第188話「探してくるとしようか」
魔王国。
魔王ウル・オーマを王とする独裁国家であり、正しく悪魔の国と称すべき地獄の国……と、周辺諸国から噂されている地がある。
苛烈にして悪逆な拷問を嬉々として行い、しかもそれを隠すことなく堂々と公開するという『人心を掴む気がサラサラない』と宣伝するような、人間からすれば頭がおかしいとしか言えない政策を行うこの国は、しかし予想外に平和であった。
犯罪者として捕まれば地獄行き一直線であるが、魔王が定めた法律に反しない限りはル=コア王家が政権を握っていたときよりもむしろ住みやすい国になっているのだ。
魔王国の基本方針は『成果主義』。どんな分野でもいいので、何かしらの力を示せば豊かになり、何もないものは野垂れ死ぬ。自らの力で立ち、上を目指そうとする者からすればこの上ない公平さによって挑みがいがある環境であり、ただ誰かの施しを待っているだけの弱者からすれば一切の慈悲がない国という形になっているのだった。
「魔王陛下。新設される職業訓練所の予算案はこれで問題ないですかな?」
「そうだな……特に問題はないが、管理者を管理するシステムの構築はきちんとするように。特に、備品の類の予算は横領の対象になりやすいぞ」
旧ル=コア王国の王城であった地にて、現在国王補佐――事実上の文官最高権力者としてその手腕を振るっているルドルフ元公爵と、国王として君臨する魔王ウル・オーマが書類仕事に励んでいた。
基本的にはルドルフが全て調整を行い、ウルはその確認と最終承認をするだけという組織としてようやく健全な――ルドルフの負担は半端ではないが――仕組みを手にした魔王国は、法律の改訂から公共事業のあれこれと多忙を極めている。
魔王ウルは暴君であるが、意外と支配下に置いた国へは良心的な政策を行う。これは、王に庇護される対価である税の支払いという義務を果たした国民へはそれ相応の褒美が必要だからというウルの価値観によるものだ。
言ってしまえば、これも契約である。国民は王に従い王へ税金を納める。その対価として、王は国民に対して最低限の生活の保障をする……という内容の。
「……食料生産の向上はどうなっている?」
「現在はシルツ森林からの異界資源輸入に頼るところが大きいですが、エルフ族よりの技術提供とマザーシードのおかげで国内――ル=コア領内生産量は向上傾向にあります。職にあぶれていた若者を農夫として雇用する計画も予定どおりです」
「そうか。既にル=コア領内そのものが異界化している以上、植生にも変化が出てくる。それに対応するのは人間には厳しいだろうが、ミーファーと上手く連携をとるのだな」
国民が王に尽すことへの対価として、国王が支払うべきは何か?
その答えは王によって変わるかもしれないが、魔王ウルの価値観で言えば『外敵から守られること』と『飢えない生活』の二つである。
厳密には自然災害などの被害を防ぐ、復興するなどより利便性の高い環境づくりなど他にもあるが、絶対に守るべきはこの二つだ。
国民は王が自分たちが食うに困らず、いざというときは外敵から守ってくれると信じるからこそ王を王として認め自らの財産を献上するのだ。ならば、それに応えるのは魔王以前に王としての沽券にかけて当然のことなのである。
「エルフ族の自然との共生、という生き方がこれほど有益だとは思っていませんでしたよ」
「人間という奴はとにかく自己評価が高いからな。自信を持つのは結構なことだが、能力がないくせに驕るのは感心せんぞ?」
そんな理由で、まずは食料生産の向上が魔王国目下の目標である。
魔王ウル・オーマの暴虐によって人口を大きく減らした元王国民であるが、その分魔物人口が増えたことで消費量そのものは大幅に上昇し、食料が不足していた。
王国が魔王国に降った時点で押さえていた食料生産農場は解放したが、そもそも王国の食料自給率は高くはないのだ。土地だけで見ればかなり豊かなはずなのだが、根本的に第一次産業を軽視し、農家を代表とする生産者を下に見てきた国には農業のノウハウが育っていなかったのである。
なにせ『畑なんて地面に種まけば後は勝手に育つだろ』と本気で考えているのが現場を知らない貴族たちだ。領地経営に真剣に取り組んでいればありえないような農家に対する軽視が酷く、いつも生きていくのにギリギリの蓄えしか残らないような重税を課し利益を貪ってきた。
そんなことをされて農家が育つはずもなく、子供は飢え死ぬか病死する確率が非常に高い先細り。ただでさえ少ない労働力が代を重ねるたびに減っていくという悪循環に陥っていたのである。
魔王はそんな負の連鎖を断ち切り、改革に乗り出した。植物と共に生きるエルフたちを中心に据えた、農地大改革を始めたのだ。
今まで人間たちは、エルフ族を奴隷にすることはあっても知恵を借りようと思うことはなかった。人間は自分たちこそが至高の種族であると信じ切っており、他種族が自分達よりも優れた文化、文明を持っているなど想像すらしてこなかったのである。
結果として、無駄に遊んでいる土地を活かす能力を持つエルフ族を手にしながらも愛玩動物か単純作業用の労働力としてしか利用しない、という凄まじくもったいない人材の無駄遣いをしていたのだ。
そこで、そんな偏見など全く持たないウルが適材適所な人員の配置、という指導者としての基本中の基本に則り指示を出した結果、王国の土地は改善傾向にあるという話であった。もちろん、実際に各種調整を行なったのはルドルフであり、彼の功績もまた大きいものである。
「ところで……炊き出しなどはやはり無しで?」
「当然だ。ただ生きているだけで飯にありつこうなど人間風情には過ぎた贅沢というものである」
様々な分野で優れた采配を振っているように見えるウルであるが、やはり本質は魔王。ただ優しい王様であることを望むことは決定的に間違っているのである。
今までの旧ル=コア王政でなかったものが増える代わりに、今まではあったものがなくなることもあるのだ。
「職がないならいくらでも斡旋できる。俺は食事と寝床付きの住み込み労働は提供しても、何もしないのに飯にありつけるようなあほらしい仕組みを用意するつもりはない」
「中には事情があり働けない者もいるかと思いますが……」
「病や怪我なら料金後払いの病院を作ればいい。未熟な子供というのならば訓練施設や養護施設を作ることも認めよう。ただ何の役にも立たないのに生きていく権利は与えないだけだ」
「制度自体は手厚いですね……」
魔王ウルの方針として、強い者、強くなろうとする者には優遇処置を行い、惰性的に生きる者、役に立たない者は切り捨てるというものがある。
いかに堕落していても、人間の王ではそこまで思い切ったことは言えないものだ。王、支配者と呼ばれる立場の人間は常に民衆の人気を気にしなければならない。結局のところ、王が王でいられるのは国民の支持があってこそなのだ。
ル=コア王国の王族はそれすらも忘れていた傾向があったが、それでも最低限の人気取りはやっていた。所謂情報操作だが、貧しい暮らしをしている貧民を相手とした炊き出しなどやったこともあるのだ。
尤も、その予算はあらゆる工程ごとに中抜きされ、実際に貧民の口に入るころには当初の予定よりも遥かにランクダウンすることになる。……くらいならまだマシの方で、下手すると予算全部誰かの懐に入り、炊き出しは書面上のみで行われたことになっているだけ、なんてこともよくある話であったが。
とにかく、国民への人気取りという意味で貧しいものへの施しは定番なのだ。
今は裕福とまではいかずとも、自立した暮らしを行えている中流層の民とていつ転落するかわからない以上、上の人間は下の人間に優しいというアピールは大体の場合において有効なのである。
が……魔王国を支配するのは魔王ウル・オーマ。国民の反乱など全く恐れていないどころか、勝てる自信が付いたならいつでも首を取りに来いと宣言する力の王だ。圧倒的な力による支配を是とする魔王からすれば、弱者への人気取りなど全く不要な考えなのである。
必要なのは分野問わず優れた何かを持つ強者と、いずれ強者になりえる者。それ以外は勝手に野垂れ死にでもなんでも好きにしろとはっきり言ってしまうタイプの暴君なのだから。
(一人の人間としては、弱者を切り捨てることに躊躇なしの考えはどうかと思うが……今のまま進めれば、結果的に国は強くなるのだろうな)
役にたたなくても同族だから最低限の手は差し伸べたい。そう思ってしまう人間のルドルフであるが、当然そんな感傷が魔王に響くことはないのでそれは口にしない。
考えるのは、現在の方針……つまり、足手まといを切り捨て伸びしろのある者を育てるという方針についてだ。
名君でも暴君でも変わらないこととして、支配下に置いた民衆の教育というのは悩みの種だ。
国力を上げるためには国民一人一人の教育を充実させる必要があるのだが、支配されていればいい労働力に無駄な知恵を付ければ王政が崩れる恐れがある。
民衆には自分を脅かすことができない程度に能力を身に着けてほしい、というのが支配階級の本音であり、国民への教育は疎かにしてもやりすぎてもいけないという難しい話なのだ。
(国民への教育を熱心にする……というのとは違うかもしれないが、どんな傲慢な王でもある意味できない政策だ。ここまで教育を充実させるのは)
そんな王たちの悩みに対し、ウルが出した答えは『全力で成長させる』の一点突破である。
それが人間風情がいくら成長しても自分の敵にはなりえないという異種族故の自信からくるもの……なのかはルドルフにもわからないが、とにかく今まで虐げられるだけであった元王国民たちへの教育設備、制度をこれでもかと充実させているのである。
ルドルフからしても、ここまでお膳立てしてもらってなお自力で立てないなら見込みはないと言われても仕方がない……と思ってしまうくらいには、魔王国は教育国家として再建を果たそうとしていた。
「しかし、これらすべてを実行に移すには予算の問題があります。骨組みを作るまでが精いっぱいというくらいには例の死者蘇生の影響で深刻な財政難なのですが、異界資源の取引で何とかなるとお考えですか?」
「そこは悩みの種だな。将来的にはそれで問題ないようにするつもりだが、今は目先の金か……」
ウルはルドルフの指摘に不機嫌そうに答えた。
王都中の財宝を冥界との契約のため勝手に使ったのはウルなのだが、それはそれとして資金不足というのは気分のいいものではない。一応現在の予算で最低限動くようにあれこれ予算を組みはしたものの、到底理想的とは言いがたい妥協の産物なのだ。
その財宝で蘇ったルドルフにも文句を言う資格はないが、やはり統治を任されている身の上としては頭の痛い問題であった。
理想とする国を作るための資金がない。こればかりは、他の王たちと同様魔王であっても頭を悩ませるしかない問題なのであった。
「まさか略奪とか考えていませんよね?」
「手段の一つとしては是とするが、あまり頼るのはよくないな」
魔王らしく『欲しいものは奪う』というのは一つの手段かもしれない。
しかし、一時の金を稼ぐために一々略奪というのは長い目で見るとマイナスになる。短絡的に金を手にして後は酒だ女だで満足するような未来のことなど考えない山賊と、遥か未来のことまで考えなければならない国王ではスケールが違うのだ。
「必要なのは資金を稼ぐシステム。当面の目的としては、こちらの商品にしっかり金を払う商売相手を手にするのが理想だ」
殺して奪う、だと奪った後が続かない。当座の資金稼ぎとして小国の一つや二つ程度落とすくらいならば問題はないかもしれないが、滅んだ国からは何も手に入らないのである。
「……よし、二つの問題……ついでにもう一つも解決しにいくか」
「二つと、もう一つ?」
「最低限の指示は出したのだ。後はお前だけでもどうにでもなるだろう?」
「え? ええ……当面は。死者蘇生ビジネスも水面下でいい返事をもらっている国もありますし、ある程度までなら問題が起きても対応できるでしょう」
外交、内政を安心して任せられる配下という、今までにいなかった配下の存在にウルは満足そうに頷いた。
ウルが現在抱える大きな問題は二つ。一つは財政難を解決するための資金作り。もう一つは――
(いい加減、神共の様子を調べねばならんからな)
略奪、交渉、商売……どの方法で解決するにしても、国に引きこもっていては解決できない。そして、神の現状を調べるためには魔王自ら動くしかない。
ということで、ほとんどノープランのままであるが、ウルは魔王国を出てフィールドワークにしゃれ込むことにしたのであった。
問題、というわけではないが、そろそろ頃合いかと思っている案件も一つあることだし。
「何人か供に……そうだな、あまり派手な面子では今回の目的にそぐわんから……コルトとグリン、それにクロウとついでにマジー……アラフの奴も最近元気が有り余っているようだし面白いかもしれんな」
今回は目的はあっても綿密な計画などはない、臨機応変という名の行き当たりばったりプランである。
そこで、ド派手な戦闘を行わず、対応力に優れる手札の多さという基準でメンバーをウルは選ぶのであった。
当然、各々の予定や意見は一切無視。暴君の命令である。
「昔の門の場所を探るついでに、何か金目のものがないか探してくるとしようか」
自由気ままに欲望のままに。最近中々できずにいた、本能で進む旅を思い浮かべながら、古代では気まぐれに現れて厄災を振りまくと恐れられた魔王は早速行動を開始するのである……。