第43話「進化の可能性」
二回目の進化に至った個体。それは、魔の領域であるシルツ森林の中でも数少ない強大な魔物のことを指す。
人間の基準で言えば、危険度二桁後半。常人の限界値まで鍛え上げた精鋭がチームを組んでようやく対抗できるとされる強大な個であり、確実に領域支配者としての力を持っていることだろう。
では、その領域に至ったウル・オーマならば赤の巨人オーガにも勝利できるのか?
「ク、ガッ!」
「グルゥアアッ!!」
――答えは、否。
進化して早々、ウルはオーガの猛攻に防戦一方を強いられていた。
オーガとは、三度目の進化の領域に至った大魔であり、その力は二度目の進化に至ってなお圧倒するものがある。
とはいえ、ウルはかつて、進化一つ分どころか二つ分の差を覆した経験がある非常識の権化である。それなのに、何故オーガに有効な対策を取ることができないのか?
その答えは、オーガが纏う赤いオーラにあった。
「ふ、フハハッ! 窮地における進化……少々驚いたが、こうなれば終わりじゃ! まさかオーガがあの姿を見せるほど本気になるとは思わなんだが、ああなったオーガは無敵! 最強の鬼よ!」
オーガの能力を知る猿亜人が、歓喜の叫びを上げた。
それを苦々しく睨むウル軍だが、お互いの王より『この戦いの決着の全てを大将同士の一騎打ちで決める』と宣言された以上、手を出すことはできない。
……もし、王の宣言を無視して雑兵が殺し合いなど始めれば、自らの王に殺されるということを魔物達はよく理解しているのだ。王の言葉は絶対――それは、魔物の絶対の不文律なのだから。
何よりも、猿亜人にムカつく声で言われなくとも、今のオーガの異常性はコルト達にもよく理解できているのだ。
元々、コルト達進化を行っていない魔物からすれば理解の外にいる力の持ち主であったが、あの赤いオーラを出してからのオーガはその領域すら飛び越えてしまっている。
無敵を信じる自分達の王の勝利を、信じられなくなってしまうほどに。
「あの赤いオーラ……もしかして、功罪?」
コルトは観察の結果、オーガの異常を以前ウルから学んだ功罪の一種なのではないかと推察した。
どんなものなのかはわからないし、もしかしたらオーガの種族的な特性であるという可能性ももちろんある。
しかし、コルトの本能は赤いオーラの正体を、魔道の上位に位置する功罪であると判断しているのだ。
「グルゥアッ!!」
「言葉を、忘れたか。……功罪・凶暴化と言ったところか?」
コルトの推察と、実際に戦っているウルの意見も同じであった。
目の前にいるのは、ただ進化の回数が自分より一つ上というだけではない。それに加えて、戦闘向けの功罪まで発動しているからこその差なのだ。
(アラクネの奴は功罪を使う暇も無かったなどと言っていたが、こいつの功罪の発動条件はなんだ? 意思一つで自由発動? 制約、維持のコストは? 探せ、身体が持つ間に――)
ウルは己の武芸を駆使し、進化したばかりの身体でオーガの攻撃を必死に回避する。
力に力で立ち向かわず、柔の技をベースとする魔王流無の型により、ギリギリで身体能力で圧倒的な差を付けてくるオーガの攻撃から命を守っているのだ。
(考えろ、見逃すな、想像しろ。敵の、功罪の匂いを逃すな)
ウルは、脳みそを限界まで駆使して攻防の先読みをしながら、オーガの力の正体を見破ろうとする。
功罪使いと戦う一番の方法は、功罪を使う前に殺してしまうこと。人間の魔道士や、殺してはいないがアラクネはこの方法でウルは打ち破った。
しかし、こうして発動されてしまった場合、次にやるべきなのが敵の能力の詳細を暴くことだ。
(あの赤いオーラを発動後、オーガは言葉を話さない……否、話せないと見るべきか。仮にも三段目の進化に達した魔物の割には知性が乏しいと思っていたが、恐らくはこの功罪の副作用によるものか……)
功罪とは、統合無意識に認められた自らが成し遂げた偉業の具現。いずれも強大な力を持っているが、大半は何かしらの発動条件や代償がある。
剣士としての功績により得た功罪を素手で使う事はできないことが大半であり、詐欺師としての罪科で得た功罪を使うなら話を聞かない人間には使えない。ボロボロになっても勝利を掴んだ不屈の英雄としての能力は使えば自らの身体を傷つけることになる場合もあり、一対一の決闘に基づく能力ならば敵か味方が新たに現れた時点で解除されるということもある。
功罪とは、その正体を暴くことで使用を封じることも可能……である場合もあるのだ。
故に、ウルは思考を止めず、オーガの能力を見極めようとしているのだった。
(効果自体の推測は難しくはない。恐らく、理性、知性を代償に身体能力と自己再生力の強化。身体能力強化の原理は、脳のリミッター解除による自己崩壊覚悟の馬力。魔道で言えば命の道に分類。ただし、肉体への負担は元々の強靱さと功罪発動と共に得る自己再生能力で帳消しにしている、というところだろう)
ウルは闘争本能のままに繰り出される拳をいなしながら、爪でオーガの腕を切り裂く。
しかし、そんな傷は数秒で塞がってしまう。赤いオーラ発動から、オーガの治癒能力が上がっているのだ。
(仮称、凶暴化の効果推測は完了。後は、発動の条件、解除の条件を見極めろ)
オーガの功罪は、効果自体はとても単純だ。元々強いオーガが更に強くなるというだけであり、シンプルだからこそ手が付けられない。
保険の用意はしているとはいえ、負担の大きさからあまり使いたい手札ではない。
まずウルは、今のままでも勝利できるよう、オーガの功罪破りが可能か否かを検証する。
「理性、知性を代償とするタイプならば、王道は代償を戻す、というところか」
ウルは、自らの経験よりオーガの功罪の無効化の手段に仮説を立てた。
何かしらの代償を支払うことで発動する功罪は、その代償として失う何かを補填することで無力化することが可能であるケースが多い。いわば、代償を支払った状態でいることがそのまま発動の条件となっているというパターンだ。
理性無く狂う獣であることが条件ならば、オーガの意識をたたき起こせばいい。戦うことだけに全ての意識を集中させることが条件ならば、それ以外に意識を向けさせればいい。
敵――ウル・オーマの殺害に全ての感覚を集中させることが条件であるならば、狂戦士には存在しない感情――恐怖を、教えればいい。
(それができれば、という話だが)
はっきりいって、それができるのならばそもそも功罪を無視して勝利できているだろう。
となると、無効化以外の手段を模索する必要があった。
「……ならば、搦め手で行くか」
ウルは方針を決め、迫る拳を前に全身の力を抜いた。
「進化――」
「ブルゥアッ!」
「――解除」
オーガの拳に対し、ウルが選んだのは進化の解除――コボルトへの退化であった。自らのサイズを小さくすることで、攻撃を回避したのだ。
しかし……
「う、ウル! どうしたの!?」
「まさか、魔力が……!」
見ている側からすれば、それは自殺行為に他ならない。
二回目の進化状態でもまともに打ち合えない強敵に、コボルトの身体で勝てるわけがなく、それなのに退化するのは力尽きたと取られても仕方が無いことだろう。
「な、なんじゃ? コボルトに戻った?」
退化のことを知らない猿亜人は混乱しているようだったが、もちろん狂うオーガには関係が無い。
敵が強いこと、が凶暴化の発動条件に含まれていればこれで解除されたかも知れないが、残念ながらそれとは無関係であったようだ。
「慌てるな」
狼狽える配下に、ウルはコボルトの身体のまま不敵な笑みを浮かべることで答えた。
とはいえ、このままでは流石に手も足もでないので、すぐさま次の行動に移った。
「――進化樹形図励起。進化情報を確認。選択――」
「え? あれって……?」
「一度退化して、改めて進化し直す……何の目的でしょう?」
ウルが行うべきは、進化。今の身体のままでは手も足も出ないのだから当然なのだが、ならば何故一度退化を挟んだのかとコルト達は首を傾げる。
その答えは――
「――白銀魔狼」
進化の光の中から飛び出してきたのは、狼頭人ではなかった。
現れたのは、白銀の体毛を持つ四足歩行の獣――白銀魔狼。ウルの持つ進化の可能性の一つだ。
「え? あれって……?」
「ボスは、複数の進化先を持っているのか……?」
「何を驚く? 大蜘蛛共でも大毒蜘蛛と八刃蜘蛛の二種類に分かれるだろう? 進化の可能性とは一つではなく、無数の道があるのだ。前に一度教えたはずだが?」
未来の可能性は無限にある――などというのはロマンチストだけであるが、無限ではないにしろ魔物の進化の方向性は多種多様だ。
退化という、本来強さを求める魔物の本能から逆走する技術を身につけた者は、その可能性を好きに取捨選択することも可能なのだ。
無論、その進化の方法を知っていることが大前提であり、長い年月をかけて自らの可能性を追求した者に限るが。
しかし――
「グルアッ!」
「っと!」
オーガの拳を、四足獣特有の俊敏性を駆使して回避する。
目の前で起きた、現代の常識ではあり得ない異種進化。それを目の前で行われてもオーガの攻撃に動揺はなく、狂戦士としての性能を十全に発揮していた。
当然だ。二足歩行の亜人型から四足歩行の獣型にシフトしたとはいえ、今の姿は一段階目の進化体。オーガからすれば脅威にはなり得ないのである。
だが、既に二回目の進化を行えるだけの器は完成しているのだ。ならば――別系統の進化であろうとも、魔王ウル・オーマにはそれが可能となる。
「再び進化樹形図励起。連続進化、選択:瘴気魔狼」
連続で発動された進化の光。そこから現れたのは、白銀魔狼よりも一回り大きな身体を持つ紫色の狼であった。
特徴的なのは、全身から放たれる禍々しい気配を感じさせる紫色の霧。瘴気魔狼とは、そこにいるだけで毒素を含んだ気体をばらまく超危険指定の魔物であり、存在が確認されると同時に瘴気対策を施した専門の討伐隊が派遣されるほど人間世界でも知られている存在だ。
一見するだけで近づいてはいけないとわかる、毒を使った攻撃を行う魔狼。そんな敵が相手であっても、狂うオーガは止まらない。否、止まれない。
「グルゥアアッ!!」
「お前ならば、多少の毒なら持ち前の再生力で何とかできるだろう。だが――このウル・オーマが貴様のために選択してやった毒だ。たっぷり味わえ」
オーガの連打を、ウルは四歩足で器用に回避する。戦狼人に比べて武器や武術の使用が不可能という点から近接戦闘の能力では劣るが、その分速い。回避を重視するのならば、二足歩行の亜人タイプよりも四足歩行の獣型の方が有効である場合は多いのだ。
しかも、ただ回避しているだけではない。攻撃を避ける度にオーガの目や鼻、皮膚から体内で生成した瘴気を流し込んでおり、その効果は徐々に現れ始めていた。
「ぐ、が……?」
「想定どおり。どうやら、貴様の治癒力は外傷に対するものだけで、この手の搦め手には対応していないようだな」
オーガは、突然膝を突いた。一撃も受けていないのに、身体に力が入らなくなったのだ。
「今、貴様の身体は瘴気に蝕まれ、激しい高熱と意識混濁、四肢の麻痺といった症状が出ているはずだ。意識の方は初めから無いに等しいかもしれんが、身体が壊れれば精神論では立ち上がれまい?」
魔王ウル・オーマは、身体の不調を無視して立ち上がろうとするオーガを嘲笑う。
いくら暴走状態となり痛みや苦しみを無視できても、身体が付いてこなければどうにもならないことがあるのだと。
「そ、そそそ、そんな、まさか、狂ったオーガが、ま、まけ――」
目の前で突如起きた、絶対強者であった自分達のボスが膝を突く光景。
それを見た猿亜人やオーガ軍の雑兵達は動揺を露わにしていた。
――とはいえ、である。
(さて……ここからの詰めを間違えるとちと面倒だな)
ウルは勝者の笑みを見せながらも、頭の中は今も勝利しているつもりはなかった。
単純に、オーガを殺す手札がないのだ。
今のところ瘴気は有効であるが、生憎これはそこまで強力なものではない。弱い者ならそのまま衰弱死させることもできる危険極まりない毒性を有しているが、オーガクラスの生命力なら少し時間があれば体力だけで解毒してしまうだろう。
ならば動けないうちに仕留めるといいたいのだが、それも難しい。ウルの爪や牙ではオーガに致命傷を与えるのは難しく、健在の凶暴化の功罪による自己再生を打ち破ることは難しい。
魔道による攻撃ならば十分かもしれないが、事前の仕込みと連続進化に消費した魔力がまだ戻ってはおらず、大技を使えるほどに魔力を領域から吸い取るのにはまだ時間が必要であった。
保険を使えばそれも可能なのだが、それはあまり旨みがない。
(できれば、この戦力は欲しいからな。殺すのは本意ではない)
ウルは、オーガが欲しかった。この時代で見た全ての生命体の中で、最も強い存在。それが今目の前にいるオーガだ。
そんな相手を、むざむざ手放したくはない。王の道を塞ぐ者は力でねじ伏せるのがウルの流儀であるが、それは必ずしも対象の殺害を意味するわけではないのである。
(……ここまでやれば、死の恐怖から正気に戻り交渉の余地があると思ったのだがな)
この戦いの前に交わされた契約は、勝者に対する服従。これに従えば、肉体の自由を失った時点で敗北であるとオーガ側が認めればその時点でオーガという強力な駒が手に入るのだ。
しかし、理性の無い存在に負けを認めるも何もなく、功罪の解除に成功しなければ成立しない話であった。
「……仕方が無い」
ウルは、諸々を考え、一つの決断を下す。
瘴気による毒の効果は、オーガならば恐らく10分ほどで解除されることだろう。その10分で、ウルはオーガの心を呼び戻し、敗北を認めさせるための最後の一手を打つことにした。
かなりのリスクを背負う賭けになるが、最良の結果を掴むためには安全策ばかりではいけない。それもまた、魔王としての経験からの判断なのだ。
「――解放」
ウルが一言呟くと、闘技場として用意した開けた場所の周囲を、ぐるりと覆うように配置された設置型の魔道が一斉に光り輝き、そして――
「我の許に戻り、我が器を満たせ」
魔道としての効果を発動することなく、全てが魔力としてウルの中に戻っていくのだった。
これがウルが事前に用意しておいた保険。領域から吸い上げた魔力を事前に設置型の魔道として保存し、いざという時に素早く回収するために用意しておいた仕掛けだ。
一時的に自分の貯蔵限界量を超える魔力を手にしたウルは、まるで噴水のように自らの身体から大量の血を噴き出した――。