第196話「よし、開こう」
(うーん……血液検査の結果はシロか。いや、検知できないウイルスの類いがある可能性は消えてないけど)
コルトは用意した研究機材を使い、患者の血液を調べていた。
人間の血液に関するサンプルデータはそれなりに持っており、健康体のデータと異なる何かが発見できないかと期待していたのだが、残念ながら空振りだったようだ。
その後も、コルトの知識でできる範囲の全身検査を行うも、これだというものは発見できないのであった。
(うーん……じゃあ、視点を変えて症状から診てみるかな。そもそもなんで死んでいるかがわかれば原因もわかるかもしれないし)
検査でわからないのならば、答えの方から探る。
コルトは方針を変え、そもそもこの病に感染することで何が起きるのかを調べることにした。
(さっきの検査結果だと……全員貧血って結果が出てるのが気になるところかな? 血圧が低いのも関係あるかも)
改めて検査したデータを見返すコルトだが、そこで気になるのは五人の献体……もとい、患者達全員が貧血であったことだ。また、脈が弱っていることも共通していた。
とはいえ、死に至る病による体調不良なら貧血や低血圧くらいはおかしくないかと一時はスルーしたが、身体の不具合という共通点を探るならここが一番怪しい。
そう思い、コルトは血液の成分検査結果を見直した。
(血中ヘモグロビンの減少……貧血ってデータは一目瞭然。でもただの貧血でそんなバタバタ死ぬことになるかな? とりあえず赤血球を破壊する細菌やウイルスって仮説は立てられる――)
コルトは検査結果を見ながら頭を巡らせていく。
なお、ヘモグロビンとは血中に流れる赤血球に含まれるもののことであり、その役割は酸素の運搬だ。このヘモグロビンが減少すると全身に酸素――エネルギーが行き届かなくなり、身体のだるさや動悸息切れ、目眩などを引き起こすことになる。
貧血くらいちょっと休めば治る――なんて気楽に考えられることも多いが、そもそも貧血になった原因となる病が隠れていることも十分あり得る危険な症状である。貧血だと思ったら癌が原因でした、なんて恐れもあるのだから。
それはともかく、感染する貧血となれば、で思いつく症状をコルトは片っ端から用意した紙に殴り書きで記していく。
これより、この思いつきが正解かどうか一つ一つ当たっていくのだ。
「……凄いですね、コルト殿。何やっているのかさっぱりわかりませんが……」
「魔王陛下の直弟子と聞いていたけど、研究者として大したもののようだね。魔道関係じゃないことには余り興味はないけど、一人の研究者として敬意を払うには十分だ」
コルトの様子を助手ということで付き合っていたクロウとマジーが素直に称賛していた。
根っ子が戦士であるクロウは『何か凄い』としか感想が出てこないようであったが、畑違いとはいえ研究者であるマジーからするとコルトは優秀だと評価しているのだった。
「えーと、クロウ、バルリナ試薬出してくれる?」
「バ、バル?」
「あー……そこのAって書いてある棚の上から三番目のビンのこと。マジーはアリファルナ溶液……ってわかる?」
「ふむ……CとDの棚の溶液を混ぜろ、ということでいいかい?」
「そうそう。一応手順は書いておくから、よろしく」
そんな二人に指示を出しながら、コルト達は病の研究を続けた。
患者が搬入されてから既に日が暮れ、更に朝日が昇る……徹夜で研究を続けた結果――
「――これも外れ。思いつく病気は大体当たったんだけど、これだってのがないなぁ」
――残念ながらわかりませんでした、という結果になっていた。とはいえ、研究という分野において実験したけどわからなかった、というのもまた成果の一つとも言えるのだが。
「なんか見落としないかな……?」
今、コルトは自分の知識不足かとも思い、天の道を使い書物を召喚して該当しそうな項目を調べていた。
それも、魔王ウルが執務の際に行うのと同じ方法――魔道の目を使った多重視界と並列思考による同時作業により何本もの本を同時に読み進める形で。
ちなみに、本の種類は人間の本屋に売られているものから魔王ウルの直筆までいろいろだ。知識とはとにかく幅広く、正しいか間違っているかは別問題としてまずは集めるべきというのがウルの教えである。
「大したもんだね……魔道的な技術だけで言えばさほど難しくないけど、使いこなすとなれば話は別だ」
コルトの魔道を、やはり研究者の眼で観察するマジー。彼女の技量ならば同じことをやろうと思えばできるが、脳が追いつかない。眼が二つしかない人間には、複数の異なる視覚情報を同時に処理する機能などついていないのだ。
とはいえ、時間の節約という意味では是非欲しい能力でもある。並列思考自体は誰でもやっていることなので、要は慣れの問題だろうと頷くのだった。
「元気ですね……」
早速自分もと練習をし始めたマジーに、クロウは隈が目立つ疲れた顔で呟いた。
まだまだ元気なコルトとマジーに比べて、クロウは疲労の色が濃い。体力という点で言えばこの中でクロウが最も優れているはずなのだが、研究という慣れない環境での徹夜は中年の身体には応えているようだ。
これが肉体労働や訓練での徹夜ならばまだまだ元気と言えるくらい鍛えているのだが、今は違う部分が疲れているらしい。
ならば寝ればいいと言いたいところなのだが、患者達に異変がないか見張る役目を担っているのでそういうわけにもいかないのだった。
そんな空気のまま、しばらく時が流れる。
すると、患者の一人に異変が起きるのであった。
「う、ぐぐ……!?」
「ん?」
患者の一人が、突然苦しみ始めた。
今回運んできた患者は皆意識不明レベルにまでいった末期患者なのだが、意識を失ってなお苦しみながら胸を押さえているのだった。
「コルト殿!」
「うん……極度の貧血。原因はわからないけど、輸血しないとまずいかも」
症状の悪化を確認した後、コルトはとにかく血が足りていない問題を解決すべきだと結論する。
根治にはならないが、血が足りないなら足せばいい。コルトは輸血の道具を準備し、保管してあった――その用途と供給元は聞かない方がいい――人間用の血液を患者に繋いだ。もちろん、事前のチェックで血液型などはクリアしているものだ。
「……うん。輸血を始めたら途端に安定しだしたね」
何も処置を行なっていなかった時にくらべて、脈拍も正常値に戻った。
やはり、この病の直接的な問題は血液にあるようだ。
(入れれば回復するってことは、血が足りない? でも出血はどこにも見られなかったし……?)
事前検査では、外傷の類いは見つからなかった。こんな田舎暮らしということで小さな切り傷や虫刺されの類いは山のようにあったが、その程度のものだ。とても輸血が必要になるほどの出血が起るようなものではない。
(となれば、内出血? 体内の血管が裂けている……もしくは胃に穴でも空いているとか?)
症状を観察し、更に考察を進めるコルト。
既に患者の容態は安定しているようだったので、特に問題はないのだが……その余裕は、一瞬で消え去ってしまうのだった。
「グアアアッ!?」
「え?」
先ほど安定したと思った患者が、突然苦しみ始めた。しかも、先ほどの苦しみの比ではない様子だ。
「[無の道/二の段/四肢空輪]」
胸を切り裂かんばかりにかきむしり、転げ回って暴れようとする患者の両手両足を、空間に固定するタイプの無の道で拘束した。
コルトの適性魔道は無の道。咄嗟の発動であっても正確に患者の拘束を成功させていた。
「どうしたんだろ……? 拘束したのに、自分で自分の手足ねじ切るつもりかってくらい派手に暴れて」
手足を固定されてなお、患者は苦しんで暴れようとする。しかも意識はないままで。
しかしコルトの魔道に一般人の身体能力で抵抗できるわけもなく、微動だにできないのだが……このままでは先に手足がへし折れる恐れがあると、コルトはさほど慌てることなく白衣の内側に仕込んである針を一本取り出し、躊躇なく患者の腕に突き刺したのだった。
「……それは?」
突然何かを突き刺したコルトの行為に、恐る恐るクロウが問いかけた。
ここで毒薬の類いを使うはずがないことはわかっているが、針が刺されると同時に先ほどの狂乱が嘘のようにピクリとも動かなくなれば心配にもなるだろう。
「大丈夫、ただの麻痺毒だから」
「……せめて麻酔と言ってほしかったですな」
コルトは堂々と毒の単語を口にするが、実際そこまで害があるものではない。
数滴体内に侵入すると、筋肉の活動を停止させる……それだけの毒である。調合次第では心筋の動きを止めて即死……なんてこともできないわけではないが、これは拘束用にちゃんと調合してあるので一針刺されると半日ほど指一本動かせなくなるだけだ。
「んー……でも、なんでいきなり苦しみ始めたんだろ?」
「その答えがわかったというわけではないが……少しいいかい?」
「え? 何かわかったの?」
輸血を開始したら容態が安定したのに、突然の狂乱。原因がわからず首を捻るコルトに、マジーが何か気がついたと声をかけたのだった。
「今の騒動、咄嗟に命の道の生命感知をこいつにかけてみたんだけどね」
「生命感知っていうと、効果範囲内の生命エネルギーを探知する奴だよね?」
「そうだよ。本来なら遮蔽物の多い場所に隠れている敵を発見するときとかに使うんだけど、範囲を人一人に縮小して使ってみたのさ」
「それって、どうなるの? その一人の生命エネルギーが出るだけだと思うんだけど……?」
「普通はそうだけどね、私の専門は命の道……召喚系だ。その私の感覚に、引っかかるものがあったんだよ」
「……どんなのが?」
「情けないことに、今の今まで全く感知できていなかったんだけど……今の急変から、極小ながら命の道系列と思われる魔力を感知したのさ。こいつの胸の奥からね」
「胸の奥……?」
「そこで生命感知をかけてみたら、何かが潜んでいるような気配を感じたよ」
マジーは、患者の胸の奥から小さな魔力反応を感じ取ったとコルトに伝えた。
コルトはすぐさまそれを検証すべく、自分も命の道を発動して体内の魔力を検証する。そんなことは最初の検査段階で一度行っているが、今度は胸の奥というより小さな範囲に限定しての精密検査だ。
すると――
「……確かに、ほんの僅かだけど妙な気配がある……ような気がする」
コルトもまた、何かを感じ取ったような気がした。
何とも頼りない言葉だが、本当にそのくらい小さく、気のせいかとも思ってしまうものなのだ。
「うーん……よし、開こう」
「え?」
「外側からじゃイマイチわからないから、とりあえず解剖しよう」
人間の命など何とも思っていない。そう思っていなければあり得ないような即断即決で、コルトは次の手段を決定した。
「一応、最大限死なせないことを条件にしているからね。殺して開くんじゃなく、ちゃんと死なないように手術といこう」
「手術って……」
「それは僕がやるから、二人は残りの四人を診ててくれる? 何かあるといけないから、外のアラフに頼んで適当にもう一室作ってもらってそこで待機お願い」
「大丈夫なのかい? 医学は専門外だけど、そんな簡単にやって」
「大丈夫。経験はあるから」
コルトはクロウとマジーを追い出すように指示を出し、研究室から外に出した。
と、同時に隠してある地下への階段を開き、そこに拘束した患者を運び込む。
「[命の道/三の段/空間洗浄]」
地下室に入ると同時に、自分も効果範囲に入れて雑菌の類いを纏めて魔道で吹き飛ばす。
これだけで即席の無菌室の完成であり、手術を行える環境のできあがりだ。簡単に使っているように見えるが三の段の中でもかなり難易度の高いものであり、目に見えないものを消すのは熟練の魔道士でも簡単にできることではない。
コルトの場合、実験結果に影響を及ぼすような空気中の細菌の類いを排除するために日常的に使っているから簡単に見えるのである。
「さて、と……始めますか」
自分だけの地下研究室。そこで、コボルトの研究者は一人指一本動かせなくなった人間の胸に真っ直ぐ刃物を突き立てたのであった。