第48話「閑話・シルツ森林の産業」
「大分進んだな」
「はい、皆、寝る間も惜しんで、作業を、進めています」
「……睡眠は大切だぞ? 俺はともかく、お前らは効率のいい休息こそがより効率のいい仕事に繋がるものだ」
仮設の食堂で腹を満たしたウル・オーマが次に訪れたのは、森の一角を切り開いて作られた畑であった。
ウルと話しているのは、最初期の配下の一人、七色の小鬼長と名付けられたウル自らが名を与えた内の一体、植物操作の魔道に長けたブラウだ。
彼は植物への親和性の高さを買われ、農業関連の責任者に任命され、配下として与えられたゴブリンやコボルトを使って森の開拓を行っているのである。
「この計画が上手く行けば、食料の安定供給も可能になる。これからも励め」
「御意」
魔物の領域、異界は資源の宝庫であるが、やはり自然任せの採取や狩りでは日ごとの収穫量に偏りが出る。
そこで、豊かな土壌を使って田畑を耕し、農耕により食物を得る――という目的で行っている事業なのだ。
「生き物とは、一日食わなきゃパフォーマンスガタ落ちになるようや柔なものだ。一週間も食事を取れねば死者だって出る。いくら領域の中であるといっても、これから毎日全員が腹一杯になるような食料が採れる保証などあるはずもない。冬になればどうしたって収穫物は減るしな。だから貯蓄しなきゃならないわけだが、現状では今の人数を養うのでギリギリ。食料の安定供給は非常に重要だぞ?」
「わかって、います」
「ま、そういう意図を思えば畑が一つしか無いってのも問題なんだが……」
例の如く、森の魔物達はもちろん、ウルにも専門的な農業の知識は無い。
そもそも魔物達は食物を自ら育てるという発想がなかったのだが、ウルにしても持ち得ている知識は『地面を掘り返したところに種を植えて水を撒く。土が枯れないように肥料をやるとよく育つ』で全てであった。
耕した土とはどのくらい掘ればいいのか?
水を撒くのはどのくらいの量をどのくらいの頻度でやればいいのか?
肥料とはどのように作りどのように与えればいいのか?
そもそも作物を育てるのに適した土とはどれなのか?
という段階になるとさっぱりという素人なのだ。王にとって、収穫物とは収穫されたものをどのように利用するかを考えるのが仕事であり、収穫物をどうやって作るかは専門外なのである。
そのほかにも立地条件やら育てる種の種類や品質、気候や時期など必要な知識はいろいろあるのだが……その全てが抜け落ちたまま適当にやっても、神に祝福された幸運の持ち主でもない限りは骨折り損のくたびれもうけで終わりだろう。
「それで? 土の状態はどうなんだ?」
「はい。樹の精霊達の協力もあり、順調に進んでいる、はずです」
その問題を解決するために協力を求めたのは、シルツ森林の先住民、樹の精霊。
現代の人間社会では魔物の一種として扱われている存在だが、厳密に言えば精霊という異なる種族の生き物だ。
精霊は自然が内包する魔力――自然エネルギーが意思を持った存在であり、その位によって知性と力が大きく異なるという特徴がある。時には本来魔物以外には不可能であるはずの領域支配者としてその土地を支配することもあることから魔物の一種とされているが、それは自然そのものであるという由来によって起こる例外事項なのである。
事実、魔物として精霊を討伐する人間もいるが、そんなことをすればその土地は死ぬ。自然の力の化身を討伐すればその土地は自然の力を失い、不毛の大地に変化するしかないからだ。
故に、知識のあるものからすれば、その土地を滅ぼしたいという目的が無い限り精霊相手に選ぶのは共存共栄である。
自然豊かなシルツ森林にも当然精霊は存在しており、中でも樹の精霊は土地柄上最も力ある存在としてそこにいる。
かつて、アラクネが語った知恵ある存在――それが精霊達のことだったのだ。
「樹の精霊的には、どうなんだ?」
『んー……オイシー!』
「……ならよかったな」
ウルがチラリと目を向けたのが、その樹の精霊。普段は何の変哲も無い樹なのだが、気まぐれに本体である樹の中から姿を現す存在である。
正体が意思を持った魔力であるため、その形は不確定だ。外界とのコミュニケーションを行うときは外の生物の形を真似ることが多く、今ウルの前でくつろいでいる樹の精霊もどことなく人型っぽい緑色の物体という形を取っている。
知性は幼児並みで、さほど力ある存在ではない。それでも、意思疎通ができる植物というだけで希少な存在であり、畑作りのアドバイザーとしてウルが雇用した存在だ。
土地の支配者である領域支配者はその支配領域の精霊に対して上位に位置する存在であるため、今のウルならばやろうと思えばそんなこともできるのだ。なお、労働の対価は栄養豊富なピラーナ湖の水である。
「現状でも幾つか、作物ができてます。どうぞ」
「ん……肉キャベツか。中々立派に育っているじゃないか」
ブラウが差し出してきたのは、畑で取れた野菜だった。
領域内で採取した種であるため、やはり常識を無視した特性を有しており、葉の一枚一枚がまるで獣の肉のような食感と味を持っている。
食われるために作られたかのような性質を持っているこれは、危険性もなく成長も早い上に食料として優秀なところが評価され、栽培実験の最初の対象物として選ばれたのである。
なんと言っても、種まきから収穫まで一月もかからないというスピードが食糧供給の面で有り難い存在である。しかも素人の適当農法でも育つ生命力の高さまで備えていると、食料に乏しい地方では宝の如き扱いを受けていた野菜なのだった。
「味も……うむ。しっかりと肉厚で悪くない。一先ずは問題なさそうだな」
生のままむしゃむしゃと味見をしたウルは、合格点を出した。
本職の農家がしっかりと品種改良と最適な栽培を行った肉キャベツはまだまだこんなものではないのだが、当面の食料としては十分だという判断である。
「この調子で進め、まだまだ広げねばならんな」
「はい」
「できれば五カ所……最低でも三カ所は作りたいからな」
全ての試みが上手く行き、農業が成功したとして、畑が一カ所だけではリスクが高すぎる。
もし大型魔獣がこの畑で暴れたりすればあっという間に全滅し、作物に感染する厄介な伝染病なんてものが出てきたりすればやはり全てが無に帰すのだ。
そういったリスクの分散は、長期的に運用するつもりであるならば必須だ。もしどこか一部が不作でも、他で補えるという保険がなければ食料の安定供給とは言えない。
「数が増えれば実験の精度も増すからな。とにかく人海戦術でやってみろ。労働力が足りなくなったらいくらでも言え。単純作業用の人手なら余っている」
「ありがたく」
この土地で上手く作物を安定して実らせることができたとして、その一回の成功では技術とは言えない。
偶々この場所が農業に適していただけかもしれず、他の場所でやれば全滅では話にならない。もちろん、そうなったらそうなったで『何故この土地は成功したのか』という新たなヒントを得られるので無駄にはならない。今は、とにかく数を熟すことが成功の道であるとウルは説くのだった。
今も森の中で勢力拡大中のウル軍は、日々人数を増やしている。
技術や知識面はともかく、単純な肉体労働に回せる人材は大量にいるのだ。この先、この実験畑が更に広がり、視界いっぱいの作物を実らせる光景を思い浮かべながら、ウルは次の場所に向かうのだった。
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「これはウル様。ようこそ」
「うむ……お前、寝ているか?」
「はい! 昨日は20分も睡眠を取らせて頂きました!」
ウルが向かったのは、シルツ森林の外観とは全くマッチしない異質な空間――工房だった。
場所は、ピラーナ湖。人間の領域に近い場所にこんな重要な設備を置くのは少々問題なのだが、火を使う関係上水場の近くでやるのが一番安全なのである。湖の中央に改めて建てられた工房――といっても、土を盛って作った浮島の上に道具を並べているだけだが――には技術開発の長を任せているロットを中心として知性に優れた者達を配置しており、日夜研究に明け暮れているのだ。
(……まあ、知識と技術への探求など、今までのこいつらの魔物生ではあり得ないものだったろうからな。嵌まる奴は嵌まっても仕方が無いんだが……)
明らかに寝不足でテンションがおかしな事になっている工房の部下を見て、ウルは頬を引きつらせる。
無論、魔物の体力ならば二徹三徹くらい何の問題も無い。問題は無いのだが……だからといって、特に何の問題も起きていない平時からそんな極限生活を送って問題が無いわけもなく、このままではその内ぶっ倒れることだろう。
部下の管理は上司の責任。つまりウルの責任なので、そろそろ強制的に眠らせることも視野に入れる頃合いである。
「……それで? 今は何をやっているんだ?」
「はい! あの大剣の成功を参考に、現在は金属加工の更なる安定化を目指しています!」
「そうか。それは良い考えだと思うが……ほどほどにして休息を取らねばならんぞ? 最高の仕事は最高の休息からだというからな」
「はい! もう20分も寝たので全快です!」
「……ま、全壊せん程度にな」
ウルは、昔の配下にもこういうタイプがいたなと思いながらため息を吐いた。
どこの世界にも、研究者という人種には必ずこういうのがいるのだ。三度の飯よりも研究が好きというか、一分一秒を惜しんで仕事したがる変人が。
魔王としてはやる気があるのは結構なことなのだが、そんなやる気のある人材に過労死されるのは長い目で見ると損であるため、管理が難しいタイプであると言えるだろう。
「……で? あっちは何をやっている?」
「ああ、あっちのコボルト達は加工作業の精度を高めるべく練習を繰り返しています」
「そうか。あっちは職人畑というわけか」
この工房、実のところ二種類のタイプに分かれている。
理論を求めてより効率のいい技術の革新を目指す研究者タイプと、ひたすら自分自身の技術を磨くことでよりよい物を作ろうとする職人タイプだ。
文明の発展、という視点で見れば技術そのものの進化は必要不可欠なものだが、それはそれとして一流の職人技というのは得がたい宝である。どちらも今後の発展には欠かせない存在であるため、ウルは頭を使うのが好きな者と手先が器用な者の二種類を工房に回すことにしていた。
(それにしても、コボルト共は思ったよりも役に立つな。戦闘力という意味では貧弱だが、後方支援をやらせると皆真面目で集中力のあるタイプが多い……その内、我が配下の中での序列上位に来るかも知れないな)
今は自分の種族でもあるコボルトのことを、内心で高く評価するウル。
料理人として配置している者もそうだが、コボルト達はやらせた仕事にどこまでものめり込む習性があるようだ。
だからといってすぐに成果が出るわけではないが、それは時間の問題である。やる気と根気さえあれば誰でもある程度のところまでは行くわけで、超一流と呼ばれる才能の世界に何人が踏み込めるかはわからないまでも、凡人でもたどり着ける一流半くらいまでなら多くのコボルトが行けるだろうというのがウルの感想であった。
「……ところで、例のものはできたか?」
「例のもの……ウル様がサンプルを作成してきたという、あれですか?」
「そうだ。やっつけ仕事ではあるが、やりたいことはあれで伝わるだろう?」
「はい。とりあえず十個ほど作りましたが……これ、何に使うものなのですか?」
そう言ってロットが取り出したのは、透明な器――ガラスの瓶であった。
何故ガラスがあるのかと言えば作ったからだが、その方法はもの凄く乱暴なものである。
ウルもガラスの原料くらいは知っていたが、残念ながら詳しい製法までは知らない。知らないので、原料となる珪砂をかき集めてきた後はいろいろなものと混ぜて燃やしてそれっぽいものができるまでひたすら数で勝負し、最近製法を確立した資源なのだ。
「薬品の調合にはガラスと相場が決まっているんだよ。ま、ただのガラスじゃ領域の産物には耐えられないことも多いが、並みレベルならこれで十分だ」
「薬品?」
「あぁ。道具も揃ってきたところだし、そろそろそっちにも手を出そうと思ってな」
「そ、それはどのようなものなので?」
「一概には言えんが……簡単に言えば薬草なんかの効果を超パワーアップさせた薬を作ろうって感じだな。そのほかにも工業的な発展にも必要不可欠なものがいろいろあるはずだし、そっちにも手を出しておいて損は無い」
「おおー……。そ、その栄誉ある仕事には誰を?」
「そこが悩みどころなのだが……今手が空いていて向いていそうな奴となると……」
知性という点ではアラクネ辺りが適任だが、アラクネは拠点を中心として防御設備の責任者だ。アラクネ以外の進化種達もそれぞれその戦闘力を活かして防衛の要を担っているため、こうした裏方の仕事からは外れる。
となると、やはりゴブリンズの誰かに任せるのがいいか……とウルは思うも、彼らは彼らで忙しい。目の前のロットや農業に勤しんでいるブラウはもちろん、他の連中もそれなりに重要な仕事を振っているのだ。
知性があって手が空いている者……と考えたところで、ウルはならばと一つの決断をした。
「よし、とりあえずコルトに任せてみるとするか。あいつはまだまだ不安定で弱いから集中的にトレーニングをさせていたが、そろそろ仕事を任せてもいいだろう」
「コルトですか。あの者の賢さは目を見張るものもありますし、よろしいかと」
「うむ。本音を言えばもう少しイジメてやりたかったところだが、まあいいだろう。イジメながら仕事させれば良いだけだしな。よし、そうと決まれば早速引きずり出すとするか」
ウルはそれだけ言うと、ガラス瓶を宙に浮かせながら工房から立ち去っていった。
目指すは朝方のイジメ……もとい訓練でヘトヘトになっているコルトの寝床。元々こういうのが好きなタイプだから喜ぶはずだと、コルトのスケジュールは更に苛烈なものになることが決定したのだった……。