第29話「所詮は付け焼き刃だが」
「――[命の道/三の段/反響探査]」
術者の全身から放たれる、蝙蝠やイルカなども動物が放つ超音波。その反響により周囲の位置情報を知る魔道が、一人の男によって発動された。
「自信満々に『地図があるから大丈夫です』とか言っていたのは誰だったかなー?」
「……申し訳ありません」
シルツ森林に入り込んだ、魔神会の一人、アズ・テンプレスト率いる魔道士の一団。彼らは森歩きの経験も無いのに自信満々に森に侵入した末、しっかりと迷子になっていた。
間抜けとしか言いようがない顛末だが、学院育ちの研究所所属魔道士は一歩外に出ると大体こんなもんである。
全く土地鑑のない森の中で迷ったとしても、お付きの魔道士が魔道を一つ使うだけであっさり解決できるのだから、その能力の高さは疑いようも無いが。
「……んで? 目的の場所はどこにあるの?」
「はい。標的の住処と思われる、ピラーナ湖。そこと思われる大きな水辺を発見しました」
「そ。んじゃ、行こう――」
「ただ、一つ気になることが」
「ん?」
魔道による探査を行った魔道士が、アズの号令を遮った。
自分の言葉を遮られたことに、アズはほんの少し不快感を露わにする。だが、流石にそれだけで文句を言うわけにも行かないため、部下に続きを促した。
「ここから湖までの直線ルートに、少々不可解な反応が確認できました」
「どんな反応?」
「はい。非常に細い糸が無数に……恐らく、蜘蛛の糸です」
「蜘蛛の糸? それがどーしたの?」
こんな森の中だ。蜘蛛の一匹や二匹いるだろう。
アズはそう考え、疑問を口にするが、配下の魔道士はすぐさまその考えを否定した。
「普通の蜘蛛の巣ではありません。恐らく、魔物のものです」
「蜘蛛の魔物か……そんなのこの辺にいるの?」
「はい。ハンターズギルドから得た地図によれば、目的の湖の近隣に大蜘蛛の巣がある、とのことです」
「あー、ってことは、道を間違えて湖と大蜘蛛の巣との直線ルートに出ちゃったってことかな?」
アズは、目的地と現在地点の間に面倒な魔物の巣があるのだと理解した。
大蜘蛛は、個体としてはそこまで強い魔物ではない。しかし、巣の中で戦う場合危険度が跳ね上がる魔物だ。
魔物退治の専門家ではないアズにそこまで詳しい知識は無いが、生産分野にとって優秀な素材である蜘蛛糸を生成する生物であるということもあり、研究対象として大蜘蛛種の魔物を解剖したことならばある。その時は捕獲され無力化された個体であったが、研究の下調べとして『森歩きをするのならば蜘蛛の巣に触れてはならない』ということくらいは基礎知識として知っていた。
「……しかし、地図を見ると少しおかしいのです」
「え? 何が?」
「はい……探知した地形と地図を見比べますと、その……大蜘蛛の巣とは当たらないはずなのですが……」
部下の男は、地図を広げて首を傾げる。確かに道に迷いはしていたが、そこまで大きくずれたわけではない。
にもかかわらず、何故か進行方向に大蜘蛛の巣がある。事前に入手した情報と、自らの魔道で得た地理情報に差異がある。それが彼の心に引っかかっているのだ。
「んー……ま、いいっしょ」
「いい、とは?」
「大蜘蛛如きがどうしたところで――俺の敵じゃないし」
そんな部下の不安を、アズは一蹴する。自分の力に絶対の自信を持っている者のみが許される、傲慢とも言えるリーダーシップを発揮して。
「迷わず最短距離でいけばいい。障害は全部ぶっ潰して、さっさと目的を達成して帰るぞ。貴重なサンプルの入手も大事だけど、聖女サマの神器研究だって大切だからな」
「エルメス教七聖人ですか。……彼らの神器を入手できれば、我々の研究も捗るのですがね」
「全く全くそのとーりだよ。布教活動だかなんだか知らないけど、向こうからこっちの国に来てくれないとまともに見ることもできないなんてさぁ」
結局、一行は違和感を無視して前に進む。魔物の領域を進むとは思えない無警戒さで、この場においては無駄話としか言いようのないことを喋りながら。
その態度は、普段研究室にいるときとまるで変わらない。魔道研究に役立つ神の遺物――最重要研究物と指定される七つの神器に思いを馳せながら、彼らは大蜘蛛の巣があると思わしき場所へと向かうのだった。
◆
「……来るか」
「な、何が……? はぁ、はぁ……」
同時刻、湖の畔でコボルトのウルは何かを確信したように呟いた。
今までとは打って変わった修練――肉体を使った技の鍛錬をいきなり命じられ、舌を出して息も絶え絶えになっているコルトは何事かと問いかける。
「今、魔道による感知が発動した気配があった。恐らくは命の道を使った超音波感知だろう」
「……よく、わかんないんだけど?」
「今はわからんでもいい。逆探知によって、敵がこっちに迫っている……それがわかったというだけでいい」
ウルが見せたお手本を見よう見まねで模倣し、ひたすら同じステップを繰り返す。何度も休み無く繰り返した連続運動で荒れた息を整えながらも、コルトは何とか話を理解しようとする。
しかし、まだ習っていない魔道のことまではわからず、結局首を傾げるしかなかった。それでも、また戦いの気配が近づいていることだけは理解し、表情を引き締める。
「もしかして、この練習って……?」
「あぁ。アラクネからの報告で、もしかしたら対人間の戦闘が迫っているかもしれんと思ってな。以前の人間共は格闘技術にもそれなりのものを持っていたことだし、基本くらいは押さえておくべきだろう?」
「にしても、こんなので本当に強くなるの?」
コルトは自信満々に語るウルに、地面についた自分の足跡を見ながら疑問を口にする。
ウルが教えた『格闘技術』の基本。それは、技術というものを持たない素人同然であるコルトから見て、何の意味があるのかいまいち不明瞭なものだったのである。
「実戦で使えばわかる。半日もない時間で身につけられる技術など、所詮は付け焼き刃だが……知らないと知っているので大きな差が出る。それが基本というものだ」
「そんなもんなの?」
「そんなもんなのだ。熟練者と初心者の間には埋められない差があるが、初心者と素人ではやはり大きな差があるものだからな」
納得は行かないが、そこまで言うのならばとコルトは引き続き技の練習に戻る。
ウルの観測からして、迫る人間達が自分の領域に足を踏み入れるまで、およそ三時間。それだけあれば、こちらの準備は整うとほくそ笑む。
この数日、広がった領域と増えた部下を使った食料調達により、身体に力も満ちている。後は、軽い運動でいいとどこか邪悪さを感じさせる笑みを浮かべた。
……………………………………………………
――そして、その時は来た。
「来たわよ。数は五匹。全員、特に武装はしていないみたい」
「あぁ。俺からも見えた。纏う魔力の感じからして、魔道士だな。何故軽装なのかはわからんが……」
高い木の上から、アラクネと共にウルは敵の姿を観察する。
彼らの前に現れたのは、五人の人間。全員森に入るには余りにも不自然な軽装であった。恐らくは何かの組織の制服と思われる、同じ意匠の衣服を身に纏っているのだが、所々肌を露出しているのだ。
魔道の達人であるウルの目から見ると、全員が全身に微弱な魔道の守りを纏うことで森に付きものの植物の葉や枝、虫などから肌を守っていることはわかる。わかるのだが、そんなことをして力を無駄にする必要は無い。素直に肌を守る格好をすればいいのだ。
そこに何かチグハグなものを感じつつも、ウルは構わず指令を出す。装備が不十分なことが何らかの罠である可能性もあるが、これと言って思いつく危険は無いのに過剰に警戒してどうすると。
何よりも――
(それを言ったら、俺自身の問題を直視せねばならんしな……)
仕方の無いことなのだが、今のウルは復活したときに殺した人間の残骸――ボロボロになった衣服を申し訳程度に身につけているだけだ。
衣服を作る技術など無い以上、今は仕方が無い。仕方が無いのだが、仮にも王を名乗る者としてあまり直視したくない現実なのである。全裸よりはマシだが……と自分を誤魔化している真っ最中なのだ。
早急にそういった技術を持つ職人を育てねばなと、誰にも言わない決意をしながら、ウルは隣のアラクネに小声で指示を出した。
「まずは、お前達の力を見せてもらおう」
「ええ。わかっているわ。私たちの巣に無策で挑むなんて……後悔させてあげないとね」
第一部隊は、この辺り一帯を支配する大蜘蛛の軍勢。
ウルの領域の領域支配者権限は当然ウルにあるが、アラクネもまた領域支配者の器を持つ魔物。支配権第一位のウルの許可があれば、二番手として領域支配者同様に力を振るうことが可能であり、それはそのまま配下の大蜘蛛に波及する。
巣の中では最強と自負する魔物の牙が、人間達に襲いかかった。
「……あ、来たな」
「お下がりください、テンプレスト師。ここは我々が」
「そうだね。雑務は任せるよ」
頭上から奇襲を仕掛けた大蜘蛛達。この攻撃を回避すれば巣の餌食、避けなければそのまま全身を食い荒らされる。必殺の陣形である。
しかし、魔道により感知していた人間達は余裕の態度を崩さない。それどころか、ウルの目から見て恐らく一番強いと思われる力を纏った男が後方に下がってしまった。
「大蜘蛛には、炎でしたね――[地の道/三の段/火炎竜巻]」
「[地の道/三の段/炎の雨]」
「[地の道/三の段/炎柱]」
「皆さん、そんなに派手に炎出したら森が無くなってしまいますよ――[地の道/三の段/水壁]」
三人の魔導士から、それぞれ炎の魔道が放たれる。
炎の竜巻、天から降り注ぐ無数の炎弾、地より噴き出る炎の柱。そして、残る一人によりその炎の拡散を防ぐ水の壁。
そのすべてが、三の段。大蜘蛛たちのボスであるアラクネを倒した魔道と同レベルの術だ。
「なっ――そんな、馬鹿な!」
三人の魔導士の魔道により、大蜘蛛の奇襲は失敗した。巣こそ耐火加工をアラクネが施していたおかげで壊滅は避けられたが、大蜘蛛は全滅だ。一匹残らず、悲鳴を上げる余裕すらなく灰にされてしまった。
それを見たアラクネは、ありえないと絶句する。隠れていることに気がつかれないよう声を抑える理性こそ残ったが、その驚きははっきりと態度に表れている。
「ほう、初心者は脱している、というところか」
「……何をそんなに呑気な。明らかに主力ではない、あの配下としか思えない人間たちが、全員あなたの全力と同レベルの魔道を使ったのよ? そんなに余裕ってことは、何か秘策でもあるっていうの?」
しかし、ウルはさほど驚いた様子を見せなかった。上位の魔物である自分にも通用する術を雑兵が使ったことに、アラクネは驚愕以上に危機感を抱いている。にもかかわらず余裕を見せるウルが理解できないのである。
「……別に余裕があるわけではない。だが、まぁこの程度のことはしてくるだろうな、と思っただけだ。態度のでかさからすればむしろしょぼいくらいだな」
「敵の強さは想定内……ってこと?」
「まぁな」
ウルからすれば、三の段とは決して上位の術ではない。むしろ、最下級の魔物であるコボルトですら多少の工夫をすれば発動できる低位の術だと認識している。
それが今の自分の限界であることに腹立たしさを感じなくもないが、敵が使っても驚くほどのことではないのは間違いない。
しかし――
(……対処できるのか、と言われると、絶対とは言えんがな)
最後の本心を、アラクネには聞こえないよう心の中でつぶやく。
はっきりといえば、今のウルの手駒だけで確実に勝てるとは言えなかった。むしろ、敵の全力が三の段であると判断するにはあまりにも楽観的であり、一の段が精一杯の手駒で魔道合戦をすれば絶対に負けるだろうと判断せざるを得ない有様なのだ。
「……やはり、正解だったな。即席とはいえ体術を仕込んだのは」
ウルは自分の手駒――コルトたちに、短時間ながら体術を伝授した。魔道をぶつけ合っても絶対に勝てないのならば、方法は一つ。魔道を使わせない以外に道はない。
敵が魔道の使い手であり、今のコルトたちを遥かに超える使い手であることを察知してから行った付け焼刃もいいところの鍛錬であったが、それでも勝算ゼロから数パーセントくらいは出てきただろうとウルは思うのだった。
「……今の蜘蛛どもの犠牲のおかげで、敵のスタンスは読めた。敵の大将と思われるあの人間は俺がやる。残る四人はアラクネ、お前が雑魚共の指揮をとって始末しろ。最悪でも引き離して足止めしておけ」
「……難しい注文をしてくれるわね。一人は私が相手を、もう一人は私のシモベの大毒蜘蛛たちが引き受けましょう。それ以下の大蜘蛛じゃ相手にもならないのは証明されたしね。……でも、残り二人を雑兵で何とかできるかは賭けよ? 私の精鋭兵はあなたたちが食い殺しちゃったんだから」
「何、小僧達も含めた全員でやれば二人くらい何とでもなる。そのくらいの力はあるだろうよ。……では、任せるぞ」
魔王ウルの率いる軍勢と、人間世界の魔導士集団。どちらも小規模な戦力ながら、ここに初めて人と魔の勢力がぶつかり合う。
ハンターのチームという、小規模の集団ではない。人数こそ変わらないものの、人間世界における巨大組織の幹部クラス……その力を、ウルは初めて目にすることになる。
そして、力を蓄えつつある魔王の力を、人間達もまた思い出すことになるのだ――。