第22話「先の宣言通り」
「……ジュジュネ村の災害、カタッタ都市に魔物の襲撃、ドモモ領で邪教集団の蠢動……全く、世の中忙しいことだな」
人間達が栄える大地――ファルマー大陸。
魔王の敗北によりその勢力圏を大きく縮小した魔族に代わり、生存する人間種は全てこの大陸に暮らしている。
そして、人間の中でもその派閥は、大きく分けて五つに分けられる。通称五大国と称される強大な力を持っている国々の一つ、ル=コア王国の首都コルアトリアで、一人の男がどうでもよさげに書類をペラペラと捲っていた。
ル=コア王国は、魔王と神との戦い『神魔大戦』にて活躍した大英雄アルハメスが興した国であり、現存する国家の中では最古とも呼ばれる歴史ある王国だ。
しかし、長く続いた国に付きものの毒に、この国もまた侵されていた。権力者の腐敗だ。
それにより、今では五大国の中で国力は最下位争いをしている有様。先人が残した広大な土地があるからこそ、その領土の広さから五大国の地位を何とか保っているが、それも時間の問題と周辺諸国から噂されている状態であった。
そんな国の腐敗を物語るかのように、書類を捲る男――ル=コア所属ハンター達の総本山、コルタトリアギルドに強い影響力を持つ、国防を担う貴族がやる気なさげに判子を押していた。
「ったく、戦力派遣要請戦力派遣要請と……、軍もハンターも、そんなに暇ではないというのに」
さほど考えずに判子をついていく男の名は、マルトロ・ギリフ・アーハイム。軍部やハンターといった、国家所属の戦力調整を職務とする貴族出身の文官である。
マルトロ本人に戦闘力は無い。そのぶよぶよと肥え太った身体からもわかる通りの力しか持ち合わせない男だ。
だが、アーハイム家の力は大きい。代々国に仕える文官として先祖が築いてきたその権力は非常に大きく、国中からの戦力派遣要請を受理するかしないか、その決定権を握っているのだ。
もちろん、国王を始めとして、彼以外にもその決定に関わる者は多く存在し、本当の緊急事態の場合はそれらが一堂に会して決断を行う。しかし、いつものことと流される程度の――規模が小さいと判断された案件の場合、何をどうするのかは彼一人の決定でどうとでもなるようになっているのだ。
これは、逐一会議などをしていては危機に対して動きが鈍る、という判断により設けられた制度だ。まず責任者であるマルトロが各地から上がってきた戦力要請をチェックし、極めて重要と判断したものは会議に提出。さほど重要では無い場合、すなわち大規模な軍事行動は不要と判断される場合は、マルトロの一存で小規模な戦力を動かす、という仕組みである。
故に、腐る。何かあったとき、どれだけ素早く助けが来るのか――それは、マルトロの気持ち一つ。つまり、彼にどれだけの賄賂を渡したのか……それが基準になるのだ。
本来ならば、その問題により発生する被害などから優先順位を決め、動かせる戦力をどう配置すればいいのかを考えるべき役職。そんな椅子に座る者が、自分の利益しか考えていない……それが今のル=コア王国の現状なのである。
「何々……シルツ森林の大規模討伐要請? はっ!」
手元の書類と、内容。そして申請者名を見たマルトロは鼻で笑った。
シルツ森林に出現した特殊なコボルトの討伐、という最初の一文を見た時点で、内容に興味を無くしたのだ。
「たかがコボルトの討伐を、中央に要請するとはね。全く、彼らもハンターならば、自力で何とかしてほしいものだよ」
マルトロは共に書類をチェックしている部下に向かい、嘲るように書類を軽く叩く。
もっとしっかりと書類を読めば、そのコボルトの危険性がわかっただろう。いくら腐敗しているとはいえ、仕事をこなせないのならば流石に問題になる。マルトロを蹴落とし、その利権を奪おうとする貴族は大勢いるのだ。
故に、よほどの危機ならば賄賂額にかかわらず優先順位を上げることもあるのだが、ここではそうはならなかった。コボルト如き、そもそも貴重な戦力を派遣する理由自体がないのだから。
「あそこのギルドマスターは……確か三流貴族の三男坊だったか。世の中を円滑に回すコツも知らん愚か者はこれだから困るよ」
マルトロは、シルツ森林への要請書類を箱の中に入れる。却下、と書かれた箱の中に。
マスター・クロウは賄賂の類いを嫌う。実力社会に生き、実績を残した者として、そういった根回しが苦手なのだ。
もしマルトロが真面目に仕事をしていれば、あるいはマスター・クロウがマルトロの興味を引けるくらいに世渡りに長けていれば、結果は違っただろう。しかし、現実はもう変わらない。
こうして、一度は国が認識するはずだった脅威は闇に葬られた。表立って大きな戦力を初手から動かすことは不可能となったのだ。
「……へぇ。魔道を使う魔物、ねぇ」
しかし、表はダメでも裏は話が別だ。
例えばそう、業務終了後に燃やされる廃棄用の書類に目を付け、こっそり盗み出したローブを被った人物のように……。
◆
ハンター達の襲撃より五日。
幸運と呼ぶべきかどうかはわからないまでも、人間勢力からの大規模侵攻を知らないところで逃れていたウル一派は、今日も訓練に励んでいた。
「まだ弱い。最低でも、このくらいはできねば武器にはならんぞ」
「わかって、るよ!」
シルツ森林では、身体を万全に戻したウルの指導の下、コルトと七人のゴブリン達が訓練の総仕上げを行っていた。
いつ人間達が攻め込んでくるか分からない以上、一秒でも早く行動を起こしたい。その考えと、現実的に戦力を整える為に必要な時間を天秤にかけて導き出した期間こそが、五日なのである。
今日の調整が終わり次第、守りに長けた大蜘蛛の一族の領域に攻め込むのだ。
「魔道のパワーは単純な出力の他に、無駄の無い魔力運用でも上がる。経絡を流れる魔力を意識し、一切の無駄を無くせ」
「――フンッ!」
以前のコルト達が魔道を使う場合、万全の状態でも使用回数は非常に少なかった。
それは魔道を構成する技術に欠けていたからであり、また発動に必要な魔力を集める工程に無駄が多かったためでもある。
優れた術者ならば10マナで使用できる魔道も、未熟な者が使えば100や200マナもの魔力を使わなければ発動できない。魔道という器に魔力という水を注ぐまでの過程で、大部分が漏れ出してしまうためだ。
魔力の総合量を増やすことが簡単にはできない以上、目指すべきは効率の良い技術の習得。そこに絞ったウルは、全員に魔力コントロール技術の徹底強化を命じていたのだ。
「……う、ぐぐぐ……」
「よし! そのままキープだ」
コルトが発動させた魔道により、約100キログラムくらいの石が少しだけ宙に浮かんだ。
これだけの出力があれば、人間サイズの相手の動きを止めるくらいはできる。相手に100キログラムの加重をかけることができれば、弱い相手ならば潰すことも可能だ。そこがウルが無の道の使い手に望む最低基準。
か弱いコボルトの魔力でも、領域支配者としての補佐なしでたどり着けるラインなのである。
「ぶはっ!」
数秒持ち上げた末、石はズドンと音を立てて落下した。
この程度ならば、普通の人間でも腕力だけでできることではある。それでも、魔道として発動できるのならば、戦略の幅は広がるというものだ。
仮にコルトが腕力だけで物を持ち上げようとした場合、この半分が精一杯なのだから。
「これでよし。理想にはほど遠いが、最低限戦力と呼べる者が俺を除いても八人……勝ち目が見えてきたな」
ウルは勝利を確信させるように笑う。
戦うことが決まっている以上、後は自信を持たせた方がいい。負けるかも知れない、できないかも知れないと思いながらやるよりも、自分はできると根拠が無くとも信じていた方がよいパフォーマンスを発揮できるものである。
(とはいえ、現実的に考えればかなり厳しい。俺もあまり無理はできん……やはり、奇襲を仕掛け、大将戦に持ち込むのが得策か)
ウルは自信に満ちあふれた態度のまま、内心で後ろ向きに現実を見据える。
単純に、数に差がありすぎるのである。
魔物に対する知識を持っていなくとも想像がつくように、蟲の魔物は総じて繁殖力が高い。一度の産卵で多数の子を産むからだ。
それは普通の虫でも同じだが、そもそも何故多産なのか。それは、外敵に捕食されるなどの理由で成体になる確率が低いからだ。
つまり、数で勝負することで子孫が生き残る確率を上げているのだが、そこは魔物。捕食者もまた魔物なので死亡率が高いのに変わりは無いが、一匹一匹が強いので、一種族だけでちょっとした軍隊にも匹敵する力を発揮するのだ。
しかも、その集団の頭は領域支配者。すなわち、配下に土地の力を分配することでより強化することができるということである。
(攻める立場である以上、こっちは領域支配者としての能力は使えん。自力で何とかするには、ちと戦力差が激しいな)
領域支配者としての能力は、支配した土地に依存する。つまり支配地から離れればその恩恵を受けることはできない。支配地との繋がりを利用して領域支配者個人が僅かな供給を受けるくらいのことはできるが、配下に配れるほどの力は得られないのである。
(湖の中でしかまともに戦えんピラーナ共は、戦力としては数えられないが……まあ、囮にはできる)
ウルは作戦を頭の中で再確認する。
最終的な勝ち筋は一対一の大将戦で敵を下すことだが、その状況にどうやって持っていくか。
多少は配下の質を上げはしたが、数で圧倒的に負けているのは明白。ならば動かせる全てを使うべしということで、ウルはピラーナ達にも働かせるつもりなのである。
「領域支配者の力の大半は、自身の領域の中でしか使えない。ならば、領域の中で使える分は使わないとな」
作戦の決行は、少し休んでからだ。ウルはそれだけ言い残し、最初の一手の準備をすべく、湖の中央へと向かった。
◆
「……来ないわね」
一方、森に巣くう大蜘蛛の群れを統括する領域支配者、アラクネは暇をもて余していた、
湖の領域支配者を屠った何者かが攻めてくると察知し、入念な防御を整えたにもかかわらず、誰も来ないのである。
来ないなら来ないに越したことはないのだが、外敵を殺し食らうことを前提に、かなり奮発して巣の強化を行ったのだ。このまま誰も来ない場合、魔力を無駄遣いしただけで終わってしまうのではないかと内心思っていた。
「せっかく巣全体を耐火性糸に張り替えたのに……」
未知の敵は、火を使う。偵察に出した大蜘蛛がそれでやられたので間違いはないと確信しており、蜘蛛糸の弱点を補うべく力を大幅に消耗したのである。
通常の大蜘蛛では絶対に使用不可能である、燃え広がらない特殊糸。大蜘蛛の領域で採取できる異界資源、とある植物の汁と混合させることで蜘蛛糸特有の頑丈さと柔軟性に加え、熱に非常に強い特性を持たせているのが特徴である。
特殊な蜘蛛糸の巣は、進化種たるアラクネだからこそ用意できた要塞なのだが、無限にその堅牢さを保てる訳ではない。耐火能力はアラクネの種族的な能力により自然の植物との融合を維持しているものであり、アラクネが魔力の供給を絶てばその内植物の汁が抜け落ち、普通の糸に戻ってしまうのである。
「……ま、それならそれで、いいけどね」
領域支配者級の力を持つ魔物を食らうことで、更なる力を得る。そうなれば、この程度の消耗など鼻で笑える程度のものだと言えた。
だが、時間さえあれば回復できる以上、リスクを冒さずに済んだと考えることもできると自分を慰める。守りには長けていても、攻撃に出ると弱い種族特性上、食えるときに上質な獲物を捕食したかったというのは紛れもない本音だろうが。
「そろそろ、巣の強化を打ち切るべき……」
敵が来ないならば、無駄に力を消耗し続ける理由もない。巣の力をワンランクダウンさせようか、そう思ったとき――彼女の耳に、水の流れる音が聞こえてきたのだった。
「水……雨かしら?」
水を嫌う大蜘蛛としての本能が、水音を嫌悪の対象として捉える。
しかし、空を見上げても雲一つない快晴だ。シルツ森林は樹木の天井で空が遮られるとは言え、それでも天気くらいはわかる。にもかかわらず、どこからこの音がするのだろうとアラクネは首をかしげた。
「だんだん大きく――」
水音は、徐々に大きくなる。もはや雨かもしれないなんて小規模なものではない。嵐――いや、滝の側にでもいるかのような轟音と化していたのだ。
「――え?」
ここに来て、アラクネはようやく異常事態だと判断し、糸を使った情報ネットワークを広げる。配下の大蜘蛛達より、情報を集めようとしているのだ。
もっとも、結果としてその必要はなかった。何故ならば、アラクネ自身の眼でその異常を目の当たりにすることになったからだ。
「……は?」
「先の宣言通り、来てやったぞ? 虫けら共よ」
天空から、湖が降ってきた。
王者の風格を纏うコボルトを筆頭に、敵を乗せて。