第47話「閑話・シルツ森林の生活」
「うぎゃぁぁぁぁっ!?」
静けさが似合うはずの森の奥で、断末魔の叫びが上がった。
「おおー……大蛇苺か。通常種と違って美味な食物だぞ。よかったな」
「こっちが食われるよ!」
現在、シルツ森林は魔王ウル・オーマの支配下に収まっている。
この森を三分割して治めていた、三大魔と呼ばれる強大な魔物の内二体がウルの軍門に降り、残り一体は自分の縄張り以外には興味を示さない本能だけで生きているタイプの魔物であることもあり、もはやシルツ森林の支配者がウル・オーマであることを否定する森の住民は皆無という状況だ。
すなわち、森の多くがウル・オーマの領域になり、ウルがシルツ森林全体の領域支配者となったということだ。
つまり、人間の言葉で言えば、異界として形成される空間がウルの色に染まるということ。オーガとの激戦を終えて一月程経過した今、シルツ森林はウルの魂の力を色濃く受ける異界と化しているのであった。
「メシにありつきたければ勝て。これは野生の常識だろう?」
「危険度高すぎるよ!」
そんなウルの世界で、今コルトは叫びながら必死に走って――否、逃げていた。
「ここもっと平和な森だったよね! これウルのせいだよね!」
「俺の影響を本格的に受け始めたからな。鉱石類もそうだが、俺の領域はなんと言っても食料豊富だ」
「こっちが食料になる危険がなければね!」
コルトを追いかけ回しているのは、食虫植物ならぬ雑食植物の大蛇苺という代物であった。
名前の通り苺に分類される植物なのだが、その平均サイズは驚きの2メートルオーバー。植物の常識を無視して素早く活発に動くその性質はもはや魔物の一種といっても過言ではなく、普通の苺ならば食されるだけの赤い部分が大蛇の口の如く開き近づく者を無差別に食らいつく。
食われれば、牙の如き硬度を誇る実が獲物をかみ砕き、バラバラにした上で自分が生息する地面にばらまいて根より吸収する。
このように大変危険な代物なので、いくら蛇苺と違って美味であるといっても素人は近づかない方が賢明である。
なお、これは余談だが、実は苺と呼ばれ食べられる赤い部分は実ではない。食用にされる赤い部分は花床と呼ばれる部位であり、苺の実は一見種のように思われる小さなつぶつぶなのである。
閑話休題。
「それが今日のお前のメシだからな。そのくらいは一人で狩れないと、俺の領域では生きていけないぞ」
「自分の大将が勝利した結果が命の危機!」
コルトからすれば、命懸けの戦いの末に森の王者の群れに残ったという最高の結末だったはずなのだ。
それが、気がつけばコボルトの群れで生活していたときよりもデンジャラスな毎日。それは泣きたくもなるだろう。
「チクショウがァァ!!」
ヤケクソ気味な雄叫びと共に、コルトは化け物苺に立ち向かう。
もはや気弱なコボルトの少年という面影もなく、日々命懸けの対価として手に入れる豪勢な食事によって、すくすくと成長している。
毎日毎日、ちょっとした食料調達ですら日々危険性を増す住処の中で、コルトは強制的にたくましく成長しているのであった。
そう、特定の仕事を与えられず、毎日毎日厳しい訓練を熟しながら他の仲間のサポートという名目でオールマイティにこき使われながら、毎日健気に成長しているのである……。
◆
かつて拠点としていた、ピラーナ湖よりもずっと森の奥。森の最深部に、今のウル達の拠点は存在している。
「王よ、本日の献上品です」
「うむ。もうそいつは慣れたか?」
「はっ! 敗軍の将にこのような宝物を授けて頂き、感謝の言葉もございません!」
「……まあ、いいんだが、ちょっとキャラ変わりすぎじゃないか?」
コルトを連れてのストレス発散……ではなく虐待……じゃなくてイジメ……もとい、採取活動を終えて拠点に戻ったウルを待っていたのは、片膝をついて敬意を示す赤い身体の巨人であった。
かつては狂気の功罪により理性と知性のほとんどを失っていた大鬼であるが、今はそんな様子は一切感じさせず、自らを力で破ったウル・オーマに忠義を誓った戦士としてこの場にいるのだった。
その後ろには、森で採取してきたのだろう食料が大量に並べてあり、それこそがオーガの言う献上品である。
「それも、この宝剣のおかげでございます」
オーガは、粛々と頭を下げる。
屈んだことでウルの目に入ってきた、オーガの背にある一振りの大剣。オーガでなければとても扱うことなどできない巨大な大剣――ウル命名、理性の大剣は、ウルの領域で採れた鉱石の中でも特に質のいいものだけを厳選して作り上げた、金属製の武器だ。
この一月で、ウル達は更なる技術革新に成功し、無事実用に耐える武具の製造に成功したのだ。
といっても、まだまだ技術的には未熟であり、成功はかなり運に頼るところがある。そんな状況での数少ない成功例の一つである大剣にウルが領域支配者として全力の魔力を込めることで魔化を施したのが理性の大剣だ。
効果は、特定の功罪の封印。本来功罪に劣る魔道では功罪を封じるようなことはできないが、オーガの功罪一つに対象を絞ることで力をより一点に集中させ、更に封じられる功罪の所有者であるオーガがその封印を受け入れる意思を示すことで凶暴化の功罪を封じているのである。
「ま、それがあればお前も狂うことはない。戦闘時に狂化する必要があれば意思一つでいつでも発動可能という応用力も含め、悪くはない出来だろう」
「後は、この宝剣に恥じないよう腕を磨くべく、日々精進しております」
「そうするといい」
狂気がなくなれば、オーガの性格はどこまでも真面目で実直、一度受けた恩は死んでも忘れないという男であった。
これには元オーガ軍のゴブリン達も困惑しており、未だ今のオーガとの距離を測りかねている様子であった。今までは些細な癇癪一つでいつ殺されてもおかしくはない暴君であったのに、急に武人とでも言うべき精神へと変貌したのだからその落差について行けないのだろう。
もっとも、オーガからすればコッチが素である以上、慣れてもらうしかないわけだが。
(……ぶっちゃけまだまだ実験段階だから、もっといい剣なんていくらでもあると思うがな)
流石のウルも、生涯の宝とするというレベルで感動しているオーガには言いづらいこともある様子である。
確かに理性の大剣を作るのには全力を尽くしたが、別にあれ以上のものが作れないわけではない。武器として見れば合格ラインに達したのは確かだが別に最高レベルというわけでもなく、あれよりも優れた武具など世界にはいくらでもあるのだから。
といっても、王より授かった褒美を大切にするのは間違っていないので、別に言う必要もないのだが。
「……暑苦しい」
「ぬぅ? なんだ、嵐風狼? 俺に何か文句でもあるのか?」
「いいえ、別に。ただ、せっかくの食事を前に汗臭いと思っただけですが、何か?」
オーガの熱意にちょっと困っていたウルの前に現れたのは、風の力を持つ大魔の一角、嵐風狼。
元々オーガと嵐風狼は対立していたということもあり、この両者の仲は悪かった。
「良すぎる鼻というのも不便なものだな。なんなら、切り落としてやろうか?」
「野蛮な……失礼、王よ。御前、失礼いたします。こちら、今日の献上品です」
「うむ。喧嘩するなら死なない程度にしておけ」
嵐風狼が持ってきたのは、オーガと同じく食料であった。
ただし、オーガの献上品が肉類多めであるのに対し、嵐風狼の献上品は果物が多めであった。
「フン! 戦士の身体は肉で作られるのだ! 王の腹を満たすのには肉こそが相応しい!」
「おやおや……確かに肉の旨みは否定しませんが、今の森で採れる美味な果実は極上の味わい。王の舌を満足させるのならばこちらのほうがいいと思いますよ?」
バチバチと、何やら火花を飛ばす二体の大魔。
徐々に魔力がぶつかり始めた気配を察知し、遠巻きに見ていた雑魚達が逃げ出し始めていた。
「……ま、組織内での対立は研鑽に必要なものだ。お互いの足の引っ張り合いは問題だが、真っ正面からぶつかる分には構わんか」
ウルは今にも一戦交えそうな配下を無視し、自らに捧げられた食物を無の道で持ち上げる。
とりあえず、そのままでも問題なく食べられる、嵐風狼が持ってきた甘い蜜がたっぷりと入っている密林檎を一口囓り、懐かしい味だと一人頷いた。
(懐かしいものだ。昔はこいつを山盛りにして食っていたな……)
その名の通り、密林の中にのみ自生する林檎。厳密に言えば、幻覚物質をばらまくことで平地ですら密林のように見せかけて捕食者から逃れるという特性を持った林檎は、脳を直撃する甘みを持っている。魔物ならばともかく人間が適切な処置をせずに食べると少しばかり幻覚物質で脳に異常が出る恐れがある危険物であるが、魔物には効果が無いので問題は無い。
封印される前の頃を思い出し、すこししんみりとしていたら……ふと、周りが静かになったことにウルは気がついた。
「ん?」
「ふふん」
「な、何故ですか、王よ……」
先ほどまで火花を散らしていたオーガと嵐風狼であったのだが、今はオーガが膝をついて悔しがり、嵐風狼が勝者の笑みを浮かべていた。
……どうやら、先に口にしたのが嵐風狼の献上品であったということで、このいざこざの決着が付いたらしい。
「……ま、どうでもいいか」
本当にどうでもいいので、ウルは密林檎を囓りながら食材を別の場所に運んでいく。
オーガからすれば忠誠心という新たに得た感情の重要性のために、嵐風狼からすれば一族の更なる発展を得るためにもウルの評価が必要不可欠なものであることはわかっているが、そんなもの知ったことではない魔王であった。
(オーガの奴も、俺の嗜好としては間違っていないのだが……先に食べてほしいのならば、このまま置いとくのではまだまだ甘いな)
ウルはオーガの迂闊さを頭の中だけで指摘し、悠々と歩いていく。
今や、ウル達は取ってきた肉をそのまま食べるだけの野性的な生活を行ってはいない。
ウル達は、手に入れたのだ。食材に手を加える、料理という概念を。
「バウ! 王様! よーこそ!」
「うむ。これの調理を頼む」
「わかりました!」
ウルが向かった先は、拠点の一角に存在する巨大なスペース。
まだまだ建築技術は未発達であるため野ざらしも同然だが、雨風を防げるよう木の板を合わせて作った食堂だ。中にはウルが記憶を頼りに作った調理器具が大量に並べてあり、今やウル軍はこの場所で調理された食事を取るのが当たり前になっていた。
料理を作るのは、かつてオーガ軍に所属していたコボルト達。コボルトの大半は戦闘には不向きということで雑務を任せることにしており、料理人はその中の一つである。
「ババウバウバウ~」
領域内で採れる発火石を使い、金属製のフライパンで肉を炒めるコボルトコック達。最初は火を怖がっていたのだが、今や鼻歌を歌う程になれた仕事になったようだ。
そして、そんなコボルト達を統括する料理長には――
「今度はこれを試してみたいと思う。各自、頼むぞ」
「バウ!」
一体だけ厨房に存在するゴブリン――コルトに次ぐ古参である七体のゴブリンの一人、鋭い目つきが特徴的なオレンである。
「バウ! お待たせ! しました!」
「うむ」
オレンはもちろん、このコボルト達も、皆魔道を習得している。戦闘班に比べれば規模は小さいが、そのおかげで知性は大きく発達しており、料理も可能となっているのだ。
ただし――
「……中々斬新だな。甘い焼き肉というのは」
「バウ?」
「ダメだったでしょうか?」
口にした料理に顔を顰めるウルに対し、オレンとコボルト達は首を傾げていた。
料理人として活動を始めたと言っても、料理の腕はまだまだ研鑽が必要なレベルなのだ。
料理という概念に触れてまだ一月も経っていないのだから仕方が無いのだが、オレンもコボルト達も、料理はお世辞にも上手いとは言えない。
今回は、どうやら果物と肉を同時にそのまま混ぜて炒めたようで、果物の甘みがいやーな感じに肉に移っていた。
果物を使った肉料理というのもあるので発想の全てが悪いとは言わないが、このままではとても満足できるものとは言えないだろう。
(しかし、こいつら舌の機能半分死んでるからな……)
本来、ゴブリンもコボルトも日々の食事にも困る種族であり、当然好き嫌いなどと言っている余裕はない。そのため、旨い不味いという発想がそもそも無く、料理もまだ言われたとおりにいろいろやってみている――という段階なのだ。
とはいえ、これでも進歩はしている。肉に火を通すという概念すら持っていなかった段階から、完成度はともかく料理と呼べるだけの工程を熟せるようになったというのだから大したものだろう。
厨房に立つことなどまずあり得ない立場であった、食べる専門のウルがもたらしたふんわりとした知識を基に、試行錯誤を重ねてここまで来たのだ。コボルト達の真面目さがわかる話である。
「まあ、それでもよくやった。次も頑張れ」
「バウ!」
真面目なオレンにも、尻尾を振るコボルト達にも、厳しいことを言っても意味はない。頑張っている者に頑張れというのはマイナスにしかならないのだ。
という指導者としての持論に基づき、プラスに考えて褒めることにしたウル。元々、ウル自身も旨い不味いの区別はできても不味いから食わないという発想はない生き物だ。
当然の如く完食し、料理を続ける内に料理人としての技術を磨いてくれればいいと、前向きに考えて食事を終える。
ともあれ、こうしてウル達魔物の集団は、急速に文化と文明を手に入れ、生活水準を大きく向上させようとしているのであった――。