第46話「閑話・ル=コア王国の動向」
「……なるほど」
ア=レジル防衛都市のハンターズギルドの一室にて、重々しい呟きが零れた。
ここは、レジル・ギルドの会議室。集まっているのは、ハンターズギルドの職員はもちろん、それ以外の街の重役達が勢揃いしていたのだった。
議題は――
「……シルツ森林への、一切の立ち入りを禁じる。それが、街の総意である、と」
――レジル・ギルドのマスター・クロウは、集まった街の重役達を半ば睨むように見つめながら彼らの言葉を繰り返した。
そう、今日ここにお偉いさんが集まったのは、ハンターを含めた武装勢力がシルツ森林に突入することを止めろという要請なのだ。
「……説明は、してもらえるんでしょうな? ご存じのとおり、我々ハンターは異界資源の回収と魔物の討伐、捕獲によって生活を行っています。この街で言えば、シルツ森林に入って初めて仕事ができるのです」
「わかっているとも。しかし、キミも聞いただろう? あの悍ましい咆吼を」
「……ええ、まあ」
マスター・クロウは街の最高権力者――都市長の言葉に、一先ず頷いた。
「確かに、アレは恐ろしいものを感じました。恐らくは二段階――いえ、三段階目の進化に至った個体の放ったもの。恐らく、森の三大魔のどれかでしょう。最近配下のハンターが消息を絶つ事件があったのですが、恐らくは三大魔のいずれかがこのア=レジルに向けて領域を広げている、ということなのでしょうね」
子飼いの専属ハンターが持ち帰った『魔道を使う魔物の集団』という情報はあえて伏せる。
そうそう漏らして良い情報ではなく、この場にはそれを知らない者も多い。都市長には報告済みであるが、やはりいざという時までは伏せておくべきだとマスター・クロウは判断した。
「もし、あの咆吼の持ち主を下手に刺激して森からこの街に攻め込まれたらどうする? この街で働いていた奴隷魔物共も、あの咆吼以来怒鳴ろうが叩こうが頭を抱えて震えるばかりだ……どう考えても、我々の知る魔物とは比較にならない強大な力を持つ特異個体だ」
「奴隷魔物がまともに機能しないせいで、こちらは作業予定が全然進まなくて困っているんですよ。藪をつついて蛇を出す元気があるなら、その労働力をこちらに回してほしいものですね」
「全くじゃわい! おかげで防衛施設の増築もさっぱり進んでおらん。力が余っている若いのがいるのならこっちに寄越す方が建設的ってもんじゃろ……建設だけに」
都市長の言葉に便乗して、商業組合長と建築組合長が言葉を重ねてきた。
彼らの仕事には、奴隷魔物の労働力が必要不可欠だ。今では魔物など人類の奴隷……という程度にしか思ってない人間も多いが、それでも本来魔物とは危険極まりない外敵。そんな相手と正面から戦うことになってもおかしくはないこの前線基地としての役割を持つ街で働きたいと志願する人は中々おらず、他の街以上に死んでも構わない奴隷魔物を使う割合が多い。
しかし、森からの咆吼により、人間から与えられた苦痛など吹き飛ぶような原初の恐怖を与えられた奴隷魔物達は、人間に従うことを止めて震えるばかりになってしまったのだ。
おかげで、仕事が上手く回らず苦労している人間がことのほか多いのであった。
「……とまあ、このようにハンター諸君の一時的な就職先はいくらでもある。森での狩りを一時中止しても、食い扶持を稼ぐのは十分可能だぞ?」
「魔物を狩る者が土木作業や商人の荷物持ちで納得するかは別の話ですがね。……それに、私が森を封鎖することに反対なのは、何も仕事がなくなるからだけではありません。恐らく、今のシルツ森林の中では何か大きな変化が起こっているのでしょう。放置すれば、下手をすればこの都市の存続が危うくなるほどの脅威が育ってしまう恐れもある……そうなる前に、首魁を叩くべきなのです!」
「気持ちはわかるが、それは現実的に可能なのか? あの咆吼……私には、とても並の人間でどうにかなるとは思えんかったぞ? 同じ戦うならば、地の利があるこの防衛都市を使った防衛戦をすべきではないかね? 魔物の領域に踏み込む危険性は、専門家であるキミが一番よくわかっていると思うが?」
マスター・クロウは都市長の言葉にも一理あると、一瞬黙ってしまった。
森を封鎖するという都市長に、仕事場を奪われることになるハンターズギルドが反対しているという構図。
都市長は、通常のハンターでは対応不可能な強大な魔物が街の近くまでやってきたことを警戒し、刺激することを避けたいという消極論。また、不用意に攻め込んでハンターの数を減らし、いざ魔物側から攻め込まれたときに対抗する戦力を減らしてしまうことを恐れている。
対して、マスター・クロウは戦力を森に送り込み、不安の根源である魔物を討伐してしまえば良いという積極論だ。これは恐怖をかき立てた咆吼だけではなく、魔物の間に魔道が広まっているかもしれないという情報の影響も大きい。もし放置すれば、魔道士の軍勢が作られてしまうかもしれない――という不安だ。
しかし、ならば攻め込んで勝てるのかと言われれば、マスター・クロウとしても黙るほか無い。現時点で、自身が動かせる最高戦力である専属ハンターチームが狩れなかった謎のコボルトの存在が確認されており、それ以外の強大な力を持つ魔物のことまで計算すれば、最大戦力を投入しても人類には不利なシルツ森林の中では確実な勝利とはいかないのは事実なのだ。
「……ですから、国に増援を――」
「それなら、私から改めて申請を出したよ。キミはもっと根回しというものを覚えた方がいいな」
都市長は、戦力が不安ならば増援を求めれば良いというマスター・クロウに対し、一枚の書類を渡した。
かなり前から増援を求めていたにもかかわらず音沙汰無しであったのに、都市長が申請すればすぐに返事が来たということなのだろう。賄賂か何かを使ったのだろうが、正当な申請すらそんなものが必要なのかとため息を吐きたくなる中彼は資料に目を通した。
そこには――
「……なに? 『増援はしばらく送れない。シルツ森林を閉鎖し、防衛に努めよ』……ですと?」
「そうだ。これは我々だけの意見ではない。国からの指示なのだよ」
「なんで、国がそんなことを……しかも、何故魔研が連名で?」
魔研とは、国立魔道研究所の略である。そして、本来無関係の組織の連名印が押されているということは、シルツ森林の封鎖は国の判断というよりも国立魔道研究所の意向が強いということだ。
無関係の話にまで首を突っ込むということは、つまりそれだけこの一件に強い関心を示しているということなのだから。
「わからんよ。わからんが……とにかく、私は陛下よりこの都市を預かっている身だ。正式な命令書があるとなれば、従うまでだ」
「グ……」
「いくら三大魔と言っても、領域の外でこちらが優位な籠城戦ならば十分勝てるだろう? 攻めてくれば返り討ちに、引きこもっているのならばそれでよし。その内勇者様でも派遣してもらえば改めて攻撃を考えれば良いじゃないか」
「魔物が相手ならば、エルメスの聖人――もしかしたら、七聖人の出動要請もできるかもしれんしな」
「いくら金を取られるかわかったものではありませんがね」
神より授けられた恩恵を持つ勇者。退魔の力に長けたエルメス教の聖人、聖女。どちらも普通の人間では決して到達できない絶対的な力を持つ選ばれし者であり、彼らならば危険度三桁の怪物が相手でも確実に勝利することができるだろう。
と言っても、その力は世界中で広く求められており、助けてほしいと言っても中々来てはくれない。今から申請したとしても、実際に来てくれるのは何年後になるかわからないという有様だ。
そんな強大な力を持つ存在を馬車馬のように働かせることなどできるはずもなく、むしろ常に万全の体調を保ち万が一の敗北の可能性すら消すため、並のハンターよりもずっと余裕を持ったスケジュールで生活している。日々馬車馬のように働いている人間の感覚からすると、本当に仕事が遅い。
実際に戦場に出れば並の人間の100倍の働きをするが、中々腰を上げないのである。
といっても、そんな彼らが当たる仕事は彼らでなければ達成困難な大仕事ばかりであるため、それを責めることなどできはしない。もしそんなことを言えば、いざという時に助けてもらえないどころか、その力が自分に向けられる可能性だってゼロではないのだから。
勇者も聖人も、神の加護を受けた選ばれし者。彼、彼女らのやり方を否定するということは神の否定であり、異端者として裁きを受けることになる――なんてことになっても不思議はないのだ。
「し、しかし……下手に放置すれば、より強大な存在に変異してしまう恐れが……」
「もしそうなれば、優先的に救世主殿を回してもらえることだろう」
「貴重な戦力であるハンターが減るのはお互いにとって損……納得いただけませんかな?」
「うぬぬ……」
マスター・クロウは言葉に詰まった。
確かに、マスター・クロウの立場から言っても、今までどおりにチーム単位でハンターを森に送り出すのは論外である。
あの咆吼の主が森の浅い場所に陣取っていると仮定すれば、シルツ森林へ入るだけで極めて高い危険を冒すことになる。
となれば、危険度二桁前半程度が適正の一般ハンターはとても森に入れることはできない。専属ハンタークラスの上級者であっても、死亡リスクは常につきまとうことになる。
死と隣り合わせの生活がハンターの常識とはいえ、流石に近すぎるのは妥協できないのだ。
「……国より、戦力が派遣されてくるまでの辛抱、ということですか」
「そういうことだ。もちろん、所詮は魔物だ。今このア=レジルにいる全戦力をぶつけることで件の魔物を駆除することはできるだろう。だが、森は敵のテリトリー。少なくない犠牲を覚悟せねばならない以上、現実的ではない。あの猿との連絡も途絶え情報も不足していることであるし、やむを得んよ」
「……わかり、ました」
マスター・クロウは渋々と言った雰囲気を隠さずに頷いた。
少数精鋭で三桁クラスの魔物を討伐できるような手駒が揃うまで、こちらから攻めるのはやめることにする。魔物退治の専門家である討伐者の長としては屈辱の方針であるが、致し方ないと納得したのだ。
「まあそう落ち込むな。もし勇者派遣が余りにも長いようなら、犠牲にしてもいいところから徴兵するという手もあるのだからな」
「それはそれで手間であるが、魔物以外にも死んでもいい兵力の当てはありますからなぁ」
ハハハと、マスター・クロウ以外の参加者達は笑い声を上げる。
こうして、シルツ森林への人間の攻撃はしばらく休止することとなった。
この決断が、人類にとって正しかったのか。その答えが出るのは、今よりしばしの時を過ごした後である――。
◆
「……アズ・テンプレストは死亡した。と、判断し今後の方針を決めます。よろしいですか?」
「チッ!」
「あのバカ……一体何をやっているのか」
ア=レジルより遙か遠く――ル=コア王国の首都にそびえる国立魔道研究所の最高幹部会議室――魔神会の集まりは、今重々しい空気に支配されていた。
「元々適当な性格の御仁でしたが、流石にここまで連絡無し……通信魔道にも反応無しとなれば、死亡している可能性が一番高い。合理的な判断であると思います」
「誇り高き魔神会の一人が魔物の捕縛に失敗したぁ? 本当にありえんのかよ? 道中で帝国軍にでも襲われたって言われた方がまだ信じられるぜ?」
「そんなものが王国内にいるわけがないでしょう。もう何日も同じことを言っているんですよ? そろそろ現実を見ましょう」
魔神会で議題に上がっているのは、十人の会員の一人――アズ・テンプレストが消息不明になったことである。
魔神会とは人の世界にて魔道の極みとされる六の段を目指す王国魔道士の頂点の称号であり、そこに所属しているメンバー十人は全員軍勢に匹敵する戦力があると自負している。
その一人が、研究材料として魔物の捕縛に出向き、消息を絶ったのだ。これは異常事態と言うほか無かった。
「魔物の領域で油断し、魔道を使う暇も無く殺された……というとこでしょう? 直接戦って負けるとは思えませんし」
「そんなところでしょうな。あるいは、足でも踏み外して沼にでも落ちたか」
「森歩きは専門外ですからね。彼、自信過剰で抜けているところありましたから」
信じがたいという思いは全員にあったが、魔神会は数日の議論の果てにアズ・テンプレストの死亡を共通の認識として認めたのだった。
もちろん、実力で魔物に劣ったのではなく、何かの不慮の事故であろうというのが共通見解であったが。
「それで? アズの奴が死んだとなると、これから俺らはどう動くんだ? アズのカタキウチでもしてやるのか?」
「心にもないことを。僕らは仲良しクラブじゃありませんよ?」
「アズが興味を示した研究対象には興味がありますが、今はそれよりも……アズの死を隠す方が大切でしょう」
魔神会に仲間意識はない。お互いが優れた魔道士であることは認めているが、それでも自分の方が優秀であるという自負を全員が持っており、研究仲間であると同時に蹴落とすべき競争相手……そういう関係なのだ。
そのため、魔神会のメンバーの死を事実として受け入れても、友人を失った悲しみ……という類いのものは持ち合わせていなかった。
感じたのは、栄光ある魔神会の名を汚してくれたな……という、怒りだけなのだ。
「もし魔神会のメンバーに欠員が出たとなれば、それは我々の権威に関わることです」
「……ま、魔物の捕縛に出向いて失踪なんて、言えるわけねぇわな」
魔神会の存在は、他国にも知られている王国の切り札の一つだ。
それが、魔物ごときに劣るなどと噂だけでも流されれば彼らにとってはこれ以上無い屈辱であり、また王国の軍事力が他国に侮られるきっかけにもなりかねないことである。最悪、魔神会の名が持つ功罪にまで悪影響が出かねない。
国としても魔神会としても、アズの死は公にしてはならないものなのだ。
「一先ず、魔神会の名で現場と思われる魔物の領域……シルツ森林への立ち入りを禁じるよう指示をだしています」
「アズの遺品なんて発見されたら事だしな」
既に、情報の封鎖は済んでいると議長が事後報告を行った。
それに対して特に文句を言う者もおらず、議題は次に進んでいく。
「まずは、早急に新たなメンバーの補充が求められるところですが……」
「……いるか? 俺らに肩を並べられるようなの?」
「私に心当たりはないですね」
十人揃っての魔神会。別に数に拘りがあるわけではないが、今代は十人の超越級魔道士がいると宣伝している以上、数が増えるならともかく減るのは外聞的によろしくない。
アズは病で引退という形を取って隠居したことにするとしても、それで数が減り王国の軍事力が低下した――という状態にするのはまずいのである。
故に、なんとか魔神会のメンバーを十人までは揃えたいところなのだが、だからといって格下の雑魚にその名を名乗らせてはそれこそ彼らの沽券に関わる。難しい問題であった。
「……今はいませんが、一人だけ達するかも、という者に心当たりがあります」
「ほう? 誰です? そんな有望なのが所属していましたか?」
そんなとき、一人のメンバーが手を挙げた。
今は魔神会にはとても届かないが、成長する見込みがあるものがいると。
「いえ、今はまだ所属すらしていない、今年アルハメスに拾われた平民の子です」
「へぇ? まだ魔道の魔の字も知らないような未熟者未満ってことか?」
「そんなものに、それほどの可能性があると?」
魔道の資質がある子供を集めるアルハメス魔道学園。そこに今年入学した子供にその可能性があるというのが提案であった。
しかし、そんな子供に才能があるか否かわかるのかと、他のメンバー達は懐疑的な眼を向けた。
そんな眼に、提案したメンバーは自信ありげな笑みで答えるのだった。
「その少年は、入学してすぐに一の段の魔道を習得、その後僅か一月ほどで二の段に手をかけている……ということです」
「ほう? それは……」
「なかなか、だな」
資質があると言っても、魔道を使うのは簡単ではない。事前の予備知識が全くない平民の子であれば、簡単な魔道を使えるようになるだけでも半年以上かかるのは当たり前、下手をすれば一年かけてようやく魔道士のスタートラインに辿り着く……なんてケースも珍しくはない。
まして、二の段となれば、それは凡人が努力で辿り着ける限界とも呼ばれる領域。そこにそんな簡単に辿り着いているとなれば、それは確かに将来魔神会に――四の段に辿り着く可能性もある天才というべきだろう。
「その子供を学園からこちらに呼び出し、我らで直接指導すれば短期間で魔神会の欠員補充くらいはできるかもしれませんよ?」
「なるほど。しかし、いくら何でもそんな簡単に我々の領域まで来られるわけも……」
「いえ、どちらにせよ、現在適任者はいないのです。となれば、その子供を含めて育つのを期待するしかない……やって損は無いのでは?」
「……そうですね。では、その方針で行きましょうか」
話が煮詰まったところで、議長を務める女性が決断を下した。
今後の魔神会の方針は、人を育て欠員補充を行うことである、と。
「……ところで、その子供の名前は?」
「ええ。ジル、という名前の少年らしいですよ?」
魔の領域が力を蓄えるため休眠する間、人の世界でも運命に導かれるように、英雄の卵が育っていくのであった……。