第19話「本格的な討伐隊を」
「[無の道/一の段/金縛り]!」
「な――魔道だと!?」
剣士グッチと、コルト、ブラウ、ロットのチームの戦いの火蓋を切ったのは、意外なことに臆病な気質のコルトであった。
群れの仲間を皆殺しにした種族、人間――その姿を前に、常の性格は鳴りを潜め、非常に好戦的になっているのだ。
だが――
「大したこと、ねぇよ!」
「……うわっ!?」
魔道を使う敵がいることは、グッチとて当然知っている。魔道の罠の先で待ち構えていた敵が、それを使わないと思う方がおかしい。
故に、コボルトの子供が自分にも使えない魔道という技術を操ったことに驚きこそするが、対処できないということはない。
先天的に経絡が活性化しておらず、魔道士としての適性はないと判断されたが、ハンターとしての修練の末にその身には多量の魔力が宿っている。魔力は魔力と反発する関係上、魔道を破るもっともシンプルな解決策は力業。自分の魔力で相手の魔力を破れば、どんな魔道でも無力化できる。
それを証明するかのように、グッチはコルトの放った念力による拘束をあっさりと打ち破ったのだ。
グッチたちハンターとは、魔を討ち狩る者。それ故に、人間の技術とされる魔道の使い手との戦闘経験はあまりないが、ゼロという事はない。
人間の中には様々な規約に縛られることを嫌い、またギルドを介さないことでより大きな利益を得るべくハンターとしての資格を持たないまま、ハンターならば行わない狩りを行う 『密猟者』と呼ばれる犯罪者が存在する。
人間の犯罪者を捕らえるのは軍などの国家権力の仕事だが、密猟者はハンターの仕事場を荒らす関係上、ハンターが狩ることが多い。その中には魔道を悪用する人間もおり、グッチはそんな犯罪者との戦闘経験から、魔道への対処法をある程度は心得ているのだ。
「魔道が使えるたぁ驚いたが、それ以上じゃねぇな!」
グッチは威勢よく吠えながら、確信を持った。この魔道を使う希少なコボルトの子供は、自分の敵ではないと。
確かに最弱種族が魔道を使うということ自体は驚くべき話であり、専門の研究機関が聞けば絶対に生け捕りにしろと騒ぐ大発見ではある。
だが、その力だけで見るならば、脆弱の一言だ。今までに斬り捨ててきた犯罪魔道士に比べればそのパワーは弱く、容易く対応できる。自分の必殺を無傷で防いだリーダー格のコボルトは危険だが、こいつは大したことはないと評価するに十分な結果だったのだ。
――その余裕は、すぐに打ち砕かれてしまったが。
「[地の道/一の段/氷結]!」
「[命の道/一の段/草縛り]!」
「――嘘だろ!?」
後方で構えていたゴブリン二匹が、揃って信じられないことをやった。
魔道だ。恐るべき事に、コボルトに続いてたかがゴブリンが魔道を使ったのだ。
それがハッタリではないことは、すぐに証明される。自分の周囲の温度が自然現象ではありえない急激な速度で下がり、空気中の水分が凝固することで鎧や剣のあちこちに薄い氷が張られる。致命的なものではないが、放置すれば動きに影響が現れるだろう。
更に、その変化に戸惑った隙に、足元の雑草が異常な成長を起こし、グッチの足を絡め取ってしまった。力ずくで簡単に引き剥がせる程度のものでしかないが、明らかに特殊な能力の影響――魔道によるものであったのだ。
「魔道を使う魔物が、三体も――ッ!?」
一つ一つは、グッチの力を以てすれば容易く対応できるレベルでしかない。しかし、あまりにも常識を無視した事実を前に、グッチは束縛を破った後、半ば無意識に後退を選んだ。
リーダーからの、撤退のため隙を作れという指令。それに従えば、今の場面は無理にでも押し込んで一撃を加えるべきだとも言え、また安全の確保が最優先であるのだから深追いはすべきではないとも言える。
つまりどちらを選ぶかは個人の好みなのだが、グッチは間違いなく前進を選ぶタイプだ。にも拘らず後退したという事実が、グッチの動揺を言葉以上に表している。
魔道――それは、人間にとっては選ばれし者の、才ある者の証のようなもの。それを下等な雑魚モンスターが使っているという事実は、経験豊富なハンターを以てしてなお驚愕を隠しきれないものなのである。
「――舐めんなよ!」
だが、グッチはそんな自分の心の弱さをかき消すように叫び、再度剣を振りかぶって前進する。
グッチの剣、功罪武器『朱刃飛沫』。紅い刀身から複数の斬撃を一度に発生させることができる能力を有した、統合無意識に認められた魔剣。
発生させられる斬撃は、発動時の構えから繰り出すことのできる軌道に限定される。つまり剣の間合いにのみ効果があるのだが、実は少しだけその解釈を広げることができる。
当たり前だが、剣とは腕力だけで振るうものではない。踏み込みから始まり重心の移動などなど、全身の駆動を駆使することでその真価を発揮する。
すなわち、構えより踏み込みを行う『一歩分』移動するのが前提なのだ。故に、魔剣・朱刃飛沫の間合いとは、剣の間合いから、一歩踏み出した領域ということなのである。
「二発目だ――【朱刃飛沫】!」
紅い刃から、二本の異なった紅い線が出現する。先ほど放ったため、力の補充が間に合わずに数が減少しているのだ。
しかし、それでも本体と併せて三体の魔物を狩るには十分。殺しきれなくとも、撤退するのを妨害できないくらいの傷は与えられるだろう。
グッチ本人は真っ直ぐ勢いのある踏み込みにより小さなコボルトへと剣を振り下ろし、残る二本はそれぞれ左右に踏み込んだ場合の軌道を持って二人のゴブリンへと向かう。
その剣速に、三人は全く反応できない。一流の剣士であるグッチの剣に反応することなど、戦闘者としての技術を何一つ持たないコルト達が反応できるわけがないのだ。
「――ッ!」
それでも、紅い刃は弾かれた。三本全て、見えない壁に弾かれてしまったのである。
「馬鹿な――」
必殺を自負する魔剣の一撃が、二度も防がれた。それはグッチの剣士としての、ハンターとしての自信をも揺るがすことだった。
相手が勝ち目の薄い格上であるならば、受け入れただろう。それでも勝つと、自分を奮い立たせることができただろう。
しかし、明確な格下に切り札を使い、なお仕留められない。それは、他の誰よりもグッチ自身が認めてしまう――屈辱と敗北感を得るに十分な事実なのである。
「やばっ!」
グッチはそんな自分の中に表れた感情を自覚し、焦りを見せて先ほど以上に大きく後退する。それこそ、それがそのまま逃亡であると言っても間違いではないほどに。
――功罪とは、強力な力である。しかし、強力な力には必ずリスクがついて回る物だ。
まずは、魔力消費の多さ。一度目に放った朱刃飛沫が四つの刃を生み出したにもかかわらず、二度目に放った時には二つまで減っていた……そのことからもわかるだろう。五分も休めばすぐに回復できるのだが、戦闘においてそれは長すぎる休憩時間だ。
そして、もう一つ。功罪のリスクとは、その成り立ちが非常に不安定であることだ。
功罪とは『その他大勢とは違う特別な存在である』と統合無意識に認められることで習得できる。それに相応しい功績を挙げることで、自分の力とすることが可能になるのだ。
逆に言えば、統合無意識が「その力は思ったほど強いものではない」と判断するような醜態を晒せば、力は減少するということになる。功績を打ち消すような醜態を晒せば、当然格が落ちるのだ。
とは言え、失われるということはない。統合無意識に刻まれた過去は決して消えることは無く、今はどうであれ『その偉業を成し遂げた』事実は永遠に残るためだ。
いかに衰えようとも、過去に刻んだ技が消えて無くなることはない。あくまでも、パワーダウンするという話である。
そう、パワーダウンは、起きるのである。
(クソ、こりゃ、立て直すまで無理はできねぇか)
一瞬であれ、グッチは自分の必殺が通用しない――それを認めてしまった。
功罪の源である統合無意識は、その無意識の認識をしっかりと記憶している。そのため、今の朱刃飛沫は目の前のコボルト達に対して効果が薄い――という、マイナスの効果が付いてしまった。
これを払拭するには、グッチ自身が心を立て直す必要がある。アレは勘違いだった、今の自分の剣ならば、問題なくあいつらを斬ることができる。そう思えるほどの何かを用意する必要があるのだ。
「……チッ、そういうことか」
グッチは自ら距離をあけた敵を改めて見て、自分の技が防がれた理由を悟った。
心得の無いグッチには本来見えないものだが、亀裂だらけになったことで視認できるようになっている。見えない壁に弾かれたように無力化された、その感触そのままだったのだ。
無の道だと思われる、魔力の障壁――それが、最初から彼ら三体の前に張られていたのだから。
「あの三匹の魔道、じゃねぇな。……魔道を使える魔物が、まだいるってことかよ」
普段軽薄なグッチも、流石に危機感を募らせる。
いったいどんな手品なのかはわからないが、限られた才能の持ち主のみが操ることを許される魔道を、最低でも五体の魔物が行使することができる。
その事実は、長く続いた人間社会の成り立ちを、大きく覆す可能性すら含んでいるのだから。
(よくよく気配を探ってみれば、向こうの茂みにまた何体か潜んでいやがる……マナセンサーへのジャミングまでできる、マジモンの魔道士の魔物なんてイカレタもんが後何体いるんだ?)
魔道士一人で、非魔道士十人分の働きをするとされている。もちろんそれは個々の質によって上下するが、危険極まりないことは確かだ。
本来魔物よりも劣った力しかない人間が、魔物を圧倒している今を作っている技術の一つ。それが、魔物側の手に渡り、更に増殖しているなど笑い話にもならない。
魔を狩る者として、危機感を覚えないわけにはいかないのだ。
「しかも、この剣の有様は……まさか、そんなことまでできんのかよ」
グッチは自分の剣を見て、その状態に冷や汗を流す。
朱刃飛沫は、凍り付いていた。先ほどのゴブリンによる魔道とは別に、更に氷結の魔道がかけられているのだ。
その種は、ゴブリン達が持っている粗末な木の盾だ。アレには氷結の魔道を使うロットの魔化が施されており、触れた対象を凍らせる効果を持っている。
元々、功罪武器による攻撃を、魔道を覚えたばかりのゴブリン――隠れているゲルブ一人の障壁で完全に止められるわけがない。彼の剣が弾かれたのは、障壁に加えて魔化を施した盾の力もあったのだ。
そのため、剣は氷結により力を弱められたのだが、グッチからすれば信じがたいことだ。
魔化とは専門の職人が時間をかけて行うことであり、魔物風情が成しえることではない。あんな粗末な木の板に魔化を施すなど、絶対にあり得ないことなのだ。
「こりゃ、本格的な討伐隊を出す必要、あるだろうな……魔道士の集団相手にするつもりの」
ここに至り、グッチはこの場での決着を完全に諦めた。
敵の総戦力は不明ながら、この場で狩りきれると考えるのは楽観が過ぎると。十分な準備を整え、時間をかけて確実に仕留めなければならない相手であると、認めたのだ。
「リーダーたちは……って、嘘だろおい……」
自分だけは撤退するに十分な距離を取っている中、仲間達はどうしているのか。
それを見たグッチは、再び絶句してしまった。
格闘術を専門とし、近接戦闘に関しては自分を上回る……かもしれないと認めている男を相手に、接近戦で持ちこたえている――否、凌駕しているようにすら見える、一匹のコボルトの美技を見て。