第28話「今は力を蓄える方が先だ」
「ふぁーあ」
青空の下、申し訳程度に舗装された街道を進む馬車の上で、一人の男が能天気なアクビをした。
「テンプレスト師。お疲れでしょうか?」
「ううん……ま、慣れない旅で疲れているっちゃあそうだけど、単純に飽きただけだよ。何か面白いこと無いのかねー」
ル=コア王国で普及している、普通よりやや高級な馬車が街道を進む。
その馬車に乗っているのは五人の男。集団のリーダーは、ル=コア王国が誇る十名の最強魔道士――魔神会の一人、アズ・テンプレスト。そのほか四名は、アズが責任者である研究室に所属する魔道士である。
全員が王立研究所の制服――ちなみに、半袖であるなど肌の露出がある夏服タイプ――を纏っているのがその証だ。
彼らは今、ル=コア王国領の外れに位置する辺境、シルツ森林へ向かって移動していた。
シルツ森林は魔物の生息地域であり、魔物を狩ることを生業とするハンターからすれば宝の山だが、それ以外の人間にとってはただの危険地帯だ。
魔物と遭遇しなくとも自然の森は危険に満ちており、普通の人間なら好き好んでいくべき場所ではない。
それでもアズが向かっているのは、最近発見されたという特殊な魔物を捕縛するためである。
「あー、暇だ」
「気持ちはわかりますけどねぇ」
アズを始めとして、馬車の中は変化のない旅路にだらけた空気が漂っていた。お付きの魔道士は、それでも立場があるので態度には表さないように注意する最低限の意思があったが、アズはだらしなく寝転ぶ有様だ。
こんな有様ではあるが、彼らは皆優秀な魔道士だ。魔神会の会員であるアズはもちろんのこと、お付きの魔道士とて皆三の段を扱うことが出来る極めて優秀な人材である。
戦闘を専門とする戦士ではなく、研究を本職とする学者タイプではあるが、この五人だけで一般兵が百人がかりで襲ってきても返り討ちにできる戦力と言えるだろう。
「……本当なら、旅の専門家としてハンター……サポーターでも雇えればよかったんですがね」
「そりゃ仕方が無い。今回は、ハンターズギルドに気がつかれないようにしなきゃいけないからな」
「研究の為ですから、仕方が無いんですけどね」
しかし、魔道士としての優秀さと旅慣れていることはまた別だ。
彼らは魔道士としての資質を見いだされ、魔道士学校に入学。そこで優秀な成績を修めてそのまま魔道研究所の職員へ――というお決まりのコースを歩んできたものばかりであり、はっきり言って旅の素人なのである。
本当ならば、旅や荒事に慣れているハンターなどを護衛として雇うべきなのだが、目的が目的なのでそれもできない。
結果として、いかにも金目のものを持っていそうな馬車に乗りながらも警戒が薄い旅人――という状況ができあがったのだ。
故に、緩い。魔物の生息地域以外――つまり人間の領域とはいえ、魔物がいないわけではない。魔物ではなくとも、危険な猛獣、果ては人間の盗賊といった外敵は常に存在している。
その中で、このように気を抜く。屈強な護衛団がいるわけでもないのにこの様では、確実に死ぬことになるだろう。下手人が誰なのかはその時の運次第だが、誰が見てもカモである。
例えばそう、この馬車の周囲をこそこそ囲っている、汚らしい男達などからすれば。
「……放て!」
不審な男達の中で、一番屈強な男が叫んだ。周囲に配置した配下へ向けた、矢を発射する号令だ。
「ヘヘヘ。これで馬を潰しゃあ、後は金目のものをってね」
汚らしい男達の正体は、この辺り一帯を根城にしている盗賊だ。
ル=コア王国は、統治が上手くいっていない。五大国と呼ばれるほどの国土と歴史を誇る国ではあるが、それらは全て先人の努力によるものだ。
今を生きる貴族達は、時の流れと共に腐敗。道徳を忘れ、尊き誇りを捨て去り、教えを無視し、やりたい放題やっている者が多数いる有様だ。
全てがそうであるとは言わないものの、周辺諸国からは落ち目と見なされ、五大国の中で総合的な国力は最低と称されている状態なのである。
彼らは、そんな国の腐敗により生まれた者たち。食うに困った農民達が、盗賊稼業に手を染める――これもまた、お決まりのコースと言えるだろう。
「あー。めんどくせぇ」
盗賊団は、獲物をぐるりと囲んで一斉に弓矢で攻撃している。この武具は全て自分達で作成したお手製であり、お世辞にも威力、命中精度に優れているとは言いがたい。
それでも、数は力だ。近隣の村のはみ出しものが総勢50名も集まったこの盗賊団。それだけの数が一斉に矢を放てばどれかは当たるものである。こうしてまず機動力を奪い、後は略奪を行うのが彼らのやり口なのだ。
そんな飽和攻撃を、全く警戒していなかったはずの魔道士アズは察知し、全くやる気の無い態度で迎えた。危機感というものがない、心の底から鬱陶しいと思っている態度で。
「そら」
「なっ! 矢が!?」
アズがだるそうに人差し指を立てると、50本の矢が全て空中で停止してしまった。
その矢は全て、その場で反転。放った盗賊達のもとへと勢いよく発射されるのだった。
「ギャッ!?」
「な、何で!」
「痛てぇ!!」
自分で放った矢に貫かれた盗賊団は、当然パニック状態に陥った。運良く反撃を回避できた者たちもそれは変わらない。
「ま、まさか……魔道士か!?」
そんな中で、一人の盗賊がハッとして叫んだ。
空中で、突然矢が反転する。そんなことが出来るのは、自分達には理解できない不可思議な力を操る怪物、魔道士だと。
一見無警戒に思えた馬車も同じこと。警戒心こそないものの、人間の目よりも優れた監視網――魔道の目で、しっかりと警戒はしていたのである。
「ぴんぽーん。ってなわけで、はい正解のご褒美をってことで……ほい」
「グ……ガ……」
アズが更に腕を振るうと、盗賊団は一人残らず自分の首を押さえて倒れ込み、悶え苦しんだ。
アズ・テンプレストは魔神会の会員であり、当然多種多様な魔道を習得している。その中でも、特に得意とするのは無の道。その力を以ってすれば、50名全員の首を絞めるくらいは容易い。
「刺激が欲しいとは言ったけど、別にこんなイベントを望んだわけじゃねぇんだけどなぁ」
バキ、ベキ、ボキ……と、骨が砕ける音と共に盗賊団はその動きを永遠に止めた。
アズ達は、そんな盗賊の死に何も思うことは無い。相手は自分達の命を奪おうとした凶賊であり、そんな罪人は殺されて当然。それがこの世界の常識なのだ。
その死体は、いずれ他の猛獣や魔物に食われることだろう。そう思い、死体の処理をすることもなく、何事も無かったかのように馬車は街道を進んでいった。
「そんなカモに見えるのかねぇ……。この俺がいる以上、勝てるわけ無いだろうに」
ヘラヘラと笑いながらも、アズ達はさほど警戒を強めることも無く進んでいく。
何故ならば、絶対的な強者、魔道士である自分達にとって、警戒など必要ないからである……。
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「シルツ森林? って、ここでいいの?」
「はい。正確には進入口ではありませんが、今回は非公式ですからね。ここから進入するのがベストかと」
数日後、何度か盗賊を返り討ちにしながらアズ達はシルツ森林の前に到着した。
アズ達は、魔物の生息地域に入り狩りをする許可――すなわちハンターとしての資格を持っているわけではない。その社会的地位を以ってすれば特別許可を得ることは容易いが、今回は極秘に事を運びたいという事情があったため、密猟者も同然の仕事だ。
故に、ハンター達が確保、管理を行っている『安全な入り口』から入ることは出来ない。入ったその場から何があっても文句は言えない、正真正銘魔物の領域に入り込むのだ。
「んま、地図はあるしいけるっしょ」
「ええ。ここから入っても、真っ直ぐ進めば本筋に出るはずです。ただ……」
「ん? 何?」
「シルツ森林には、三大魔と呼ばれる規格外の魔物がいるとか。それを刺激するのは避けた方がいいでしょうね」
「ふーん……どんな奴でも、俺に勝てるとは思わないけどね。でもまあ、無駄な労働は避けたいか」
「はい。その辺りのことも含めて、シルツ森林の勢力図は入手していますので、案内はお任せください」
ハンターを帯同させてこそいないが、ハンターが作成したシルツ森林の地図は入手していた。
これがあれば迷うことは無い――とはいかないだろう。地図があれば道に迷わないならば、この世に方向音痴は存在しない。
しかも、相手は方向感覚を狂わせる深い森だ。森歩きなどまともに経験が無い魔道士一同では、確実に遭難する。魔物との戦いまで含めれば、それは確定された未来と言えるだろう。
だが、アズ達はそんなことを考えない。何故ならば、彼らはエリートだからだ。人生に挫折の経験が無く、自分が失敗するというイメージが無い。
自信過剰。それが、ル=コア魔道士の特徴なのである。それで大概のことは何とか出来る汎用性と能力があるのは先日の盗賊襲撃事件からも解るとおりであり、その気質が改善されることは中々無い……。
◆
「……人間が森の中をうろついている?」
「ええ。数は五人。配下の大蜘蛛が発見したそうよ。命令通り、手は出してないけど」
「そうか。どんな様子だ?」
森の中、人間の領域に最も近い領域支配者、ウルは新しく配下に加わったアラクネより報告を受けていた。
アラクネ達が使う、糸を使った情報ネットワーク。それを活かし、領域内に警戒網を敷いているのである。
「武装はよくわからないわね。全員変な服を着ている……としか」
「大蜘蛛にそこまで詳しい情報を期待するのは間違いか。まぁ、人間の接近を察知できるだけでも十分だ」
「そう言われると、まるで私の能力が不足しているって言われている気分なんだけど?」
「事実だろう?」
「……大蜘蛛の知性には、限界があるのは事実ね。でも、情報はそれだけじゃないわよ」
「ほう?」
アラクネは、自分の能力が疑われたことに不機嫌そうなオーラを出し、追加の報告を口にする。
「少なくとも、真っ直ぐこちらに向かってきているわけじゃないわね。かといって、他の場所を目指しているわけでもない……。フラフラ適当に歩いているって感じみたい」
「フム……俺達を狙っての討伐隊ではないと考えるべきか?」
ウルは、判明した情報から仮説を立てるべく頭を捻る。
最初に考えられるのは、目的の無い狩りである場合。初めから目指す場所など無く、目に付いたものを狩りに来た――と考えるのが一番自然だろう。
次に、目的地はあるがたどり着けない――つまり迷っているケース。森に慣れない者ならば道に迷うこともあるだろうとウルは考えるが、そうである場合、以前攻めてきた人間達の第二波ではないと考えるべきだ。
「少なくとも、以前攻めてきた人間共ならばこの場所は知っているはずだ。森にも慣れた様子であったし、あの連中であるならば迷うということは無いだろう。それに、数も少なすぎる」
「確か、あなたたちが戦った人間って、四人組だったと言っていたかしら?」
「あぁ。そこから一人増えただけ……とは考え難い。そんな戦力の出し惜しみをするほど無能とは思えなかった」
「その追加の一人だけで十分と判断している場合は?」
「……あり得ないとは言えないが、どのみち、人間共が狙うのは俺たちの殲滅だろう。障害物の多い森の中での戦闘となれば個として優れた能力を持つ者を招集するのは間違った判断ではないが、それはそれとして残党狩りのために数を用意するはずだ」
「そう。それで、どうするの?」
「……先手を打つ必要は無いな」
ウルはアラクネといくらかの情報を共有し合い、人間達の目的を推測する。
結論から言えば、人間達の目的が自分達でないのならば放置していい。余計な争いを招く必要は無い。
現状では明確な敵ではない以上、放置と決まった。
「今は力を蓄える方が先だ。攻めてくるにしても、今は一秒でも時間が欲しいところだし、そもそもこちらが有利な場所でやった方がいいに決まっている」
「そう」
「ウルー。狩ってきたよー」
アラクネとの会話が一段落したところで、コルトの声が森に響き渡った。
声の方に目をやると、そこには大きな猪を運ぶコルト達の姿があった。コボルト本来の性能から言えば、あり得ない大成果だ。
「ご苦労。少しは狩りにも慣れてきたな」
「ふぅ。重かった」
「魔道と筋力鍛錬にもなって一石二鳥だろう」
コルトは自分の成長をアピールするかのように、仕留めた獲物を見せびらかす。
更に時間をおくと、今度はゴブリン達がそれぞれ獲物を仕留めて戻ってくる。皆、ウルの命令で狩りに出ていたのだ。
「……改めてみると、凄いわね。今更だけど、普通のゴブリンやコボルトとは比較にならない性能だわ」
「俺が指導したんだから当然だ。……さて、では食事にするとしようか。いい加減、魚だけでは栄養が偏るからな」
ウルが配下を狩りに出したのは、何のひねりも無く食料調達のためである。
魔物である大蜘蛛を倒せるほどの実力を身につけた今のコルト達であれば、魔獣でもない普通の動物ならば問題なく狩ることができる。現状、狩り場としているのはウルの領域の中だけであり、安全性もある程度確保した実戦訓練と言ったところか。
「技術指導料だ。各自、獲物を解体して一部俺に献上しろ」
「わかってるよ」
ウルは自分では狩りに出ずに、配下が集めた食料を自分に渡すように命じている。
ようやく王らしい生活の第一歩を踏み出したというところだろう。
「……このまま食らい続ければ、そろそろ第一くらいは行けるだろうな」
森に入り込んだ、謎の人間集団。その目的を頭の片隅で考えながらも、ウルは胃袋を満たしていく。
こっそりと真夜中に行っている肉体のトレーニングも順調。エネルギーの確保も順調となれば、もうじきこの世界に二度目の生を受け、初めての力を得ることになるだろうと確信しながら……。




