第208話「今ならできると思うんだよね」
「第三進化……だが、その程度で僕を――」
「もしも本体だったなら、今の僕よりも上だったのかもね。でも――」
「っ!? 速――」
力を大幅に上げたコルトの速度に驚く悪魔ヨグニ。新たな進化を手にしたコルトに対し、それでも自分の方が上だと不遜に笑うも次の瞬間懐に入られていたのだった。
空中用歩法術、地の型・瞬空。無の道による足場の作成と地の型・瞬進を組み合わせた空中戦用の高速移動である。
「ハッ!」
「グオッ!?」
コルトは全力でヨグニの身体に拳を叩き込んだ。先ほどまでの第二進化体の状態で同じことをしても、恐らくはヨグニの魔力に阻まれて有効打にはならなかっただろう。
だが、今の蠱毒犬人の姿ならば十分通用した。単純な腕力、魔力による攻撃力だけでヨグニの障壁を完全に抜いたのだ。
「なんで……!? たかが第三進化程度で!」
「相性の問題じゃない? お前と僕、今相性が最悪だからね!」
コルトの連打がヨグニの身体を吹き飛ばし、それを追って更なるラッシュを叩き込む。
何故コルトの打撃がここまで効くのか。それは蠱毒犬人となったコルトが発動している【蠱毒の功罪・殺戮免疫】の影響だ。
特定の対象に対する特効能力を得るこの功罪によって、今コルトは自身に寄生していたヨグニの魔力から生まれた骸蛭に対抗する免疫魔力を作っている。
すなわち、ヨグニの守りを効率よく破壊することができる魔力を纏っているということだ。その差によって、量だけでいえばまだまだヨグニが勝っているにもかかわらず真正面から圧倒できるのだ。
「ぐ、おっ!?」
「それに――お前は、格闘戦に全然慣れていないみたいだし!」
正拳、手刀、足刀打ちと、拳も蹴りも面白いようにヨグニの身体をたたき伏せていく。
格闘戦を始めてから僅かな時間しか経っていないが、それでもコルトは確信していた。この悪魔は、近距離における白兵戦に全く慣れていないと。
「お前の功罪、冒涜の功罪だっけ? その効果は、とても怖いものだ」
「グオッ!?」
胴体に突進の勢いと体重を乗せた肘打ちが入った。
もしヨグニに頭があれば、今頃胃液を吐き出してのたうち回っていただろう。
「何せ、効果発動を許せば詰みっていうんだから質が悪い。それを避けるためには、誰だって遠距離戦で何とかしようとするだろうさ。でも、それって逆に言えば、格闘戦を行う機会がほとんどないってことでしょ?」
「ぐ、うぅ……クククッ! いー読みだと言ってあげたいけどさ。じゃあ、キミはそんな迂闊な攻撃なんてしてもいいのかい? 最初の寄生すら、いつやられたのかもわかっていないんだろ?」
「いや? もう種はわかってるよ!」
「ぐあっ!?」
僅かに会話で時間を稼ぎ息を整えようとしているのを見て、意識が回復に移る直前を見計らって掌打を浴びせる。
更に、そこで格闘戦縛りを止めて魔道を解禁するのだった。
「[無の道/四の段/怨鎖封呪]」
「この――!」
空中から禍々しいオーラを守った魔力の鎖が出現し、ヨグニの身体を縛り上げた。
これは他にも類似する魔道が複数ある拘束、封印系の魔道であり、特に邪悪な存在を封じる時に高い効果を発揮する特性がある。
原理としては、封印対象を強く憎む者達の果たされない恨みの念を呼び寄せて鎖を強化しているのだ。邪悪な存在とはすなわちより多くの恨みを買っているという意味であり、ある意味強い者なら大抵は有効とも言えるのだが。
とはいえ、術者の近場から時間経過で浄化されていない念を集めるだけなので、近くに対象を憎んでいる存在や魂がいなかったり最近特に恨みを買うようなことをしていない場合はあまり効果がないのだが、直近で大量の呪詛の念を向けられている『小国を滅ぼした悪魔』ほど強く縛れる相手は早々いないだろう。
「この功罪を得た瞬間から、自分の身体の状態がよくわかるようになってね。おかげで蛭の侵入ルートもすぐにわかった。……あの寄生された村人がタックルしかけてきたときでしょ? 僕に仕掛けたのは。あの後すぐに爆破なんて派手なことをしてくれたおかげでそれをすっかり忘れてたよ」
「フフフ……名推理じゃないか。でも、それがわかったところで――」
「うん。多分、きっと僕なんかよりずっと経験豊富な悪魔ヨグニが冷静になればいくらでも対処できたと思うよ。自分に接近戦を仕掛けてくる奴なんているはずがない、って慢心もそろそろ薄まっているだろうし」
コルトの功罪はまだまだ誕生したばかりだ。そこまで臨機応変に使いこなすことはできないだろう。
対して、ヨグニの【冒涜の功罪】は百戦錬磨であり、今コルトが纏っている免疫魔力では対応できないような性質変化を持たせるくらいはできたかもしれない。
しかし、冷静さを失っていてはそれも不可能。コルトは実際には綱渡りであることを理解しながらも、余裕綽々という態度で一気に追い詰めてここまで対処させないようにしてきたのだ。
まるで、どこかの魔王のように威風堂々と。
「だからこれで終わりにする」
「あ……?」
「今ならできると思うんだよね……六の段」
コルトは先ほどと同じく、魔道の鎖で縛られ空中に固定されているヨグニへ向けて両手を突き出した。
「理論だけならわかっているんだよ。魔道鍛錬用だって言って、一通り本を貰ったから」
魔王ウルは、魔道を仕込んだ後自分の知識を本に書き記していたのだ。
閲覧制限の類いは特にかけられておらず、ウルが拠点としている屋敷の図書室へと赴けば魔道士ならば誰もが人を殺してでも手にしたいという知識が無造作に転がっている。申請さえすれば魔王国国民であるという条件のみで誰でもそんな知識が手に入る環境なのだ。
コルトも、力量的に使用不可能というレベルのものであっても知識だけならば頭に入れてある。それこそ、古代魔王国で使われていた現代では再現できないような超高位魔道に至るまで。
最近では元魔神会会長マジーが入り浸っているくらいで、残念ながら常人では理解できないという理由で利用者数自体は少ないのだが。
「といっても、これは僕の思いつきだけど」
コルトは今まで手の届かなかった高位段の魔道であることに加えて、更に自分のオリジナルを作り出そうとしていた。
それは別に慢心や過信からくるものではなく、むしろより成功率を高めるための挑戦だった。
(魔道は理論。事前の計算に間違いがなければ、問題はないはず……)
コルトの両手の先に魔力球が生成され、更にそれを覆う外殻が形成されていく。
先ほども使った、竜口砲と同じだ。実際にコルトが作ろうとしているのは竜口砲であり、そこに今の自分特有のアレンジを加えようとしているという話であった。
すなわち、既に会得している魔道をたたき台に今まで一度も使ったことのない六の段という領域への足がかりにしようとしている、ということである。
「流石に進化しただけのことはあるね。もう実戦登用には十分な時間で完成したよ」
「グ……もう、少しでこんな鎖……!」
「[無の道の重ね/六の段/毒竜砲]!」
完成したのは、先ほどと同じ竜の口を模した発射台。ただし、先ほどのが青く輝いていたのに対し、今コルトの手の中にあるのは毒々しい紫色の魔力だ。
これは全て、コルトの免疫魔力で構成されている。竜口砲の大魔力砲撃に自身の功罪を組み合わせる――魔道で言えば命の道――それがコルト流六の段だ。
「その仮初めの身体、今度こそ消し飛ばす!」
「グ――キエェェェェッ!!」
紫の魔力が無防備に縛り上げられたヨグニを飲み込んだ。
四の段で構成されていた鎖は瞬時に解除され、ヨグニの身体は砲撃の中で吹き飛ばされる。
同時に、ヨグニを構成している魔力を破壊することに特化した魔力がヨグニの身体を崩壊させていく。即死の猛毒を注ぎ込まれたかの如く、細胞の一欠片すらも残すまいと最上級の殺意に満ちた力を持って。
「ばか……な……」
現実を認められないと言わんばかりの小さな呟きと共に、ヨグニは紫毒の中に消えていくのだった。
「……ふぅ。終わった……」
ヨグニの気配は消え去った。完膚なきまでに、仮に再生能力の類いを持っていたとしても無意味と断言できる殺意に満ちた力によって消滅したのだ。
だが――
(これで、聖人がどうなるか……)
想像以上に消耗が激しかったと、間違いなく生涯最大の魔力消費だったと肩で息をしながらコルトは地上の聖人と吟遊詩人アラシャへと視線を向けた。
ヨグニは別に死んだわけではない。そもそも、正体が功罪武器であるヨグニは力を失っただけで本体の本は無傷なのだから当然だ。
それでも、また一から魔力や魂を回収して力を溜めなければ外界に出てくることはできないはずだ。その状態で、一度発動した功罪によって生み出された骸蛭の影響が残るのかは未知数だが……。
「ヌゥゥゥ――カァッ!!」
コルトが警戒するなか、聖人ルーカスは気合いを込めて魔力を一気に放出した。
それを見て、コルトは全てを察した。どうやら、骸蛭が消滅するということはないが、改造による命令はキャンセルされる、という結果になったようだと。
(あの聖人が体内の蛭に対抗できなかったのは、攻撃が禁止されていたから。多分、それがなくなって対処したんだろうね……)
蛭の影響そのものがなくなる、という一番簡単な解決には至らなかったが、結果的に聖人が解放されてしまった。
となれば、次に聖人との戦いになるのはもはや避けられない。何が何でも魔物を殺すことに拘る異常者……それが聖人なのだから。
(といっても、もうそんな体力ないんだけど……)
今の毒竜砲一発で、功罪獲得と進化で引き出せるようになった魔力もほとんど使い果たしてしまった。
本来格上の相手を殺すためにはこれしかなかったのだが、終わってみればなんともギャンブルだったとコルトは乾いた笑いを浮かべることしかできない。
「中々面白い見世物だったぞ」
「あ……遅い登場だね」
「あの程度の木っ端悪魔にも対処できないようでは死んだ方がマシな鍛え直しになるからな。まぁ……思っていたよりもずっと有益な結果に終わったがな」
どうしようかと思っていたら、背後に魔王ウルがいつの間にか立っていた。
更に、その後ろにはクロウ、マジー、アラフと同行していた魔王軍メンバーが各々の方法で空に立っていたのだ。
ようやく増援が来たとコルトは力を抜く。そんな姿に少しだけ『もっとシャキッとしろ』と言いたげな目を向けるウルだが、今回は許してやるかといつになく機嫌良さそうに視線を下に向けるのだった。
「さて……もうここに留まった目的はほとんど達成したのだが、せっかく想定していなかった豪勢なおまけがいるのだ。残さず平らげるとしようか」
ウルはその場で降下を始める。
それに付き従い、配下達もまた降りていく。コルトはもう休みたかったが、そもそも空中にいるだけでも消耗するので一緒に降りるのだった。
「ンンー……これは、何とも素晴らしいですねー」
「何が素晴らしいか……下がっているといい」
空から降りてくる魔王とその配下。何人か人間も混じっているとはいえ、明確な敵意を向けてくる集団に、消耗激しい聖人はそれでも槍を握るのだった……。