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第44話「魔王の咆吼」

「ぐ、ハァァァァ……。や、やはり、これ以上に強烈なものは、ない、な……!」


 ウル・オーマは毒で動きを止めたオーガの前で、狼の身体となっている全身から血を噴き出していた。


 行ったのは、設置型魔道の多重起動。かつてウル・オーマが湖を持ち上げたときに行ったそれと、原理は同じものだ。

 ただし、今回のそれは魔道として発動させることなく術を解除することで、設置時に消費した分の魔力を自身へと戻すための魔力タンクの役割を持たせてのものであった。

 もし最初の落とし穴を回避するために森を迂回するルートを敵軍が選べば設置魔道による罠攻撃を仕掛け、真っ直ぐ進んできたのならばいざというときの保険として使う。そういう計画だったのだ。


 だが、予想以上にオーガが手強く、ウルが思い描く最良の勝利を確定するのが困難であると判断したため、ウルは本来の想定以上に無茶をすることにした。

 領域の魔力を数日かけてばらまいていった設置型魔道の総魔力量は、二段目の進化に至った今のウルの貯蔵限界値を遙かに超える量に達している。全て取り込めば、自らの肉体に滅びをもたらすことが確定してしまうほどの量を仕込んでおいたのだ。

 ウルは、そんなものを一斉に解放し、全て自身へと取り込んでしまった。その結果全身の経絡に流れる魔力が許容量オーバーとなり、破裂することで全身から出血を起こしているのである。


「う、ウル?」

「ボ、ボス……どうしたのですか!?」


 突然苦しみ始めたウルに、コルト達は衝動的に飛び出しそうになる身体を押さえ込んで叫び声を上げた。

 それはそうだろう、別系統の進化という規格外の手段によってオーガを上手く無力化したと思ったら、突如自主的に苦しみ始めたのだから。


「な、に。ここから先に行くには、どうしても俺自身の力で負荷をかけてやらねばならなかった、というだけだ」


 まだ勝負に決着はついていない。だから、コルト達は手が出せない。

 どこまでもウルの命令を守るコルト達に、ウルは全身の痛みを無視し、愉快そうに笑うことで返した。


「進化の条件は、今の肉体では過剰な魔力を持つことと、進化を必要とするような危機的状況に陥ること……そう、教えたな?」

「え? う、うん」

「オーガの力は中々優秀であった。おかげで第二段階の進化までいけたが、その先に行くには些か力不足であってな。どうしても進化樹形図の鍵が開かなかったが故、裏技を使うことにしたのだ」


 徐々に出血が止まり、魔力が安定していくウル。言葉にも余裕が感じられ、狼の身体からは魔力の紫電が走り始める。


「命の危機を感じるほどの力と殺意――やはり、その極限はこの俺自らのものを措いて他には無い」


 進化を行うには、多量の魔力と、進化を必要とするほどの危機が必要不可欠。

 魔力だけなら事前準備で何とかしたのだが、本来の強すぎる力を操った経験を持つウルは、中々本気で危機を感じることができないという欠点がある。

 それを克服するためにウルが取ったのが、自らの意思で自らを殺すという方法。所詮一人遊びのようなもので、真の強敵との死闘に比べれば弱い刺激だが、それでもオーガ以上の脅威と捉えるほどに恐ろしいものなのだ。

 世界誕生より、魔王ウル・オーマ以上に生命を奪った存在は皆無。歴史上で最も命を奪うという行為に精通している存在の殺意とは、ただそれだけで進化の扉をこじ開けてしまうのである。


 ……もっとも、本気でやらねば意味が無い精神への負荷を目的とする関係上、ウルは自分で自分を魔力の過剰摂取という手段を用いて本気で殺すつもりでやらねばならず、下手をすると本当に死んでしまうというリスクがあるため、できればやりたくなかったのだが。


「そして、これが最後の仕上げだ!」


 ウルは動けなくなっているオーガの肩口に、その狼の牙を突き立てた。

 しかしオーガの肉体は頑強で、再生力に富んでいる。この程度ではさほどのダメージにはならないだろう。

 だが、これでウルはオーガの……三段進化体の魔物の血肉を体内に取り入れたことになるのだ。


「多量の魔力、危機的な状況。そして――良質なエサ。それだけあれば、扉をこじ開けてみせようぞ!」


 進化の条件を全て満たし、それに加えて更なる渇望を煽るべく食事も用意した。

 その目論見は、どうやら成功したようだ。自分で自分を殺す前に、見事ウルの肉体は更なる進化の必要性を理解し、進化の光に身を包み始めたのだから。


「本日三度目……些か身体に悪いが、構わん。進化樹形図(ソウルツリー)励起、更なる扉を開け――」


 魔物が進化の際に放つ、進化の光。これは肉体の再構成の際に起こる細胞の発光現象であるとも、肉体を再構成する特殊な魔力の波動であるとも言われている。

 その仮説の真実は、今はどうでもいい。とにかく、これが出ていれば新たな可能性の扉を開くのは間違いないのだから。


「――死毒の邪狼(デスヴォルスト)


 進化の果てに、現れたのは瘴気魔狼(ギフトウルフ)のそれとは桁違いに巨大な黒い狼であった。

 その体長は五メートルを超え、巨体を誇るオーガですら見下ろせるほどである。大きさは力。それを体現する身体は当然の如く強靱だが、この種の魔物の真の恐ろしさは肉体の性能ではない。

 致死性の猛毒を爪や牙、吐息から標的に注入する恐るべき能力を持っているのだ。

 しかも、死毒は感染する。一度毒の保有者になったが最後、感染者から他の生命体へと感染を繰り返すのだ。もし死毒の邪狼(デスヴォルスト)が出現し、それに傷を付けられた者がいれば誰であろうと焼き殺せ。さもなくば、関わった全ての生命体が骸を晒すことになるぞ――と、太古の時代にこの邪狼を知るものは口を揃えて子孫に言い聞かせたものだ。


(脅しとしては十分か。さて、一つ見せてやるかな)


 新たな進化に辿り着いたウルは、もちろん種族特性であるその死の能力を使う気はない。こんなところで使えばオーガはもちろん、自分の配下まで死んでしまうのだから。

 今ウルが無理矢理な手段で進化を行ったのは、単純明快な力を求めてのこと。すなわち、瞬間的な魔力放出量の底上げだ。

 進化三段階目となれば、それは階級的にはオーガに匹敵する大魔。もはや、単純な力だけで比較するならば、今のシルツ森林に住まう全生命体の中でウルに匹敵するのは森の三大魔と呼ばれる規格外の大魔だけである。

 更に、多種多様な戦闘技術に魔道技術を加味すれば、既にこの死毒の邪狼(デスヴォルスト)に対抗し得る存在はいないと断言してもよいだろう。


 そう、この姿にさえなれれば、文明を失い力を失い頂を忘れた魔物程度ならば、十分すぎるほど戦意を打ち砕くことができるのだ。


「久しぶりだな」


 ウルは息を大きく吸い込み、腹の中に魔力を溜め込む。

 これより行うのは、【咆吼】と呼ばれる技だ。その名の通りでかい声を出すだけの威嚇技だが、声に魔力を乗せることで聞く者の恐怖心を増大させることが可能となる、人間魔物問わず使われる基本技術というところだろう。

 主に戦いの中で一瞬相手の動きを止めるためなどに使われるほか、開戦の合図代わりに使うこともある。味方の咆吼だとわかっていれば逆に勇気が沸いてくるという効果もあるので、相手を怯ませ自分の兵は勇猛果敢に、という具体にできるのだ。


 というように便利な技なのだが、弱者が使っても効果がなく、今までのウルでは魔力の無駄遣いにしかならなかったが――今ならば、十分だ。

 全盛期に比べれば遙かに劣るが、それでも魔力の扱いに長けたウルの咆吼は、並の魔獣が放つそれとは比較にならない。

 太古の時代、魔王と戦う数多の生命体が死の恐怖を平等に受け取った絶望の知らせ。その名は――


 ――魔王の咆吼(ウルズロアー)


 ウルが口を開いた瞬間、絶望が弾けた。

 この場にいる、ウル軍を除く森に住まう全ての魔物がその場で膝を突き、死の恐怖に震える。

 それはもはや、声などではない。鼓膜を破らんとする大音量と共に魂に刻まれるのは、死神の足音。次の瞬間に訪れる自らの死を誰もが疑うことすらできず、死を受け入れその場に倒れる。

 そこに絶対者がいる。そこに決して逆らってはいけない存在がいる。森に、そしてその外にまで響き渡る魔王の叫びは、その咆吼を聞いた全ての存在に魔王の意思を刻みつける。


 ひれ伏せ、屈せよ。我が恐怖を思い出せ、震えて慈悲を懇願せよ。我はここに蘇った――と。


「グ、ガァ……?」


 至近距離でその咆吼の直撃を受けたオーガの表情も、変わった。

 取り込んだ大量の魔力を使った咆吼は、オーガの功罪(メリト)すらも上書きし、強制的に僅かな恐怖――生存本能に基づく恐怖を呼び起こしたのだ。

 それによって、オーガの功罪(メリト)は効力を失う。理性を捨てる功罪(メリト)に無理やり理性をたたき起こされた以上、身体能力強化と再生能力は失われたのだ。

 一度冷静になってしまえば、再び狂うにも時間が必要だろう。その証拠に、理性を戻したオーガの眼は今まで見たどのときよりも理性と知性を感じさせる光を宿しているのだった。


「グ……これ、は……。身体が動かない? いや、それよりなんだか頭がすっきりして――」

「フン。やはり、普通に喋れるのか」


 自分の身体が動かないことに驚いた様子のオーガは、突如理性が戻ったことで混乱していた。

 混乱できるということは、正気に戻ったということだ。功罪(メリト)の効果が完全に消えたことで知性が向上――否、元に戻ったのだろうが、これから行うことを思えば好都合である。


「……オーガよ、我のことは覚えているな?」

「ヌ……貴様は……あのコボルトか?」

「そうだ。貴様とは契約を交わした上での一騎打ちの真っ最中であるわけだが……まだ、やるかね?」


 第二進化体の時にオーガの身体に与えた毒は、既にほとんど消えている。並の人間なら半日は指一本動かせなくなるような毒性なのだが、オーガの体力なら概ね計算どおりであった。

 しかし、今のウルならば身体の自由を取り戻すまでの間にオーガに致命傷を与えるのは容易い。再生能力も失った今ならば、やろうと思えば二段目の進化でも可能だっただろう。

 そう――既に、詰んでいるのだ。


「……いや、降参だ。どうやら、この状況からの逆転はないようだ」

「ほう? 理性を取り戻したら随分と理知的なのだな? もう少し()()が必要かと思ったが」

「無駄は嫌いでな。負けるのならば、潔くと決めている。……それに、貴殿の説得は些か怖そうだ」

「中々良い勘だ」

「そんな死の気配を纏う邪気の塊みたいな容貌をしていれば誰でもわかる」


 オーガは、神妙に自分の敗北を受け入れた。もちろん、敗北時の契約は理解の上で。


「では、契約に従い、今後貴様と貴様の配下はこの俺、ウル・オーマの支配下となる。異論は無いな?」

「ない。勝者の言葉に全て従おう。それが世の掟だ」

「よろしい」


 その言葉によって、契約は完成した。オーガ軍の全ての兵は、ウル軍の傘下に組み込まれることになったのだ。


「う……」

「うぉぉぉぉっ!!」


 戦いは、ウル軍の勝利で決定した。それを理解したコルト達は勝ち鬨を上げ、オーガ軍の魔物達は項垂れ敗北を受け入れた。

 オーガ軍の配下も、先ほどのウルの咆吼で腰を抜かしており、自らの大将の決定に逆らう気力などなかったのだ。


 ――1匹を除いて。


「……フッ」

「どうなされた?」

「いや……どうやら、契約を反故にしようとする畜生がいるらしくてな?」



「ハァ、ハァ……クソ! クソガァッ!!」


 森の中を駆ける一匹の亜人種、猿亜人(マシシラ)は怒りの叫びを上げた。


「まさかオーガが負けるなんて!? どうする? オーガの群れに残ったままではあの謎のコボルトの支配下行き……そうなれば、ワシの立場はどうなる!?」


 猿亜人(マシシラ)は、武力よりも知力で成り上がってきた魔物であった。とある戦いで力の代償として理性を失ったオーガに代わり、実質的な群れの支配権を握っていた魔物だったのだ。

 しかし、今からはオーガの上に知恵が回る新たなボスが付くことになる。猿亜人(マシシラ)も知らないような数々の技術を持ち、力も持つボスが頭に付けば、もう猿亜人(マシシラ)に上に上がる目など残らない。

 もちろん、それでもウルの下につき、じっくりと立場を作っていくという選択肢もある。しかし、それではダメなのだ。


 部下の管理をきちんと熟せる頭脳の持ち主が現れてしまえば、猿亜人(マシシラ)の商売が――人間への魔物奴隷の斡旋業が潰れてしまうのだから。


(人間との取引は、ワシの生命線! 他の魔物が持たない武器を手にするための唯一の手段!! それを、それを失えばワシの計画は大きく後退することに――)


 猿亜人(マシシラ)は、王になりたいわけではない。だが、全ての愚者を己の支配下に置き、全てを操る陰の支配者になりたいのだ。

 だから、オーガに従った。オーガならば舌先三寸で操れると思ったから。オーガの所有物を横流ししてもばれないと思ったから。

 事実、今までもオーガの威光を利用していろいろと美味しい思いをしてきたし、今後もオーガの領域を少しずつ奪っていく計画だったのだ。


 だが、あのウル・オーマが王ではそれも叶わない。あれは何事も自分で決められるだけの頭脳を持っているように見えたと猿亜人(マシシラ)は判断しており、そんな相手が上に立つのでは永久に一つの駒のままだとはっきりわかるのだ。


「どうする? こうなれば、風の牙の(もと)に行くか? 上手く取り入って共倒れを狙えば、残党を纏めてワシの軍勢を――」


 猿亜人(マシシラ)は考える。ここから、自分が頂点に立てるようなシナリオを。


 ……その後ろから、魔王が迫っていることにも気がつかないままに。

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他力本願英雄
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[一言] お猿さん、その行動に移った理由があるのはわかるんだけど、 空気読もうか。
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