第214話「挨拶をしなければならんな」
「そんなに困っているならば、俺が救ってやろう」
絶望に沈むサーバ村村民に声をかけたのは、ワーウルフ形態となった魔王ウル・オーマ。既に翼も消滅させた純粋な獣人形態だ。
「救うとは……どういうことですか?」
魔王ウルの言葉に、縋るような声で答えたサーバ村村長。
本来ならば、絶対に警戒するだろう魔物の王からの誘い。そんなものにも縋ってしまうほどに、彼らは追い詰められているのだ。
「まず確認するが、お前達はこの先どうするつもりだ? ウィドに……国に援助を求められるのか?」
「いえ……それは難しいでしょう。元々見捨てられていたようなものですし、今から説得に成功したとしても、動いてくれるころには皆土に還っていますよ……」
彼らは自由都市国家ウィドの国民でありながら、国民としての恩恵を一切受けることができなかった見捨てられた国民だ。
元々、ウィドは国王が支配する王政ではなく、複数の商人達によって運営される議会制国家。利益にならないことはやらない商人達の集まりであり、サーバ村は利益とは見なされなかったということだ。
「ならば……我が国の民とならないか?」
「え……?」
「領土問題は面倒な話になるかもしれんが、少なくともお前達個人としては今更ウィドに愛国心も忠誠心もないのではないか?」
「それは……まあ、そうですが」
国と国の領土問題となれば話は彼らにとっては遥か天上の話になるが、個人としてウィドに属していたいかと問われればハッキリ否と言えた。
自分達が困っている時に何もしてくれない国に今更義理も何もないと思うのは当然のことだ。
「俺の国民になるというのならば、手を差し伸べようではないか」
「しかし……その、私達が勝手にそんな話を受けてしまうのはご迷惑がかかるのでは? それに、助けていただいても私どもには恩を返す方法が……」
「そこは心配するな。ウィドの上層部とは俺が話をつけてやる。元々負い目は向こうになるのだから何とでもなる。それに……恩ならば、お前達のやる気次第で十分返してもらえる。その方法もこちらから提示しよう」
流石は村長というべきか、無償の恩を受けることは未来がない現状でも気が引けたようだ。
それは『ただより高いものは無い』という格言によるものか、単に義理堅い性格だからなのか。そのどちらだとしても、ウルには何も問題は無かった。
「では……いったい、我々に何をしろというのですか? 聖人様にすら見捨てられた我々に……」
彼ら村民が村跡地に戻ってきたとき、既にルーカスもアラシャも帝国へと旅立った後だった。
そのため、彼らは聖人から見捨てられたのだと思っているようだ。それを訂正してやる義理はないので、特に否定はしないウルであった。
「簡単だ。お前達には、この国での商売の窓口になってほしい。それと、工場を建てるからその管理および労働力だな」
「商売? 工場? それは――」
「加えて……俺の話を呑むならば、スペシャルサービスも付けてやろう。そら」
当然の話に目を白黒させる村長達を急かすように、ウルは右手を大きく広げて視線を誘導した。
その先には――
「お、お前達!?」
大蜘蛛に背負われた、意識を失った村人達がいた。
彼らは、村で纏めて寝かされていた伝染病の患者達だ。寝床にしていた屋敷は戦いの余波で消し飛んだので、彼らもまた命を落としたと思われていたが……何故か病に苦しんだまま大蜘蛛に背負われて登場したのであった。
「あれ? あの人達……いつの間に」
「お前があの木っ端悪魔と戦っている間に回収しておいただけだ」
コルトも驚いた様子で病人達を見た。てっきり死んだと思っていたのだが、いつの間にかウルが回収していたのかと。
「あ、ありがとうございます! まさか村の仲間が生き残っていたとは……!」
村長は、そこで感激した様子でウルに頭を下げた。
村の長として、村民の命には責任がある。ほとんど失われたと思っていた命がまだ残っていたとなれば、そこに残るのは純粋な感謝の念のみだ。
だが――
「まだ礼を言うのは早い。ここからがスペシャルサービスだ……コルト」
「え、何?」
「治療しろ。今のお前ならば、できるだろう?」
ニヤリと笑うウルに、コルトは『自分の能力全部知られているんだね』とため息を吐いて頷いた。
そのまま、村人の一人のところまでゆっくりと歩いていき、胸に手を置く。そして――
「【蠱毒の功罪・殺戮免疫】」
既に生成済みである、骸蛭特効の魔力を流し込んだ。
殺戮免疫の特徴として、特効対象の相手には致命的な効果を発揮する代わりに、それ以外のものには無害というものがある。
つまり、弱り切った患者に直接流し込んでも、患者を苦しめる蛭だけを攻撃することができるということだ。
体内のあらゆる病原菌や寄生虫の類いにのみ反応し、患者の身体には一切の害を与えない。煮詰められた殺意から生まれたとは信じられないほどに、医療関係者からすれば夢の能力であった。
「……はい、完了。体内の蛭は卵を含めて全滅させたよ。完全消滅させたから死骸が悪さすることもないと思う。傷ついた心臓にはケアがいるけど」
「ご苦労。その治療もできるか?」
「んー……今すぐ完治は難しいけど、応急処置くらいなら」
「ならついでにやってみろ。いい練習になる」
「何の練習なの……まあいいけど」
続けて、コルトは傷ついた臓器の修復を魔道によって行う。
これは非常に高度な技術であり、今のコルトでは完全な治療は難しいまでも、心臓に開けられた吸血痕に外部から蓋をするくらいはできる。
これで、少なくとも表面上は元通りだ。失った体力や筋力の回復までは時間をかけるほかないが。
「ん……完了。これで大丈夫だよ。後は栄養をとって適度な休息と運動をってところかな」
「よろしい。……これがスペシャルサービスだが、いかがかな?」
ウルはそう言って改めて村長へと振り向くが、村長は頭の上にハテナを浮かべるばかりだった。
それはそうだろう。一般人の村長からすれば、今の一連の流れにどれほどの意味があったのかなどわかるはずもない。
それを察したウルは、治療を終えた村人に指を向けて軽い魔道を発動するのだった。
「[命の道/一の段/覚醒]」
意識を失っている相手を起こす魔道。ただそれだけであり、寝ぼけ眼で徹夜しているときの活力剤としてカフェインと共に古代魔王国で愛用されていた術である。
その魔道を受けた村人は、ビクッと震えた後目を開くのだった。
「う……俺は……」
突然の目覚めに寝ぼけている様子だったが、すぐに自分の異変に気がついた。
絶えず襲ってきていた胸の激痛がないことに。そして――巨大な蜘蛛に自分が背負われていることに。
「ウギャァァァァァァッ!?」
村人は絶叫した。そりゃそうである。目を覚ましたら巨大な蜘蛛に背負われていましたなど、ホラー以外の何物でも無い。ついでに言えば、大蜘蛛は肉食なので悲鳴を上げるのは実に正しい判断である。
身の毛がよだつ状況に飛び起きた村人は、特に拘束などされていなかったこともあり全速力でその場を離れて腰を抜かしたように転げ落ちるのだった。
「な、なな、ななななな」
余りの混乱に言語能力を失っている様子であったが、そんな姿を見て彼以上に驚いているのは村長だ。
今までまともに動けなかったはずなのに、あんな機敏に動けるようになっている。痛みを感じている様子もない。すなわち――
「まさか……治った、のか?」
「あぁ。お前達を苦しめていた病は取り払った。これが、スペシャルサービスだよ。お試しコースではお一人様限定だが……どうするかね?」
ここまで言われてしまえば、もはや村人達に考える余地など存在しなかった。
魔王の言葉の全てを受け入れる。その契約書にサインをすることに、何の躊躇いもないのであった……。
◆
「……で、何を企んでいるの?」
目の前でアラフ率いる大蜘蛛一族がサーバ村の再生工事を行なっているのを見ながら、コルトはウルに問いかけた。
このペースなら、元の村以上のものが今日中に出来上がるだろうななんて思いながらも、コルトはウルがどこまで企んでいたのか、そしてこれから何を企んでいるのかを問いただしているのだ。
「企む……というか、今回の旅では主に三つの目的があった」
「三つ?」
「あぁ。事前に言ったとおり、金策と神界門の調査。そして……お前の成長だ」
「え? 僕の成長?」
「そろそろ功罪の一つでも身につけるころかと思ったのでな。何か丁度いい試練があればと思っていたのだ」
言語化できる根拠はないのだが、ウルは長年の経験と勘で『そろそろコルトに変化がある』と予想していた。
そこで、偶然遭遇した悪魔ヨグニを起点とする事件に放り込み、試練として利用したという話であった。
「……おかげでまた死にかけたけど、一応お礼を言うべきなのかなぁ……」
コルトとしては納得しがたい危険な話であったが、結果的には今まで破れなかった壁を幾つも纏めて打ち破ったといっても過言では無いほどの急成長を果たしたのだ。
ならば、結果だけ見ればウルに感謝すべきなのかと呟いたのだが、ウルは笑ってそれを否定するのであった。
「いや、お前は俺の予想以上のものを見せた。それは紛れもなくお前の功績だよ」
コルトが見せた功罪……そして、進化はウルの想像を超えるものであった。
ウルから与えられた進化樹形図に従うのではなく、自ら新たな道を切り開いた。コルト自身は理解していないが、それは紛れもない偉業なのだ。
悪意の影による他種族の乗っ取りと、飢餓の翼による情報の共有。それらを駆使して数多の進化情報を集めていたウルですら知らない進化ルートの開拓とは、正しく世界を進歩させたということなのだから。
「……ま、途中で七聖人に遭遇して俺の功罪まで回収できるおまけまでついてきたのだ。この旅は大成功と言っていいだろう」
「ふーん……って、ちょっと待って。僕の成長と神界ってのの調査はわかるけど、金策はどうなったの?」
「ん? それは具体的にはこれからだが、目星はついたからな」
「どういうこと?」
「これから先、この国には深刻な病が広がる。そこで特効薬を独占販売できるとなれば、その売り上げは天井知らずだとは思わないか?」
魔王ウルは、邪悪に笑いながらそう言った。
その病とは何なのか、どうして広がるのか、特効薬とは何なのか……その全てが、コルトには一瞬でわかってしまうのであった。
「功罪に頼らずとも、薬での対処ももうわかっているのだろう?」
「まあね……一回身体で解析したら、大体わかるようになった」
「ならば、お前主導でこの村に薬品工場を作り販売用の生産体制を作っておけ」
病の正体は、悪魔ヨグニが作り出した骸蛭。特効薬とは、コルトの功罪の派生として得られる調薬技術。
この二つが事前に揃っているとなれば、それは最高の商売になるだろう。金を持っている国を相手に、言い値で買うしかない必需品をこれでもかと売りつけられるのだから。
そして、その売買の仲介役にサーバ村の村民を使う。彼らはこれから始まる未曾有のパンデミックを事前に乗り越えた生き証人であり、広告塔としてこれ以上のものはない。
更に魔物から渡される薬、という怪しさを人間を中継に挟むことで緩和することもでき、本来はウィドの国民というのも排他的な意識を薄れさせる効果を狙える一石三鳥の働き手になり得るのだ。
加えて、魔王ウルの庇護がなければまた元の貧しい暮らしに戻る……という枷が最初からついているという、お手軽支配も可能なおまけつきである。
「えーと……一応聞くけどさ?」
「なんだ?」
「その大事件、多分未然に防げるよね? いやそんなことする義理があるかって言われたら微妙なんだけど」
コルトは良識の面から魔王ウルへと質問した。
もし、ここにいるのが良心と良識を持った救世主ならばコルトの言うとおり『如何に病を広げないか』を考えることだろう。
だが、ここにいるのは人の命など何の関心も持たない魔王なのだ。ならば、当然人を救うなど一切考えず、自分の利益のみを追求するつもり満々なのであった。
「いいことを教えてやろう。正義の味方は事件が起こらないように尽力するが、悪魔は事件を利用しようと虎視眈々と狙うのだ」
一切悪びれることはないと、魔王ウルは断言した。
本当に善良で正しい行動をするならば、最善は何の事件も起こらない平和な時を作り出すことだ。言ってしまえば、英雄的に活躍できるような大事件が起った時点で正義の味方としては敗北しているということである。
魔王ウルに言わせれば、英雄だのヒーローだのと讃えられているような類いの大半はまがい物である。真の正義の味方とは、事件を未然に防ぐ表に出ない者であると。憐れな犠牲者を颯爽と現われて救う者ではなく、誰も不幸にならない内に問題を解決してこそ正義の味方であると。
故に、魔王ウルは存分に事件が起きるまで待ってから颯爽と現われるのだと、悪魔らしく正々堂々宣言するのであった。
「了解。でも、広がるの? 今のところこの村だけで収まっていたみたいだけど」
「それに関してはお前が四苦八苦している間に調査済みだ」
ウルは魔道祖の魔眼によって、村人を見ただけで骸蛭の存在に気がついていた。
それをコルトに教えなかったのは試練の一環であるが、その間に色々調べていたのだ。
「奴の卵は既にあちこちに広がっている。この村周辺でだけいち早く広がったのは、こいつがあったせいだな」
そう言って、ウルは一枚の葉っぱを取り出した。
「あ、それって例の?」
「そうだ。この辺りに自生している特産品の茶葉だ。蛭のエサとして有用な、な」
「うん……それで?」
「この茶葉が奴の蛭と偶々相性がよかったのは完全なる偶然だ。だが、その偶然のせいでこれに卵が大量発生し、それを茶にして飲んだせいで一気に広まった。逆に言えば、他の地域では中々いいエサが見つからずにまだ問題になるほど蛭の繁殖が進んでいないということだな」
「あー……つまり、ここだけ偶々繁殖が早かっただけで、他もいずれはってことね」
小国アルバン崩壊の際、骸蛭の卵はそこら中に飛び散った。
サーバ村……ひいてはウィドにもその卵は飛んできたわけだが、偶々サーバ村周辺にだけ自生していた植物が繁殖環境に適していたせいでここまで爆発的に広がったというのがアラシャ相手にも語った事の真相である。
なにせ、聖人ルーカスですらこのルートで気がつかない内に寄生されていたくらいだ。
「ウィド以外の国にも当然卵は飛び散っていることだろう。これは魔王国の一大産業になることだろうなぁ……」
人の不幸は蜜の味。人の命は金の種。
まさしく悪魔の思考で、正々堂々悪辣に金を稼ぐルートを構築していく魔王ウル・オーマ。
人道的に考えれば最悪なように見えて、しかしこれから先多く広まるだろう患者達を救う救世主であると言われれば決して間違ってはいないという悪魔的案配のもと、魔王国は金欠問題を一気に解消するのであった。
今後、魔王国は医療大国として一気に知名度を上げ、同時に莫大な資金を周辺諸国から入手することになる。
また、ある程度薬が広まったところで『特許』と称し、薬の調合法を公開することになる。このレシピを使用して薬を作った場合、一定の使用料を納めることを条件にして。
その後、各国で薬の生産が行われ、国との契約である以上公に作る分にはしっかりと使用料を納める他なく、更に魔王国は潤うことになる。
当然、そんなことをされても黙っていればわからないと無視する者も多くいたが……魔王との契約は絶対。
愚か者は魂の献上という形で更に魔王を富ませるのであった。
「これで、当面の問題は解決だ。ではそろそろ、帝国へと挨拶をしなければならんな……」
国としての確かな地位を確立した後、魔王国はガルザス帝国へと正式な外交を行うのだった。
◆
――それからしばらくしてのこと。
「……起きろ、木っ端悪魔」
「ぐ、お……」
悪魔の書を強奪した魔王ウルは、特別な場所で悪魔ヨグニを強制召喚するのだった。




