第40話「一方的にやられたんだ」
「中々愉快であった。思い通りに事が進むというのは気分がいいものだな」
「あれだけの数をこんな簡単に追い返せるなんて、私でも経験が無いわ。たった一つだけとはいえ、魔道の威力は流石ね」
「一つ一つは大したものではないがな」
ウル達は酒……はないので湖の水を手に、まずは初戦の勝利を祝っていた。
最初の一戦における両軍の被害は、ウル軍は散発的な投擲がちょっと当たりかすり傷を負った大蜘蛛と、感電しながらも一矢報いた者の僅かな反撃により負傷した大蜘蛛が少しだけの、死者ゼロという極めて軽微なものだ。
対して敵オーガ軍は、大毒蜘蛛の麻痺毒で行動不能となったまま見捨てられた者は全員捕縛、粘着糸で絡め取られた者と電撃糸に突撃した者は死亡、残りが逃亡という、ほぼ壊滅と言っていいものとなった。
数で言えば、100体の内ゴブリンとコボルトの捕虜が約20体、オークを中心とした死者が約30体という有様で、生きて敵陣に戻ったのは全体の半数ほど。その上きっちりと大将首まで取ったのだから、十分すぎる戦果と言えるだろう。
大蜘蛛では捕縛は難しいと判断したオーク兵は皆殺しにしろ、という指示を出していたための捕虜と死者の偏りだが、奪ったゴブリン、コボルト兵は今後の教育次第でこちらの駒として利用することも可能。圧倒的不利としか言いようがなかった戦力差も、これで大分勝ちの計算ができるような気になってくる上々の始まりとなったのだ。
「それで? 今後はどうするの?」
「次もまた雑兵で攻めてくるなら同じ手口で迎撃でいいんだが……まぁ、それはまずないだろうな」
コルトの問いに、ウルは短く答える。
オーガの群れの兵がどれほどの数いるのかは不明だが、最低でも全体で400体、予測として考えるなら500~600体程度はいると思っておいた方がいいだろうとウルは考える。
最初の激突で敵軍が失った兵はおよそ50体、全体の十分の一程度だと予想される。ならば同じ規模で再攻撃を行うことも、あるいは前以上の規模で攻め込むこともできなくはないだろう。自分の領域内の防備を思えば全軍で攻撃などということはできないだろうが、それでも更なる数の暴力に訴えることは十分可能だと考えられた。
しかし、その可能性は低いだろうともウルは思っていた。
「こちらの防衛戦力が向こうの推測を大きく超えていたことは証明された。となれば、雑魚の数を増やして攻めても無駄に兵力を落とすだけ――と考えるのが自然だろうな」
「そうね……まあ、数で圧倒的に負けている立場としては、結局数の暴力が一番怖いのは事実だけど」
「大蜘蛛の巣だって、波状攻撃を受け続ければいつかは崩壊するからな」
大蜘蛛の糸は、大蜘蛛達の体内で生成される糸に自分の魔力を合わせることで作られる。
一度出した糸に維持コストのようなものは不要だが、無限に出せるわけではない。前の戦闘では指揮官が早々に諦めてしまったが、大毒蜘蛛の毒霧が届かない距離から岩を投げ込んだり、或いは巣に絡め取られても大蜘蛛が近づけないくらいに密度を高めた突撃を行えば十分に突破は可能だ。
「だが、それは俺たちとの一戦に勝つことに全てを費やす、くらいの士気がなければ選べないだろう」
「向こうからすれば、あくまでも絶対強者である自分がその他大勢を潰しに行く、程度の気持ちでしょうしね」
「死んでも勝つ、なんて気持ちはないよねそりゃ」
勝って当然の戦力差がある勝負に、死の覚悟を持って挑む者など早々いない。そんなものを持つくらいなら、勝利を放棄して生存すべきなのだ、強者側というのは。
一度負ければ立て直しが不可能な弱者側と違い、強者側は一度立ち止まっても慌てることなく態勢を立て直し、改めて必勝の勝負を仕掛ければいいのだから。
無論、プライドや立場という視点から見るとまた話が変わるが、いずれにせよ弱者相手に大きなリスクを背負ってまで勝利を目指す可能性は低いと言えた。
「向こうからすれば、雑魚を何体送り込めばこっちの守りを破れるかはわからん。そのために自分の領域の統治を疎かにしていては本末転倒だ」
焼いた蛇を咀嚼しながら、ウルは今後の予測を語っていく。
「かといって、俺たちとの戦いを長期的なものにする気などあるまい。どうやら、この森の絶対的支配者というわけでもないようだしな」
「ええ……そうね」
「え? そうなの?」
ウルの推測をアラクネが肯定したが、そこでコルトが首を傾げた。
コルトの知識では、森の絶対的支配者――それがオーガなのだから。
「前にも言ったと思うが、そのオーガに匹敵する気配が森の中に他に二つある」
「この森の中で、頂点に近しい魔物は三体いるわ。まずは知っての通り、今戦闘状態にあるオーガ。ゴブリンやオークといった鬼族の頂点ね」
「ゴブリンは小鬼、オークは豚鬼っていうからな」
「次に獣タイプの魔物を束ねている大狼、嵐風狼。人間には『風の牙』と呼ばれているそうよ。嗅覚に優れていて、特に集団戦に長けるって言われているわ。直接会ったことは無いけど、頭もキレるって話よ」
「……誰からの情報なんだ?」
「森には知性ある魔物もいるからね。そういうのとは積極的に交渉して情報を集めているのよ」
「ほぉ? それは是非とも欲しいものだな」
「私が誘っても振られたけどね。……それで、最後が『死招きの羽音』って人間が呼んでる蟲の魔物よ。こっちに関しては情報がほとんどないわ。近づく者は何であれ皆殺しって危険生物らしいし」
「ふーん……ま、いずれ調べなければいけないな」
ここでウルは脇道にそれた話を元に戻すべく、残った蛇を丸呑みにし、一拍おいて話を再開した。
「ま、つまりこういった対抗勢力もいる以上、俺たち相手に全戦力を向けることはできないわけだ。他に自分と対等の競争相手がいる以上、俺たちとの戦いの隙を突いてくる可能性は十分にあるからな」
「そっか。そっちの警戒に回す分の戦力が、こっちとの戦いに出られる分の数を減らすって事なんだね」
「そういうことだ。できればその三体の今の関係性を知れればもう少し作戦を具体的に弄れるんだが……まぁ、高望みだな。とにかく、オーガ共からすれば今以上の数に訴える作戦は第三者の横やりというリスクが高いということだな」
「となれば、次に予想されるのは……」
「領域の守護を疎かにしない少数で、確実に勝てる戦力の投入、だろうな」
「そ、それって、つまり……」
「格下だと思っている相手に一方的にやられたんだ。それで大将が出てこなかったら、力で手下を従えている立場がなくなるだろうからなぁ……」
ウルはクククと笑い、敵の次の手を暗示した。
そして、そうなった場合の戦術を自らの配下に語って聞かせるのだった。
◆
「……は? もう一度、言ってみよ」
「は、はい。我らの軍勢は、壊滅状態。指揮官を任せていたハイオークは殺され、散り散りとなってしまいました……!」
森の奥深く、オーガの領域。そこで、実質的な指揮を執る猿亜人が唖然とした表情を見せていた。
逃げ帰ってきた手勢……オーク達の後ろにこっそり付けていた数少ない同種から、自軍の散々な戦果を聞かされたのだ。
(け、計算外じゃ……! まさか、負けるなどとは……!)
猿亜人の進化前の姿、猿小人の話によれば、オーク達は大蜘蛛の巣を破れなかったということだ。
あれだけの戦力を向けても破れない巣というだけでも驚きだが、それ以上に不可解なのは大蜘蛛達の戦闘方法……既存のそれとは全く異なる技を使っていたという話だ。
「ぐぬぅ……」
猿亜人は今回の侵略における作戦指揮の責任者であり、この敗北は猿亜人の敗北ということにもなる。そのため、屈辱のあまり、血管が切れるのではないかというほどに全身に力を入れて震えた。
これがまだ、向こうの領域支配者候補である人頭蜘蛛が出現したためであると言うのならばいい。流石に領域支配者が相手では雑兵では厳しいと納得できるし、初手から大将を引っ張り出せたのならば、それならそれで領域支配者を迂回して領域を制圧という第二の作戦を使うことができたからだ。
だが、向こうも雑兵だけで挑んできたのならば話は変わる。主力がどこにいるかわからないのでは下手に迂回することはできない。挑んだら挟み撃ちのリスクがあり、何より逃げたと思われることになるのだ。
猿亜人個人としては逃げたくらいでは何とも思わないのだが、オーガの参謀としての立場が危うくなるのは間違いないだろう。他の二体に勝る森の支配者として強さを示していかなければならないのに、配下がその威光を穢すなど許されるはずが無い。
オーガにそんなことを考える頭が無いにしても、だからこそ、負け犬に容赦などするはずがないのだ。
「……負ケタ? ノカ?」
「お……王……」
震えている間に、軍の総大将――オーガが近づいてきた。どうやら、話を聞いてしまったようだ。
「王よ、これは、その……」
「負ケ……グッハッハッハッ!」
オーガは初戦に敗北したことを知ると、豪快に笑い出した。
その笑いは猿亜人の失態を嘲笑うものであり、自らの力を知らしめるためのものでもあるのだ。
「ヤハリ、策ナド不要! 力デ攻メレバイイ!」
狂気を宿すオーガはこの敗北を、自分の敗北であるとは思っていない。当然だ、自分は戦っていないのだから。
組織の長としては問題ありであるが、力による支配者としては正しい発想を元に、自らの得物である巨大棍棒を振りかざしたのだった。
「次ハ、オデガ行クゾ!」
もはや作戦など不要。全て自らの力で叩き潰し、勝利する。
その覇気を受けて、本陣に控えていた魔物達は一斉に雄叫びを上げた。絶対王者の出陣に、魔物達の士気は一気に膨れ上がったのだ。
「グ……ぬぅ」
そんな中で、猿亜人とその子飼いの猿小人は表情を曇らせた。
湖の奪取、領域の拡張。それを自らの指揮で行うことで群れの中での発言権を更に高め、自らの領域の獲得を行う計略がこれでご破算になったためだ。
もしオーガの手を借りること無く湖を手にできたのならば、そこをオーガに献上すると共にオーガに次ぐ領域の支配権を持つ副領域支配者として自分が君臨するつもりだったのに……と、猿亜人は唇を噛むのだった。
「オイ!」
「は、はい」
オーガは、猿亜人の側で小さくなっていた猿小人に声をかけた。
「連レテケル、兵、ドレクライダ!」
「そ、そうですな……領域警備と食料調達を除けば、およそ200ほど……いや、王がいないことを考えると150が限界かと……」
「ソレ連レテ、行クゾ!」
「ま、待つのじゃ。それは問題が――」
「ウルサイ! モウ、決メタ!」
オーガにしか扱えない巨大棍棒を軽々と振り回し、猿亜人の言葉を無視して出陣の意気込みを見せる。
まさか、出撃可能な最大戦力を出すことになるとは……と、猿亜人は改めて悔しさを隠しきれなくなる。
オーガは久しぶりに骨のある相手と戦えそうだと喜んでいるようだが、猿亜人からすれば愚の骨頂だ。
敵の攻撃の正体がわかっていないのに、多勢を連れていっても無駄に損耗するだけじゃないかと。最強戦力であるオーガと手勢を一気に連れて行くのは無駄が多いだろうと。相手は、こんなに力を向けなければいけないほどに強大な戦力では無いだろうと、猿亜人は反論できないまま俯くしか無いのだった。
(クッ……! こうなれば、まずはオーガに湖を落とさせ、そこから利用法の草案でアピールするしかないかの……)
既に、武功を得ることは限りなく難しくなってしまった。
それどころか、人間相手に行う商売の道具が大きく減ってしまったのだ。これは非常にまずいことであった。
ならば、次の策を考えねばならないと、猿亜人は一人次の戦いから意識を逸らしていくのであった。
そして――
「ブルアァァァァッ!」
第二戦、オーガ率いる軍勢と、大蜘蛛の巣の戦い。
それは、策も何も無い、毒も電撃も無視するオーガ単騎での突撃による巣の完全破壊から始まることになるのだった。