第199話「神のご加護を、というわけだ」
「ヌンッ!!」
神官の法衣に身を包んだ大男が繰り出す槍の一撃で、無数の獣が消し飛んだ。
「やれやれ……まさかこうなるとは思ってませんでしたね」
旅芸人の衣装に身を包む美女が手にするナイフで、一匹の獣は首と胴が泣き別れになる。
「負の気配は感じん。不死者の類ではないのか……?」
「明らかに死んでいるのに動いているのにですか?」
葬儀の後に行う食事のため、狩りに出た聖人ルーカスとそれについてきた吟遊詩人アラシャ。
狩場として訪れた森に命の気配がないことを察知し、その調査のため本来入るつもりはなかった森の奥深くまで入り込んだ二人は突如現れた獣の群れに襲われていた。
それも、ただの獣ではなく――生命活動を停止していると一目でわかる損傷すら見られる、獣の死体に襲われているのだ。
「これでも聖人の端くれだ。払うべき邪悪であるかくらいは見分けられる」
本来ならば、そんな動死体の類を見ればすぐさま不死者と判断し浄化するのが聖人の義務だ。
だが、目の前の襲い掛かる死体からはそういった不死者特有の気配がしない。聖人であるからこそ、ルーカスはその判断に絶対の自信を持っていた。
「よくわかりませんね。そこまで強くないのが救いですけど」
困惑しながらも、ルーカスとアラシャは獣の動死体モドキを寄せ付けない。
聖人の自分はともかく、護身術は身につけているという程度だと自称していたアラシャの戦闘力が高すぎるとそれはそれで気になっているルーカスであったが、今はそれどころではないと槍を振るうのだった。
「チッ……」
二人の戦闘力は、襲い掛かる謎の敵を全く寄せ付けていない。
だが、これでは埒があかないとルーカスは苛立ちを募らせる。視界が通らない森の中で、無限にいるのかと思いたくなるほどわらわら湧いてくるのだ。
「これ、この森にいた生命体が全部こんな感じになっているのかも?」
「だとしたら、本当に危機だな……」
この動死体たちの力はルーカスからすれば大したことはないが、一般人からすれば危険なものだろう。
全く敵わないというほど強力なわけではなく、ルーカスの見立てでは一般の成人男性一人でも倒せる程度の相手だ。
はっきり言えば、単純なスピードやパワーという点だけで評価するなら普通の獣のほうが上である。この動死体モドキたちは動きにかなりのぎこちなさがあり、本来動かないものを無理やり動かしている……というのが正直な評価なのだ。
だが、勝てるだけで無傷とはいかないだろうとも思っていた。ルーカスの腕力、魔力、そして自らが作成した槍の威力があるから軽く消し飛ばせるが、常人の腕力とあり合わせの武器では相応の犠牲を払うこととなるのは間違いない。
更に、この圧倒的な数。それを考慮に入れれば、こいつらが森を出て人里を襲えば許容できない数の犠牲者が出るのは間違いのないことであった。
「仕方がないか……」
ルーカスも、悪魔の書を抱えたままいつまでもここで謎の動死体モドキの相手をしているほど暇ではない。しかし無視することもできないという板挟みになってしまった。
そこで、妥協案ではあるが、自らの持つ神器の解放を決意するのであった。
「ンンー……? 何をするつもりで?」
「ここら一帯の危険生物を排除する戦力を用意する。正道の使い方ではないが、やむを得ん」
そう言って、ルーカスは服の下に隠していたあるものを取り出した。
ネックレスのように首から鎖で服の内側に下げられていたそれは、エルメス教の紋章が刻まれた指輪であった。
これこそが、七聖人ルーカスが神々より授けられた神器――神の指輪である。
なお、ルーカスは鍛冶仕事の邪魔になるという理由で普段は指に嵌めずに首から下げているのであった。
「それが七聖人が持つ究極の神器の一つですか! ンンーッ! 創作意欲が掻き立てられますよ!」
神器、という一般人ではまず目にすることができない至宝を前に、アラシャのテンションは急上昇した。
しかし、強大な力の塊を指に嵌めたルーカスの表情には、これから強い力を振るう者特有の高揚は一切見られないのであった。
「あまり乱用したくはないのだがな……」
神器を指に嵌めたルーカスは、続けて腰に差していた一本の棒を取り出した。その棒には聖句が刻まれており、何かの聖具であることは一目でわかるものだった。
「それは?」
「転移の聖具だ。個人的な作品倉庫から物を取り出す効果がある」
ルーカスは鍛冶職人としていくつもの作品を造ってきた。それらの多くは市場に流れたりエルメス教国の守備兵に渡されていたりするが、当然自分で保有したままのものも数多くある。
この棒――聖鍵は、その自作品を保管している倉庫から物を手元に呼び寄せる能力があるのだ。
「来い――退魔の剣」
ルーカスの呼びかけに応じて、聖鍵から魔力が放たれ、空中に円形の転移門が開かれる。
白く輝く転移門より、ルーカスが呼びかけた退魔の剣と呼ばれる武器が現れるのだった。
それも――
「すごい数ですね……」
「未完成の試作品も多いがな」
ルーカスが召喚した剣は、軽く100本以上はあった。
作品倉庫の中にある物の大半は、実は失敗作や試作品の類なのだ。満足のいく傑作を作るまでの表舞台には上がらない期間、試行錯誤や実験の過程で生み出したものも多くあり、そんなものを人様の手に渡すわけにはいかないと倉庫の肥やしにしていたのである。
超一流の職人であるルーカス基準での失敗作なので、並基準で言えば十分以上の傑作なのだがルーカス本人が人様の手に渡すことを拒んだもの、というのがより正しい表現であるが。
「完成品の退魔の剣は他者の手に委ねたが、これはそこにたどり着くまでに造った試作品、実験品、失敗作の集まりだ。それでも不死者の類にはそれなりに効果的だったろうが、こいつらにそれは期待できんだろうな」
話しながらも、止まらないゾンビモドキはルーカスたちに襲い掛かっている。
そんなもの全く相手にならないと片手間にねじ伏せているが、面倒なことに変わりはないのでさっさと対策を打つべく神の指輪に魔力を送るのだった。
「剣自体にこの状況を何とかする力がない、ということは……?」
「神のご加護を、というわけだ――【神の指輪】」
ルーカスが指輪に念を込めると、そこから莫大なエネルギーが放出された。
それは魔力とは異なる輝き――生命力の波動であった。命のない無機物であろうとも、この生命エネルギーを浴びれば一時的に命を宿すこともできる。それほどの力だ。
「これが、神器……」
普段飄々としているアラシャも流石に驚くエネルギー……神器の力であった。
「宿れ――【命の光】」
ルーカスは命の光を召喚した剣に込める。すると、地面に転がっていたいくつもの剣たちは、カタカタと音を立てて動き出すのだった。
「無機物操作……? いえ、これは……」
「詳しく話すつもりはない」
剣がフワフワと浮遊し、独りでに動き出した光景を見てアラシャは神器の能力を推察しようと小さく呟いた。
とはいえ、国の最高機密といっても過言では無い神器の能力を外部の吟遊詩人に語るはずもなく、ルーカスは一切の説明を放棄するのだった。
「ンンー……。本来なら事細かに取材をしてみたいところですが、これは触れたら殺されそうなところですね。ひとまずは諦めましょう」
「永久に諦めてくれ」
「それに、語られなくともわかることはありますからね」
神器の詳細を知ることを諦めるつもりはないらしいアラシャに呆れるルーカス。
全身の疲労感からため息を吐きたくなるが、今はそんなことに構っている場合じゃないと剣の群れに命令を下すのであった。
「命ずる。この森に潜む獣の動死体モドキを狩れ。最優先は、標的を人里に行かせないことだ」
ルーカスの命令に従い、動く剣達は一斉に動死体モドキに飛びかかった。
流石は武器というだけのことはあり、一本一本の戦闘力は獣の動死体モドキよりも数段上のようだ。
先ほどまでは数の暴力で足止めされていたルーカス達だったが、数の上でも対等になった今では勝敗は既に決まったようなものであった。
「これでいい。後はあいつらが対処するだろう。根本的な原因の究明と対策のためには他に調査チームを送る必要があるだろうが、俺にできる対処としては十分だろう」
「凄いですねー……ちなみに、アレってどのくらいの時間動くんです?」
「今込めたエネルギーなら一月……っと、詳細は語らんと言ったはずだ」
ついうっかりアラシャの問いに答えてしまったお人好しのルーカスであったが、これ以上は口を滑らさないと黙り込むのだった。
そんなルーカスに肩を竦めるアラシャだったが、その一言からだけでも情報は得られたと妖艶に笑うのであった。
「では引き返すぞ。村の方も心配だ」
「はいはい」
ルーカス達は、この場の対処を動く剣達に任せ森からの撤退を決めるのだった。
当初の目的である狩りは未達成だが、まさか原理不明の動死体モドキの肉を持って帰るわけにもいかない。それよりも、この怪奇現象が村人に害を与えていないか確認するのが最優先だと動き出すのであった……。
◆
その頃、サーバ村では――
「ふう……気が滅入る作業だな」
「仕方がねぇべ。これも弔いだ」
明日の葬儀に向けて、死した同胞達を棺桶に入れ、火葬場へと並べていた。
本来ならば一人だけのところを、纏めて死者が出たため数人分並べることになったのだ。
「まだまだ、増えるかな……」
「神官様の奇跡で大分楽になったって聞いたけど、どうなるだかな……」
今はまだ数体纏めて――それでも村の棺のストックを使い果たす数だが――であるが、この先どんどん増えるかもしれない。
もしかしたら、今はまだ元気で働き手として動いている彼ら男衆の中からも死者の群れに加わるかもしれないというのだから、サーバ村村民の表情は暗くなるばかりであった。
「……ええい! 止め止め!! オラ達が暗くなっても何にもならねぇよ!」
「そうだな……。それより、せめて最後の別れをしっかりやって、あいつらがあの世で道に迷わないように照らしてやるべきだな!」
暗くなっても死者達まで滅入ってしまうと、無理矢理空元気を出す村民達。
その元気のまま、それぞれがそれなりのサイズの木材を運び込み、井の字に組んでいくのだった。
サーバ村の風習では、葬儀の際大きな木組みを作り、その中心に棺を据える。木組みには油を塗っておき、よく燃えるようにするのだ。
その炎の光によって死者達は迷うことなく霊界に旅立つ、というのが彼らの弔いのやり方であり、残された者のことを心配して死者が彷徨うことのないよう盛大に飲み食いし騒ぐのが礼儀とされる。
葬式といえば厳格に湿っぽく、という文化圏もあるが、少なくともサーバ村ではそれが常識なのだ。決してめでたいことではないが、キャンプファイヤーのようなものをすると考えればわかりやすいか。
今彼らがやっているのは、その準備。遺体を燃やす火葬の下準備であり、死者達に余計な不安を与えてはいけないと元気よく作業を進めるのだった。
「ふぅ……流石に疲れたな。酒でもねぇのか?」
「馬鹿言え。明日の分だけでも村長達がひーコラ言ってんのに、今飲んでいいもんなんてあるわけねぇだろ。大人しく茶でも飲んでろよ」
「しゃーないな。オメェらも飲むだろ?」
「おう」
「んじゃ、纏めて煮出すか」
男衆の一人が、休憩ついでにと村周辺で取れる茶葉を取り出し、お茶の準備を始めた。
この村の数少ない特産品であるお茶を飲み、彼らは作業を進めるのであった……。