第190話「臨機応変に期待したいところだ」
「入国許可証、確かに確認しました!」
「ご苦労」
自由都市国家ウィドの国境にて、とある集団が関所を通っていた。
それ自体は、この貿易国家からすればよくある光景だ。実際、関所には幾人もの商人風の人間がぞろぞろと列を作っている。
しかし――その集団だけは他の者達とは明らかに毛色が違っていた。
何せ、構成員の大半が魔物――それも、奴隷魔物とは明らかに異なる異様な雰囲気を纏っているのだから。
「それ、どうしたの? 何か普通に通行許可出たけど」
「当たり前だ。正真正銘、正式に発行された入国許可証だからな」
先頭で会話しているのは、コボルト系の魔物。今となっては人間社会でも超有名――人間の感性ではコボルトを外見で個体識別できないので、名前だけであるが――な存在である魔王ウル・オーマと、魔王軍幹部の一角コルトである。
魔王ウル率いる一行は、自由都市国家ウィドへの入国を果たしていた。ウルが記憶している神の世界への門があるのがエルメス教国であり、その通り道であるからというのが一つ。そして、金稼ぎという目的で見るならば最も適した環境を持つウィドで何か見つけられないかという深い考えのない気まぐれによって。
そのために、ウルは正規の手順で発行されたウィドへの入国許可証を手にしたのである。
「一体どうやってそんなものを? 検査無しのフリーパスなど、相当な地位の者でなければ持てるものではないはずですが」
その許可証に疑問を問いかけたのは、旧王国で未だ生存しているハンター達の統括者に任命され忙しくしていたクロウであった。
単体での戦闘力に優れ、人間相手の友好的な交渉に最も適した人材としてウルに無理矢理引きずられてきた苦労人である。
「そう複雑な顔をするな。何ら後ろめたいことはなく、普通にこれを発行できる地位の者と交渉して手にしただけだ」
「いえ、そんな地位の……しかも関わりがないはずのウィドの権力者とどのようなつながりがあるのかと……」
「ルドルフは想像以上に優秀な男だった、という話だな」
ウルが手にする入国許可証を手にした経路はルドルフである。
元々外交の重鎮として働いていたルドルフだ。五大国出身であり、流通の要であったネカリワの領主であったルドルフには各国に独自のパイプを持っており、当然その中には商業国家であるウィドの人間も含まれている。
魔物の国である魔王国に吸収されたこともあり、そのパイプの大半は機能不全状態であるが、中にはそれでもかまわないと繋がりを保っているものもある。特に、倫理観や常識よりも利益を重視するウィドの人間はその傾向が強く、裏で進めている死者蘇生ビジネスにも強い関心を示している者も多い。そのルートを使い、どこから見ても一切悪びれることのない正当な許可証を手に入れてきたのである。
「まあいいじゃないか。どんな手段で手に入れたにせよ、重要なのはここに入れるって事さね」
詳しいことは説明しない魔王に更に疑いの目を向けるクロウだったが、同じ人間のマジーが軽い調子でクロウの肩を叩いた。
同じ人間ではあっても倫理観と常識がぶっ飛んでいるマジーの言葉にクロウは更に胃を押さえるが、もはや日常の痛みだなと思いつつコルト印の胃薬を飲むのであった。
「それで? どんなルートを通るつもりなのかしら?」
許可証のことはもういいと、一行の中で一番の異様を放っているアラクネのアラフがウルに問いかけた。
コボルト形態をとっているウルとコルトはともかく、進化種のアラフは関所中の注目の的である。もちろん、悪い意味で。
なお、同じく進化種である暗鬼のグリンは護衛としてウルの影の中に潜んでいるため誰からも認識されてはいない。
「……なんか機嫌悪い?」
「別に……ちょっと出がけにボコられただけよ。足何本かもがれたし」
「ああ……傷はいいの?」
「もう慣れたわよ。足の二、三本くらい、もう10秒もあれば再生できるわ」
コルトはアラフの語気にやや刺々しいものを感じて問いかけた。そして、その回答に納得したと頷くのだった。
アラフは過去の宣言通り、度々魔王ウルに挑んでいる。それはアラフだけではなく、ケンキもカームも成長の節目節目に魔王へ挑戦しているのだ。
ちなみに、自分から挑まない場合は『そろそろ試してやる頃合いだな』とウルの方から唐突に襲いかかってくるケースもあるので、心構えと準備ができる分自分から挑む方がいいというのが魔王軍幹部勢の総意である。
そんなわけで、ウルが今回の話を持ちかけるために近づいてきたところでそのまま奇襲を仕掛けたのだが、返り討ちにあって痛めつけられたため機嫌が悪いようであった。
「そうだな……主要都市を横断してやってもいいのだが……」
「一応言っておきますが、物凄い騒ぎになりますからね?」
アラフの様子はさておき、今後の予定を語る魔王へ胃薬の効果が早速現れてきたクロウが先んじて進言した。
今となっては、魔物の評価は奴隷というだけではない。五大国の一つを支配してしまった恐るべき侵略者として、他国の情報を仕入れることができる階級ならばある程度認識を改めているのだ。
特に、国を渡り歩く行商人などまさにその階級ど真ん中であり、彼ら独自のルートで集めた情報から「あれ魔王じゃないか?」とひそひそ噂されている状況であった。
関所の時点でこれなのだから、もし街中に堂々と入っていけばどんなパニックになるかわかったものではない。
「それはそれで面白そうだが……まぁ、今じゃないな」
ウルがこの国に求めているのは、魔王国へと金を落とすことだ。今の情勢では魔王国と直接的な取引をするとなるとエルメス教国に目を付けられてしまうため表立った取引ができない状況であるが、そこをクリアする何かを発見できるのが最良である。
そう考えれば、無駄に騒ぎを大きくするのは得策ではない。こういう時は――
「人通りなんてないド辺境ルートで行くか。こいつは国内フリーパスだからな」
交渉材料に使えるネタは、煌びやかな表ではなく薄暗い裏にあるのが相場である。
相手が何を必要としているのかを知るのが商売の基本。そして、不足分というのは常に裏から現れるものなのだから。
「ちなみに、ウィドの案内は誰かいるのですか? 私はここに来るのは初めてですが」
ウィドは五大国の中では最も国土面積が狭い国であるが、それでも大国だ。都市一つの小国の集まりなので、実際に移動するとなればかなりの距離になる。
そこを土地鑑のない者だけで移動するとなると、高確率で当てもなく彷徨うことになるだろう。下級貴族産まれで元ギルドマスターのクロウも外国に出張するような立場ではなかったため、ウィドの土地鑑はゼロである。
そもそも魔王の出現までシルツ森林に引きこもっていた魔物組には聞くまでもなく、残る希望のマジーにクロウは目をやるが――
「生憎、ウィドに来たのなんて遥か昔のことでね。その時だって馬車の中で揺られてただけだし、案内できるようなものはないね」
元魔神会、マジーは見た目に反して長く生きているだけのことはありウィドに来るのは初めてではない。
しかし、そもそも社交性に欠ける偏屈な魔道士という人間性と、他国に出るなら護衛付きの快適旅以外にないマジーに他国の道案内など望む方がおかしい話なのである。
「……誰か道案内を雇ったりとかは?」
「一応お忍びだからな。痕跡が残ることは極力避けた」
堂々と真正面から入国しておいて今更何を言うかとクロウは思うが、つまり案内役を付けるつもりはないということだろうと全ての言葉を飲み込んだ。
魔王ウルとしては、今回は本当に気の向くまま流れに任せてウィドという国を観察するつもりなのだ。誰かに決められたルートを歩くのではなく、本能と勘に任せて。
「まぁそう心配するな。合法的に手に入るレベルの、最低限の地図は入手している。これを基に、普通の商人や旅行者は絶対に通らないルートを選んで行くとしよう」
ウルは楽しそうに大雑把な地形と主要都市の位置だけが載っている地図を見ながら歩き出した。
実のところ、ウルはこうした何が待っているのかわからない指針無き旅が好きなのだ。計算と計画で未来を推測して動くことも多いが、一歩先が見えない行動の方が性格的には好みなのである。
そうして、異様な雰囲気を放つ一行はウィドの辺境ルートを通ってエルメス教国を目指し始めた。
通常のルートを通る商人たちなどとうの昔に見えなくなり、常人では踏み込むこともできないような道なき道を行く魔王一行。
足場最悪の荒れ地で強制爆速マラソンを強行したり、それなりの広めの湖を遠泳することになったり、何故か突然山に登ることになったりと、訓練ついでに無茶苦茶な強行軍を魔王の気まぐれによって敢行することとなったのである。
すると、偶然にも道らしきものに出るのであった。
「うん? 道か」
「…………疲れた」
山の上から降りてきたとき、疲労困憊の様子のコルトが心の底からという様子でつぶやいた。
何故かと言えば、当然無茶苦茶な強行軍による疲れもあるが、人里離れた辺境に領域支配者級の魔物を見つけるたびに、ウルが邪悪な笑みと共にコルトの首根っこを掴んで投げつけたのだ。
当然、突然よそ者の魔物に体当たりされた領域支配者たちは怒る。そのままコルトは襲われることとなり、他に戦闘員はいくらでもいるのに一人で戦わされたのである。
おかげで、コルトは一人ボロボロであった。普段以上に苛烈で厳しいイジメにも疲れたで済んでしまう辺り、大分慣れが見られるが。
「研究もいいが、偶には運動しないと身体が鈍るだろう?」
「……いつもいつも運動ならやってるよ……強制的に」
気まぐれに生死の境を彷徨う訓練をやらせたがるのは魔王の習性である。
特に、目をかけられているというべきか目を付けられているというべきか、最近はその被害がコルトに集中しているので、気まぐれ発動の度にコルトはボロボロになるのであった。
「ちょっと、休ませ、て……」
「やれやれ……では、少し休むとするか」
そんなコルトが息を整えるまで、一行は道端でしばらく休息をとることになった。
一番疲労困憊なのはコルトだが、他の面々もそれなり以上に疲労している。休憩は助かったと、各々近くの倒木や岩に腰かけて疲れを取ろうと休み始めた。
そのまましばらく、ゆったりとした時間が流れた。ウルは地図に自分で見聞きした情報を書きこみ、アラフは体内糸を生成して編み物を始め、クロウは武器の点検を、マジーは持参した本を読み進める。グリンはこういう時こそ仕事だと、周辺の警戒に出ている。
そんな時間を過ごしていた時……
「……うん?」
「誰か来ますね」
ここにいるのは誰もが戦士として一流の使い手だ。専門分野は異なるが、皆自分たちに近づいてくる何者かの気配くらいはどれだけ疲労していても察知できる。
当然、リーダーであるウルは自身の感覚はもちろん、グリンからの報告でその存在をより詳細に理解している。
「グリンからの報告によれば、一般人と思われる人間らしいな。外見はかなり貧相でやせ細ったもの。どう贔屓目に見ても戦闘力はないとのことだ」
「人数は?」
「三人だ。普通に考えたらただの通行人だが……ふむ」
ウルはそう言って、少し離れた方向へと視線を向けた。
「少し気になっていたが、向こうに小さな気配がいくつもあるな」
「え? ……ああ、確かに。集中して探ってみれば、弱々しい気配がいくつも……村ですかね?」
「貧弱な人間だと言っても弱々しすぎる気配だけど、この感じは人間ね」
「となると、村民が村に帰る途中というところか……フム」
ウルは近づいてくる人間たちに何かを感じた。まだ具体的に言葉にできるほどのことはないのだが、何かを察知したのだ。
今からくる人間、そして村には何かがある。根拠はないが、ウルは自分の勘を素直に信じることにしたのであった。
「[地の道/四の段/迷彩光膜]」
「姿を消す魔道?」
ウルの魔道発動に、マジーが反応した。
ウルが使ったのは、光の屈折を操作することで視覚情報を誤魔化す魔道だ。それにより、ウルはクロウとマジーを除く魔物組の姿を隠したのである。
とはいえ、この魔道で隠せるのは姿だけ。音も臭いも消せず、魔力反応も隠せないため一般人を欺くのが精いっぱいのものである。更に、人物ではなく景色そのものにかける魔道であるため、効果範囲から出れば即座に発見されてしまう上に激しい動きを行えば景色がブレてやはり見破られる。
総じて、目だけで物事を捉えている一般人からじっと隠れることしかできない魔道だ。
それでも四の段という高位に割り当てられているのは、それだけ光を操り違和感のない背景を映し出すのが難しいということである。
「この魔道は音は消せん。クロウとマジー以外はしばらく静かに潜め」
ウルは簡潔に魔道の注意点を伝えると、自身もそのまま黙った。
同時に、今度は命の道を発動し、虫型の使い魔を創造。クロウとマジーの下へと飛ばし、そこを起点に念話のパスをつないだ。
『聞こえているな?』
『え? はい』
『実にクリアで見事な念話ですよ』
ウル、クロウ、マジーの間に念話が繋がったと、それぞれが思念で確認しあった。
『お前たちだけ姿を現し、このまま待機だ。向こうから声をかけてくればそれでいいし、素通りされるようならお前たちからコンタクトをとれ』
『向こうから話しかけられることがありますか?』
『さぁな? 情報はゼロだ。どう転んでもおかしくはないし、そこは臨機応変に期待したいところだ』
『では、どういう方向に話を持っていくのがお望みなのですか?』
『世間話でも何でもいいが、何か変わったことがないか聞き出せ』
『大雑把な指示ですね……』
任せるという名の丸投げを敢行した魔王は、それ以降の念話を遮断する。
具体性のない情報収集、という専門外の命令であるが、魔王の無茶ぶりにしては難易度が低い方なのでクロウは無言で頷いた。そもそも社交性というものを持たない異常者には黙っていてもらうのが最善だと瞬時に判断し、全ての仕事を自分でこなすことを既に覚悟している。
そうこうしているうちに、ボロボロのローブで顔まで隠した人間がクロウ達を見つけたのか、頼りない足取りで二人の下へと寄ってきたのだった。
「……もし、旅のお方」
「どうされましたか、ご老人」
クロウは声をかけてきた男に、極力穏やかに返答をする。
ローブの男は、よぼよぼの老人のようであった。しかも、よくよく見てみればただ年老いている、というだけでは説明できないほどに極端に精気がないようであった。
「少し、お恵みをお願いできないでしょうか……?」
「はい……?」
ローブの老人は、開口一番物乞いをしてきたのであった……。




