第38話「戦争の始まりだ」
――先遣隊のゴブリンが倒されてすぐ、猿亜人は群れのボスであるオーガの下へと走っていた。
「強き王よ」
「ア?」
「其方の配下を殺した敵の居場所、わかったぞよ」
猿亜人は群れのボスであるオーガへと報告を行う。証拠も何も無いが、敵を殺した……その事実を手にするための生け贄を捧げるために。
「ハイカ……?」
だが、肝心のオーガは惚け顔であった。
体力と腕力ばかり成長し、思考が狂気で埋め尽くされているオーガには、既に自分の配下が行方不明になっていることも、その下手人を捜すことを命じていることも残ってはいないらしい。
「……おぬしの食事が減っている元凶だ」
「アア、オデのメシ、減っタ!」
猿亜人は、オーガが唯一興味を示す食事から話を始めることで理解させることにしたようだ。
細かいことは覚えていなくとも、自分の食料が減った元凶と聞けば、この朱い鬼は狂ったように暴れることだろう。操縦法を熟知している猿亜人は、オーガにもわかるように説明をするのだった。
「――というわけだ。我々のシモベを殺している新興勢力がおる」
「ア゛ァ?」
「今までは水蛇が統治していた湖を根城としているようじゃな。水蛇の新たなシモベという可能性もあるが……どうする?」
「……オデのメシ、奪ウ、許サなイ。許さナィィィィッ!!」
オーガは咆吼をあげた。ただのでかい声でありながら、力と狂気が込められたその咆吼一つで、オーガの群れに所属する魔物達は震え上がる。
頭が悪い、凶暴……このオーガが群れの長として相応しくない理由ならばいくらでも挙げられる。しかし、その全てを無視して朱き大鬼が王として森に君臨できる理由――それこそが、絶対的な強さ。
ただ感情を荒らげるだけで、死と絶望を確信させる暴威。それを可能にする強さを見せつけ、オーガは自らの得物――森の木をそのまま抜いて枝を落とした棍棒を手に取った。
「ブッ殺シて、食ッテやル!」
「カッカッカ……了解したぞよ。では一つ、我らに刃向かう愚か者を滅ぼしに行くとするかのぉ」
「スグ、行ク!」
「……いや、それはちょっと待ってくれんか? 部隊の編成のこともあるし、領域支配者であるおぬしがこの拠点を離れる間の警備も必要じゃ」
仮にも、あの場所は今までオーガの軍勢ですら手を出せなかった水蛇が治めていた水の要塞だ。
そこに攻め込む以上、最強戦力であるオーガを出陣させないわけにはいかない。だが、その間に最も重要な拠点を他の勢力――オーガに匹敵する怪魔に襲われるわけにはいかない。
そのための準備期間がどうしても必要なのだと、猿亜人はオーガを説得するのだった。
そういった話の末、オーガ達は七つの夜の明け――七日後に攻め込むことを決定、それぞれが準備にかかるのだった。
「……丁度、あの湖も欲しかったところじゃし、一石二鳥というやつじゃのぉ。いや、最近わしを通さずに略奪を繰り返して鬱陶しくなってきた人間共への牽制にもなることを考えれば、一石三鳥か?」
猿亜人は、思わぬ利益が手に入りそうだと猿顔を歪めた。
ピラーナ湖は水源として是非とも手に入れたい場所であり、また人間の領域に近しい領域としても価値がある。
人間のハンターによって配下のゴブリンやコボルトを狩られ、自分達の財産である森の恵みを強奪されることは日常茶飯事であり、商売相手だからこそ自分を通さない略奪は防がねばならないのだ。
(また、ゴブリン共を売りはらって人間の道具が手に入るというものじゃな。あの群れにはそこそこの数がいるようじゃし、何匹かちょろまかしても誰も気にせんじゃろ)
――猿亜人は、裏切り者なのだ。
本来、群れとはお互いがお互いを守り合う関係にある。弱者は強者への服従を条件に強者の加護を得る。強者は手足となって働くシモベを得る代わりにその力で外敵と戦う。そういう契約関係にあるといってもいい。
しかし、猿亜人は、自らの欲望のためにそのシモベを裏切り、人間に売りつける商売を行っているのだ。
配下のゴブリンを人間の魔物奴隷商人に売りつけ、その対価として魔物では作り出せない高度な技術が必要となる道具を手に入れる。
奴隷商人は危険な魔物の捕獲作業を安全に行うことができ、猿亜人は森の誰もが持たない希少な武器を手にすることができる。
もちろん、魔物相手にそんな取引をする人間は人間社会でも爪弾きの密猟者であるが、そんなことは猿亜人には関係が無い。
奴隷商人は人間社会では子供の小遣いで買える程度の玩具を渡すだけで金の元が安全に手に入り、猿亜人はそんな玩具でも他の魔物に対して優越感を得ることができる。そういう関係を独自に築いているのである。
もちろん、オーガには秘密で。
(ワシの許可無く森のものを手に入れることは叶わぬ……という状況にしてやれば、もっともっとワシの力は上がるというものじゃ!!)
新興勢力を蹴散らし、湖を手に入れることで人間共に『猿亜人の許可無く森に入れば死ぬ』という絶対の恐怖を与えるべきであると猿亜人は考えているのだ。
天然の水の要塞として今までオーガ勢力の侵攻すら跳ね返してきた湖を手にし、それを自分の頭脳で操れば人間も容易く追い返すことができる。場合によってはこちらから攻め込み、強烈な一撃を与えることもできる。
領域支配者からすると森の外に出るよりも森の中に進んだ方がより大きく強力な土地を得られるのだが、それはそれとして手に入れられる物ならば手にしたいものなのだ。
(このアホは何も考えてはおらんが、な)
猿亜人は嗤う。愚かな力ばかりの鬼を。そして、そんなバカにこれから滅ぼされるあのコボルトの一団を。
(気がかりなのは、ゴブリン共と一緒にいた大蜘蛛……あの両者が手を組んだ? いや、だとしても問題は無いの)
猿亜人は、湖とは別の領域に生息していたはずの大蜘蛛までコボルトとゴブリンの一団にいたことを思い出すも、警戒するほどではないと切り捨てた。
水蛇と大蜘蛛の女王――人頭蜘蛛が手を組んだ、あるいはどちらかが吸収したという可能性もあるが、二つの群れを合わせてもオーガの群れには及ばないのだ。
少々派手な戦いにはなるかもしれないが、それだけ。むしろ二つ分の領域を纏めて手に入れるチャンスであると、老いた猿は一人嗤うのだった。
いずれ勢力を伸ばしたオーガの群れを自らの叡智の下支配し、自らこそが絶対なる支配者になることを夢見ながら……。
◆
一方、ピラーナ湖では技術革新を行うべく研究が行われていた。
「どうだ?」
「炭を混ぜると、少し堅くなるようです。それと、一度砕いた粒を水にさらすと魔光石が沈み、余計なゴミが取り除かれるせいか質が良くなるようです。ああ、後火にかける前にお湯に浸けておくのも何故か効果があるようです」
「湯程度の温度で溶け出す不要なものが混じっているんだろうな、詳しくは知らんが」
魔光石の発見より三日ほど。ウル達は魔物の体力に任せて、昼夜問わず試行錯誤を繰り返していた。
専門家もそれ用の設備も無い、子供の遊びのような実験の繰り返し。それでも何とか失敗を繰り返し、短時間で行った割には成果と呼べるものが出ているようだ。
「フム……確かに魔光鉄っぽい質感になってきたな」
「いろいろ混ぜて焼いてみましたが、現段階だとこれが最高です」
「そうだな……火力が俺の魔道任せなのは大きな課題だが、これなら実用に耐えうるか……?」
技術開発の責任者に任命されたロットは、思ったよりも優秀な研究者であった。
元々道具の魔化に適性を示していたこともあり、ものづくりに才能があったらしい。自ら課題を発見し、それをクリアするための試行錯誤を繰り返す地道さが性に合っているようだ。
「これからも質の向上は続けるとして、そろそろ武具としての成形にも取りかかりたいところだな」
「今はこの塊にするところまで来ていますが、これを改めて熱して叩く……でしたか?」
「あぁ。と言っても、純魔光鉄製の剣に加工するのは技術的に贅沢かもしれん。だが、せめて木の棍棒を金属コーティングするくらいはしたいものだな」
「ドロドロに溶かした後、棍棒に塗ってから冷やせばそれらしいものは作れるかもしれません」
「塗装が簡単に剥がれるのが課題だがな」
ウルと意見交換をしあい、発想力を磨いていくロット。
今の彼を見て、野蛮で知性の無いゴブリンなのだと思う人間はいないだろうと言えるくらいに、彼の頭脳は進化を始めていた。
「……まぁ、何事も挑戦だ。とりあえずやってみるとするか」
「はい」
ロット達の試行錯誤の末、質を高めた魔光鉄インゴット。まだまだ量は少ないが、最初にウルが作ったそれとは比較にならない硬度、粘りを持つそれを、ウルは進化した魔道で加熱、融解していく。
そして――
「……? あら?」
「原因はわかりきっている。改善法からリスタートだ」
超高温に熱された液体状の魔光鉄に近づけた瞬間、木の棍棒は燃え上がった。
一つの課題が解決したら次の課題が浮上してくる。それが研究、それがものづくりである。
どうすればいいのかうんうん悩むロットと、思うように行かずに魔力を荒らげるウル。とりあえず、どちらが研究者、そして職人に適しているかは言うまでもないようだ。
本人達は真剣だが、話としては何かの喜劇のような出来事の繰り返し。そんなことを繰り返しながらウル陣営の時は流れていくのだった。
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――そして、更に数日の時が経過した。
「――ボス!」
「……どうした?」
日中はロットと共に武具の研究開発、コルト達資材食料調達班が戻ったら彼ら相手に魔道と武術の稽古、皆が寝静まる深夜になれば警戒網の補強のため魔道罠の設置と敵陣営の情報収集、ついでに個人鍛錬。
そんなハードスケジュールをこなしているせいで気怠げな様子のウルに、アラクネが慌てた様子で声をかけた。
「領域のすぐ外にゴブリンとオークの混合部隊が迫っているって見張りの蟲から連絡! 数は推定でも100超え!」
「あー……ついに来たか」
疲労が溜まった身体を解すように肩を回し、アラクネとは対照的にのんびりとした態度を見せるウル。
そんなボスにアラクネは苛立ちと戸惑いを覚えたようだったが、ウルはあくまでも慌てること無く指示を出していく。
「前戦は大蜘蛛共に任せる。巣は組んであるな?」
「え、ええ。オーガの群れが来ると予測していた方向の巣は完成しているわ」
「なら、まずは大蜘蛛お得意の戦術で削ってもらおうか。領域と領域の狭間……お互いに領域支配者としての力が使える場所だ。向こうの方が戦力が多い以上、以前の俺がお前たちの巣に攻め込んだときのような奇襲にはまず出ないだろう。じわじわとこっちの領域を削り、自分の領域を広げるって正攻法で来るはずだ」
「……そうね。領域支配者の領域に無理に攻め込めば、敵側だけが一方的に領域支配者としての力を振るえてしまうから、真っ向から陣取り合戦で来るでしょうね」
領域支配者の力は自分の領域から出ればほとんど使えなくなる。
ならば、攻めるときはどうするのか。それは、自分の領域と相手の領域の境目――どちらにも権限がある地域の中から相手の領域を侵食し、少しずつ押し込めばいいのだ。
敵領域支配者の配下を蹴散らし、自分の配下で土地を占領する。そうなれば土地の所有権を奪い取ることができるので、正面から攻め、勝ち続ける限り領域支配者としての力を振るいながら戦えるのだ。
無論、それは自分の手勢で相手の土地を占領できるだけの戦力があること前提の作戦であり、総力戦で勝利できること前提である。つまり寡兵で何とかしなければならない……という今までのウルの立場では使えない作戦であるが、圧倒的に数で勝るオーガの群れならば確実に正面突破を試みると予想された。
「大蜘蛛の教導の最終成果は?」
「一応、事前に言われていた課題は大半がクリアできたわ」
「なら、作戦どおりに行け。流石に総力戦をやればこっちが潰されることは確実だが、まずは一発脅さなければな」
「……了解。オーガ方面以外の警戒に当たっている子も向かわせたいんだけど、構わないかしら?」
「人間勢力方面の警備兵は残せ。残りはオーガにぶつけて構わん」
「わかったわ」
アラクネは指示を受け、自身の配下へと連絡していく。
ウルもまた、他の手勢に次の指示を出していくのだった。
「さて……お前ら。ここ数日のデスマーチの成果を見せるときだ。大蜘蛛共の戦いが終わった後がお前らの仕事になる。しっかり準備して、ハッタリかませるようにしておけよ!」
「応!」
ウルが招集したのは、コルトと七体のゴブリン。大蜘蛛を除けば自由に動かせる戦力の全てを前に、命令を飛ばすのだった。
「さあ、戦争の始まりだ」