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第189話「面白い題材になりますかねぇ?」

「自由都市国家ウィド……人の強さと弱さが交差する欲望の都。ンンー……面白い街です」


 竪琴を弾きながら歩く吟遊詩人、アラシャの言葉に一瞬だけ視線を向けた聖人ルーカスは、しかし黙して歩き続ける。

 現在、悪魔の書封印のため禁忌の地を目指すルーカスと、ルーカスに勝手についていくアラシャ。この二人は五大国の一つ、自由都市国家ウィドに入っていた。


 ウィドはファルマー大陸の中心を北から南に縦断する縦長の国家であり、西にエルメス教国、東にガルザス帝国という二大国家の境に存在している。

 明確に敵対する主義を掲げる教国と帝国の緩衝材であり、仲介役を果たす立場だ。


 元は大陸にいくつも存在している小国の中で頭一つ抜けた発展を遂げたウィドという都市一つの小国が始まりの国である。経済の自由を謳う自由都市国家ウィドが中心となり、いくつもの都市や小国を吸収する形で巨大化し、五大国の一角を担うまでに成長した連合国家というところだ。今でも原初の名である自由都市国家ウィドを名乗っているが、既に都市一つでは収まらない大国であることは有名な話である。

 その成り立ち上、王族と呼ばれる支配階級は存在せず、貴族の類いもいない。力ある商人達の議会により意志決定がなされる、金こそが力を持つ商人の国なのだ。

 五大国の中では最も歴史が浅く、国土も狭い。しかし経済力だけで見れば五大国の中でも一、二を争う経済国家であり、流通という点で言えば文句なく世界最高と称される。ウィドで手に入らないものは世界のどこでも手に入らない、と言われるほどだ。

 そんな国である関係上、人の出入りも非常に多い。それ故に流れの犯罪者から犯罪組織まで入り込むことも多いのだが、しかし今ルーカスが歩いている道は人の気配がないのであった。


「どうせなら主要街道を使えばよろしいのに。聖人様の肩書があれば最上級の待遇で悠々自適な旅ができますよ? その方がいろいろな思惑も重なり詩の題材にも――」

「……こんな危険物を持ったまま人通りの多い場所を行くのは避けなければならない。本来ならウィドの領土に入ることすら避けたいのだが……」


 ルーカスは懐に入れている封印状態の『悪魔の書』を服の上から触りつつ、アラシャの問いに答えた。

 この悪魔の書は、力を開放すれば万単位の死者を生み出す超危険物。ルーカスが封じているとはいえ、何がきっかけで暴走するかわからないものを持ったまま人里に行くことは極力避けたいというのがルーカスの考えなのである。

 そのため、あえて人が通ることのないような辺境の未開発地域を選んで歩いているのである。悪魔の書を発見した小国アルバンと、エルメス教国にある禁忌の地の間にウィドがあるから仕方がなく入国したのだと愚痴りながら。


「人を守るために動く私が人々を危険に晒しては本末転倒。不便だろうが何だろうが、自分の足を動かすだけでいいなら……ム?」

「どうし……なるほど、招かれざる客ですか」


 勝手についてきているだけのアラシャの問いにも律儀に答えたルーカスは、突如歩みを止めた。

 それを不思議に思ったアラシャは、直後にその原因を察した。人通りが全くなかったはずの、辺境のまともに舗装もされていない砂利道。そんな道の先に、複数の気配が潜んでいたのだ。


「……獣ではないな」

「人間、ですねぇ。路上演奏をしているときに、お代を払わずこっそり聞いている観客を思い出す気配です。もっとも、それよりは大分物騒な様子ですけど」


 ルーカスは聖人として鍛えられた経験で、アラシャは吟遊詩人としての経験で隠れている複数の人間を察知した。それも、明確な敵意が混じった気配を。

 しかし、二人に焦燥はない。そもそも聖人、それも七聖人が脅威と思う人間などそうそういるはずもないのだ。そんな七聖人と共にいることもあり、また旅の吟遊詩人として実は戦闘力にもそれなりに自信があるアラシャも動揺するほどではなかった。

 なにせ、気配を隠しているつもりなのだろう……と首を傾げてしまうくらいにはいろいろ雑な、素人臭が漂う潜伏なのだ。


「お、おい!」

「金を、出せ!」


 ルーカスたちにバレたことを感じたのか、隠れていた者達が出てきた。

 野盗……の類なのだろう。金品を要求しているのだからそれは間違いないだろうが、それにしても貧相であった。

 まず、武装がほとんどない。身に着けているのはその辺の農民が着る一般的な布の服。手に持っているのはちょっと立派な木の枝やら包丁やらの、本当にその辺の農民が用意できる精いっぱいという感じである。

 総じて、盗賊団と呼ぶにはいろいろ足りていない、食うに困った庶民の集団……というところだろうとルーカスは察したのだった。


(普通の野盗なら、俺に襲い掛かるような馬鹿な真似はしないだろうからな)


 ルーカスは神官服を着ているのだ。それが七聖人の身分を示すものであることはエルメス教関係者しかわからないかもしれないが、それでも神官を襲うなどという罰当たりは早々ない。エルメス教は今の世界を生きる人間たちの心のよりどころであり、信仰を否定する帝国を除けばどこに行っても尊敬される存在なのだ。

 それでも神官を狙うということは、本当に切羽詰まった哀れな民なのだろうとルーカスは察する。道を踏み外してしまった罪人に慈悲と救いを与えるのも聖人の使命。ルーカスはそう思い、極力傷つけないようにまずは落ち着かせようとその強面を盗賊たちに向ける。


「ヒッ!」

「て、ててて、抵抗するなら、よ、容赦しないぞ!」


 神官服などなくとも、ルーカスはガタイのいい大男。普通に睨まれるだけでもかなりの恐怖であり、それだけで盗賊たちは腰が引けていた。

 犯罪行為どころか、暴力そのものに全く慣れていない。それが見て取れる姿だが、それでも武器を構えている以上甘い態度は見せられない。


「武器を納めろ。そして悔い改めよ」

「うぅ……」


 武器――包丁やその辺に落ちていた木の枝だが――を向けられても全く動揺しないルーカスに、盗賊たちは早くも気圧されているようであった。

 ルーカスとしては、このまま大人しくなるのならば暴力に頼ることなく穏便に済ませたいと思っていた。やはり力に頼ることなく平和を作ってこその正義であるというのが彼の信条なのである。


 だが、そうはいかないから世の中は争いに満ちているのだ。


「ビビってんじゃねぇぞ! 俺たちはもうやるしかないんだ!」


 盗賊たちの中にいた、一番体格のいい若者が叫んだ。彼はリーダー格なのか、その一喝で腰が引けていた盗賊たちの目に僅かな闘志が宿った。

 宿らなくていいのだがと思いつつも、最小限の被害で事を治める方法は見つけたと、背負った武器に手を伸ばすことなく軽く拳を握った。


「行くぞぉぉぉぉ!!」


 盗賊たちはリーダーの掛け声とともに「ウワー!!」と、やや迫力に欠けるやけくそ気味の叫び声をあげて一斉に襲い掛かってきた。

 そんな盗賊たちを前に、ルーカスは聖人の衣――など発動しない。あんなもの、一般人相手に使ってはあっという間に肉塊の山が積みあがるばかりだ。


「フンッ!」

「ぼぶっ!?」


 ルーカスは戦闘の専門家ではないが、生まれ持った体格と荒行の過程で作られた肉体はそれそのものが一つの武器だ。

 聖人の衣を発動せずとも莫大な魔力を宿すルーカスの肉体はただでさえ強力なのに、筋力だけでその辺の戦士を軽く超えている。その巨体を活かした強烈な鉄拳によって、ガリガリの盗賊はあっさりと吹き飛ばされた。


「あらあら……これは、詩にしても盛り上がりに欠けそうですねぇ」


 アラシャはその光景を見て、つまらなそうにため息を吐いた。

 武器対素手。一人対多数。状況だけ見れば英雄譚の一節に使えそうな場面であるが、残念ながら栄養失調で今にも倒れそうという風体の盗賊と、万全の聖人では力に差がありすぎる。

 圧倒的強者が弱者を一方的に屠る物語など手垢がついた骨董品。まして、その強者が相手を気遣って死なないように大きなけがをしないようにと手加減しているのだから、あまり見世物として面白いものにはならないだろう。


「こ、この野郎!」

「あら? 私にも来ます?」


 ルーカスはリーダー格の盗賊の下へとまっすぐ、盗賊たちを適当になぎ倒しながら進んでいる。その間後ろでただ見ていただけのアラシャに、盗賊の一人が襲い掛かってきたのだった。

 あの重戦車さながらのルーカスに突っ込むよりは賢い選択であるが、戦士の後ろで見ていたか弱い詩人の女を襲うとは些か無粋な男だ。

 何よりも、詩人は舞台に上がる存在ではない。傍観者であり歌い手である詩人がヒーローやヒロインの真似事をし、主役のように振る舞うなど、自己顕示欲を抑えられない三流以下の素人さんがやることであるというのがアラシャの信条である。


「と、言っても火の粉は払わないといけないのが辛いところです」


 どちらにせよ、あまり面白い舞台ではないからいいかとアラシャは一瞬表情を変える。

 すべてを楽しみ愛でる詩人の顔に、一瞬鋭い視線を載せた後、彼女の右腕が一瞬消える。常人の動体視力を置き去りにする速度で動き、一秒後には元の位置に戻されていた。

 その一瞬で意識を断たれた盗賊はその場で倒れ伏す。詩人の活躍など最小限に抑え、英雄たちの活躍を讃えられればそれでいいのだから。


「ぐえっ!?」

「もう終わりですね……」


 そんな一瞬の出来事の間に、本命であるルーカスと盗賊団の戦いも終わっていた。まさに蹂躙劇。圧倒的な力の差に、まさに一瞬でケリが付いてしまったようであった。


「さて、ここまででいいか?」

「ぐ、そ……」


 精神的支柱であったリーダー格の盗賊は、ルーカスの巨大な掌で顔面を覆うように頭を鷲掴みにされていた。

 ルーカスがその気になればそのまま頭を握りつぶされる。そう思ってしまうほどの力は既に示しているのだから、既に詰みの状況だ。


「俺は争いも血も求めてはいない。どうか矛を収め、事情を聞かせてもらえないか?」


 バタバタと何人も倒され、リーダーの頭を押さえられている。この状況でなお抗うほどの気力ないらしく、まだ無事な盗賊たちは次々と武器を捨てていった。

 しかし仲間を見捨てて逃げる、という盗賊ならやりかねない行動に出る者もおらず、どうやらルーカスの判断に身をゆだねるつもりらしい。潔いというよりは、諦めているという様子であるが。


「話し合いに応じてもらい感謝する。それで……改めて問うが、いったい何故このようなことをした?」


 リーダーを除き、抵抗の意志を失った盗賊たちへとルーカスが問いかける。そのリーダーは未だにルーカスの巨大な手で掴まれているので、もう抵抗できる者はいない。


「その……」

「俺は、決してお前たちを傷つけたいわけではない。法の番人でもない。どうか素直に話してほしい」

「……俺たちは、この近くのサーバ村の者です」


 口ごもる盗賊たちであったが、ルーカスの促しにぼそぼそと身の上をしゃべり始めた。

 もしここで「遊ぶ金が欲しかった」なんて言われれば流石のルーカスもきつめのお仕置きをした上でこのウィドの治安維持組織に引き渡すところだが、盗賊たちのやせ細った身体を見る限りそれはないだろう。

 そう思い、リーダーの顔を掴んだままルーカスは彼らの話について考える。


(サーバ村……ウィドの主要都市にはない名前だな。特産物の産地としても記憶にない。となると、地図にも載らないような寒村といったところか?)


 ルーカスは、というより外交を務めることも多い聖人は他国の主要な都市や特産品といった、外国人との話題になる情報は一通り覚えている。

 しかし、そんなルーカスでもサーバ村という名前に心当たりはなかった。そのため、そもそも知られていないような小さな村なのだろうと考えたのだ。


「元々、俺たちは畑を耕して街に売りに行くだけの農家なんだ」

「毎日毎日面白くもない仕事をして、寝るだけの……でも、食うには困らない生活をしていた」

「ウィドは大陸屈指の経済国家。仕事さえしていれば食うに困ることはないだろう」


 多くの有力商人たちの連合であるウィドでは、基本的に景気がいい。

 だからこそ貧しい者は富める者に搾取されるということもよくある話だが、やはり豊かな国というのは貧困国家に比べれば生きるハードルは低いものだ。


「それが壊れたのは、少し前のことだ」

「何があった?」

「……病気だ。俺たちの村に、わけのわからない感染する病が広まり始めたんだ」

「病?」


 ルーカスは、盗賊にでも襲われたとか、あるいは自然災害の延長で畑がダメになったとか、そんな話が出てくると思っていた。

 しかし、出てきた『病』という単語に眉を顰めるのであった。


「全身が青白くなって、いずれ死んじまうって病気だ」

「もう何人も倒れている。まだ発症してからひと月も経ってねぇのに、老人の中には死人だって出てるんだ」

「幼い子供もな……」

「ただ食うだけなら畑仕事でもなんとかなる。でも、こんなわけのわからない病を治してくれる医者や薬なんて、俺たちがまともに働いたってどうにもならねぇんだよ……!」


 妙にやせ細った盗賊――村人たち。

 それはただ単に食うに困っているからと思っていたルーカスであったが、それはもしや病によるものなのか。

 そう思い辺り、目を見開くルーカス。そして――


「正体不明の未知の病……これは面白い題材になりますかねぇ?」


 後ろで黙って聞いていたアラシャは、その美しい顔に、残酷なまでに美しい笑みを浮かべて呟いたのであった。

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