第20話「時間は無いぞ」
「どうした、人間? 一撃も当てられないのか?」
コルトやゴブリン達が人間の剣士、グッチと戦っていた頃、魔王ウルは残る三人の人間を一人で相手にしていた。
脆弱な魔道では、あまり効果がない。敵の風貌からウルはそう判断し、接近戦を挑んでいる。不思議な輝きを宿すガントレットを付けた人間――コーデと、真正面からの格闘戦を行っているのだ。
「――ムンッ!」
「おお、当たったら痛そうではないか」
コーデの拳を、ウルは最小限の力で受け流す。
はっきりと言って、ウルとコーデが殴り合えば、100回戦って100回コーデが勝つと断言できるほどに力の差がある。小柄な体躯しか持たないコボルトと、素手での戦闘を得意とすると豪語できるほどに恵まれた身体を持つコーデでは、腕力にも体重にも差がありすぎるのだ。
常識から言って、喧嘩をすれば大きい方が勝つ。そこに楽観的な思想など、一切入る余地は無い。身体が大きい。それを覆すには強力な武器などの異なる要因が必要だと断言できるほどに、その単純なアドバンテージは大きいのである。
(……実戦で使うのは封印以来だが、何とか形にはできているか)
その巨大な差を、ウルは技術一つで覆している。コーデ自身も十分な技量を持つ格闘家であるというのに、その拳の全てを受け流しているのだ。
ウルが使っているのは、魔王国軍用格闘術。通称魔王流である。
かつて自らが治めた王国の軍が習得していた技術体系であり、力で全てを支配していた魔王として、ウルはその全てを熟知している。
この武術を使用するのは、魔王の国の兵士――つまり、多種多様な魔物達だ。それ故に、コボルトのような小柄な魔物用の技術も存在する。力に劣る者がより大きい者を倒すための技――最小限の力で敵を捌く『無の型・流水の構え』と呼ばれる防御術である。
「――ハッ!」
「全く、大した力だ」
コーデが放ったのは、全体重を乗せた正拳突き。その破壊力は、文字通り岩をも砕く。
しかし、ウルはその拳の力に乗るように小さく跳躍。相手の力と一体化することで、その威力を完全に殺した上で距離を取った。
「……見事な脱力。これが人間であれば、大した武芸者だと素直に褒められるのだがな」
「おやおや、魔物ではいけないのか?」
「ああ――敵を褒めるほど、人間ができてはいないのでな!」
コーデは、再び突進により距離を詰める。
ウルはその全てを受け流しにより処理するが、攻撃にはでない。攻撃に回す余力が無いためだ。
「どうした! 攻めてこないのか!」
「俺に傷一つでもつけられたら、考えてやろう」
しかし、もちろんそんな素振りは表に出さない。余裕があるから攻撃しない――という態度を取る。
コーデは破壊力重視の攻撃から回転重視の軽い打撃に切り替えて攻めるが、ウルは変わらず全てを受け流す。
相手の動きを見切り、相手の力に逆らわずに力の流れを少しだけ変える。珍しい技ではなく、多くの流派にある受けの型の一つだ。
だからこそ、対応力はかなり高い。そもそも多種多様な種族を相手にするのが前提であるため、想定している攻撃の種類が広いのだ。
それを可能にするのが、敵の動きを見切る洞察力。相手が動く前に、気の起こりを見抜き事前に対処する。そのレベルの洞察があって始めて可能となる高等技術である。
(――チッ!)
だが、その守りも徐々に破られていく。ウルの動きから、より効果的な打撃をコーデも模索しているのだ。
元々、今のウルの技は、本来のものより遙かに劣る。ウル自身、自分本来の肉体を失ってからいったい何年経ったのか……何千年封印されていたのか、それすらもはっきりとはわかっていない。それほど長い間、身体すら持っていなかったのだ。
ブランクがあるなんてレベルではない。まして、今の身体となってからまだ日が浅く、使い慣れているとはとても言えない。
そんな条件下であっても、技を技として実演できる。それだけで十分凄まじいことなのだが、技とはそれほど甘いものではない。
「どうした! 当たり始めたぞ!」
「――フン。少しはできるらしいな」
コーデの拳が、ウルの顔を掠めた。
本音を言えば、守るので精一杯。そんな有様なのに、その守りも徐々に抜かれていく。まだ命中とは呼べないものの、一撃ごとにそれに近づいているのは明白だ。
はっきり言って、ピンチだった。
(……後ろの二人は参戦する機会を窺っているだけか。逃げるにしても攻めるにしても、不意打ち狙い、といったところだな)
ウルはコーデの拳をギリギリで躱しつつ、後ろで待機している残り二人の人間へチラリと目をやる。
ウルは知らないことだが、残り二人の人間――サッチとシエンは戦闘の専門家ではない。真正面からの直接対決では、グッチにもコーデにも絶対に勝てない。それぞれの専門分野でチームを助けるのが二人の役割だ。
しかし、全く戦闘力が無いわけでもない。ハンターとなるのに必要な最低レベルは満たしており、特に実力派のみが所属する専属ハンターでもある二人は、専門外とはいえ並レベルのハンター相当くらいには戦える。
故に、正面からの斬り合い殴り合いには出られなくとも、不意打ちや奇襲、援護ならば可能。ウルの推測通り、無視するには危険な敵となり得るのである。
「さあ、これでどうだ!」
「グ――」
コーデは両掌を使い、諸手突きを放った。ウルはそれを受け流し、左右に散らすもそれこそがコーデの狙い。
初めから受け流されることを前提に放った諸手突きは、大きく流れることはなくウルの左右で静止。そのまま胴体を両手で挟み込んでしまう。
それを受け流そうとするも、左右からがっちりと固められては流しようが無い。コボルトの貧弱な胴体を太い腕が左右から挟み、圧殺しようと力が加えられたのだ。
「――図に乗るな、人間」
ウルは、今死にかけている。それは間違いの無いことだ。
コーデの力ならば、コボルトの身体を握りつぶすくらい簡単にできる。捕まった時点で勝敗は付いていると言っても過言ではない。元々、一撃でも許せば即死――力関係はそんなものなのだ。
しかし、そんな状況に追い込まれたウルの中にあった感情は、恐怖でも焦燥でも無い。
怒り。不本意な戦術により溜まったストレスが、たかが人間にいいようにやられている自分の状況が、強い怒りとなって全身を震わせる。
始めに禁じた力を、一瞬とは言え解放してしまうほどに。
「――痛ッ!」
コーデは両手に強い痛みを感じ、咄嗟にウルから離れるべく後方へと跳躍した。
そして自分の両の手を見てみると、何カ所か肉が抉られ――否、食い破られて血が噴き出していた。この程度で戦闘不能になることはないが、明らかに異常だった。
今まで見せていた格闘術では、あり得ない現象。ついに、敵が本当の力を見せたのだとコーデはその強面に笑みを浮かべる。
「――[無の道/二の段/十指連弾]」
ウルは情報を分析する時間を与えない。
距離が開いたことで、すぐさま魔道を発動させた。両手を前に突き出し、敵に向けたのだ。
それは無の道の一つで、指の先から圧縮した魔力を散弾のように放つものである。一つ一つの威力は精々小石をぶつけられた程度のものだが、数が多く完璧に防ぐことは難しい。威力は大したことはなくとも眼に当たれば失明の危険性もある以上、無視はできないものだった。
しかし、決定打にはならない。威力不足は確かなことであり、急所さえ守っていれば痛いで済むものであることには変わりない。事実、三人のハンターはそれぞれの武器防具を使い、多少の傷は受けつつも見事に防ぎきっている。
明らかに、消費する魔力と与えるダメージが釣り合っていなかった。本来ならば、この攻撃は有効ではないと判断し、別の手段を取るべき状況だ。
だが、ウルにはその手段がない。本来使うつもりでは無かった切り札を使わされたことで、大きく消耗してしまったのだ。
「ククク……このままなぶり殺しにしてやろうか?」
ウルは、そんな自分の状況を正確に理解しながらも強気は崩さない。
使える手札が限られていることを、敵に悟らせてはならない。使えないのではなく、あえて使わないのだと錯覚させる。今のウルにできるのは、そんなハッタリしかないのだ。
「……俺が血路を開く。それに合わせて、退避だ」
食いちぎられた両腕の傷の痛みが、ウルのハッタリを真実と思わせる。覚悟を決めたコーデは、リーダーとしての責任を果たすべく行動を起こす。小声で背後の仲間に指示を出した後、防御を解き前進したのだ。
既に最前線に出ていたグッチは安全圏にいる。驚愕と共に大きく後退したことで、逃げるには十分な距離を稼げている。
後は、魔弾の弾幕を止め、全員で後退すればいい。そのための隙を作るのは、リーダーである自分の役目であるとコーデは瞳に覚悟の炎を宿した。
「――唸れ【巨人の拳】!」
コーデは、自らの最強武器を解放する。今までの戦いでも使わなかった、とっておきの切り札を。
コーデが身に付けているガントレットは、グッチの剣同様コミューンに認められた功罪武器。魔道で言うところの無の道の性質を宿しており、魔力でできた巨大な拳を作り出す力を有している。
単純であるが、その汎用性は高い。作りだした魔力の拳を広げれば、巨大な盾に。真っ直ぐに放てば巨大な砲弾となるのだ。
盾にも大砲にも使える巨人の拳を、その両方の用途で起動する。ウルの魔弾を弾き飛ばし、砲撃のごとき勢いで巨大な拳がウルへと放たれたのだ。
「今だ! 全員離脱!」
拳を放つと同時に、コーデは反転して全力で駆ける。
あらゆる例外が考えられる功罪に絶対の法則はほとんどないが、発動に魔力が必要なのは全てに共通する真理。
功罪武器の場合、発動には武器自身が持つ魔力と持ち主の魔力を両方消費するのだが、大半の物が一度発動すると武器の魔力チャージにある程度の時間を要求される。
グッチの朱刃飛沫のように、間を空けずに使うと効果が落ちるものもあれば、一度使うと回復するまで使用不可能になるものもある。巨人の拳は、後者に該当する功罪武器だ。
つまり、もう一度巨人の拳を放つにはいくらか時間が必要であり、今の一撃を防がれた場合の対処法が限られるのだ。
底知れない謎のコボルトの力を、コーデはそこまで高く評価しているのである。あの小さな身体で自分と互角以上の格闘戦を演じ、更に魔道まで使える相手を警戒しないはずが無い。
希少な功罪武器を保有しているのは戦闘員のグッチとコーデだけであり、これ以上に強力な一撃は期待できない。他に手札がないわけではないにしろ、逃げるなら今だと状況確認の暇も惜しんで全力で離脱したのだった。
「……逃げた、か」
逃亡するハンター達の背中を、ウルは追うこと無く見送る。とても追う余力などない。
巨人の拳の直撃こそはギリギリで回避したが、避けきれずに左腕がへし折れていた。魔物の回復速度は速いが、今すぐ戦うことなどできるわけもない。
しかし、最低限の目的――こちらの戦力を過剰に評価させるくらいのことはできたはずだと、ウルは人心地が付いたと息を吐く。
治癒系魔道を駆使すれば、腕を治すのはそう時間はかからない。そんなことよりも、この僅かに稼いだ時間を有効活用しなければならないと、次の作戦へと意識を移行させる。
「ウル……その、大丈夫?」
敵がいなくなったことで、コルト達がウルの方へと恐る恐る近づいてきた。
コルト達がウルの負傷した姿を見るのは、これがはじめてのこと。その動揺は、本人達が思っている以上に大きい。
本人達はそこまで考えてはいないと思っていても、心のどこかで思っていたはずなのだ。この人について行けば、もう大丈夫なんだと。自分達は生き残れるのだ――と、心のどこかで考えていたはずなのだ。
それを否定する現実。絶対的な存在だと信じていた存在が、決して無敵ではないと思い知らされる結果。
それは精神的支柱が折れるに等しい現実である。
故に、動揺する。そんな配下の前で、王が見せるべき姿はたった一つである。
「細事だ。この程度ならば、何の問題も無い。それよりも……準備しろ」
「じゅ、準備?」
「この腕を治し次第、蜘蛛共の領域に攻め込む。時間は無いぞ」
王が見せるべき姿とは、常に自信に溢れたものでなければならない。
腕が折れている、力が尽きている。そんなことで、王のカリスマを失墜させていいわけがない。
内心を隠し、ただ臣下に絶対の安心感を与える。それこそが、王の取るべき姿なのだ。
「え……え? ……えええぇぇっ!?」
もっとも、自信に溢れすぎたその発言に、小市民な臣下は振り回されるのだったが……。