第41話「この世で最も美しきルール」
(大蜘蛛では足止めにもならんか。毒も電撃も無視するタフネスと、糸を力任せに破壊するパワー……単純なほど厄介と言うが、これはその典型だな)
水鏡に映し出されたオーガ軍の第二波、大将オーガ自らが先陣を切っての攻めを見て、ウルは素直にその暴威を称賛した。
「あ、あわわわわ……」
「これは、想像以上ね……」
コルトとアラクネは、二人ともオーガの絶対的な力に恐怖を覚えたようだ。同じ感情を持ちながらもあからさまに怯えと動揺を見せているコルトとアラクネの違いは、培ってきた経験の差だろう。
「アラクネ」
「……なにかしら?」
「大蜘蛛共に通達。オーガは極力相手にせず、後ろの雑魚共の相手に専念しろ。オーガがその場で大蜘蛛の殲滅を目論む場合は反撃しながら後退、敵撃破よりも生存を優先せよ」
「了解したわ」
ウルの指示を、アラクネは糸の通信で前戦の大蜘蛛に伝えていく。
この戦で大蜘蛛の数を大きく減らすわけにはいかない。彼らの防戦能力はまだまだ有効であり、今使い捨てるのは余りにも惜しいのだ。
「さて……では、行くか。交戦予定地、ウの5に移動する。この場の雑用コボルトとピラーナ以外は、全員完全武装で俺に続け!」
オーガはこのまま本拠地である湖まで進軍するつもりだろう。そうでなくとも、オーガの力によって領域の書き換えが行われており、放置することはできない。
迎え撃つのは必須。そして、それが可能なのはウルしかおらず、防衛戦で大将が出陣するのに遊ばせておく兵力などいるはずがない。
怯えている子供コボルトだろうがかつての主に恐怖するゴブリンだろうが、例外なく引き連れていくのだった。
「地の利は我にあり、だ。気乗りしない防戦をするのならば、せめて俺のシナリオどおりに動いてもらわねばな」
勝利のシナリオを頭の中で描き、ウルは自信に満ちた姿を配下に見せる。
それが王の役割なのだから。
「ああ、それと……アラクネ」
「何かしら?」
「お前には特別な任務を命ずる。死ぬなよ?」
「……死ぬようなことを命じないでほしいわね」
配下に死ぬリスクを背負わせることもまた、王の業である……。
◆
「グルル……弱イ!」
「ヒヒヒ……楽に進めるならよいではないか。それにしても、想像以上の腰抜けの集まりじゃったのぉ」
オーガ軍は侵攻を続けていた。
もっと激しい抵抗をするかと思われた大蜘蛛も、軽い嫌がらせをする程度であっさりと撤退。命をかけて死ぬまで戦う――それが当たり前の、領域支配者支配下にある魔物とは思えない逃げ腰であった。
それを見て、この領域の主のカリスマは大したことはないと猿亜人は嗤う。兵に命を捨てさせることすらできないのならば、簡単に制圧できる上に勢力拡大も楽にできるだろうと。
大蜘蛛が完全に撤退した後、オーガ軍はコボルトを斥候として先行させ、最前列にゴブリン、殿にオーク、大将であるオーガは陣の中心という陣形で進んでいった。
進軍は順調に進み、碌な妨害を受けることもなく足を進めていく。すると――
「ギ?」
「ギギィ?」
前衛のゴブリン達の足が止まった。疑問の意を示す鳴き声をあげ、キョロキョロと警戒し始めたのだ。
「なんじゃ? どうした?」
オーガの少し後ろを歩いていた猿亜人も、何かあったことに気がつき、配下の猿小人――チエイプに状況確認をするように命じた。
すぐに走っていったチエイプは、陣の最前列を確認してすぐに戻ってくる。その報告によると、突然森が消え、開けた場所が出てきた……というのだ。
「開けた場所……何者かが、開拓した地じゃとということか?」
オーガの知能では思いつかないことだが、猿亜人には森を切り開き土地を開発するという概念もある。
事実、オーガが地べたに横たわって寝ているのを余所に、自分は木の上に粗末ながら家を建てて生活しているのだ。
人間から得た情報により、平地に家屋を建てるという文化にも知識だけならばある。ならば、その手の思想を持つ者が開拓を行ったのかと猿亜人は考えた。
しかし、その平地が作られた理由は別のものだ。
「よくぞ、我が領域に足を踏み入れた。その無謀な勇気に敬意を表し、俺自らが相手をしてやろう……」
「ン? 誰ダ?」
警戒しながらも、障害物となる木々が無い平野に軍を入れたオーガ達。
そこに、一つの小さな影が現れた。やたらと尊大な態度のコボルトが現れたのだ。
「コボルト……あのときのやつか? いや、少し違うかの?」
猿亜人は、自ら偵察に行ったとき見た個体かと一瞬思うも、それはないと首を振る。
あのコボルトは、あんな自信満々な態度ではなかった。というよりも、森に住まう魔物種族の中でも最弱候補のコボルトがあんな態度を取っていたら、嫌でも記憶してしまうことだろう。
「……敵? ダナ?」
「そのはずじゃ……多分」
オーガと猿亜人は、自信なさげに首を傾げた。
単純に、最弱種族のコボルトが、本当に敵なのか自信が無かったのだ。オーガはもちろんのこと、進化種である猿亜人を前にしても、本来コボルトとは尻尾を丸めて逃げるか服従するかのどちらかであるのが普通なのだから。
「……お前がオーガだな?」
「グフッ! コボルト、オデニ言ッタカ?」
二人の混乱を余所に、コボルトは尊大な態度のまま声をかけてきた。
オーガも、群れの長としての誇りがある。なんだかは知らないが、コボルト風情に対等な態度を取られることなど許せるはずがない。
故に――その行動は、当然のことであった。
「グルァァァァッ!! 殺セ!」
「ギィ!」
「ギアァ!」
オーガの号令と共に、まずはゴブリン達が一斉に単独で道を塞いでいるコボルトに襲いかかる。
謎のコボルトはそんなオーガ軍にため息を吐き、やれやれと言いたげに首を振るのだった。
「予想どおりと言えば予想どおりなんだが……フン、交渉のこの字すら無視か」
圧倒的多数のゴブリンと、単騎のコボルト。どう考えても勝負は決まっている争いは――突如、最前列のゴブリンが消えたことで中断となってしまうのだった。
「グル!?」
「消えたじゃと?」
「ただの落とし穴だ。そんなに驚くな」
ゴブリン達が消えたのは、最も単純な罠、落とし穴に落ちたからである。
もちろん、ただの落とし穴ではない。大蜘蛛の糸を使うことで落ちた獲物の身動きを完全に封じる、粘着糸の落とし穴。一度落ちればオーガでもなければ自力での脱出は不可能だろう。
「……罠、とはの。なるほど、この開けた地は罠を仕掛けるために用意したということか」
「そのとおりだ、猿面。もちろん、手品はこれだけではない。他にもいろいろ仕掛けてあるぞ?」
「ならば森を迂回する……というわけには、いかんのじゃろうな」
「グルル……」
オーガは怒りを込めて唸っているが、猿亜人には迂闊に攻め入ることができない敵地だと理解できてしまう。故に、苛立ちを隠せなくなっていった。
(わざわざわかりやすく罠を設置している空間を目視できるようにしたんじゃ。となれば、森に入れば安全……というわけにはいかんじゃろうの)
罠を仕掛けるときの定石は、逃げ道を用意しておくこと。わかりやすく逃げ道を設置することで獲物の動きを誘導し、より強力な罠へとおびき寄せるのだ。
猿亜人もそれは知っているので、この平地から脱出するというのは悪手としか思えなかった。目の前のコボルトはコボルトとは思えない知性を感じさせるものがあり、そのくらいはやってくるだろうと思えるのだ。
「……構わぬ。多少の障害など無視せよ。死ぬわけではない、突っ込むのじゃ!」
猿亜人は、まだ落ちていないゴブリン達に構わず突撃を命じた。
どうやら、落とし穴は行動を封じることを重視しており、殺傷能力に長けている罠ではないようだ。それでも打ち所が悪ければ死ぬかもしれないが、所詮はゴブリン。多少死んだところで問題は無いと、罠を踏み破る作戦に出た。
それはオーガ好みの決断だったのだろう。猿亜人と考えが同じであったわけではないだろうが、反対すること無く、それどころか手にした棍棒を振り上げて進めと命令を出すのだった。
「罠無視の突撃か。俺も昔はよくやったものだ……さて、そちらがそうくるのならば、こちらも打って出るとしようか」
謎のコボルトは、右手を挙げて後方へと合図を出した。
それに併せて、背後の森からわらわらと多数の大蜘蛛と、少数のゴブリン。そして、一匹の子供コボルトが現れる。
その手に、白く輝く棒を持って。
「我に挑まんとするその勇気を讃えよう。我に挑もうとする愚劣さを嘲笑おう。我が名を知り、我にひれ伏せ! 我が名は、ウル・オーマ。万物を食らう、魔王なりぃぃ!」
コボルト――ウル・オーマの叫びによって、背後のゴブリンとコボルト、そして大蜘蛛が勢いよく飛び出してきた。
多勢に無勢――数の差は歴然。いくら罠で数を減らしているといっても、それでもオーガ軍ならば確実に勝利できることだろう。
その確信と共に、ついにトラップゾーンを抜けたオーガ軍と、ウル・オーマ率いる軍勢が激突する。
その結果――
「な、なんじゃと!?」
ウル軍のゴブリンと、オーガ軍のゴブリン。体格にはさほど差はなく、個体としての性能差はほとんどないはずだ。大蜘蛛は格上だが、巣の中ならばともかく、こんな障害物も何もない場所でならばさほど怖い相手ではない。
それなのに、最初の激突は、オーガ軍があっさりと当たり負けてしまった。それは、ゴブリンがゴブリンらしからぬ技を身につけていたこと、そして――
「……グルル。イイ、武器ダ」
ゴブリン達が持つ、白い棍棒。光を反射する棍棒が、オーガ軍のゴブリンが持つ棍棒とは比べものにならない強度を持っていること。それが一番の原因であった。
確実に攻撃を当てる技術と、ぶつけ合えばオーガ軍の棍棒を容易くへし折る威力。どうやらゴブリンらしからぬ膂力もあるようで、あっさりとなぎ払われてしまっている。
「欲シイナ」
オーガはニヤリと笑った。欲しいものは殺して奪い、勝者の雄叫びを上げる。
それが、森の暴れ者と恐れられたオーガの生き方であり、矜持だ。
(むぅ……確かに、個の力ではこちらが不利か。認めたくないが、仕方が無い。オーガを戦線に投入すれば簡単に覆せるが……)
別に、今のまま突撃を繰り返すだけでも問題ないようにも思えた。
確かに、ウル軍は想定を超えて強かった。だが、それだけだ。
所詮は寡兵。数で攻め続ければいずれは疲弊し、武器を奪われることだろう。猿亜人は、安全な場所からただ敵兵の疲労を待てばいいだけなのだ。
そう、安全な――
「[地の道/二の段/火炎放射]」
「ぬぎゃ!?」
――武器の届かない場所に、炎が飛んできた。
オーガは驚きつつも強靱な皮膚だけを頼りに涼しげに炎を受け流すも、猿亜人はそうはいかない。燃やされてはかなわないと、泡を食って後ろに下がった。
「大将を置いて後退とは、よくできた部下だな、鬼族の末裔よ」
「……オデ、強イ。コイツ、弱イ。ソレダケ」
炎を飛ばしてきた犯人――ウルと、オーガが戦場に相応しくない冷静な声色で言葉を交わす。
オーガの知性は決して高くはないが、それは戦場の外でのこと。戦場となれば、己の役割を十全に理解し、行動することができる才覚を持っていた。
そうでなければ、いくら強くても森の支配者を名乗れるほどの群れを率いることなどできはしない。最強の将、それがオーガなのだ。
「……オーガよ、提案がある」
「……グル?」
「お前は、俺たちの持つ武器を欲しているのではないか? これは俺たちが自ら造りだしたものだ。やろうと思えば、同じ物を――それ以上の物だっていずれ造り出すだろう」
「なっ!? 造った、じゃと?」
炎から慌てて逃げ出した猿亜人が、その言葉を聞いて驚きを露わにした。
森の獣に、物を作る技術などない。あって木から棍棒を削り出すくらいだ。
だからこそ、人間と取引を行っている自分の優位が確立するのである。いざとなれば人間製の強力な武器を使える――それが猿亜人最大の切り札なのだから。
それなのに、ウル軍が持っている武器の輝きは、明らかに魔物が手にできるそれとはレベルが違った。もしその技術を手にすることができれば、風の牙と死招きの羽音……オーガに匹敵する二大勢力を制圧し、真の森の王になることも可能になるのでは無いか。そう思えるほどの価値があるのだ。
「俺たちを殺し、今ある分だけ奪い取るというのも一つの手ではあるが……それではお互いにとってうまい話とは言えまい?」
「……グル?」
ウルの持ちかける交渉に、オーガは首を傾げる。何を言いたいのかわからないのだ。
そんな群れの王に内心でため息を吐きながら、先ほどの醜態を忘れて猿亜人が再び前に出てきた。
「それは、従属願いということじゃな? その技術とやらを提供する代わりに、我らの群れの中でも上の地位を欲すると? なるほど、一考の余地が――」
「――貴様風情に語ったつもりは無いぞ、無礼者。王の言葉を遮るでないわ!」
ウルの怒声が、猿亜人を貫いた。
たかがコボルトの威圧など、猿亜人ならば簡単に跳ね返せるはずだった。しかし、現実は、惨めにも圧倒されて尻餅をついてしまうのだった。
「な、な……」
「我を何と心得る。我は魔王ウル・オーマ。従えることはあっても、従うつもりは無い。我に首輪を付けたいのならば、力でその証を示すのだな」
「な、ならば、何を――」
「……オーガよ。大将である貴様に提案だ。俺と一対一で決闘を行え。勝者は敗者に従う――この世で最も美しきルールでな」
ウルが叩きつけてきた提案は、互いの兵を引かせた上での一対一。
戦力差で圧倒的に劣る側が出す条件ではない。そんなものはね除けて、数の暴力で攻めればいい。猿亜人は、コボルト風情に威圧された怒りを込めてオーガにそう提案しようとするが、その前に赤い大鬼は一瞬だけ瞳に理性を宿し、重々しく頷いてしまうのであった。
「……イイダロウ。オ前、負ケタラ俺ニ相応シイ武器、造レ」
「約束しよう。【ここに契約は交わされた】。勝者が敗者の全てを奪う、原始の戦い――異論はないな?」
「ナイッ!」
ウルを負かせば、光る武器の製法を手にすることができる。その方法は、一対一の決闘で負かすことのみ。
数の暴力で勝利しても、ウルは絶対にそれをこちらに渡さない。その確信は、先ほどの覇気で見せられた。
だから、オーガの判断は間違いではない。リスクは高まってしまうが、最も大きい戦果を得られるのはこれなのだ。
しかし、オーガには実のところそんな小難しい計算は無かった。
支配者たる鬼、オーガの頭の中にある答えはただ一つ。己の最強。ただ、それだけであった――。