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第187話「私も勇敢ではないですよ」

「ンンー……いい風ですねぇ。インスピレーションを刺激されますよ」

「では好きなだけ風と戯れていればいい。俺はさっさと行かせてもらうがな」


 人気もなければ魔物の気配すらない荒野を二人の男女が歩いていた。

 女は場にそぐわない煌びやかな衣装――人目を集めることを最優先してデザインされている芸人の装束。しかし生地は旅をすることを前提とした丈夫なものが使われていることから、見栄えだけの衣ではないことがわかる。また、背中には竪琴を背負っており、総じて旅の歌い手、吟遊詩人と呼ばれる職種の人間であろう。


 もう一人の男は、誰が見てもその身分がわかる純白の神官装束であった。

 更に詳しく見てみれば、施されている刺繍や飾りなどから読み取れるのは神官の中でも最高位、聖人と呼ばれる逸脱者のみが纏うことを許されるものであることがわかる。

 少々その装束にそぐわない、無骨で実戦で使うことのみを追求して作られた槍を背負っているのが気にかかるかもしれないが、護衛もなく旅をするならば当然の装備の範疇だろう。そんな装備を身に着けているのがこれまた神官というよりも傭兵と言った方がしっくりくる筋骨隆々な強面の大男なので、聖人の神官服を着た傭兵という評価に落ち着いてしまうかもしれないが、彼は正真正銘の聖人――それも、七聖人の一角を担う男である。


 流れの吟遊詩人と聖人。一見なんの共通点もないように思える二人が何故旅をしているのかと言えば、そこに理由はない。

 聖人は一人使命を帯びて旅をしている途中であり、そこに吟遊詩人が勝手についてきている、というのが二人の関係であった。


「もっと楽しくお喋りしません? コミュニケーションは基本ですよ?」

「不要だ。俺は元々一人旅をしているだけなのだからな」


 男女の二人旅と言えばなにやら艶のある話かとも思うかもしれないが、少なくとも二人の間にそんな甘い空気はさっぱりない。

 聖人の男は吟遊詩人の女をはっきり邪魔だと認識し、それを態度に出している。そんな邪険にされる吟遊詩人の女は、全く空気を読まずに……それどころか楽しそうに聖人の前へ後ろへとウロチョロしているのであった。


「本当に、ルーカス様は堅物ですねぇ。こんな人気のない場所でこんないい女と一緒にいるのに、口説き文句の一つもないんですか?」

「アラシャよ。俺は今使命を果たす旅の途中だ。俺が考えるべきはいかに使命を果たすかであり、それ以外の全ては邪念なのだ」


 聖人――ルーカス・『アト』・グルマートはアラシャと名乗る吟遊詩人の女に興味を示さない。

 アラシャ本人が言うとおり、アラシャの外見は十分魅力的なものだ。元々が美人であることに加えて、人を魅せる技術に長ける吟遊詩人という仕事もあり、その魅力はその辺の有象無象とはわけが違う。

 色白金髪碧眼の美貌だけでその辺の男を奴隷のごとく使役することなど造作もないことであり、顔形を考慮せずとも吟遊詩人として一流の領域にいる彼女がその気になれば、歌の一つで最高級の宿だろうが一等地の大豪邸だろうが好きに寝床にできるはずだ。

 そんな彼女と二人旅で全く邪な思いを抱くことのないルーカスは確かに精神的に異常な聖人であり、そして安全な街中で贅を尽くすことができるくせにこんな荒野を歩いているアラシャもまた余人の理解を超えた存在なのであった。


「やれやれ……ま、私は何か事件にぶつかりそうな英雄を見られればそれでいいんですけどね」


 アラシャがルーカスに勝手についてくる理由。それは、吟遊詩人としての研鑽が目的だと彼女は語る。

 外見的には二十歳そこそこの若い女性であるが、アラシャの力量は既に一流。才能と言ってしまえばそれまでだが、この道五十年のベテラン吟遊詩人を連れてきてもアラシャの歌は長年の経験値を容易く、無慈悲なまでに凌駕すると自他ともに認めるほどだ。

 そんなアラシャの才能と自信を支えているのが、今も行なっている研鑽――己の目と耳で物語を体験する、ということだ。

 どれほど良質な物語を見聞きしたとしても、それは所詮他人の感動であり他人の物語。もちろんそれでもその辺の歌い手などよりもずっと臨場感あふれるショーを行う自信はあるが、やはり物語を生み出した当人には敵わないというのがアラシャの持論である。

 だから、彼女は求めている。自分が歌うに値する物語の主役を。英雄の喜びを、悲しみを、栄光を、苦しみを己の五感で感じる瞬間を常に求めているのだ。

 だからアラシャはルーカスの側から離れない。聖人という一つの極みに達した英雄でもある彼が、物語にするに相応しい悲劇の中心にいると知ってしまった以上、その行動を観察するのは吟遊詩人としての義務なのだ。


「ふぅ……お前の求めるような輝かしい物語など俺には縁遠いものだ。何よりも、悲劇は既に始まり、終わった。俺の役割は後始末だけだ」

「小国アルバンの崩壊。その中心にある呪われた書物……悪魔の書。序章としては中々引きがある話ですよ。しかし……私の勘は、まだこの物語は序章でしかないと告げているんです」

「……縁起でもない予言だな」


 楽しそうに笑うアラシャに対して、碌な発言ではないと巌のような顔を顰めるルーカス。

 そんな反応になるのも仕方がないだろう。既に数万人単位で犠牲になっている大惨事が、まだ序章でしかないなどと言われれば。


 ――小国アルバン。

 五大国の隙間を縫うようにいくつも存在している小国の一つであり、目立った特産品の類はないが、そこそこ豊かな土地を使った農作物の輸出で成り立っていた国だ。

 人口五万ほどの、まさに小国。大国にいくつも存在しているような都市が国を名乗っているという程度のものであり、割安で農作物を五大国へと輸出することで存在を許されているような国であった。

 そのアルバンの評判はどうだったのかと言えば、10点満点で3点くらいだろうか。そもそもの国力や経済力が低いことから国民の幸福度は低めであり、毎年決して多くはない国民の中から餓死者も出る有様であった。

 更に、そんな有様であるにもかかわらず、あるいはそんな有様だからこそ、小国の支配者である王族は腐っていた。とにかく周辺諸国へのご機嫌伺いと自分たちの贅沢。その二つだけしか考えておらず、国民が飢えようがお構いなしに重税を課し、何の対策もしないという政策を続けてきたのだ。

 今まではこれで大丈夫だったのだからこれからも大丈夫、という愚か者の典型的な思考に基づき、いつか確実に限界が来る『誰かの犠牲によって成り立つ平和』を惰性的に続けてきたのである。そんなもの、いつかはその誰かが限界を迎えて倒れることなどわかり切っているのに。


 その限界が訪れたのはつい最近のことだ。

 最近のビッグニュースといえば、魔王国の建国とそれに伴う五大国の一つ、ル=コア王国の崩壊であろうが、同時期にアルバン王国の反乱と崩壊という事件も起きていたのである。


 きっかけが何だったのかはわからない。もしかしたら魔王国の存在を知り、怯えた王族が更に自分たちの身の安全を確保しようと重税を追加したのかもしれないし、そんなこととは無関係にただ限界が訪れただけなのかもしれない。

 いずれにせよ、内乱は起きた。とはいえ、小国の滅亡などさほど珍しい話でもなく、本来ならばどちらが勝つにせよ聖人が関わる話ではなかっただろう。

 問題は、どこからか現れた強大な力を持つ一人の異能力者の存在だ。大した力の持ち主がいないからこそ内乱と言ってもさほど大規模な被害が出なかったところに、謎の功罪(メリト)と思われる力の持ち主が介入したことで犠牲者が加速的に増えたのである。


 その力に邪悪なものを感じる、とエルメス教国の感知網が察知した。それが聖人ルーカスが出陣した理由だ。

 推定、悪魔。悪魔が誕生したのか、悪魔に近しい功罪(メリト)の持ち主が現れたのか……そこまで詳しいことはわからないが、いずれにせよ魔物の中でも随一の危険度、悪辣さを持つ悪魔関連の事件となれば内政干渉と言われようが聖人は動くのだ。

 これが五大国クラスとなると政治的な問題にも配慮する必要が出てくるが、小国如き文句を言ってきても一睨みで黙らせることができるという事情もあるが。


(その結果、見つかったのがこの本だったわけだな)


 ここまでの経緯を思い返したルーカスは、そっと懐にしまってある一冊の本へと手をやった。

 悪魔の気配を察してアルバン王国へと乗り込んだルーカスだったが、既に手遅れの事態となっていた。

 無数の生物が恐怖と苦しみの中で死したことで発生した怨念が一種の功罪(メリト)のようなものへと昇華した、生物を殺すことに特化した『呪い』にアルバンの国は包まれており、よその国へ避難していなかった国民の大半が犠牲者の名簿に名前を連ねていたのである。

 そこに平民も王族もない。正しく皆殺しに等しい行いであり、アルバン王国の内乱は生存者がいなくなったという形で終結したのである。この本を持ち込んだのが王権を打倒しようとした反乱軍なのか、それとも反乱を抑え込もうとした王族なのか。それすら不明の、勝者なき戦いとして。


(あの地は祖国の援軍を頼るほかない。流石にあの範囲は俺の手に余る)


 聖人としての能力で呪いを突き破り、その恨みと憎しみの根源となっていた『悪魔の書』を回収したルーカスであったが、国土に散らばった呪いの除去はかなりの大仕事。その場で解決することは困難であると判断し、これ以上被害を増やさない方向にシフトせざるを得ない有様だった。

 国を包み込んだ呪いを吸収していたのか、悪魔の書からもかなりドギツイ呪いが放たれていたため、これを封印してひとまずは解決。後は国を囲う大規模な結界を張るための人員と、内側の呪いを浄化していく大規模作戦が必要となるだろう。

 これは個人で当たる規模の問題ではないことを母国に報告し、ルーカスはこれほどの被害をもたらした諸悪の根源である悪魔の書を完全封印するべく動いたのであった。


(破壊できればそれがベストなのだが……これが功罪(メリト)武器である場合、破壊では不安が残る)


 ルーカスの本音としては、さっさと破壊して終わらせてやりたいところであった。

 だが、悪魔の書の正体が『悪魔が潜んでいる本』ならばそれでいいかもしれないが、功罪(メリト)であった場合はそうもいかないのだ。

 一度発生した功罪(メリト)は決して消えることはない。弱体化や変化を起こすことはあっても、消えることはないのだ。

 それこそ、持ち主が死亡しても功罪(メリト)は残る。それが肉体に宿るタイプのものであればその部分には功罪(メリト)が宿り続けることになり、功罪(メリト)武器であった場合は破壊されても再生するし、それができないほど粉々にしても似たような何かを媒介に復活することもあり得るのだ。

 仮にどこかで復活、なんてことになればもう捕捉不能だ。人を呪い殺す呪本、などという超危険物の行方がわからなくなるようなことは避けたいのは言うまでもないだろう。

 ならば封印するしかないのだが、いくら七聖人とはいえ個人レベルの封印などいつか破られることになるのは間違いない。100年持つ封印は100年後に破られるということであり、どんな力の持ち主でも永遠はないのである。


「呪われし悪魔の本を封印。しかし永遠はこの世にない。ならば永遠に最も近い聖地へ封じるー……ンンー」


 いつの間にか背負っていた竪琴を手に取り、適当な旋律を奏でながらアラシャはルーカスの思考を先読みした。そんな適当な演奏でもしっかりと人を引き込むことができる辺りに彼女の技量が表れている。


 ルーカスの考えは、アラシャの言葉どおりであった。自分自身の封印は永久に続くものではないが、エルメス教国の国土にはこの手の危険物を封印するために最適な場所があるのだ。

 そこには常に七聖人の内最低三人が配置されることとなっており、この世で最も清き地であるべく清められている。禁忌の地、という呼び方もされるエルメス教国最大の聖地であるその地へ足を踏み入れることが許されるのは七聖人に選ばれた者だけという事情もあるが、それはそのままその地の宗教的重要性と危険性を示していた。


「いやー……興味深い! ぜひ後学のためにも見てみたいものですねぇ」

「言うまでもないが却下だ。あそこに入ることが許されるものは世界での七……いや、今は五人だけだな」


 ルーカスは言葉を濁しながらもアラシャの要求を却下した。

 七聖人の内、聖人アストラムと聖女アリアスがル=コア王国崩壊の際死亡したことはルーカスも聞いていた。厳密に言えば死亡が確認されたのは街中で魔王と戦ったアストラムだけであり、アリアスの死亡は確認されたわけではないのだが、状況から見てまず間違いなく死亡していると考えられている。

 人類の守護者である七聖人の死亡と、神器の消失。戦場を監視していた者の報告ではアストラムが保有していた神器は恐れ多いことに魔王に食われてしまった挙句、死体も悍ましいアンデッドに変えられてしまったことが報告されている。この時点で卒倒ものであるが、この報告を受けてなおアリアスは無事……などと考えるのは楽観が過ぎるというものだ。


「残念無念です。かの伝説の地――神々が降臨したという聖域を見れば今までにないものを得られるでしょうに」

「あんな呪われた場所に平然と入ってくるような奴だからこそ本気で忠告するが、一歩でも踏み込めば俺も武器を取ることになるからな? もっとも、やろうとしたところで聖地の結界に阻まれ徒労に終わるだろうが」

「わかっていますとも。七聖人様を敵に回すほど私も勇敢ではないですよ」


 聖人クラスとまでは言わないが、人間社会では間違いなく一流と呼ばれる実力者でもない限り生存すら困難な呪いの地。

 死体が転がり呪いが蔓延するそんな場所で、平然と創作活動の題材を求めていたこの怪しい女に付きまとわれつつも、ルーカスは自分の使命だけを見るのであった……。

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