第203話「主義には反しますが」
(……今、あの聖人……自分から攻撃を外した?)
自分を無視して対峙する悪魔と聖人。ヨグニとルーカスの戦いを側で観察していたコルトは、今のルーカスの槍捌きに強い違和感を覚えていた。
「ぐおぉ……!」
「おやぁ? どうやら、弱っちゃってるみたいだね?」
そんなコルトの観察など無視して、ヨグニはルーカスの胸に指を向けた瞬間、鋼の精神力をもつルーカスは苦しみ始めた。
それだけで、神器による強化も失いルーカスは膝をついた。
「僕の玩具が身体に入っているみたいじゃないか。それじゃあ無理だ」
「何が……!?」
人類屈指の精神力を持つルーカスですら、耐えきれなくなり膝をつく痛み。顔には脂汗が流れており、その苦痛は想像を絶するものであることが見て取れた。
「キミ、真面目って言われるでしょ? 律儀にお話に付き合ってくれたおかげでちょーと弄らせてもらったよ」
「なにを、した……!」
ルーカスは七聖人。どんなことをされても魔力――聖人の衣でガードできるはずだった。
にも拘らず、何をされたのかすらわからずに苦しめられている。いくら神器の使用で弱っているとはいえ、七聖人である自分がここまで一方的にやられるなんて信じがたいとルーカスは必死に苦痛に耐えるばかりであった。
「お喋りに付き合ってくれたお礼に、少しだけこの僕、冒涜の悪魔ヨグニのことを教えてあげよう。冒涜の悪魔である僕の所有する功罪は【冒涜の功罪・歪む進化】……生命を改造する力さ」
「生命を、改造する……だと?」
自分に苦しみを与えている能力を指して上機嫌に『生命の改造』と述べた悪魔ヨグニに、ルーカスは乱れる思考を繋ぎとめてその真意を理解しようとする。
その言葉が本当であるとして、いったいどうして自分がここまで弱ることに繋がるのかと。
その一方――
(生命の改造……あの蛭か。魔物でもないのに無の道に近い能力を使って死体を操る寄生蛭、なんて自然発生するのかって思ってたけど、あいつが全ての元凶ってことだよね。ウルは病を解決しろって言って僕を放り投げて、その先にこいつがいるってことは……そういうことだよね)
ルーカスよりも多くの情報を持つコルトは、ヨグニの言葉の意味をほぼ完璧に理解できた。
この村を――いや、周辺一帯の生命体を脅かしている寄生蛭は、こいつが生み出したものなのだと。
「前の所有者君が、武力で劣っても標的を殺せて、しかも可能な限りその尊厳を貶してやれる武器が欲しいと願ったのさ。だから与えてあげたんだよ、僕の能力で生み出された卵をさ。願い通りの性能を持たせることには成功したけど、制御できずに王族も貴族も平民も皆みーんな、それどころか自分自身まで死んじゃったんだよね」
「いったい、何の話だ!」
(あの蛭、確かに敵の一人にでも寄生させればガンガン広がるだろうなぁ……。僕もまだ突き止められてない感染ルートもありそうだし、制御できないなら敵どころか味方も全滅するのは不思議な話じゃないね)
歪む進化、と名付けられた功罪の詳細は不明だが、危険生物を作り出す能力だと仮定するならば管理できなければ被害は膨れ上がる一方だろうとコルトも納得する。
どこぞの魔王も、生物兵器を作った挙句管理を放棄したせいで現代まで迷惑千万な怪物昆虫の繁殖を許していたりもしてたし……なんて考えながら。
「人間が人間らしく愚かに滅びるのはどーでもいいんだけど、その時に所有者がいなくなって本に還るしか無かったんだよ」
独立した生命体であることを諦め、自らの魂諸共功罪武器へと変質したヨグニは所有者を介さなければ力を振るうことはできない。
所有者が消えれば、ヨグニもまた自ら封印された本の中に還るしか無いのだ。
「殺した人間や所有者の魂をそれなりに手に入れられたから実体化するエネルギーは溜まってたんだけど、消化には時間が必要だったからね。ゆっくりと実体化するためのエネルギーを蓄えようとしていたところにキミが現われて封印されちゃった、ってのが僕の近況だよ」
「ク……封印を緩めたのは、一生の不覚だ……!」
(……妙だね)
偶然にも強大な悪魔を封印できていたというのに、数々の問題が重なったとはいえその幸運を無駄にしてしまったと悔やむルーカス。
しかし、話を聞いていたコルトは今の話に矛盾があると疑問を持ち、思考を止めないまま手持ちの毒物を準備していくのだった。
(所有者がいなければ力を使えない意思を持った功罪武器。そんなのがあることはウルから聞いたことあるけど、だとすると……今のあいつの所有者は誰だろ?)
コルトが引っかかったのは、今の所有者の存在であった。
横から話を聞いていただけであるため、コルトが持つヨグニの情報はここで見聞きしたものだけ。しかし、それでもわかることとして、ヨグニの本体がルーカスが悔しげに取り出した本であるということだ。
となれば、今依り代となる所有者はいったい誰なのかと、コルトはバレないように無の道で毒物を魔力球に入れて散布しながら考えるのだった。
(所有者って言うくらいだから、第一候補は文字通り所有しているあの聖人だけど……本人に自覚はないみたいだしどうなんだろ? 多分あまり距離は離れられない? この場にいるのは僕を除けば聖人、変な人間の女の人、村人数人、ヨグニ本人……。でも、遠隔で動けない保証もないし消去法で考えるのは無理か。態度を見る限り持ち主の命令で動くって言うよりは、依り代的な扱いをして居ればいいって感じかな?)
コルトの予測でしかないが、ヨグニは所有者自身の意志、命令など全く聞き入れるつもりはないのだと考えられる。
話しぶりからして実体化するにはそれなりに魔力が必要であり、その魔力を得る過程では所有者自身に力を使わせる必要がありそうだが、実体化してしまえばその必要はないのだろう。
それでも、功罪武器である以上持ち主が居るという前提だけは必要。そこから推察されるのは、持ち主自身も持ち主である自覚がない、という可能性だ。
「……アラシャ! すまんが、村人を逃がしてくれ!」
「ンンー……いいんですか? 加勢しないでも?」
「悪魔の相手を一般人に任せるつもりはない! 本来ならば民間人の誘導も任せるのは心苦しいのだが……せめてもの償いだ。俺が責任をもって悪魔……ついでにコボルトを滅ぼす!」
(あ、ついでに滅ぼされそう)
ルーカスは必死に立ち上がり、戦況を黙って見ていた吟遊詩人アラシャに残った村人の避難を託した。
コルトからすると、不自然に派手な格好をした人間の女、という立ち位置不明の謎の人物なので少しでも情報を集めたかったのだが、悪魔のついでに殺すと言われてムカッとするのだった。
「僕を滅ぼすか……無理だと思うよ?」
「舐めるな……!」
「いやいや。舐めるとかじゃなくてね? もう勝負……ついてるから」
「グオッ!?」
ヨグニが指らしき部分を立てると、ルーカスは再び崩れ落ちた。
無理も無いだろう。普通の人間ならばとっくにショック死している激痛を絶えず与えられているのだから。
「僕は他の生物を改造するわけだけど、その方向性に関わらず絶対に加える条件がある。何かわかるかい?」
「知った、ことか!」
ルーカスは、再び気力を振り絞って槍を振り回す。既に意識が朦朧としているのか、その槍捌きは平時のそれと比べれば速度も威力も大きく落ちていた。
しかし、そんなことは一切関係なかった。なにせ、ヨグニは一歩も動いていないにもかかわらず、ルーカスの槍はかすりもしないのだから。
「何故……!」
「これでわかったかな?」
(改造ってので加える条件に『自分を攻撃することを禁じる』みたいな項目があるってところかな)
どこまで詳細な条件が付けられるのかはわからないが、コルトは自分の予想は当たりだろうと考えた。
いつ『聖人ルーカス』に対して功罪を発動したのか、何故聖人を相手に功罪を通すことができたのかという疑問はあるが、今の様子を見る限り間違いは無いだろう。
「いや、もしかして――」
「さて……と。せっかくだ。キミ達全員、僕のシモベとして使ってあげよう――【冒涜の功罪・歪む進化】!」
枯れ木のような手足を思いっきり広げ、ヨグニは功罪の発動を宣言した。
同時に、反射的にコルトは準備していた魔力球内の毒薬を自身の周囲に散布する。多少自分自身にも影響が出かねない濃度だが、数多の恐怖経験がそうすべきだと訴えてきたのだ。
(発動条件は宣言だけ? 何が起きる?)
毒の防壁を纏いながら、コルトはヨグニを観察する。
すると、ヨグニからは如何にも呪いと言わんばかりの黒い靄が出ていたのだが、それに混じって小さな何かが無数に飛んでいることに気がついたのだった。
「グッ!?」
「あら?」
「うわぁぁ!?」
(あ、キャッチ)
聖人ルーカスが、吟遊詩人アラシャが、その他村人達が飛んできた何かに驚きの声を上げ、命中した者は苦悶の声を上げる中、コルトは一つだけキャッチする事に成功する。
そして、手を開いてみると――
(寄生蛭……? 功罪の発動と同時に寄生蛭が飛ぶってことは、もしかしてこれがキー?)
コルトの掌の上で、毒にやられて悶え苦しんでいるのは寄生蛭であった。
そんなコルトの行動を目視したヨグニは、頭部もないのにニヤニヤ笑っていることがわかる声で初めてコルトに注意を向けるのであった。
「おやおやおや? ただの下等魔物かと思ったけど、思ったよりもいい反射神経しているじゃーないの」
「そりゃどうも……この蛭が、アンタの功罪の正体ってことでいいのかな?」
「アハハ……まあ、見られちゃったなら仕方が無い。そうだよ。僕の歪む進化は寄生蛭を媒介として発動する。功罪によって生み出した寄生蛭を、改造したい生物に埋め込み、そこからそいつを自由に変化させるわけさ」
「あの蛭液がその改造を施すものってことか……」
「あらら。結構しっかりと調べてるのかな? ま、答えを教えてあげると、対象を吸血して殺した後動死体に改造して更に寄生主を増やそうとするんだ。僕は骸蛭って呼んでいるよ。その付属効果として、寄生されると生きているうちも僕に攻撃できなくなるおまけ付き」
コルトは寄生蛭――骸蛭は自身の繁殖のために死体を操っているのかと思っていたが、本質は逆だったことを知る。
本命は、対象を殺して暴れ回る死体への改造だったのだ。蛭自体の繁殖が最終目的ではないという歪んだ生態までは予測できないのは仕方が無いが、そんなことよりも今の状況が不味いとコルトは冷や汗を流すのだった。
「そんな毒をまき散らしてまで防御してみせたのは、素直に褒めてあげよう。でも――そこからどうするのかな?」
「あはは……どうしよ」
コルト自身は寄生を逃れることができた。飛び散る蛭は何匹もコルトに命中こそしていたが、届く前に毒で死んでいたので影響はない。
だが――この場にいるコルト以外の大半の生命体は、弾丸のような速度で打ち込まれた蛭の寄生を許したのは間違いのないことであった。
(僕以外誰も来ないのはウルの嫌がらせかと思ったけど、こういうことだったのかもね……)
魔王ウルが悪魔ヨグニのことを知っていたかは定かではないが、これは徒党を組めば組むほど厄介になるタイプの能力。
コルトは敵の性質を理解すると同時に、周囲が敵だらけの上に迂闊に援軍を呼ぶこともできないという状況に乾いた笑いを浮かべるしかないのであった。
「ンンー……これは仕方が無い、ですかね。主義には反しますが、私も舞台に上がりましょうか」
「え?」
周囲の人間が皆白目を剥いて悶え苦しむ地獄絵図。
そんな中、派手な衣装の女だけが飄々とした態度を崩すことのないまま、何事も無かったかのようにコルトと肩を並べるようにナイフを抜くのであった。