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第197話「なんだこりゃ」

(開胸手術か……殺さない前提でやるのは初めてだけど、何とかなるでしょ)


 コルトは努めて気持ちを軽くしてメスを走らせる。

 コルトの専門は医術ではなく、本当に病や怪我の治療を行う必要がある患者はゴブリンズのリーリ率いる医療団が担当するのが本来の形だ。

 しかし、開発した薬や毒物の効き目を確かめる、また人体の構造への理解を含めるという意味で解剖を行なったことは複数ある。

 それらはすべて実験材料兼教材としての価値しか認められない()扱いなので、コルトはその後の生死などあまり考えたことはない。薬を投与された状態の内臓を観察したい、などの理由から生きたまま身体を開く術は会得しているが、閉じた後生きている必要などコルトにとってはないのだから。


 だからこそ、こうして医療行為としての人体解剖は初めてであり、だからこそ緊張しないために余裕綽々で何も問題はない自分、という暗示をかけるのだった。


(えーと……ここを切っちゃうと生命維持に支障があるか。んじゃ、こっちから心臓への道を――)


 そんな経験しか持たないコルトは、それでも助手すらつけないで手際よく手術を進めていく。

 そのスピードは『人間を切りなれている』と称されるべきものであり、今まで沢山の研鑽を積んできたことを感じさせるものだった。

 それが決して『人を救う』目的ではない、というところが人類にとっては困ったことだろうが……少なくとも、この瞬間においては確かに医療目的で人体を開いているのだからこの際構わないだろう。


「開胸完了……血圧は問題ないっと。輸血も問題はなし」


 麻酔で意識を失った患者の胸が開かれ、心臓がむき出しになっていた。

 その際に流れる血などの問題は、別の観測機器によりコントロールしている。これは魔王ウルの知識を基に魔王国の技術開発部門が試行錯誤して生み出した検査機器の一つだ。


「んー……目視で見る限りは何も問題はない……かな?」


 目で見る限り、心臓は正常に脈打っていた。色艶にも特に問題は見られない。


「触診では……」


 続けて、コルトはコボルト用の手袋をしたまま心臓に直接触れる。その感触によって異常がないか調べようとしているのだ。


「特に違和感は……あれ?」


 生きている心臓に触れた経験はある。その経験と患者の心臓の感触を比較してみると、コルトの触覚はわずかな違和感を覚えるのだった。


「若干……でこぼこしてる?」


 わずかではあるが、普通の心臓よりも凹凸が多いように感じられた。

 これはどういうことなのかと首をひねり、そもそもなぜ胸を開こうとしたのかを思い出す。


「もともと、変な気配を感じていたわけだけど……目で見る限りは何もない。しかし触診にわずかな違和感となると、もしかして……」


 コルトは心臓に触れたまま、魔力を練る。発動するのは、感知系の命の道――


「[命の道/一の段/命眼]」


 生命体の放つ生命エネルギーを視認できるようになる魔道を発動し、その状態で心臓を再び観察する。

 すると――


「……表面に、患者とは異なる反応がいっぱい……」


 この魔道を発動すると、生命体の周りに淡い光が浮かんで見えるようになる。

 生命力の強い個体ほど強い光を放つのだが、その色合いや波長は個人差がある。つまり、色で個人を識別できるということだ。

 視線が遮られたり隠ぺい系の魔道を使ったり、『気配を殺す』ための特殊な訓練を積んだものには通用しないが、小さい生命体を見つけるときなどには便利なものなのである。


 その命眼状態のコルトの視界には、心臓を含む患者から放たれる生命エネルギーとは異なる色合いの光が心臓を覆っているように見えるのであった。


「……えい」


 コルトは、心臓に張り付いている何かを摘まんで引き離した。

 詳細のわからない相手にそんな行為は患者を危険にさらすリスクもあるが、ここで手をこまねくほど人間の命に価値を見出していないコルトに躊躇はなかった。

 スボッという音とともに、心臓の一部が引き裂けたかのように見える光景の後、引き裂かれた心臓片は――


「うわぁ……こういうことか……」


 コルトの掌の上で、心臓片はうねうねとのたうち回っていた。

同時に、先ほどまで心臓の一部にしか見えなかった形状が変化していく。擬態、と呼ばれる能力を使い、心臓の一部に化けていたのだ。

 その正体は――


(ヒル)……だよね、これ」


 うごめく心臓片は正体を現し、赤い体色の小さな蛭へと姿を変えた。

 恐ろしいことに、この蛭は宿主の心臓に寄生し、直接血液を吸っているのだ。


(よくよく見てれば、異質な反応は左心房から大動脈に集中している。こんなのに張り付かれてたらそりゃ貧血にもなるよ……)


 心臓とは、血液を全身に送り出すポンプである。

 全身をめぐり酸素を失った血液を回収し、それを肺にまわして酸素を補給した後再び全身へ血液を送り出す臓器だ。

 その心臓の内、酸素を含んだ血液が集まる部分に蛭が集中している……つまり、本来全身へ回さなければならないエネルギーを横取りしていると考えるのが妥当だろう。


「これ剥がせばいい……なんて、簡単じゃないよね」


 血を吸っているということは、心臓自体に噛み傷があるということだ。一匹引きはがした程度ならば大したことないかもしれないが、心臓にへばりついているすべてを引きはがせば蛭で蓋をされていた傷から一気に出血してかえって危なくなる恐れがある。

 それに、そもそもこんな大量の蛭がどこから入ったのか、も考えなければならないだろう。それを特定せずに目の前の蛭だけを取り除いても、またすぐ増えるだけかもしれないのだから。


「まさか毒薬打ち込んで……ってわけにはいかないよね」


 心臓部以外にも潜んでいるかもしれない蛭を殺す、というだけなら適当な毒薬で解決する。が、当然そんなことをすれば宿主である患者も死ぬことになるだろう。


「この蛭に絞って全身検査のやり直し……そのための試薬の作成――って、それ何年かかる仕事だよ……」


 元々覚悟していたとはいえ、治療の難易度に頭を抱えたくなるコルト。

 とりあえず、現状手は出せないので閉胸を進めることにするが、まっとうな方法で解決するには相当の時間、人手、資金が必要になることだろう。


「んぐぐ……僕一人でどうにかできることじゃないよね絶対……。予算と計画立ててウルに相談するしかないかなぁ」


 胸を糸で縫い合わせ、閉胸を済ませたコルトはこの場での解決は困難だと諦めて未来に投げることにした。

 とはいえ、最終的な決定権を握っているのは王であるウルだ。そのウルを納得させるだけの材料を作らなければならないと、ひとまずコルトは手に入れた新たなサンプル――寄生蛭の研究に入るのであった。


「……あ、そういえば、死体のほうも一応見ておこうかな?」


 研究用に使うため、患者に負担がかからない程度に別に何匹か採取しておいた蛭に対していくつか薬品を試していく。

 これで奇跡的に都合よく人体に影響がなく蛭にだけ通用する駆除薬を発見、なんてことになれば解決だが、そんな簡単に見つかるものではない。

 だからこそ、数をこなすことが何よりも大切であるとコルトは更にサンプルを増やそうと運び込んだ遺体のほうに目をつけるのだった。


「蛭による吸血が死因だとすると、死んだ宿主に用はないって外に出てるかもしれないけどね」


 転移箱から遺体を取り出しつつ、コルトは自分の予想を口にした。

 生物の心臓に寄生し、血を吸うという生態であるならば死亡した宿主に用はないだろう。宿主が死んだ後の寄生虫の行動はいろいろあるが、血を吸っている以上その血の生成を止めた死体に利用価値はないはずだ。

 とはいえ、寄生生物の類は宿主の死体まで有効活用しようとするものもあるので、油断はできないのだが。


「死後硬直の状態からして、死後二日ってところかな?」


 まだ腐敗が始まっていない死体を前に、コルトは先ほど同様メスを入れていく。今度は生命維持を考えなくていい分より素早く作業を行なっていた。


「ん? 妙に出血が多い気が……?」


 心臓が停止している死体に血圧は存在しない。つまり血管を傷つけても血が噴き出すということがないわけだ。

 だというのに、胸を開いた遺体からは不自然なほど血が流れるのであった。


(どういうことだろ? 心臓は止まっているよね?)


 人体の構造を無視した反応を見せる遺体について考えながらも肉を開いていくコルト。疑問は残るもまずは確認すべきだと淀みなく進んでいたその手は、突如ピクリと止まるのだった。


「……妙な臭い……?」


 コルトの鼻が、違和感を嗅ぎとった。

 妙に流れる血液……と思っていたものから、嗅ぎなれない臭いがしたのだ。


「死臭とも違う……?」


 コボルト最大の武器、嗅覚が遺体の血液を分析する。

 人間の血の臭いを嗅いだことは数えきれないほどある。研究施設での解剖から戦場の臭いまで、サンプルはいくらでもある。

 しかし、遺体から流れる血に見える何かはコルトの知る人間の血液とは明らかに違う異臭を放っているのだった。


「ただ臭うだけじゃない……魔力も含んでいる?」


 血の魔力が通っているのはおかしなことではない。あらゆるものに魔力は宿っており、死者の体液や死肉にだって魔力はあるのだから。

 とはいえ、それは生者のそれとは別物だ。持ち主がいない魔力は魔素と称される無色のエネルギーであり、生物が個人で保有している魔力とは明確に異なるものなのである。

 だというのに、死体の血液に流れているのは魔素ではなく魔力。それは、つまりこの死体に何者かが干渉していることを意味するのだった。


「これ……血に見えるけど、全くの別物か。死体の血液を完全に吸い尽くして、代わりに何かを流しているってことかな……?」


 現状の情報から、コルトはこの血液に見える魔力を含む液体を出しているのは寄生蛭であると推測した。

 おそらく、宿主が生きている間は心臓から血液を奪い取り、死亡したら残された血液をすべて奪った後自身が心臓の代わりのような役割をこなして血液のように見える何かを全身に回しているのだろう。


 その推測は、心臓にたどり着いたことで確信に変わるのだった。


「うげ……なんだこりゃ」


 遺体の心臓は、もはや擬態する意味はないといわんばかりに姿をさらした蛭だらけだった。

 心臓の内部まで侵入しているらしく、蛭のうごめきが心臓の脈動に見えなくもない動きをしている……はっきりいって、食欲のなくなる光景である。


「さっきの患者についていたよりもだいぶでかいな……。この血液っぽいやつ……蛭液とでも仮称するとして、大量の蛭が心臓の中から蛭液を吐き出して全身に回しているみたい」


 実際に心臓の代わりができるほどの出力はないようで、全身に回すということはできていない。しかし、時間をかければやがて遺体はあらゆる場所を蛭液で満たすことになるだろう。


「この蛭液は成分分析にかけるとして……魔力に関してはマジーに見てもらおうかな」


 まだまだわからないことは多いが、とにかくサンプルを手に入れるべきだと肥大化した蛭と流れる蛭液を可能な限り採取する。

 苦手な人ならそのまま卒倒しそうな光景だが、野生育ちのコルトにそんな繊細な神経はない。


「よし。こっちはマジーに鑑定をお願いして、こっちは成分分析を――」


 コルトは次の仕事にかかろうと、休む間もなく動き出した。遺体搬入から丸一日休みなしで動き続けているが、まだまだ体力はあるようだ。

 そんなとき――


「……え?」


 コルトは身体に染みついた防御本能によって反射的に左腕を顔の前に盾のように構えた。

 次の瞬間、コルトの腕に衝撃が走る。盾とした左腕を殴られたのだ。


 先ほど蛭を取り出した、開胸されたままの死体が拳を突き出すことによって――。

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他力本願英雄
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[良い点] ゾンビっぽい何かかぁ ゾンビではないから聖人側の対応がどうなることやら
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