第23話「頭が悪いだけということだ」
――ウル・オーマ率いる部隊が、大蜘蛛の巣に突入する少し前の時。
「……えっと、もう一回言ってくれない?」
「二度も言わせるな。この湖の水を無の道で持ち上げ、中のピラーナごと蜘蛛共の巣に叩きつける。連中の糸は厄介だが、火にも水にも弱い。前哨戦ではこれでもかと火を見せつけてやったことから、恐らくは耐火性能重視で待ち構えているはずだ。故に、ここは水攻めの策だ。理解したか?」
「うん。後半は理解できる。でも前半が理解できない」
大蜘蛛の領域に攻め込む前の最後の訓練を終え、少し休憩してからのこと。
ウルの呼びかけにより、作戦を説明するため戦力として数えられる面子が全員集められていた。積極的に協力するつもりの無いピラーナ達を除いた全員だ。
そこでウルが語った作戦を聞き、もっとも知力に長けるコルトは唖然としてウルに問い返すが、その答えは変わらない。
自分の魔道で湖を持ち上げる――という、荒唐無稽な作戦を。
「……いやいやいや。そりゃさ、僕だってウルが凄いのは知ってるよ? 僕なんかよりも魔道の扱いでは遙かに上手だってさ」
「当然だ。覚えて十日かそこらのド素人と比べるだけで不敬である。……というか、魔道以外でもお前に劣るところなど微塵もないわ」
「……謙虚さと慎み深さでは勝ってる自信ある……って、そうじゃなくて!」
ボケなのか真剣なのかわからないウルの茶々を受けても、コルトは怯まずにツッコミを入れるべく大きく息を吸った。
「……無理に決まってるでしょ! 湖一つって、あの石何千個分の重さがあると思ってるの」
「別に全て持ち上げるとは言っておらん。初手の武器として利用するだけであるし、そもそもここの水は生活用水だ。全て使い切るはずがなかろう……精々が三分の一程度だよ」
「ああ、それなら……とはならないよ! 三分の一でも十分すぎるくらいに不可能だよ!」
コルトは魂の限り叫んだ。
自分自身が適性を持つ無の道であるが、その限界は精々が100キログラムを数センチメートル浮遊させる程度。しかも数秒が限界だ。
はっきり言って、何の能力も持たなければ特別な鍛錬を積んでいるわけでもない、一般人の枠にいる人間でもちょっとした力自慢ならば腕力だけでできる程度のことが精一杯なのだ。
ウルの能力が自分よりもずっと上であるとは認識しているが、それでも流石に無茶苦茶だとコルトは思う。事実、普通にやれば不可能だ。
完全体の魔王ウル・オーマであればともかく、今のコボルトのウルにそんな馬力は無い。
「不本意ながら、今の俺の力は貧弱で脆弱だ。確かに、ただ発動するだけでは不可能。……だが、ならばどうするかを考えるのが知恵ある者というものだ」
「どうするか……?」
「お前らも覚えておけ。今のままでは不可能である。ならばどうするか……それを考えるために脳みそは存在するのだ」
ここでウルは、少しだけ話を逸らすことにした。作戦の説明から、配下の思考的成長を促す内容へと。
配下の成長は、今の乏しい戦力を運用しなければならない現状において急務なのである。
「そうだな。ならば小僧。お前に課題を出そう」
「え?」
「あの倒木、動かせ」
ウルは、湖の近くに転がっている適当な木を指さした。以前の水蛇との戦いに巻き込まれなぎ倒されたものだ。
コルトはそれを見て、引きつった笑みを浮かべる。今のコルトの限界重量、その十倍ではきかないだろう倒木を見て。
「……無理」
「んなことはわかっている。無理でもやってみろ」
「ええ……」
「やれ」
「……わかったよ」
ウルのドスの利いた声付きの無茶な注文に、コルトは渋々魔道を発動させる。
が、確かに発動はしているものの、力不足でびくともしていない。コルトは半ばやけになりながら力を加えるが、やはり何も起こらなかった。
「――ぶはっ! やっぱ無理!」
コルトの魔道は、結局何も起こすこと無く霧散し、本人は肩で息をするほど疲弊した。無駄な努力だったとしか言いようがない結果だ。
「だから、頭を使えと言っただろうが。いいか小僧。注文は『あの倒木を動かせ』だけだ。他に何をしなければ、あるいはしてはならんなどと、俺は一言も言っていないんだぞ?」
「してはならない……?」
コルトはウルの言い回しに引っかかった。何か条件が付いていないというのはその通りだが、してはならないことはない、というのはどういうことだろうと。
コルトは頭を捻り、一つの回答にたどり着く。つまりは反則とされるものが一切無いということであり、動かせさえすれば何でもよいのだという意味なのだろうと。
「……あ! そうか」
「どうしたので?」
首を傾げていたコルトは、ひらめきと共に叫びを上げた。
コルトへの課題を自分なりに考えていたゴブリン達は、その様子に好奇心を見せる。
「えっと、少しいい?」
「はい?」
「あの木、全員で押してくれない?」
コルトは、課題の倒木を指さしてゴブリン達に頭を下げた。
ゴブリン達はお互いの顔を見合わせるが、どうすればいいのかとウルに視線で問いかける。
そんなゴブリン達を前に、ウルは小さく笑って答えるのだった。
「構わんぞ。それも一つの正解だ」
「よ、よろしいのですか? それはコルトさんへの課題だったのに……」
「俺は一人でやれ、等とは一言も言っておらん。一人では力が足りないならば、他の手を借りる。一番単純だが、効果的な手だ」
ウルは「ああ、本当に動かさなくていいぞ」と付け加えながら全員を見渡し、教えを授ける。
目的の達成、そのために歩めるルートは一つではない。無数に広がる選択肢を認識する。それこそが、強くなるために必要なものの一つであると。
「つまり、味方の力を合わせることが重要って事?」
コルトはウルの教えを、自分なりに解釈する。
実に正義の味方が好みそうな回答であり、コルトの根の善良さが浮かび上がってくるような解釈だ。
が、その教えを授けているのは魔王ウルであり、当人はその言葉を鼻で笑うのだった。
「んなわけあるか。そういう方法もある、というだけだ」
ウルは、それだけ言って、コルトに動かせと命じた倒木に手を向ける。
今のウルの力なら、領域支配者としての力を駆使すればその倒木を動かすことも不可能ではない。かなりの力を消費することになるが、そのくらいのことならばできる。
しかし、そんな青筋立てて馬鹿正直に力で動かす努力などしなくとも、方法はあるのだ。
「持ち上げられないならば、下を崩せば楽だろう?」
ウルは魔道を使い、倒木の下の地面を少しだけ掘った。
倒木が接している地面を角度をつけて陥没させたことで、その自重によって倒木は地面を削り、ズズズと音を立てて転がった。
ほんの僅かではあるが、これでも動かしたことには変わりない。
「とまあ、このような方法もある。要するに、無理と感じているのは頭が悪いだけということだ。ちょっと視点を変えれば大抵のことは可能なんだよ」
「はぁ……」
基本的に力押しのスペック勝負を行う魔物にとって、ウルの考えは異端だ。
特に、今でこそ面影も無いほどに頭脳面での成長を見せているとはいえ、本能だけで生きているゴブリンにとってはあり得ない考え方だろう。
自分よりも強い者には勝てない。それだけが唯一絶対のルールだったのだから。
「それを踏まえて、本題に戻るぞ。要するに、やり方を工夫すれば湖を持ち上げるくらい簡単にできるんだよ」
「そ、それってどんな風に……?」
「答えは目の前にある。湖周辺の地面を注視してみろ」
コルト達は、ウルに促されて地面を見つめる。
しかし、草が生えている――というくらいの感想しか無かった。特に何の変哲も無い土でしかないのだ。
それでも、ずっと見ていると、少しだけ違和感に気がつく者が現れた。
「……少しだけ、変な魔力が見える……かも」
「うん……これ? ウルの魔力?」
「ほう、ファーブと小僧は気がついたか」
やや自信なさげに声を出したのは、コルトとこの五日で魔道に目覚めた小柄なゴブリン――ファーブであった。
「いや、そんな気がする……というだけでして……」
「まぁ、知識が無い今はそれ以上は無理だろう。だが、気がつけた感性は宝だ。大切に磨くといい」
ウルは鋭い感覚を見せたコルトとファーブを褒め、そのまま準備に入った。
コルトとファーブが感知したのは、ウルが事前に用意していた仕掛け。拠点である湖周辺に張り巡らせた魔道罠と同じ仕組みの、魔道を待機させておく仕掛けである。
魔道一つでは、パワーが足りない。ならばとウルが取った手段は、コルトと同じ数に頼る作戦。ただし他者の手を借りるのでは無く、事前に用意した自分の魔道を多重発動させる技だ。
「では、全員湖に入れ」
「わ、わかった」
コルトと七人のゴブリン達は、指示に従って湖の中へと入る。
最後にウル自身もゆっくりと水の中に入り、両手を合わせて仕込みを発動させた。
「[無の道/二の段/念布]」
発動されたのは、念動力を布状にする魔道。壁としての利用の他、布の上に物を乗せて移動させる運搬にも便利な魔道である。
が、その面積、限界加重量はそう大きくはない。故に、数に頼るのだ。
「重ね、起動」
その言葉に、この五日の間に湖を囲むように設置した100を超える待機魔道が同時に起動する。
一人では不可能なことでも、百人がかりに等しい馬力を持ってすれば、大抵のことは可能となるのだ。
それを、一人でこなす。その技術を持つ者は、ウル・オーマを除いて早々いるものではない。
「さあ、蜘蛛共の巣に殴り込むぞ! 敵の反撃はこの水の質量で大半が弾ける! 敵の首魁を発見次第、突撃する!」
ウルのかけ声と共に、ふわりと球形に湖が空に浮かんだ。
そのまま、巨大水球は中に多数のピラーナとゴブリン、そしてコボルトを乗せ、発進するのだった。
◆
(僕らの仕事は、ウルが敵のルーラーを仕留めるまでの間、敵の戦力を近づけさせないこと!)
湖の水をそのまま要塞にし、突撃するという荒唐無稽な作戦。それを見事成功させた後、コルト達は迅速に行動を開始した。
大将であるウルは、敵のボスであるアラクネの元に単身で突撃。指示系統が確立できていないピラーナ達は、突然の洪水に浮き足立っている大蜘蛛に無作為に攻撃を仕掛けている。
そして、最低限戦力になると判断されているコルトと七人のゴブリン達は、アラクネの親衛隊――大蜘蛛進化種の足止めだ。
「シュー……」
「さすが、進化種。突然の事態にも、さほど狼狽えていないね」
ウルと併走してしばらくしたころ、ボスを守るべく何体かの大蜘蛛が行く手を塞いだ。
ウルは距離感を麻痺させる特殊な歩法でその壁をすり抜け、そのウルを追おうとする大蜘蛛進化種を足止めするコルト達――という構図になったわけだ。
(……本来なら、絶対に敵に回しちゃいけない相手だよね)
コルトの前には、一体の大蜘蛛がいる。
先日偵察に訪れた大毒蜘蛛とは異なる、大蜘蛛のもう一つの可能性――八刃蜘蛛。原種である大蜘蛛よりも一回り小柄だが、代わりに八本の脚を鋭い刃に変質させた魔物だ。
毒という特殊攻撃を強化した大毒蜘蛛に対し、刃という直接攻撃能力を得ることで白兵戦を強化した形態と言える。護衛にはこちらの方が向いているため、常に女王アラクネの側に控えており、どんなことが起こっても外敵が出現すれば真っ先に壁となるのだ。
元々、進化種と原種では強さが一段階異なる。まして、種族レベルで劣っているコボルト原種のコルトが喧嘩を売っていい相手ではない。
普通に考えれば、あっという間に八つ裂きにされるのは間違いないだろう。
「敵は八匹。こっちは八人。一人一殺……なんて都合良くはいかないかもしれないけど、殺されないように足止めを!」
コルトは自分の中の勇気を振り絞り、声を張る。
事前に、ウルに命じられているのだ。この一戦において、自分が指揮できない間の司令官はコルトに任せると。この一戦で生き残ることができるか――その責任は、コルトにあるのだと。
(こうなったら、できるかできないかなんて関係ない。やるしか、ない!)
極限の死の恐怖と緊張感。そして、両肩にのしかかってくる責任。
それを持って、コルトは一つ殻を破ることに成功する。臆病でなまじ頭がいいばかりに、失敗を最初に考えてしまう悪癖。失敗を想定した上で成功を思い描くのではなく、失敗ばかり考えてしまい何もできなくなってしまう――その思考パターンからの脱却に成功したのだ。
勝つか死ぬか。その状況に追い込まれた以上、もう臆病な性格など吹き飛ばすしか無いのだから。
「行くぞ! この虫野郎!」
小さなコボルトのコルトは、事前に作成した木製の棍棒を手に取り、勇ましく、あるいは震える心を抑えつけるように叫ぶのだった。
お知らせ
作者の都合により、少々更新頻度を落とします。
とりあえず、ストックが切れるまでは2~3日に1回ペースに切り替えようと思います。
毎日更新からペースを落とすことになりますが、ご理解ください。