第211話「怖かったよなぁ……」
「な……何事だ?」
神器が自分から離れていった途端、魔王に食われた。
その意味不明な状況に、ルーカスは目を丸くして唖然とするほかなかった。
「ふぅぅ……ハッ!」
神器を取り込んだウルは、取り戻した自らの功罪を発動する。
背に、槍のような白い骨を等間隔で並べ、その間を黒い皮膜で埋める。そんな構造の、悪魔を思わせる筋張った翼を広げたのだ。
「羽生えた……」
コルトがウルの変化になんとも言えない表情で呟いた。
獣人系の魔物に悪魔の翼というのはややミスマッチのようにも思えたが、放っている邪気がその違和感を消していた。
魔王ウルという邪悪に付けるのならばこれ以外にない……そう思ってしまうくらいに、この禍々しい翼は魔王の一部として相応しいものだったのだ。
「久しぶりに取り戻したせいか、少々不思議な感覚だな」
今までなかった翼が背に生えるなど、手足が一本増える以上のことだ。
体感千年以上失っていたものを取り戻したウルは、軽く動かしながらそういえばと考えるのだった。
(思えば、正気で神器を手放した七聖人はこれが初めてのケースだったか)
過去に神器を奪い取った七聖人は、いずれも精神にダメージを与えた上で悪意の影でトドメを刺した状態だった。
しかし、今目の前にいるルーカスはあくまでも『説得』されただけであり、精神に問題はない。すなわち、正気のまま神器の正体を知ったわけだ。
「何故、神器を魔物が捕食すると翼が生えるのだ……?」
「ならば教えてやろう。ついでに、翼の試運転にもなる」
「なに――」
「【魔王の功罪・飢餓の翼】」
ウルは翼を大きく広げ、地面に向けて一度大きく羽ばたくことで飛膜から風を起こした。
その風には明らかに害がありそうな黒い粒子が含まれており、この場にいた全員が思わず身構えてしまうものだったが、誰一人回避できないまま黒い風を浴びてしまうのだった。
「何を――」
「うむ……久しぶりに使っていきなり変則使用だが、問題なく繋がったな」
「繋がる……!? 神器が、魔王の封印だと!?」
ルーカスは何か天啓でも受けたかのように一瞬呆けたと思ったら、魂の底から声を出しているかのような絶叫を放った。
ルーカス以外の面々も、それぞれ微妙な表情で自分の中に流れてきた何かを咀嚼している様子だ。
「飢餓の翼は、俺と他者の間に繋がりを作る能力だ」
「繋がりを作る……?」
「感覚の共有、という方がわかりやすいか? この翼から放つ黒い粒子は俺の思考や感覚を溶け込ませたものだ。これを浴びたものは、俺がばらまいた感覚や知識を直接体感することになる」
飢餓の翼は、ウルの持つ知識や感覚を第三者に強制的に与える能力である。
ウルから第三者への一方通行であるが、羽ばたき一つで情報の伝達から自分の状態を伝えるという応用法があるのだ。
もちろん、本来の使い方は別にあるのだが……それを、この場ではコルトだけが何となく察した顔になるのだった。
「これ、味方には情報の伝達ができて便利だけど、敵に使う場合は痛みとかストレスとか、そういうのを押しつけたりできる奴だよね多分」
「ククク……中々勘が鋭くなってきたではないか。いや、新しい功罪の能力かな?」
コルトは新しく会得した蠱毒の功罪を発動し、ウルから受け取った黒い粒子を分析したようだった。
その結果、悪用するとかなりエグい使い方もできるだろうと直感したのだった。当然、持ち主が魔王ウルである以上、コルトが想像するよりも遥かに危険な使い方ができるのだろうともまた確信している。
「馬鹿な……七聖人が、魔王封印の人柱だったというのか……!」
「これは……思った以上のネタが手に入っちゃいましたねー」
一方、あくまでも既知の情報を教えられただけの魔王軍とは異なり、驚愕の真実を叩き込まれたルーカスとアラシャの反応は大きかった。
特に、張本人であるルーカスの動揺は大きい。今まで無条件で信頼していた神々が、実は人間のことなど何とも思っていないとしか言いようがない扱いをしていたと知らされたのだから。
「いや……しかし、これを信じる根拠は……」
「別に信じなくともよい。ただ、俺がこの翼を何故取り戻したのかは理解してもらえたと思うがね」
ルーカスは今までの常識を守ろうと、ウルの与えた知識を否定しようとした。
そんなルーカスにもう用事はないウルは、ここからは自分のターンだと話を進めるのだった。
「さて……先ほどの条件、覚えているな?」
「はい……何か手伝え、とのことでしたね?」
「あぁ。本来は強行突破するしかないかと思っていたのだが、ここで翼を取り戻せたのは本当に運がいい……」
そう言って、ウルは翼をメキメキと音を鳴らして震わせる。
翼の骨の部分を伸ばし、槍のような形状に変化させたのだ。その矛先を、ルーカスへと向けて。
「黒い粒子は俺から他者への一方通行。だが、翼の槍を突き刺せば、その間は他者の感覚を俺のものにすることができる」
「……これを俺に突き刺すと?」
「そうだ。それがこの場を見逃す条件だ。嫌だというのならば、契約は不成立として力ずくということになるが……?」
ウルはちょろちょろと翼の槍をルーカスに向けながら嗤う。自分はどちらでもいいと。
そんな魔王に、ルーカスは一つため息をついて無言で槍を手にするのだった。
「ここで断ることは一切の得にならん。素直に受け入れよう……どうすればいい?」
「ならば、手の甲にでも刺してみろ。別に貫通するほど深く刺す必要はない。数ミリ刺さるだけでも問題はないからな」
ウルの言葉に従い、ルーカスは手の甲に軽く骨の槍を刺した。
同時に、自分の身体から何かが吸い出される……否、広がるような感覚を覚えた。魔王ウルと、聖人ルーカスの間にパイプが作られたのだ。
「よろしい。では、聖人の権限を借りるぞ――【魔王の功罪・魔道祖の魔眼】」
ウルはルーカスとの接続を確認した後、更なる功罪を発動させる。
額に現われた第三の目を全開にし、遙か遠くを睨み付けるのだった。
「この方角は……禁忌の地、か?」
ルーカスは魔王ウルが見つめた先に何があるかを察した。
同時に、ここまでの話の流れで魔王が何をしたかったのか仮説を立てる。
(禁忌の地の結界……その突破か!)
七聖人以外立ち入りを禁じる、とされる禁忌の地。ルーカスが悪魔の書を封印しようとしていた場所だが、そこは何もしきたりだけで立ち入り制限をしているわけではない。
強力な――人の手では決して張ることのできない神々の結界が彼の地を守っているのだ。立ち入りを許された七聖人以外の全てをはじき返す、無敵の結界が。
それも、あらゆる干渉をはね除ける強力なものだ。物理的な侵入はもちろん、空間転移もはじき返し、千里眼の類いでも中を見ることすらできない。外界から完全に隔離された空間なのである。
唯一例外としてその結界を通れるのは現役の七聖人のみ。今のルーカスにその資格があるかは本人としても微妙なところだが、まだ除名されたわけでもなければ神器も元の姿に戻ったとはいえこの場にあるのだから恐らく大丈夫だろう。
魔王も、恐らくそう考えたのだとルーカスは考察する。
この『感覚を共有する功罪』の力で、一時的にルーカスの持つ権限を自分と共有させて結界を突破し、外見から千里眼の類いだと思われる功罪を発動させているのだろうと。
「ク――ククク! クハハハハッ!! なるほどそうか、そういうことか!」
しばらく禁忌の地の方角を第三の目で見ていたウルは、突然狂ったように笑いだした。
その様子に一歩引く面々であるが、ウルは一切気にせず手に入れた値千金の情報を吟味するのだった。
「何故あそこまで派手に動いて神共が直接干渉してこないのかと疑問に思っていたが……まさか、干渉しないのではく干渉できないのだとはな!」
ウルの嘲笑が周囲に響き渡る。それこそ、天界の神々にまで届けと言わんばかりに。
「そうだよなぁ……怖かったよなぁ……。まさか、かつて天界に直接攻め込み神の躍り食いをやってみたのがそこまで恐怖だったとはなぁ……!」
この上なく愉快だと言わんばかりに笑い声を止めないウルだが、その笑い声を聞いているだけで何か精神を病みそうな邪気も感じた。
このままだと夢に出てきそうだと、コルトが代表してウルに問いかけるのであった。
「えーと、ウル? 説明してくれないと僕らはちんぷんかんぷんなんだけど?」
「おっと……それは悪かったな。何、実に滑稽な話なのだがな?」
ウルも説明するつもりらしく、笑いを止めてコルトに答えるのだった。
「俺の読みでは、ル=コア王国を滅ぼした時、恐らく神共は俺の復活を察して動くと思っていた」
「うん、前にそう言ってたよね」
「今の俺はまだまだ全盛期にはほど遠い力しか持たないが、だからこそ早めに潰すのが最も確実な戦略だ。それは誰もがわかることだが、何故か神共は現われない。それを探るのも今回の旅の目的の一つだったわけだが……何とも笑える話でな? 奴ら、この地上と天界を繋ぐ門を塞いでしまっているのだよ」
「塞ぐって……こう、魔道的な封印で?」
「いや、その手のものも多数あるが、要は異なる。もっと物理的に、破壊不可能な超硬度超重量のとあるもので蓋をしてしまっているんだよ。それこそ、神共であっても退けられないほど念入りにな」
「え……それって……」
「二度と自分達以外の存在が天界に上がってこないようにしたかったのだろうなぁ。確かに、俺クラスが再び攻めてくる可能性をゼロにするには合理的な判断だ。神共の方で開閉できるような仕組みを作ってしまえば、俺に開けられないはずがないのだから」
エルメスの神々は、地上と天界の行き来を完全に封鎖してしまったのだ。
そうすれば、神以外の存在が天界にやってくることはない。その代わりに、自分達も地上に降りることができなくなり、統合無意識を介して魔力を送るくらいしか世界に干渉できなくなるわけだが。
そこまでした理由は、十中八九魔王ウルその人のせいである。
かつての戦いで天界まで攻め込み、神の大半を食い殺した神からすればこれ以上ない恐怖の事件。
その悲劇を二度と起こさないために、外との交流を遮断するというのは間違った考えではないだろう。魔王を封印から逃がしてしまえば、簡単に追撃できなくなるというリスクを考えなければだが。
「しかし……そうなるとこちらも考えねばならんな。よりにもよって、アレを蓋代わりに使うというのも腹立たしい話だ」
ウルは神の敵である。それはこのまま『お互い不干渉でいようね』なんて生ぬるい共生を許すことなあり得ない、絶対の悪意だ。
今戦えば確実に神々が勝つという状況で開戦不可というのはウルにとって都合のいい話だが、いずれ破らねばならない障害を見定めたという意味でも有益な情報であった。
「……おっと、繋ぎっぱなしで悪かったな」
「別に構わんが……身体に害は無いのだな?」
「あぁ。俺は契約を守る。お前が対価を支払った以上、この場でお前に危害を加えることはない」
一頻り話し終えたウルは、まだルーカスとの共有を続けたままだったと振り向いた。
ルーカスからすれば嫌な感覚であるのは間違いないだろうが、事実として体調に変化はない。元々最悪である、というだけかもしれないが。
「想像よりもずっといいものを得てしまった……どれ、追加で対価を払ってやろうか?」
「なに?」
「そうだな……俺の殺し方、でどうだ? かつての戦いで、神共が俺を殺したときのやり口を特別に体験させてやろう」
「ハ――」
「特別サービスだ。お前にだけ、見せてやろう!」
ウルはそう言って、翼で直接繋がっているルーカスだけに自らの知識――記憶を共有する。
決して捏造することなどできない、記憶の共有。100%嘘偽り無しの古代の戦いを、魔王視点でルーカスに体験させるのであった。
その間、一秒にも満たない。共有は一瞬で終わるのだ。
しかし、その僅かな時間でルーカスはブワッと大量の汗をかき、そして――
「ば、馬鹿な……! アレが、神のやることなのか……!?」
仮にも七聖人として、絶対にあり得ない感情。
悪意の影に侵されたわけでもない、100%自分の意志で神々への憎悪をその瞳に宿すのであった……。