第194話「準備しよっと」
「粘着液」
大蜘蛛一族の長、アラクネのアラフが放つ粘着糸。それを液体状にした粘着液が雑多な石材に振りかけられる。
「――糸縛り・傀儡操り」
瞬時に液体は固まり、石材を一つの塊に変える。さらにそれを複数作り出し、次にアラフはそれぞれを糸で繋ぎ操る。
本来なら屈強な大男が何人も集まってようやく動かせるというサイズの石塊も、アラフの糸で繋がれれば羽のように宙を舞い、アラフの思い通りに組みあがるのだ。
「最後に、糸液で密閉ね」
超強力な粘着液で固められた石材は、あっという間に一つの家に姿を変えた。
後は小さな隙間もアラフの糸で塞ぎ、非常にシンプルながらかなりの広さを持った平屋が完成したのだった。
「これでいいかしら? ちょっとやそっとじゃ崩れない頑丈さは保証するわよ」
「ご苦労。どれ……」
非常に特殊な建築作業を終えたアラフは、主である魔王ウル・オーマへ頭を下げた。
その辺の石や岩の寄せ集めで作られた即席平屋だが、その強度は同じ手法で造られた魔王国の家々が証明している。
それは知っているウルであるが、やはり家屋は耐久実験が欠かせないと、ワーウルフ形態で拳を握るのであった。
「――フンッ!」
ドスンッ! と腰を入れた鉄拳が平屋の壁を揺らした。
その衝撃で平屋はぐわんと歪むが――石材の隙間を柔軟な糸と粘着液で埋めている平屋はその衝撃を柔軟に逃がして耐える。
とりあえず、ちょっと叩いたくらいではビクともしないことが証明されたのであった。
「……よろしい。ひとまず隔離施設としては合格だろう」
「どうも。通気性もちゃんと考慮しているから、住むだけなら問題ないはずよ」
「ではここを患者の隔離部屋にしよう。構わないな?」
「あ、はい」
あまりにも常識を無視した突貫工事を目の当たりにしたローブの老人――サーバ村村長は、唖然としたまま魔王の言葉に頷くしかなかった。
元々、息子のゴーグに村長代理を託してどこに行っていたのかといえば、村の代表としてウィドの都市に救援を求めに行っていたのだ。
サーバ村周辺は隔離命令が出され、外から入ることも中から出ることも普通のルートではできなくなっている。何の整備もされていない山道を行き、魔物の領域をまっすぐ突っ切ることができるような戦闘力の持ち主でもなければ正規の道を塞がれている以上お手上げという状況である。
その状態を何とかしてほしい、助けてほしいと封鎖状態の関所まで老体に鞭を打って赴き、交渉にあたったのだ。
残念ながら、その成果は得られなかったわけだが。
助けを得るどころか一切の慈悲なく追い返されたことに半ば自棄になり、その挙句になぜか封鎖されている街道に腰を下ろしていた旅人に声をかけた結果が現状であった。
「アラフは研究施設代わりの家も頼む。こっちは小僧の要望を聞いて調整しろ」
「あ、それは本当に迷惑かける事になると思うけど、よろしくお願いします」
「了解したわ。生憎、そういうのは専門外だから細かく指示を頂戴」
「じゃあ、とりあえず簡単に図面描いて渡したほうがいいかな?」
「そうね。それでお願い」
とにかく隔離できればいい病人用の家の次は、コルト主導で行う感染症の研究施設だ。その責任者となるコルトを中心に建築計画が進められる中、全体指導のウルはサーバ村長へと改めて顔を向けた。
「それで……まずは病人をいくつか選んでここに入れろ。何なら全員でも構わんが、まぁ広さの問題もあるだろうからその辺の調整は任せよう」
「あ、いや……」
「人手が必要ならそこの男を使え。足りなければそっちの女にも手伝わせよう。魔導士だからそれなりには働けるはずだ」
魔王の指名に了解した、と軽く頷く男女――クロウとマジー。
どちらも肉体労働を任せるほど若くはないのだが、英雄として二度目の全盛期を迎えた今のクロウはその辺の若者より力も体力も比べ物にならない。マジーに関しては言うまでもなく魔道の達人である以上、腕力などよりもはるかに効率よく働けるというものである。
意識のない人間というのはかなり重いものであるが、この二人ならば何の問題もないだろう。
(ど、どうする……?)
着々と進んでいく『原因不明の病研究所』を前に、村長は内心で頭を抱えるばかりであった。
もちろん、国に見捨てられた村を助けてくれる、という話はとてもありがたいものだ。ありがたいのだが、それを素直に信じて感謝いたしますなんて思うほどの阿呆ではいくら寒村であっても村長は務まらない。
というより、村長でなくとも警戒するだろう。所属不明、正体不明の魔物率いる一団の『研究』のために守るべき村人を差し出すなど。
「……お前の考えていることはわかる」
「え?」
悩める老人に、魔王ウルはわざとらしいくらいに優しい声色で声をかけた。
誰であっても怪しむくらいの、むしろ怪しませるために作っているだろう声色であり、その予感はすぐに正しかったと理解させられるのだ。
「不安に思うのは至極当然のことであるが、どうせ抵抗したところで時間の無駄だ。預かった病人を意味もなく苦しめたり壊したりすることはないと契約を結んでも構わん。いいからやれ」
「うぅ……」
魔王の語る契約の重さなど知らない村長は、しかし逆らうことなどできずに頷いた。
結局のところ、一般人の彼に魔王の威圧を前に拒否することなどできるわけないのであった。とはいえ、村長本人からすれば全く信用できない『不必要に村人を傷つけない』という契約だけは結ぶこととなったが。
(必要ならなんでもするという意味だがな)
などと魔王も考えているので、その懸念は半分くらいは正しいのかもしれない。
こうして、魔物組は村の近く、しかし村からは目立たない場所に建造した研究施設に待機。
人間組は患者の運搬に動くことになったのだった。
「さて……後は小僧、お前主導でなんとかしろ」
「なんとか……アバウトな指示だね」
「王の命令とはそういうものだ。細かいところは臣下が努力するのが当然というものだ」
今までのように、逐一俺が全てを取り仕切る方が本来組織として間違っているのだからな。
魔王ウルはそう付け加え、本気でサーバ村の問題をコルトに丸投げするつもりのようであった。
コルトももはや逆らうことはできないだろうと、がっくりと項垂れながらも了解するのであった。
「では……俺はしばし外す」
「え? どこかに行くの?」
「ちょっと急用ができてな。ここには転移で戻れるようにマーキングしていくが、まぁ丸一日は戻らないと思え。その間の責任者はお前だ」
「全く嬉しくない権限……」
なんと、魔王ウルはこの状況でこの場を離れると宣言した。
急用と言うからには実際に何かやるべきことがあるのだろうとは思うが、頂点である魔王不在となれば臨時リーダーが求められる。そんな大変そうという感想しか思い浮かばない役職まで丸投げされてしまったコルトは、新参の人間を含める癖の強いメンバーを自分に纏められるのだろうかと頭を悩ませるしかないのであった。
「では任せる」
それだけ言って、魔王ウルは姿を消した。悪意の影を起点とする転移術だろう。道中でも幾つか中継地点を作るためにばらまいていたので、そのどれかに跳んだのかもしれない。
転移に合わせて影からの護衛であるグリンも付いていったため、残るはコルトとアラフの二人だけとなった。
こうなった以上、コルトにできるのはウルの指示をクリアすることだけ。いろいろなものを飲み込み、コルトはさっそく準備を始めるのだった。
「とりあえず、僕は研究用の設備準備をしておくから……アラフはこの拠点の守り固めお願いできる?」
「わかったわ。そっちが本業なんだから遠慮は無用よ」
コルトは持ち歩いている携帯用キットの他、本拠地にある設備も必要だろうと天の道を使い道具を呼び寄せるつもりだ。
しかし簡単に転移魔道を使うウルとは違い、天の道とは本来多大な消耗を余儀なくされるもの。純粋な魔力量は決して多い方ではない以上、準備中はコルト自身は戦力として数えられないと予め見切りをつけ、第三者に襲われることを想定した備えをアラフに依頼する。
拠点防衛は大蜘蛛一族の十八番。任せなさいと人間部位の胸を張るアラフは、早速準備にかかった。
「おいで――[天の道/一の段/眷属召喚]」
アラフが発動するのもまた、転移系天の道。アラフの魔力が大きく減るものの、これは自分の支配下にある者限定の召喚術である。
この魔道最大の特徴は、魔道発動のコストを術者がすべて持つわけではない、というところだ。さすがにゼロにはできないが、明確な上下関係のある繋がりから召喚対象の魔力を強制的に使うことができる。協力――というには一方的な構造であるが、複数で協力することで発動する一種の儀式魔道ということだ。
「来たね……それじゃ、巣を作ろうか。今回は人間の村も近くにあることだし、目立たない隠ぺい系で行くよ」
わらわらと召喚されてきた大蜘蛛たち。蜘蛛が苦手な人からすると卒倒するような光景であるが、当然この場にいるコルトとアラフが気にすることはない。
大蜘蛛たちは女王の命令に従い、黙々と拠点の周囲一帯を囲むように糸の壁を張り巡らせていく。これだけだと非常に目立つが、この糸には先ほどウルが使ったのと同系統の、光の屈折を操る幻術系の地の道をかけている『不可視糸』。本来大蜘蛛達では使用できない高位魔道を要求されるも、複数体で協力することで実現する新しい蜘蛛糸である。
この糸で包まれたものは周囲の景色に溶け込み、傍から見るだけでは糸があることすらわからなくなるという効果がある。不可視糸をドーム状に張り巡らせることで、まずは視覚的にここに拠点があることがわからなくなるのだった。
その後も拠点強化は続けられ、視覚の次は魔力や音、匂い対策の糸が重ねて張り巡らされる。仕上げに一番内側に鋼鉄の硬度を誇る硬糸を張り、衝撃に耐性をつける。
ここまでやると日の光がさっぱり入ってこない閉鎖空間と化してしまうように思えるが、通気口を兼ねてあまり密度を濃くしないように調整しているので太陽の光を取り入れることもできる。
空気を通すように作られているため、外部から毒ガス攻撃などをされるのには無力だが、そんな特殊な攻撃手段を持たない大半の相手には通用するステルス性能の高い要塞の完成である。
「こんなものでしょ。後は一応、この拠点から離れた場所にいくらか罠でも作っておくわね」
「よろしくー。あまり派手なのはなしね?」
「わかっているわ。こっちの存在を知らせるようなポカなんて馬鹿らしいし、引っかかった奴も気がつかないやつだけにしておくわ」
防衛設備としての機能を更に高めるため、アラフは糸ドームの外にも罠を設置しに行く。
罠の種類は、侵入者感知タイプ。目に見えず、触れてもわからないほど極細で脆い糸を張り巡らせており、何かが近づいてきたら糸が切れることでアラフと大蜘蛛達に感知されるという仕組みである。
「……じゃ、僕も準備しよっと」
アラフが大蜘蛛を引き連れてこの場から立ち去ったことで、残されたのはコルト一人となった。
アラフが作った即席拠点の中に足を踏み入れ、クンクンと鼻をならしながら構造をチェックした後――
「これはあまり見せたくないし、地下室でも作ろうかな」
腰に付けておる鞄から、種を一粒取り出した。
コルトが戦闘で多用する植物魔物の一種であり、更に改造を施した特別製――
「これやると疲れるんだけど……[命の道/五の段/超成長]」
床を少し壊し、露出した地面に植えた種に命の道をかけて強制成長させる。
その植物は地表に芽を出すことなく、地下に向かって伸びる。植物でありながら日光を嫌うという特性を持つ暗闇草という植物は、地面の中に潜り成長する生態を持つ。
その暗闇草を改造した、コルト命名『部屋植物』シリーズの一つ、地下室草である。
「ん……よし。ふぅ……これは普通の植物魔物と違って、成長液でってのができないのが今後の改良点だよね……」
高位の魔道を使用したことで激しい疲労を覚えるコルトだが、手製の栄養剤を飲んで体力と魔力の回復を行う。
そして、地下に向かって成長し、内側に空洞を作る地下室草の出来にコルトはまずはよしよしと頷くのであった。