第27話「むしろ推奨してやろうでは無いか」
「……ってことで、あの肥満豚が見落とした案件がこれなんだけどね」
「魔道を操る魔物の集団、ねぇ。面白いけど、これ持ってきていい話なの?」
「場合によっては、国家の危機だ。早急に対策会議を開くべきだと思うが?」
――ル=コア王国の首都に存在する、一際大きな存在感を放つ建造物『国立魔道研究所』。
その中の一室に、九名の人間が集まっていた。
「だってさー。これ、国が普通に認識したら……討伐、ってことになるよ?」
「それでいいではないか」
「いやいやいやいや。いーやいや。ないでしょ、僕たちにそんな常識的な結論は」
「……研究に役立つと?」
手に数枚の書類を持っている、軽薄そうな男が何かを力説している。
他の者は、仕事半分好奇心半分といった様子でその話を聞いていた。
「だってさ、低脳な魔物が魔道を習得できてるってんだよ? 何か、新しい発見のヒントになりそうじゃね?」
「……話を聞く限り、確認されたのは一の段……多少盛っても二の段だ。より高位段の魔道研究には役立ちそうに無いが?」
「まぁそうだけど、もしかしたら凡人を魔道士に変えることができるかも知れないんだぜ? 凄くね?」
「くだらん。興味が無いのだ」
そこまで話が進んだところで、半数以上が退席した。
ここは、ル=コア王国の中でも特に優秀な魔道士が集まり、日夜魔道の発展と解明に励む研究機関。その中の最高幹部に名を連ねる、すなわち王国最高の魔道士十人『魔神会』専用の会議室だ。
神話の中に登場する、特に魔道の扱いに長けたという魔神の名にあやかった魔神会の面々は、それぞれが王国所属の魔道士として極めて優れると自他共に認める力量を有している。
本日は一人欠席しているが、この場にいる九人とその配下だけでも王国の軍事力の半分を担っていると言っても過言ではないと信じているほどに。
だが、その所属員の大半は、自らの力を高めることにしか興味が無く、下のことには興味が無いのだった。
「ちぇ。上手くいけば面白いのにさ」
「仕方が無いわよ。皆、神器の研究に忙しいから」
「エルメスの七聖人……あの聖女様が滞在している期間しか、あれはこの国には無い。もっと本格的に研究したいところを、聖女様のお相手という雑務の傍らこっそりやるしかない現状だからな。皆、ストレスが溜まっているのだろう」
自分の提案が軽くスルーされたことに、軽薄そうな男は口を尖らせる。
しかし、残った数人がフォローを入れると、少し機嫌を直したようだった。
「んー……じゃあさ、いっそ、これ全部俺が貰っていい?」
「いい、と言われても……報告しないつもり?」
「だってさー。これ元々報告された案件だぜ? あの豚が独断で却下したけど」
「だとしても、無視していい話じゃないだろう……」
魔道にそれなりに精通した人間ならば、この案件の危険性は誰でもわかる。それが魔神会ともなれば、当然の話だ。
しかし、軽薄そうな男はさも当然のように、この話を握りつぶすことにすると断言するのだった。
「無視なんてしないさ。ただ、そのコボルトとゴブリン生け捕りにして、俺の研究材料にするだけだからさ」
件の魔物と遭遇したギルドは、討伐のために戦力を要請した。
しかし、この男は自分の手駒だけで全てをこなすと事も無げに決定する。その決断からは、傲慢とも言える自信が溢れ出ているのだった。
「……ま、いいでしょう」
「いいの?」
「精々が一の段。高くて二の段のエセ魔道士に私たちがどうこうなるわけもないでしょう? では、アナタ――アズ・テンプレストの出張ということにしておきましょう」
「サンキュー議長!」
「お礼はいらないわ。一人減ればその分神器の研究時間が増えるってだけだから」
軽口を叩きながらも、アズ・テンプレストの出陣に許可が出た。人間勢力から新たに一人、シルツ森林への攻撃が決定したのだ。
魔道士アズと、その配下たる魔術師……その進撃が。
「魔道の伝説に謳われる六の段。そこには及ばないまでも、四の段を操る私たち魔神会が、負けることなどありえません。わかっていますね?」
「もち。わかっていますって」
自らの絶対的な自信の根源である魔道。人類が確認する中で、最高段位である六の段を目指す魔神会にとって、敗北など想定すらしていない。
世界最高の力である魔道。その中で最強の担い手は自分達であると、強く確信しているのだから――。
◆
「下っ端の大蜘蛛共が働いているところで、新しい生徒であるアラクネ君だ。皆、拍手で迎えてやるように」
「何言ってんの?」
大蜘蛛と魔王ウルの戦いから一夜明け、アラクネはウルの隣に立たされていた。
既に、ウルとの戦いでむしり取られた腕と脚は再生している。これはウルの治癒魔道の効果もあるが、それ以上にアラクネの生命力と再生力の賜だ。進化種より更に一段階進化した怪物の潜在能力は伊達ではない。
「昨日より、アラクネとその一党は俺の配下となった。であるならば、最低限魔道くらいは使えるようになって貰わねばな」
「えっと、つまり、アラクネにも魔道を教えるってこと?」
「そういうことだ。昨日の戦いでもはっきりとわかったが、アラクネ……お前は魔道に対する対処が全く出来ていない。おかげでせっかくの糸がほとんど機能しなかっただろう?」
ウルは、アラクネにも魔道を習得させるつもりだった。知性に関しては初めから高いものを持っているので効果は無いが、やはり使えるのと使えないのでは戦力として大きな違いがでる。やらない手は無い。
「……その魔道とは、一体何なのかしら?」
「ん? あぁ。まずそこからなのか……」
ウルの常識としては、知性がウリの人型タイプ――アラクネは半人半虫だが――が魔道も知らない、ということは通常無い。しかし、魔物の文化レベルが著しく低下している現代においては、知らない方が当たり前なのだ。
この時代はつくづく自分の常識と異なっている、とウルは首を振り、ゴブリン達にも行った魔道の基礎から説明を始めるのだった。
「――と、いうのが魔道の概要だ。具体的にどのようなものなのかに関しては、まぁ説明されなくとも身体で理解しているだろう?」
「……ええ。よくわかったわ。あの不思議な攻撃の正体がそれだったのね。……それで? それを、この私にも教えてくれるっていうの?」
「あぁ。それどころか、会得した魔道を配下に伝授することも許可する。と言うよりも、余裕が出来たらやっておけ。配下との繋がりを利用すればできなくはないだろう?」
「……原理の説明を聞く限り、私のシモベ達にもできるでしょうね。もちろん、私の能力による伝達ありきだけど。……でもいいの? そんな力を持ったら、反逆するかもしれないわよ?」
あまりにも自分に都合のいい話に、アラクネは鎌かけ半分本気半分でウルに問いかけた。
だが、そんなアラクネの言葉に、ウルは実に愉快そうに笑うのだった。
「本当にそう思っているのならば、そんなことは言わない――などと、そんな陳腐なことは言わん。事実として、貴様はそれができると思えばすぐにでも俺の首を取りに来るだろうな」
「……それがわかっているのに?」
「元より、王とは常に首を狙われる立場だ。俺はそれを咎めることは無い――否、むしろ推奨してやろうではないか」
自分を裏切り、命を狙うことを推奨する。普通に考えれば、決してあり得ない発言だ。
その言葉の真意を探ろうと、アラクネは警戒しながら言葉を選ぶ。もし何かを間違えれば、今度こそ殺されるかも知れない恐怖を感じながら。
「何を、考えているの?」
「簡単なことだ。……王は恐怖と利権で他者を支配する。されど、その支配は絶対ではない」
「裏切りが前提……ということかしら?」
「当然だ。逆に聞くが、凡俗は王に出会ってすぐに頭を垂れ、そのまま忠誠を誓うのか? そんなわけがあるまい」
ウルは饒舌に語る。自らが信じる、王と臣下の関係を。
「個と個の関わりが、プラスの感情だけで構築されることなど決して無い。本物の信頼とは、お互いの意思と力をぶつけ合った先に産まれるものだ。まして、それが忠義となればなおさらな」
「要するに、私が反逆を起こしても、また屈服させる自信がある――ということかしら?」
「そういうことだ。忠義というものは、決して安くはない。あらゆる手を尽くし、それでもなお決して覆ることの無い絶対的な差。それが力であるのか心であるのか、はたまた思想であるのかは人それぞれだが……いずれにせよ、王とそれ以外。その差を理解して初めて生まれるのだ。ほんの一回敗北しただけで誓われた忠誠なんぞ、砂粒一つよりも軽い」
忠誠を尽くす。言葉で言うのは簡単だ。
だが、それを実行するのは難しい。あらゆる歴史の中で裏切りが行われているように、何者であれ一人の王を信じ続けることは難しい。中には王自身が狂い、討ち取ることで国を守った――などというケースもあるのだから。
それを知るからこそ、ウルは自らに牙を向けようとする意思を咎めない。何度でも確かめればいい。自分こそが、魔王ウルこそがこの世で唯一絶対の存在であると、その魂で理解するまで……と。
「お前達も例外ではない。もしこの先、この俺よりも自らの方が優れている……そんな自覚を持ったならば、いつでもこの首を取りに来い。取れれば、その瞬間からそいつが新たな王だ」
ウルはアラクネだけではなく、ゴブリン達に向かっても宣言する。
俺を殺してみろ。出来るものならばと。
ゴブリン達の中に、ほんの僅かに芽生えていた自尊心――自らの力に対する自信。圧倒的格上であった八刃蜘蛛にも打ち勝ったという自負より来る何かを刺激するように。
「……わかったわ。そこまで言われちゃ、大人しく力を付けることにするとしましょう」
「あぁ。期待しているぞ? 俺に追いつこうとすればするほど、得をするのは俺だからな。ああそれと、推奨するのは正面から堂々と限定だ。不意打ちくらいなら正々堂々の範疇だが、敵との内通などは許さんぞ? ……まぁ、今は忙しいのでどちらも却下だが」
元々、ウルの気迫と残虐さにより、一度心を完全にへし折られているアラクネだ。ここまでの自信を見せられて、すぐに反抗することなど出来はしない。
それでも、ウルの演説は心に響くものがあった。負け犬のままで俯いているのではなく、再び王を目指して立ち上がろうとする意思を奮い立たせるものが。
そのくらいの意思がなければ、自分の手駒としては不十分。そう考える、ウルの思惑通りに。
「……ところで、魔道についてもう少し詳しく教えてもらってもいいかしら?」
「うん? 何だ?」
「魔道には四系統あり、それを使うには経絡というものの活性化が必要。そして、その威力は段位によって分かれる――ここまではいいわよね?」
「その通りだ。教科書通りの回答だな」
教科書無いけど、とウルは小さく呟いた。
「その段位のことなんだけど……私がやられたのは何段なのかしら?」
「そんなことか。まず、お前との戦いで使用したもののほとんどが二の段だ。ちなみに、こいつらが使えるのは一の段までだな。実質勝負を決めた蜘蛛糸を作成する魔道だけが三の段だ」
アラクネの疑問は、魔道という新たな力の性能についてだった。
ウルはその疑問によどみなく答えていくが、内心では不満も残る回答だ。
魔道は、段位が一つ上がるたびに威力が跳ね上がる。その分必要な魔力量も跳ね上がるので、現在のウルでは他から魔力を取り込む領域支配者としての能力や、捕食による一時的なドーピングありでようやく三の段だ。
過去に常用していた魔道のことを思えば、パワー不足というのも恥ずかしくなる体たらく。嘘をつくことはないにせよ、個人的にあまり言いたくないことなのである。
だから、続くアラクネの言葉に少しだけ語気が強くなってしまうのだった。
「三の段……それじゃあ、魔道の上限は三の段なのかしら?」
「んなわけあるか。もっと上がある」
ウルは、魔道という技術形態にそれなり以上の誇りを持っており、そのつもりが無くとも侮るような発言には機嫌を損ねた。
悪意は無いと解っているので、ほんの僅かに感情が漏れ出した程度で抑え込むが。
「そうなの? それじゃあ、魔道って、どこまであるのかしら?」
「あぁ……そうだな。これは、あくまでも俺が知り得る時点での話だ。かなり時間も経っているだろうし、どこまで技術が進歩しているかわからんという前提で聞いてくれ」
ウルが知る魔道は、遙か古代に誕生した技術だ。故に、現代の魔道がどこまで進歩しているかはわからない。
そういった前提を述べた上で、ウルは魔道の極限について語るのだった。
「俺が知る魔道の最高段位は十の段までだ。今の時代に至る時間を考えると、最低でも十五の段くらいまでは進歩しているかもな」
「……なに、それ。私がやられたものよりも、遙かに強力な術がゴロゴロあるっていうの?」
アラクネは、蜘蛛の下半身を恐怖に震わせる。
自分の知らない世界の広さ。その力の強大さを想像して。
「というわけで、目指す道は遠い。まずアラクネには経絡の活性化を行ってもらう。こいつらと違って頑丈だし、二、三時間も慣せばいけるだろう。他の連中は、二の段を習得が当面の目標とする。それと並行して、地力を付けるためにも狩りに力を入れるとしよう」
最低限の足場が固まった以上、自陣の強化に本腰を入れる。
これ以上の敵を相手にするのに、コボルト基本種のままで大丈夫だと思うほどウルは楽観的ではない。次のステージに向かうための、食糧確保を優先目標とするのだった。