第4話「光栄に思え」
「……もっとマシなメシはないのか? 王へ献上するものとは思えんぞ」
「し、仕方が無いじゃない。これしかないんだから」
自称魔王、現コボルトのウル・オーマは文句を言っていた。食事として出されたギチギチと鳴く虫を前にして。
そして、珍味とも呼べない虫を自分に差し出したコボルトの天才少年コルトに対して。
「それより、言うとおりに食事を出したんだから教えてよ! キミは誰なの! 皆はどうなったの!!」
「やかましい。そうキャンキャン鳴くな。……この虫、不味い上に変な匂いがするんだが」
「味はともかく、匂いはあの人間達のせいだよ」
ウルの文句など、コルトは知ったことではなかった。
突然コボルトの群れを襲った悲劇。後は自分が殺されるだけ――という極限状態に突如現れた見知らぬコボルト、ウル・オーマ。正体不明の男に説明を求めることが今最もやるべきことなのだ。
ここはコボルト達が暮らしていた洞窟から少し離れた場所にある洞窟。
基本的に逃亡を続けながら生活するコボルトにとって、住処を移動するのは日常のことだ。周辺を探索し、いざというときに逃げ込める洞窟の位置を把握するのはコボルトの本能のようなもの。今回も、人間達がコボルトを燻り出すために使った臭い煙のせいで使い物にならなくなった洞窟を引き上げ、別の場所に移動してきたのである。
その際に、魔力が切れたウルのために住処から食料であるギチ虫をコルトは持ち出していた。魔力を――体力を回復させるのに必要なのは、食事と休息。それは世界共通の真理だ。
「……まあ、あの人間共の消化もそこそこ済んだことだし、最低限の力は戻ったか……」
文句を言いながらも、ウルはギチ虫を完食する。腹持ちがいいものでは決して無いが、とにかく食わねば死ぬと言わんばかりの食いっぷりであった。
「さて……小僧。何だったかな?」
「小僧じゃなくてコルト! 何もかも、全部だよ!」
コルトは食事を終えたウルに詰め寄る。
コルトが聞きたいことは、大きく二つ。ウルの正体と、仲間達がどうなったかだ。
鬼気迫るコルトに、自分より少し大きいだけのコボルトは、コボルトらしからぬ自信に満ちた尊大な態度で答えるのだった。
「フム……まず貴様の仲間……あのコボルト共だが、全滅だな」
「ぜ、全滅……」
「おかしなほどに知性に欠けた様子だったが、俺と『コルトを守る』という契約のためにその命を使い果たし、俺の肉体となることを認めたのだ。……その結果として、望みは叶ったのだ。無駄死にではなかろう」
ウルは大して気遣うこともなく淡々と答える。
コボルトは個よりも群を優先する種族であり、一人二人が死んでも全体が生き残っていればそれでよしと考える文化を持つ。
その観点で言えば、一人を残して全滅という結果は嘆き悲しむべきことだ。更にコボルトとしては天才的な知性を持つコルト個人の観点から見ても、同胞が皆死んでしまったことには深い悲しみを覚えるしかない。
だが、だからといって止まることは許されない。仲間が死んだのならば、それ以上に繁栄する。それが生き残った者の務めなのだから。
「……ボクのために?」
「オマエが生き残るのがあやつらの望みだったのだ。下を向いていないで前を向くことだな」
ウルはどこまでも傲慢に、正しいことを言う。個人の感情を無視するような言葉は酷く癇に障る。
だからこそ、コルトは一切の甘えを抱くこともなく現実と向き合わされることとなるのだが。
「さて……それで、オマエはこれからどうするつもりだ?」
「どうするって……」
「契約は果たされねばならん。本来ならば契約とはより細部を詰めてから結ばれるべきものなのだが……あのときは余裕がなくてな。おかげで契約期間すら碌に決めておらん。となれば、俺はオマエが安全であると判断できるまで……つまりはオマエを一人で放置しても死なないと判断できるまでは面倒をみる責任があるのだ」
ウルはやれやれと言いたげな様子で首を振った。
コルトは、そんなウルを訝しげに見る。何故、そんなことを言うのだろうと。
「……どうして、そこまで契約っていうのに拘るの?」
コルトは不思議だった。
コボルトの文化に、契約という概念はない。集団で一つの生命のように動くコボルトは、いちいちそんなことをしなくともお互いを助け合うのだ。
だからこその問いかけだったのだが、ウルは馬鹿を見る目ではっきりと答えるのだった。
「くだらん質問だな。……それは、俺が王だからだ」
「王?」
「そうだ。支配者が契約を破っていては組織は成り立たん。王の言葉は絶対……それを俺が覆すわけにはいかん」
誇りと共に、ウルは断言する。自分は王だからこそ約束を破らないのだと。
そんなウルの言葉は――疑問によって返されるのだった。
「王って、族長ってこと?」
「……大分規模は違うが、まあそうだ。集団のトップということだな」
「じゃあウルには手下がいっぱいいるの?」
「大勢いた。が、今はいない」
堂々と答えるウルに、コルトは少しあきれ顔になる。
昔はどうだったのかは知らないが、今いないのなら王ではないんじゃないかと。
「……さて、ではそろそろ行くとしよう」
「え?」
「現状、オマエは用事が無いのだろう? ならば俺の用件に付き合うがよい」
「よ、用件って?」
「決まっていよう。土地も財も民もないのでは、王として失格だ。まずはそれらを手にする」
ウルはそれだけ言うと、洞窟からずんずんと力強い足運びで出ていく。
普通、コボルトの外出というのはもっと慎重に行うべきことだ。外敵に狙われたらその場で死ぬことを覚悟しなければならない弱小種族にとって、見つからずに行動すること以上に重要なことはないのだから。
だが、ウルはそんなことを考えはしない。自分よりも強い奴などいない――そんな自信に溢れた姿は、コボルトしか知らないコルトの心に何かを感じさせるものがあるのだった。
「……ところで、お前達の街はどこにあるんだ?」
「え? 街?」
「ああ。緊急避難ということでこんな薄汚い洞窟に来たが……本拠地はあるんだろう?」
「……本拠地と言われても、今まで住んでたのはあの洞窟だよ?」
そんな力強い足取りを止め、ウルは問いかけた。
だが、コルトは困ってしまう。コボルトは自然の洞窟を寝床にするため、明確な拠点を設けることなく移動し続ける。故に本拠地なんてものは存在しないのだ。
しかし、ウルはそんなコルトの言葉を信じられないと言わんばかりに目を見開いた。そのまま数秒固まった後――ウルは、哀れみを込めた眼でコルトの頭を撫でるのだった。
「……そうか。お前達も苦労しているのだな。俺の統治下ではなるべく貧民を出さないようにやっていたつもりだったが……今ではそんな暮らしを送っている者もいるのか」
「……どういう意味?」
「まあ、街で暮らせないほどに貧しいと言っても、俺が何とかしよう。街の場所くらいはわかるだろう?」
二割増しで優しくなったウルに少々の不快感を覚えながらも、コルトは考える。街……という存在について。
しばらく考えた末に、コルトは一つの答えを出す。そういえば、洞窟に置いておいた本の中にそんな言葉があったなと。近くまでやってきた人間達の会話を隠れながら盗み聞きして学習した結果だが、確か集落の挿絵の下にあるのが街と言ったのではなかったかと。
(でも、場所って言われてもなぁ?)
コルトの世界はこの森の中だけだ。更に言えば、外敵に襲われるリスクが比較的少ない、逃げ場と隠れる場所が豊富な場所に限られるのだ。
そんなコルトが人間の住処の場所になど興味を示すはずもない。しかし、洞窟の本にならそれがあるかもしれないと考えるのだった。
「あの本になら書いてあるかも……」
「本?」
「ボクが拾った本だよ。森で行き倒れた人間が持っていたんだ」
「ほぉ……現代の知識を得るのは非常に重要なことだ。どれ、見せてみろ」
「ここにはないよ。前の洞窟に置きっぱなしにしちゃったから」
以前の洞窟からここまで来るのはそこそこ大変なことだった。
力を使い果たして倒れ、とにかく食料を持ってこいと命じるウルの相手をしつつ、激臭によって自分たちの場所を知らせているような状況から逃れるべく急いで行動しなければならなかったのだ。
おかげで主食であるギチ虫くらいしか持ち出せておらず、宝物である本を置いてくることになったのだ。
「……前の洞窟って、あの臭い洞窟か?」
「元々は臭くなかったけどね」
「煙玉の臭い以外にもいろいろ匂っていたが……まあ、よい。情報収集は全ての基本。行くとしようか」
ウルとコルトは、並んで元いた洞窟へと戻ることにした。
本来ならば臭い煙の匂いが飛ぶまでは近寄らない方が利口なのだが、外敵を警戒していないとしか思えないほどの、コボルトには相応しくない堂々たる胸を張った歩き方を見ているとそんなことは言えなくなったのだ。
もっとも、ウルはウルで決して警戒していないわけではないのだが。
(……この鈍った鼻と耳でも最低限の警戒はできるか。全盛期に比べれば潰れているのとほとんど変わらんが……何とかするほかあるまい)
ウルはコボルトも持つ数少ない武器――鼻と耳を最大限に活用して周囲を警戒していた。
同じことをやっているコルトがそれに気がつかないのは、単に意識の問題だろう。敵に怯えるからこそ周囲を探るコルトと、勝利のための布石として周囲を探るウルには自然と態度に違いが出るのだ。
(……やはり、衰えは深刻だ。あの程度の戦い一つ終えただけで力を使い果たした……この様では少しまともな力を持つ者とぶつかることになれば為す術無く敗北するほか無い。まずは、手足となる配下を探すのが最優先だな)
ウルは本来の自分と今の自分との差にため息を吐きたくなる気持ちを抑え、チラリとコルトの方を見る。
(……コボルト、だよな? 俺が知るコボルトからは大分退化しているようにも見えるが……まあ、貧民の子供では碌に食えもしないのだろうから仕方が無い)
魂だけの存在になり果てていたウルとの契約を果たしたコボルト達の総意――コルトを守って欲しいという契約。それによって肉体を得ているウルは、コルトを何が何でも守り抜かねばならない。
ならば護身術の意味も含めて臣下として鍛え上げるくらいはすべきだが、コルトを使い捨ての兵力として扱うことはできない。
何か、そこそこまとまった数の配下を調達せねばならない――ウルは当面の目的をそう定めたのだった。
「……あ、ついたよ」
「そうか。では、さっさと目的の物を――」
持ってこい、と命じる途中でウルは口を閉じた。
同時に、鋭い目で――コボルト的な視点からすると鋭い目で、遠くの茂みを睨み付ける。
その様子をみたコルトも釣られるように視線の先を追うと、そこには――
「ギギッ!」
「ギガガッ!」
「ご、ゴブリン!」
現れたのは、汚らしい緑色の肌を持つ小柄な鬼――小鬼だった。
ゴブリンはコボルトにとって、天敵の一種だ。といってもコボルトから見て危険ではない生物など早々いないのだが、特にゴブリンはまずい。
ゴブリンはコボルトよりは強い身体を持っているが、コボルト以下の知能と感覚しか持ち合わせていない。それを補うためなのか、ゴブリンはコボルトを奴隷として使役しようとする性質があり、特に食料として適さないコボルトを積極的に襲うのである。
「に、二匹……!」
「もっと耳を澄まし、鼻を使え。二匹だけではない」
コルトが突然姿を現した天敵に怯えると、更に絶望的な言葉がウルから放たれる。
その言葉の正しさを証明するように、茂みの奥から更に緑色の鬼が姿を現す。二匹から三匹に、三匹から四匹へと増えていき、ついには――
「な、七匹も……」
コルトは唖然となり、膝を突きそうになる。だが、そんなことをしている余裕はない。
戦闘能力で劣るコボルトが、数で負けては絶対に勝ち目はない。だが、幸いにも距離があるので逃げるだけなら何とかできるかもしれない。
コボルトの常識に従って逃げの一手を打つべく反転しようとしたところで、コルトの頭は同じコボルトの手で押さえられるのだった。
「おい」
「な、何!? 放してよ!」
「あれは何だ? 先ほどゴブリンとか言っていた気がするが……聞き間違いか?」
「ゴブリンだよ! 知らないの!?」
コボルトである以上、ゴブリンの脅威は誰もが知っている。今まで仲間が何匹ゴブリンに捕らえられ使い潰されてきたか――それを知っていれば、決してそんなことを言うはずがないのだ。
だが、ウルは見当違いのところで首を傾げるのだった。
「……あの頭がおかしいとしか思えん集団が、ゴブリン? 俺の知るゴブリンはもう少し力と知性、品性を持ち合わせていたぞ?」
力はともかく、ゴブリンには決して似つかわしくない知性と品性という言葉。
そんな世迷い言を口にしながら、ウルは余裕の表情で一歩前に出るのだった。
「まあ、よい。どうせ使い捨てにするつもりだったからな。異常者でもこの際構わんだろう」
ウルは堂々と前に出る。七匹ものゴブリンの群れを前にしても、一切の恐怖を感じさせることなく。
「光栄に思え。貴様らは今日から俺の奴隷だ」
瞳を邪悪に光らせ――ウルは、コボルトを奴隷とする種族に高らかに言い放ったのだった。