは常識を無視するようなことを口にする。
コルトの知ることは決して多くはないが、それでもそんな話は聞いたことがないと断言できた。もしかしたら自分の知らない場所――森の外にはそんなゴブリンがいるのかもしれないが、少なくともこの森のゴブリンは皆馬鹿なのだから。
「……言葉を理解できないのなら、こやつらはどうやって意思疎通をはかっているのだ? 集団で行動する以上は何かあるのだろう? 俺も知らない独自の言語を使っているのか?」
「うーん……ゴブリンの文化なんて知らないけど、鳴き声じゃない? そんなに複雑な意思疎通はしてないと思う」
「最低限の意思疎通ならそれでも何とかなるだろうが……それではとても使いものにならんぞ」
ウルは困ったように頭を掻いた。服従するならば命を取りはしないとは言ったものの、命令できないのではどうしようもないのだろう。
しかしコルトに解決策はないので、何も言わずに黙っているしかなかった。
「よし、ならば貴様ら……まずは言葉を叩き込んでやろう」
「へ?」
「ギ?」
「俺の配下たる者、最低限の教養は必須だ。特攻して死ぬことくらいしか期待しておらん雑兵であろうとも、言葉すら理解していないようでは話にならん」
ウルは、そんなことを決定事項であるかのように断言した。
コルトにはその言葉の意味がわからない。ゴブリンを相手に言葉を教える……そんなことが可能ならば、コルトは初めに同族が成長するように動いただろう。それができなかったからこそ群れ全体の知性はコルトが産まれてもさほど変わらなかったのだ。
ましてや、ゴブリン如き知性を持たない鬼に何ができるというのかと、腕力以外でなら小鬼に負けない自信があるコルトは唖然としながらもそう思うのだった。
「いや、そんなの不可能――」
「王に不可能はない。というか、元々こやつらはその程度のことは軽くこなせる潜在能力はあるはずなのだ。そう難しいことではない」
コルトの至極真っ当な反論を述べるが、ウルは全く取り合わない。
それどころか、コルトへと更に別の命令を出すのだった。
「小僧。オマエは周辺から食い物を取ってこい」
「え? え?」
「こいつらを黙らせるのにまた魔力を消耗したからな。俺が教育を施している間に食料調達をやっておけ」
「ボ、ボク一人で……?」
「安心しろ。周辺に危険生物はおらん。その分獲物もいないが……どうせ獣を狩る力などないだろう? この際草でも虫でもイイから何か集めておけ。一晩あれば済む」
ウルはシッシと追い払うように手を動かしている。
コルトはそんな命令に納得が行かない――というよりも、そもそも命令されるような謂われはない。今まではウルの覇気に気圧されて何となく従っていたが、コボルトが一人で森を彷徨うなんて自殺同然の行動に出る気は無いのだった。
「嫌――」
「嫌だ、などと口にしたら貴様もここでお勉強だが……それでもいいのか?」
だが、否定の言葉を最後まで口にすることはできなかった。
ゴブリンに言葉を教えるというとんでもないことをこれから実践する場に放り込まれるのと、食料調達に出るののどちらがいいのか。そんな問いが投げかけられたのだ。
コルトは当然此処に留まる方が安全だと言おうとしたのだが、不意に背筋に冷たいものが走る。コルトの野生の本能が、お勉強という言葉に警報を鳴らしたのだ。
「えっと……」
「どちらがいいのか、今すぐ選ぶがよい」
「……食事、探してきます」
圧力をかけてくるウルに、結局コルトは折れた。自分の本能を信じたのだ。
よくよく考えてみれば、突然の悲劇から漸く一人になれる機会であるとも言える。一連の事件から仲間達の死を悼む暇も無かった現状から考えれば必要な時間でもあると、コルトは自分を納得させるのだった。
「じゃあ、行ってくる」
コルトは逃げるように森の中へと入っていく。
それからおよそ一分後――
「ギォォォッ!?」
「この程度で叫くな。次!」
(な、何をやっているんだろう?)
ゴブリン達の悲鳴と、ウルの冷酷な声が森に響き渡る。
こんな騒ぎを起こしていたら外敵に発見されるのでは――などといつものコルトなら考えただろうが、今だけはそんなことを思いつくことすらなかった。
一体何をしているのかという好奇心が勝ったことと、何よりも――こんな、死んだ方がマシと言わんばかりの絶叫が上がる場所に好き好んで近づくような馬鹿はいないだろうと確信したのだった。
それからしばらくして、ある程度食べられそうなものを集め終わったコルトは自分の耳を押さえつけて眠りについた。一晩で終わるという言葉を信じ、戻るのは夜明けと決めたのだ。
絶えることのない悲鳴を全力で無視しながらも何とか夜を越し、元いた洞窟前に戻ったコルトが見たのは――。
「オレタチ、ゴブリン。ウルサマ、シタガウ」
「……まだまだ片言だが、とりあえずは合格でいいか」
緑色の肌から血の気が引いた七匹のゴブリン達が、決して流暢とは言えないまでも正座しながら言葉を話している光景なのだった。