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第25話「俺の都合は全てに優先する」

(――強い!)


 蜘蛛の女王、アラクネは襲いかかってくる侵入者の大将を前に劣勢を強いられていた。


 大蜘蛛と呼ばれる魔物の特性は、強靱でしなやかな糸を使った待ち伏せにある。

 自分の巣の中で戦う場合、その戦法はシンプルでありながら凶悪なもの――相手を糸で封じ、その間に獲物を狩る。ただそれだけで必勝戦法となるのだ。


 その反面、糸が無い場所での戦いでは大きくその脅威を落とす。大蜘蛛は大きさの割に体重が軽く、身軽な動きをするものの、決して力強いわけでもなければ戦闘向きな身体をしているわけでもない。

 基本的に、身動きの取れない相手を素早く殺す、という戦術に特化した攻撃手段を磨いているために、動き回る相手に当てる能力に欠けるのである。

 基礎能力が低すぎるコボルトやゴブリン程度が相手ならば、基礎能力だけでも圧倒できるだろう。しかし、ある程度身体能力が拮抗する相手と真っ向勝負をするには、不向きなのだ。


「――毒糸」

「毒液を滴らせた糸か? 手札の切り方がなっていない。単調な繰り返しだ」


 だからこそ、巣の無い場所での戦いでは、まず巣の形成から始まる。

 大蜘蛛の女王、アラクネであってもその基本は変わらない。自らの巣を大量の水で洗い流されたため、強制的に地の利を奪われている現状、まず糸を使った攻撃に見せかけた巣の形成を行っているのだ。


「罠を張るなら、もう少し上手くやったらどうだ? 目をつぶっていてもわかるぞ」


 しかし、アラクネに牙を剥く侵略者――コボルトのウルには通用しない。

 本来、無数の糸を束ねた巣であるならばともかく、一本一本の糸は目視することすら不可能な細さである。すなわち、不可視の攻撃であり、回避したとしてもそれはそのまま巣として敵を絡め取る罠になるのだ。


「いや、見るまでも無いというべきか。キサマの糸、プンプン匂ってくる」


 だが、視覚ではなく嗅覚を武器にするコボルトには効果半減だ。ウルは本来コボルトではないが、本来の身体もまた獣の類い。嗅覚を武器とするのは本来のスタイルなのである。


「この――」

「そして、種が割れた罠など何の価値も無い。全て丁寧に駆除してやろう」


 見えない糸、その最大の特性を無視できる以上、後はミスしないように慎重に潰すだけでいい。

 本来大蜘蛛の糸は簡単に駆除できるものではない。頑丈であり、粘着性の強い糸は剣を以ってしても簡単には排除できないのだ。

 しかし、手を触れること無く物を動かせる魔道の使い手からすれば何の問題も無いのだった。


「そら。自分の糸で縛られていろ」

「――舐めるでない!」


 無の道で、アラクネの出した糸を操作。逆に、アラクネの身体を絡め取ろうとする。

 対するアラクネは、自分の糸から逃れるので精一杯だった。


「自分の領域の中ですら、この程度か?」

「クッ――言ってくれるな!」


 アラクネが一方的に追い込まれているのは、二つの理由があった。

 一つ目は、単純な相性の差。能力的には完全にアラクネが上回っているのだが、確実な必勝戦法に頼り切りであったため、応用が利かない。何をするにもまずは糸であるアラクネにとって、糸を封殺するウルは非常に相性が悪い相手なのだ。

 もう一つは、環境の問題だ。本来自分の絶対有利であるはずの、巣の中での防衛戦。地の利を湖を落とすという規格外の奇策によって覆されたことだ。


 これは、糸が洗い流されたというだけの話ではない。

 領域支配者(ルーラー)は自らの支配地より力を取り出すことができる魔物だが、湖はウルの支配領域。自分のフィールドを強引に土地に叩きつけることにより、支配権が混在している状態となっているのだ。

 それだけでこの土地の支配権を得たわけではないが、アラクネも思うように力を取り出すことができなくなっている。通常時を10とするならば、今の土地からの供給は精々が6と言った程度には。


「――だが、それでも有利なのは私だ!」

「刃のように鋭く硬質な糸と毒糸、そして粘着糸の使い分け……事前の予測を外れるものではない。大蜘蛛、アラクネ種の種族能力は昔と変わるところは無いか」


 アラクネが繰り出す糸は、三種類。

 鉄をも切り裂く八刃蜘蛛の足と同等の硬度を持つ、硬糸。

 大毒蜘蛛の持つ毒液を染みこませた、毒糸。

 大蜘蛛種ならば誰もが持つ強靱で粘着性の強い、粘着糸。

 この三つを使い分けることで敵を翻弄する、凶悪な魔物だ。


 だが、それも長所を潰されては形無しであった。


「いずれにせよ、糸に触れなければ問題は無い。その匂いをどうにかできない限り、俺の敵ではない」

「……ならば、見せてあげましょう」

「ん?」


 アラクネは、ウルの挑発に青筋を立てながら、大きく息を吸い込み人の上半身――その腹を大きく膨らませた。

 ウルは何をする気かと警戒するも、攻めの手を休めまいと魔道による攻撃を続ける。樹木を操っての刺突だ。

 アラクネは、今までそれを避けるのに必死だった。偶に繰り出す糸も通じないまま、防戦一方だったのだ。

 その流れを、アラクネは断ち切る。


「刺突糸!」

「――硬糸を束ねたのか」


 アラクネは、身体に木の枝が突き刺さるのも気にせずに口から大量の糸を吐き出した。

 無数の糸を束ねることで貫通力を飛躍的に上昇させた、刺突糸と呼ぶ切り札の一つだ。


「なるほど。見えない糸が意味をなさない以上、束ねてもデメリットはほとんど無いか。だが――」


 ウルは迫る糸を前に、ほんの僅かに角度をずらして前に出る。

 刺突糸は、糸を束ねることで大木を貫通する威力を誇っている。しかし、その性質上真っ直ぐにしか飛ばないのが弱点だ。

 そんなもの、力で劣ってこそいても、多種多様な魔物の技より生み出された魔王流を修めるウル・オーマには通用しない。


「地の型・滑り。久しぶりにやるが、そこそこできるものだな」

「チッ!」


 刺突糸の側面を伝い、ギリギリ触れない軌道で回避するウル。

 それを見たアラクネは、全て見切られていたと舌打ちした。

 刺突糸は、出せば勝てる必殺技ではない。命中さえすれば相手を確実に仕留める威力を持つが、その攻撃速度と間合いを見きれる者からすれば、回避するのはさほど難しくない。

 それでも使ったのは、いわば囮。派手な攻撃に眼を取られている隙に、本命の粘着糸で絡めるつもりだったのだ。

 しかし、最小限の動きで回避されてしまえば、残るのは大技で体勢を崩したアラクネだけである。


「焦ったか。下らんな」

「だが、キサマの腕力では――」

「[命の道/二の段/豪腕]」

「なっ!」


 糸を最小限の動きで回避、迫るウルをアラクネは嘲笑する。確かに、魔道という不可視な攻撃は脅威だが、接近してどうするのかと。

 進化種であるアラクネと、コボルト基本種であるウル。その能力差は歴然であり、腕力勝負ならば傷を考慮に入れても絶対に自分が勝つという自負だ。

 その認識に間違いは無い。だが、それをウルが理解していないはずも無い。魔道にはあるのだ。一時的に身体能力を上昇させる、補助系の術が。


「さて、吹き飛べ」

「ギッ――!?」


 魔道により、ウルの腕は瞬間的に一回り大きくなる。

 ほんの僅かな間だけ筋肉の塊のような豪腕を手にしたウルは、その筋力を存分に使い、真上から叩きつけるような一撃をアラクネの頭に叩き込んだ。

 その威力は、アラクネの想像を遙かに超え、彼女が君臨すべき蜘蛛の玉座より遙か下――彼女の親衛隊と、ウルの配下が戦っていた場所までたたき落とされるのだった。



「――頭が高いぞ、虫けら」


 地面にめり込んだその姿を見て、ウルは傲慢に嘲笑う。

 自らの絶対有利を、敵味方に確信させるために。


 ……湖を持ち上げた魔道に使用した魔力の大半は、土地からの供給で賄っている。

 しかし、元が少ない今のウルでは自分からの持ち出し分だけでもかなりカツカツであった。加えて、最近人間相手に消耗したダメージと、ここまでの戦闘に消費した分を考えると、残る力は全快時の二割ほど。ほとんど残ってはいない。

 以前人間と戦ったときと、同じ状況だ。今のウルに、余裕などあるわけが無い。種として遙か格上のアラクネを圧倒するほどの力を使っておいて、力が余っているはずが無いのだ。

 だからこそ、ウルは笑った。内側から襲ってくる無理な力の使い方をした反動による痛みなど無視。ただただ、見るもの全てに魔王の脅威を感じさせるべく、ウルは獰猛に笑うのだ。


(戦意をへし折る。それができねば負けだからな)


 このままやっても、恐らくアラクネを殺すことはできると思っている。だが、その後彼女の配下が弔い合戦を挑んでくれば、それを捌く余裕は無い。

 故に、折る。膝を、心をへし折り――大蜘蛛の一族を、まるごと自らの支配下に納める。それこそが、ウルが思い描く勝利のシナリオであった。


「――ナメルナ、コボルト風情ガ」

「おいおい。頭に血が上りすぎているぞ? 理性が半分飛んでいるではないか」


 対するアラクネは、怒りのあまり理性が飛びかけていた。

 遙か格下であるコボルトに、一方的に痛めつけられている事実。自慢の技が、能力がまるで通用しない現実。その全てに、彼女は心の底からぶち切れていた。

 これは、感情を持った弊害だろう。見た目よりは知性を有しているとは言え、大蜘蛛に感情と呼べるものはほとんどない。上位者に従い、食欲を満たす――それが大蜘蛛種の行動原理だ。もし通常種ならば、こんな状況でも平時と何ら変わることは無いだろう。

 しかし、人と同等の理性を持ってしまったが故に、アラクネは怒りという感情を得てしまった。その感情が、アラクネ種最大の武器であるはずの知性を塗りつぶしてしまっているのだ。


(……殺す! コロす!)


 その、人の女性を模した上半身にある瞳には、もはや殺意しか宿っていない。

 心を折るどころか、死んでも殺す――そんな精神状態に陥ってしまっているようであった。


「……仕方が無い。少しばかり、教育してやろう」


 怒り狂った虫が、早々降伏することは無いだろう。

 故に、ウルは作戦を少し修正する。ただ上位者として格の違いを教えるだけではなく、より一歩先の支配を、恐怖を教えることにするのだった。


「その程度の怒り、容易く消し飛ぶ恐怖をくれてやる」

「ホザケ!」


 アラクネは、蜘蛛の下半身を使い大きく跳躍した。更に、空中で指先から糸を発射。アラクネともなれば、身体のどこからでも糸を生成、射出することができるのである。


「上……?」


 アラクネが発射した糸は、ウルに向かっては飛ばなかった。ウルの遙か上、頭上の樹木に張り付いたのだ。


「これが我らの戦い方だ!」


 アラクネは、糸を使い振り子の原理で移動する。目まぐるしく移動の起点となる木を変え、糸を駆使してウルを翻弄しているのだ。

 先ほどまでの、一カ所に留まって敵を迎撃するスタイルを女王のものとするならば、縦横無尽に動き回る今のスタイルは戦士のもの。

 怒りのあまり、アラクネは女王より一匹の戦士へと変貌した。それは彼女にとってはある種の敗北かも知れないが、間違いなく戦闘能力は上昇しているのだった。


「……なるほど、少し厄介だ。補給が必要らしい」


 擬似的な飛行能力を得たアラクネを前に、ウルは舌打ちしたくなった。

 力の大半を使って優位に立ったというのに、まだ敵は見せていない本気があったのだ。

 それは想定外ではないが、できれば先ほどまでの攻防で勝負を付けておきたかったのが本音であった。こうなった以上、この戦闘スタイルも完膚なきまでに粉砕し、自らの絶対性を教え込まねばならなくなってしまったのだ。


「……うん? お前ら、そいつらを仕留めたのか?」

「え? う、うん」


 どうしたものかと周囲を観察してみれば、自分の配下達が眼に入った。

 てっきり、死に物狂いで大蜘蛛進化種の相手をしているのだろうと思っていたのだが、何とコルト達は早々と敵を仕留めていたのだ。

 それは流石に予想外であったウルだが、手駒が優秀なのは良いことだ。想定以上に成長していた配下の活躍を内心で褒め、その成果を早速使うことにした。


「どこを見ている!」

「邪魔だ」


 頭上からの強襲を企てるアラクネ。しかし、ウルは残り少ない魔力を出し惜しみすることなく、無の道による魔弾で弾き飛ばした。この上なく傲慢に、余裕そのものといった適当な仕草で。

 それは致命的なダメージを与えることができるほど、威力があるわけではない。しかし、アラクネの心に僅かな亀裂を与えた。

 自身最強の戦法を取ってなお、目の前のコボルトには通用しないではないか、という亀裂を――。


「俺は空腹だ。小僧、そいつら、集めろ」

「え? この蜘蛛?」

「ああ。ピラーナよりは上等なエサだろうよ」


 ウルが選んだ戦術は、補給。死亡した大蜘蛛進化種――八刃蜘蛛を食らい、自らのエネルギーとすることである。ピラーナの時と同じ、ウルのいつもの思考であるが、今回の獲物は進化種……上物だ。

 とはいえ、人の感性で言えばはっきり言ってゲテモノ食いだろう。しかし、森で産まれ森に住まうコルト達からすれば、虫食はごく当たり前のことである。二度目となれば慣れたもので、さほど抵抗を持つこと無く速やかに仕留めた獲物を集めるのだった。


「キサマ、何のつもりか!」

「……しばし待っていろ。俺の都合は全てに優先する」


 グチャリグチャリと、ウルは蜘蛛の死骸をむさぼり食らう。

 同族が食われる姿を見て、動揺しない生物などそうはいない。ただ食らう。食欲を見せつける。その行為だけで、ウルはその場にいる大蜘蛛種の全てを金縛りに追い込んだ。

 食欲という名の本能。その化身であるウルの食事は、見る者全てを畏怖させる迫力を有している。食事中の猛獣にちょっかいを出してはならない。それは、誰でも知る常識である。


「……フム。予想以上に力を蓄えているな、この虫共は」


 バリバリと、鉄を超える硬度を持つはずの八刃蜘蛛をまるごと三匹ほど胃袋に収めたところで、ウルは食事を中断した。

 まだまだ食い足りないところではあるが、そろそろ原始的な恐怖を与えるには十分。後は、仕上げをして終わりだとその獣の顔を歪めた。


「さあ、蜘蛛の女王よ。メインディッシュは、当然貴様だ」


 食われる恐怖。自然界を生きる者にとって、それ以上のものはない。

 自らが与える最強の恐怖を以て、ウルはアラクネの心を折りにいくのだ――。

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