第192話「造っておこうか」
「神官様……この度は、誠に申し訳ありませんでした!」
聖人ルーカスと旅の吟遊詩人アラシャは、盗賊稼業を行なっていたサーバ村の村民に案内され、彼らの村へと訪れていた。
そこで引き合わされたのは、サーバ村村長代理……30歳ほどの中年男性であった。
村の若者から事情を聴かされた村長代理は、とにかくルーカス達に頭を下げた。神官を襲うなどいう罰当たり極まりない行い……場合によっては村丸ごと異端審問にかけられてもおかしくはない愚行。彼は必死に頭を下げるばかりであった。
「代理殿。頭を上げてほしい」
そんな村長代理に、ルーカスが優しく声をかける。
ルーカスのスタンスは、罪を憎んで人を憎まず、である。元々善悪というものに興味が薄く、引き返せる場所で留まり反省するならばそれでいい――という考えなので、サーバ村に対して何かするつもりは毛頭なかった。
これで彼らが人殺しに手を染めている……とでも言うのならばこの国の司法機関に委ねるだけであり、極力聖人の力で人々を手にかけるような真似を避けるのだ。
「申し訳、申し訳ありません!」
「謝罪を受け入れよう。どうか、頭を上げてほしい」
一度言われただけでは頭を上げない村長代理に、ルーカスは再度頭を上げるように優しく告げる。
そこで、ようやく彼は頭を上げた。見るからに疲れ切っていることがわかる濃い隈を浮かべた顔を。
「改めまして……村長代理を務めているゴーグと申します」
「これはご丁寧に。俺はルーカス。見てのとおり、エルメス教の神官を務めている」
七聖人、という身分は名乗らずにルーカスは簡単に所属と名前だけを告げた。
それを聞いた村長代理――ゴーグはちらりとルーカスの隣に立っているアラシャのことを見る。見るからに聖職者とは無縁そうな旅芸人風の女が何者なのか気になっているようだ。
ルーカスが紹介する義理は全くないのだが、しかし恐縮するゴーグ村長代理を放置するのも無礼かと、ルーカスはしぶしぶアラシャも紹介する。
「これはアラシャという旅芸人だ。俺の後ろに勝手についてきている」
「酷い紹介ですねーンンッ! 私は吟遊詩人のアラシャ。以後、お見知りおきを」
アラシャは優雅に一礼した。何者なのかさっぱり不明な状況に変わりはないが、詳しく語るつもりもないようである。
結局、放置でいいかとルーカスは話を先に進めることにしたのだった。
「ところで……代理、というのは?」
「ああ、それは、現村長は私の父なのですが、今父は村から出ておりますので私が代理として務めを果たしているのです」
「そうなのですか」
事前に聞いていた村の惨状から考えて、村長不在というのはやや考えにくい。
流行病のような村の存亡に関わる問題が起きているとき、長のやるべきことは不安に揺れる民のまとめ役だ。それには当然村に留まっている必要があり、ここで支柱であるべき村長が抜けるのはあまりよろしい事とは言えないだろう。
とはいえ、代理を任されているというゴーグの年齢から察するに、その父であるとすればそれなりに高齢。ならばこうした有事の際はまだ若い息子であるゴーグが指揮を執る方が正解であると考えてもおかしくはないかと、ルーカスは一旦その疑問を棚上げにし本題に入るのだった。
「それで……なんでも、この村で流行病が出ているとか?」
「はい……。感染することだけは確かなので、症状が出た者を村はずれの大きな屋敷に集めています」
「フム……よければ、一度見舞いに行ってもよろしいか?」
「いいのですか!?」
ルーカスはサーバ村の現状を聞き、お見舞いに行くことを申し出た。
人々の心の支えであるエルメス教の神官からの見舞いとなれば、心が弱っている病人たちの支えになるだろう。また、神官の見舞いとは神聖な『ありがたいお言葉』を述べるという意味でもあり、それは神の加護を授けるものであるとされているのだ。
しかし、基本的に神官や神父という聖職者を動かすには金がかかる。無償の施し、などというものは常日頃から多額の寄付を行なっている所、もしくはそれが期待できる場所限定というのがお約束なのである。
そんな下位の生臭共と、七聖人ルーカスでは根本的に心構えが異なる。ルーカスは当然無償で聖職者の役目を果たそうとしているのだが、後で請求されるのではと怯えるゴーグを説得するのに少々手間取るのであった。
この金勘定に厳しい辺りは、流石ウィドの国民であるというべきか。
「では……お願いします」
結局、無償の善意でルーカスが申し出ている、ということに納得してもらい、ゴーグの案内で村はずれの隔離屋敷へと向かうことになったのだった。
中に入ると――
「これは酷いですね……」
「さぞ苦しいのだろう。哀れな……」
入る前から聞こえていたが、中には病人たちのうめき声が響いていた。
「皆、血の気が引いているな」
ルーカスは病人たちを見て真っ先に思ったことを口にする。
寒村らしい粗末なベッドを並べて作られた即席病院には、何人もの患者が寝かされている。
医者ではないルーカスに専門的なことは言えないが、顔色が悪いのは間違いない。更に、胸を押さえて呻いている者も多いことから、胸に何か痛みがあることが見て取れた。
「それでは、神官様。よろしくお願いします……」
ここまでルーカス達を案内したゴーグが、改めて頭を下げた。
しかし、ゴーグからしても結局は『お祈りの一つでももらえればご利益があるかも』という程度の気休めになればいい、くらいのつもりである。神官が声をかけるのはありがたいことだとされているが、突き詰めて言えば聖職者の仕事は病人の相手ではなく死者を相手にしたものというのが相場であり、お祈りやありがたいお言葉では腹は膨れず病も癒えないものなのだ。
しかし――ここにいるのは、聖職者の最高峰、七聖人の一角なのである。
「癒しは専門ではないが、それでも聖句を唱えるくらいはできる。精いっぱいやらせてもらおう」
病人部屋の中央まで進んだルーカスは、その場で目を閉じて不思議な言葉を発した。
「アン・シャル・アプ・スアッシ・ユダム・エア・エンリ・エヌ――」
謎の呪文と共に、ルーカスから多量の魔力が放たれた。
それは、神への感謝と救いを求める言葉。古代言語で綴られているとされ、その意味は現代には伝わっていない。ただ、神への感謝の言葉としてエルメス教に伝えられているだけだ。
つまり、意味は分からないがありがたい言葉。信徒であればありがたやと手の一つでも合わせる気休めということだ。
しかし、力ある者の言葉には力宿るのが世の道理だ。神の奇跡、などと称される現象の認識がある以上、それは功罪としてこの世に具現化される。
聖人クラスの聖職者でなければ本当に気休めにしかならない程度のものであるが、七聖人クラスが行えば、それは治癒魔道にも匹敵する効果をもたらすことが可能なのだ。
「おお……さすがに凄いですね。病人の方々が目に見えて楽そうになりましたよ」
アラシャは聖句と共に癒されている病人たちを見て、素直に驚きを露にした。気休め程度にしか思っていなかった村人など、その変化に顎が外れんばかりの驚きようだ。
「これがエルメスの魔道と呼ばれる聖句ですか。いいものを見られました」
「……俗称としてそう呼ばれることは知っているが、魔道と同一視されるのはあまりいい気分ではない」
「おや、これは失礼」
聖句――それは、癒しだけではなく、様々な奇跡をもたらす聖人の異能とも言えるものであり、その多様性からエルメスの魔道とも比喩されるものである。
しかし、魔道を異端の技術と認定しているエルメス教からするとあまり歓迎されるものではなく、機嫌を損ねることになる。
とはいえ、戦闘用が主流の魔道と、時間をかけて聖句を唱える手間がかかるため日常生活のサポートが主な役割である聖句では実際に違うものであるのも事実なので、ただの矜持の問題だけではないのだが。
「では、謝罪代わりに私からも一つ贈り物を。よいものを見せていただけましたし」
「なに?」
「ンンッ――しばしの夢をお楽しみください……【安らぎの詩】」
竪琴を構えたアラシャは、ゆったりとしたリズムのメロディを奏で始めた。
同時に、その口からは一つの物語が紡がれる。母が子を思う物語。慈愛と安らぎの子守唄を。
「これは――」
その詩を聞いたルーカスは、これがただの演奏ではないことを察した。
これは、功罪の類だ。卓越した吟遊詩人としての功績によってもたらされた功罪。
常人の演奏でも、音楽は人の心を動かし喜怒哀楽を操る。そして、心の力は時に身体に影響を与える。勇ましい心は肉体を強化し、高揚した心は動きを冴えさせ、安らぎの心は病を跳ね除ける。
まして、功罪にまで昇華した演奏は、魔力を対価として様々な現象を引き起こすことを可能にするのだ。
「……苦しみが和らいだようだな」
「私の【安らぎの詩】は傷を直接癒します。残念ながら、正体不明の病を根治させるのは難しいですが……」
「それは聖句でも同じだ。病とは難しいものだな」
聖人の聖句と、吟遊詩人の演奏。二つの癒しの力を受けて、苦しんでいた病人たちはすっかり安定したようであった。
だが、それでも根治はできない。病を消す功罪、でもあれば話は変わるかもしれないが、彼らの能力はあくまでも癒すまで。外傷ならともかく、原因不明の病では対処療法が限界なのだ。
「ありがとうございます……! 皆、楽になったようです」
しかし、それでもゴーグからすれば奇跡が舞い降りたというほかない出来事であった。医者にかかることすらできずに苦しみ、死んでいくだけの病人たちが回復したように見えたのだから。
たとえ一時的なものだとしても、苦しむ同胞を見ていることしかできない村人たちは心からの感謝を述べるのであった。
「せめてものお礼をしたいので、私の家に来ていただけますか?」
「ウム……では、お言葉に甘えようか」
ひとまずのお見舞いが終わった後、ルーカス達は村長宅へと招かれた。
村長とはいえ、所詮は貧しい寒村。そこまで立派な屋敷ではなく、それどころか案内がなければここが村長の家であることもわからないような他の家と変わりない質素なものであった。
「すみません、粗茶しか出せずに」
「いえ、お構いなく」
「一応、この村の特産……というほどではないですが、昔から親しまれているこのあたりにしか群生しない茶葉を使ったものです」
そう紹介しながらゴーグの手で淹れられたお茶は、とても上等なものとは言えないものであった。少なくとも、立場上一級品と出会うことが多いルーカスの目から見ると見劣りするものだ。
恐らくは、元々貧しい村で生きるための知恵であり、嗜好品としての役割を期待するものではないのだろう。
それでも精いっぱいのおもてなしなのだからと、ルーカスもアラシャも文句を言うことはない。ルーカスはそれを示すようにお茶に口をつけ、ごくりと飲み込むのだった。
アラシャはその後ろで笑みを浮かべるだけで、口をつける様子はないが。
「では……改めて、ありがとうございました。皆の容体がよくなったのはあなた方のおかげです」
「大したことはない、当然の役目を果たしただけだ。それに……根本的な解決には至っていない」
ルーカスとアラシャがやったのは、あくまでも対症療法。いずれは元に戻り、そのまま症状が進行していくことだろう。
「そこまでお手を煩わせるわけにはいきません。元々、こちらが一方的にご迷惑をおかけした関係ですのに……」
「気にしないでくれ……と言いたいところだが、俺も目的があっての旅だ。あまり長居はできんのが本音だが……」
ルーカスの目的は悪魔の書の封印。そのために禁忌の地を目指す途中なのであり、あまりこの寒村にかまっている暇はないのが本音だ。
しかし……だからと言って、困っている民を見捨てていいということにはならない。聖人として、自分にできる精いっぱいを尽くすのが義務だ。
「医者ではない俺に、あなた方の問題を完全に解決することはできないだろう。国に戻れば医師の派遣要請くらいはできるだろうが……いつになるかわからんか」
いくら七聖人ルーカスの要請だと言っても、時間がかかるのは間違いない。どこの国でも医者というのは繁盛しているのだ。
ここからの移動時間、申請にかかる時間、国同士の交渉を行う時間……ルーカス経由のルートでは実現するまでかなりの時間がかかるのは間違いのないことであり、それまでこの村が持たないことは明白であった。
そこから、ルーカスが出した答えは――
「よし……ここに癒しの聖具を造っておこうか」
鍛冶神アトラの信徒、七聖人ルーカスは、自らの技能を使っての救済を決意したのであった。