第181話「何らかの可能性があるということだ」
「なに、これは……?」
そろそろ日も沈む黄昏時。今も戦火の煙があちこちから上がる王都を眺められる丘の上に、一人混乱する少年がいた。
彼の名はジル。ジル・ノーム。田舎農家の息子であり、魔導士としての適性を見出されて王都へ進出。更に才能を見出されて未来の魔神会候補として訓練を受け、僅か一月という異例の速さで魔神会就任の試練を13歳でクリアしてきた天才児である。
意気揚々と凱旋するはずだったのに、帰ってみれば王都が燃えている。これで動揺しない者はいないだろう。
「みんな……!」
王都にはジルの知り合いが沢山いる。師匠であるマジー、田舎から出てきた自分に親切にしてくれた商店街の人たち、一緒に遊んだ孤児院の子供たち……そんな人達に、何かあったのかもしれない。
そう思った瞬間、ジルは咄嗟に魔道を発動させた。身体強化の魔道により、王都へ向けて走り出したのである。
(――魔物!)
王都へと近づいてみれば、普段ならば見張りの兵がいるはずの場所に魔物が立っていた。それも、教本で習ったような本能だけで生きているような姿でもなければ、街中で見てきた奴隷魔物とも違う。武装をし、組織的に動いているその姿は魔物ではなく兵士――それも、ル=コア王国の兵士よりもずっと上等なものに見えるのだった。
(――まさか、魔王軍?)
ジルは前々から話だけは聞いていた魔王を名乗る化け物からの宣戦布告のことを思い、そして幼いころに母に読み聞かせてもらった本のことを思い出した。
悪い魔王が世界を支配し、それを神々と勇者達が打ち破ったという神話のお話。幼いころはその話を見て将来は勇者になりたいと思っていたものだった。
成長した今ならば勇者とは努力でなるものではないとわかっているが、それでも自分なりに英雄を目指して努力してきた。魔王にも負けない、最強の英雄を目指して。
(魔王軍だというのならば――戦う!)
ジル個人としても、魔神会の末席としてもここで戦わない理由はない。ジルはこちらを発見して武器を構える魔物へと、ジルの体格に合わせて作ってもらった剣を抜いた。
「敵か!」
「――[地の道/二の段/帯電剣]!」
剣に電撃を纏わせ、魔物――武装ゴブリンへと斬りかかる。
「[無の道/一の段/障壁]」
(魔道!?)
武装ゴブリンは防御のため念力の壁を作り出す。魔道としてはジルの方が格上であるため、破ることは難しくないが一瞬の足止めはされた。
その間に、他にも王都を囲っていた魔物兵が集まってくる時間を与えてしまうのだった。
(魔力をケチっている場合じゃないか――)
本命は街の中にいるだろう敵の大将であると考え、魔力は節約しておきたかった。しかし、ここで無駄に時間をかけて敵を集めるようなことは本末転倒だと、ジルはあえて全力で戦いを終わらせる方向に切り替えるのだった。
「全力解放――[地の道/四の段/螺旋風]!!」
ジルの発動した魔道により、周囲に竜巻が巻き起こる。これは一の段の魔道でどうにかできる規模ではなく、集まったゴブリン達は皆空へと吹き飛ばされていくのだった。
(殺すには足りていないかもしれないけど、道は空いた!!)
広範囲を吹き飛ばす魔道で道を開き、ジルは王都へと侵入を果たした。
そのまま、大通りめがけて進んでいくと、そこには……
「え……?」
人間が人間を殺している。ジルが思っていた光景とは全く異なる現実が前にあったのだ。
「なんで……?」
ジルが思い描いていたのは、襲いかかる邪悪な魔物と、それに抗う魔神会を筆頭とする人間の英雄達という構図だ。
なのに、何故人間と人間が戦っているのか?
ジルは理解できないまま、唖然として立ち竦むことしかできなかった。
「貴族は死ねぇぇぇ!」
「囲め! ポイントは後で分ければいい!」
「クソッ! 平民共が……! 金ならやる! あの狼藉者を殺せ! 100人分だ!!」
「こうなりゃもう平民だって関係ねぇ! 死ね! 死んでくれ!」
ポイント? と首を傾げながらも、何故か貴族と平民で殺しあっているようであった。ところどころで平民同士でも殺しあいが起きているが、どちらにせよ大惨事だ。
それを止めるべきかと思うが、しかし事情も何も分からないまま一々説得しているほど余裕はない。
どんな理由があるのかはジルにはわからないが、こんな騒ぎの元凶は魔物――魔王であると、何故か確信があるのだ。
(この街で一番大きい邪悪な魔力を感じ取るんだ。集中して――)
ジルは魔道士として鍛えた感知能力をフルに解放し、王都中を探そうとする。
自分の知らない、強力な魔力を感じ取ろうと目を閉じて集中。すると――
(――見つけた)
何かに導かれているように彼の感覚は冴え渡り、怪しい気配はすぐに見つかった。街の中央で自分の存在を主張するように魔力を放っている何かがいるのだ。
(――え?)
すぐさま元凶を討伐しようと考えたジルだったが、その近くに別の魔力を感じて一瞬身体が硬直してしまった。
何故かはわからないが、自分の師匠であるマジー・ハリケーの魔力がすぐ側にあるのだ。今のところ師匠の魔力は臨戦態勢にはないようだが、もしかしたらこれから戦うつもりなのかもしれないとジルは助太刀すべく急いで現場に向かうのであった。
だが――
「これが十の段の下準備なのですが?」
「そのとおりだ。全ての力を取り戻していたならば一々準備などいらんのだが、今の状態では発動に丸一日必要になってしまう」
「そうですか……それにしても、すさまじい技術。この数の魔道陣を展開して制御しきるなどとは……」
「これは魔力不足を補うための工夫で、本題ではないがな。まぁ、この程度のこともできなければ十の段は扱えないのも事実だが」
「それはすさまじい……」
一目見るだけで邪悪な化け物だとわかる怪物と、自分の師匠であるマジーが談笑していた。
その光景にわけがわからないまま、それでもジルは考える。あの怪物は実は敵じゃないという可能性と、自分の師匠が何らかの術で操られている可能性、どちらが高いかと。
「――師匠!」
「おや? ジル坊……もう戻ったのかい?」
結局、ジルは師匠であるマジー本人から話を聞くことにした。
ジルの存在に気が付いたマジーは不自然なほどいつも通りの様子であった。今も、少し視線を逸らせば人間同士で何故か殺し合いをしているというのに。
それに――
(強い血の匂い……この場で、かなりの量の血が流れている。怪我人の一人もいないのは気になるけど……)
ジルは田舎育ちとして、人間としては優れた五感を持っている。その内、嗅覚がこの場でかなりの人間が怪我――あるいは死亡したと考えられるだけの出血があったことを嗅ぎ取ったのだ。
「……ここで何があったんですか?」
「何って?」
「何で、街の人達が殺し合っているのか! それに、この場所で何人死んだのかってことです……!」
ジルは穏やかで温厚な少年だ。普段から滅多なことでは声を荒らげるような真似はしないし、誰に対しても誠実に接する善良な人間である。
だが、今彼の口から出た言葉は強く荒さが目立っていた。抑えられない感情が剥き出しの、ある意味善人らしい言葉を紡いでいるのだ。
自分が師と仰いだ人間が、人の死に対して何の興味もないという顔をしているのだからそれも仕方が無いかもしれないが。
「おや? 知らないのかい? 今行われているゲームを」
「ゲーム……?」
「ああ。魔王陛下主催のゲームでね。内容は――」
マジーは外敵であるはずの魔王に陛下と付けて、まるで仕える主人であるかのように接していた。
自国の国王すら舐めてかかる唯我独尊の魔女であるはずのマジーが、魔王を王と認めているのだ。
そんなマジーは、魔王の思いつきで開催されたという悪辣な殺人ゲームのことをジルに向かって丁寧に説明していく。
ゲーム開始時に王都にはいなかったジルは対象外だが、今まさに『生き残りをかけたデスゲーム』の真っ最中であるということを。
当初は貴族と平民という対立であったが、既に終了時刻も迫る時刻。何とか自分を、家族だけでも助けようと、既にあちこちで無差別な殺人が行われている。生き残るために、人間が人間を殺す地獄が作られていることを。
そして、この場の血の臭いは僅かな可能性にかけて魔王に命乞いに来た挙句、更に機嫌を損ねて無残に殺され食われた者達が残した物であることを教えられたのであった。
「師匠は……それを、どうして止めないんですか!」
「止める? 何故?」
そんな非道にして悪辣な企み、止めて当然だ。罪のない人々を守る英雄を目指して修行を積んできたジルからすれば、止める理由など必要すらないものだ。
だから、心底不思議そうに聞き返してきた尊敬しているはずの師匠が、まるで未知の怪物としか見えないのだった。
(精神操作? だとすればまず師匠を解呪すれば――)
ジルは一番ありそうな、あってほしい可能性を思い浮かべる。
相手の精神を操る魔道や功罪は存在する。その類いで操られているのならば、それさえ何とかすればきっと問題を解決できると。
しかし……残念なことに、ジル・ノームは天才なのであった。親しい相手が魔道や功罪の影響下にあるかどうかくらいは直感で理解してしまえるくらいには。
「魔王陛下は十の段の実演をしてくださると約束された。それを見られるのなら、王都の人間が何人死のうと知ったことじゃないだろう? それよりも、お前もこっちにきて見学しなさい」
マジーはいつも通りの様子でそう言い切った。師匠らしく、未熟な若者を導く目で。
それを見たジルには理解できてしまった。今のマジーの言葉は錯乱しているのでも操られているでもなく、心の底からそう思っているのだと。
「本気、ですか……?」
「当然だろう? 魔神会は魔道を極めるためだけに存在する組織。それはお前にも十分教えていたはずだが?」
ジルはその言葉を受け、何度も言い聞かされてきた『魔道の探求』を思い返す。
確かに、マジーはずっと言っていた。最終的に魔道の深淵に辿り着くことだけが目的であり、自分の全ての行動はそのためだけにあるのだと。
しかし、ジルはそんな言葉の本質を見誤っていた。ジルからすれば魔道とはあくまでも手段であり、重要なのは手にした力で何をするかだからだ。
ジルは自分の師匠は多くの人間から尊敬される立派な人なのだから、いざとなればその魔道の力で偉業を成してくれる英雄であると、ただ信じていたのだ。
正真正銘、より強力な魔道を会得するということ以外の全てに興味を持たない狂人であることなど、想像もしていなかったのだ。
「――なら、僕は止める!」
ジルは強い悲しみを覚えていた。しかし、今の力を得た自分がやるべきなのは信じていた大人に裏切られて泣く子供になることではなく、一人の男として悪に立ち向かうことなのだと自分の心を律する。
悲しみを越え、恐怖を打ち消し、悪を滅するべく剣を握る。その姿は、確かに少年が憧れた英雄と呼ぶべきものであった。
「本気かい? 確かにこっちも万全じゃないけど、まだまだ若造に負けることはないよ」
「勝てる勝てないの話じゃない!」
勝てそうな相手にだけ勝負を挑み、負けそうならば非道を前にしても見て見ぬ振りをする。そんな格好悪いものに憧れたことなど無い。
ジルが憧れ目指すのは、強大な悪にも屈することなく挑む本物の勇者なのだから。
「ほぅ……」
ジルの叫びを聞いて、ここまでジルの存在を完全に無視していた魔王が初めて興味を向けた。
その目で見られた瞬間、ジルは周りの重力が倍になったのかと錯覚する。自分を獲物として見る無機質な捕食者の目。並みの人間であれば、あんな目で見られただけで膝を屈してしまうだろうと痺れる頭の片隅で考える。
「……下がれマジー」
「いいんですか? 私の弟子ですし、躾なら私がやりますが」
「よい。参加者ではないが、挑戦者はいつでも受けると言ったのは俺だ。俺は契約を守るのだよ」
ジルに興味を抱いたらしい魔王は、マジーを制して自らが前に出てきた。
その姿――名前はわからないが、確実に進化種――を見て、ジルの中に残っている冷静な部分が自分の勝算を計算する。
結果は――
「お前は今までここにやってきた自暴自棄のゴミとは少々違うらしい……昔見た奴らを思い出すいい目だな」
「――ハッ!」
ジルは自分に使える命の道の中でも、後の後遺症を心配しなければならないクラスの自己強化で無理矢理限界を超える。
そして、剣にも魔道を施す。こうして自己強化と剣の強化を魔道で行い、更に日々鍛えている剣術を振るうのがジルの戦闘スタイルだ。
徐々に身体が出来上がってきていることもあり、その力は大きく成長を続けている。
そんなジルの紛れもなく最強の攻撃を、魔王は――
「ほう……想定を超えたか」
あっさりと左の掌で剣を受け止めてしまった。圧倒的な魔力量と肉体性能の差があって初めてできるその何気ない防御は、ジル自身が下した『勝ち目無し』という予測と寸分違わぬものであった。
そう、本来ならば簡単に防がれてしまう実力差があるのは間違いの無い事実なのに、受け止めた掌からほんの僅かとはいえ血が流れたのだった。
実力差を覆す一撃。それを成すことができるということは、いつの日か魔王へ剣を突き立てる可能性があるということである。
それを、いつの間にか彼が纏っている白銀のオーラが証明していた。
「殺す気で打つ。生きていればそれはお前の天運だ。もし生きていたら、また会おうではないか。今度は俺を殺せるだけの牙を研いでな」
「――ガッ」
魔王はニヤリと笑い、ジルの頬を殴り飛ばした。それも、莫大な魔力を込めた重厚な一発……聖人の衣ですら貫通してダメージを与えられる規模の一撃だ。
当然、僅かに英雄の適性を示しただけの常人であるジルはその一発に耐えることなどできず、拳の威力に吹き飛ばされ遙か上空まで吹き飛ばされた。拳の威力だけで絶命してもおかしくはない一発受けても辛うじて命を繋ぎつつも、既に意識など消し飛んでいる。
「このまま死ぬか――?」
空まで飛ばされたジルに、魔王は更なる追撃を仕掛けようと魔道の構えを見せる。
――その時だった。突然、地震が起きたのは。そのため現在維持している大量の魔道陣を崩さないように一瞬魔王の気が逸れる。
更に、大地の一部が隆起し、そこから自然現象ではあり得ない大量の魔力――否、魔素が吹き出した。誰の意思も、神の意志にすら穢されてはいない純白にして純粋なエネルギー流がジルの身体を包み込み、遙か彼方まで吹き飛ばしたのだ。
その姿はみるみる小さくなり、やがて遠くの空へと消えていったのである……。
「……なんです? 今の? 魔道の感じはしませんでしたが……いや、あんな威力で殴って更にぶっ飛ばしたらどっちみち死ぬだけか……」
「普通は死ぬな。生きていれば奴には何らかの可能性があるということだ」
魔王――ウル・オーマは、そう言って今の一連の流れを終わりとした。
明らかに決着の直前に不自然な何かの干渉があったが、ウルはそれを不自然とは受け止めなかった。
それは魔の力も神の力も干渉しないものであることを、ウルは理解していたのだ。
魔王に挑む権利と資格を持つ強者とは、運に恵まれるものだ。九死に一生を当然のように得て初めて英雄。もしあの少年が将来魔王の首に剣を突きつけられる英雄になれる器ならば、奇跡が起きるだろうと。
――そう。今の現象はただの偶然。この街の喧騒とも無関係な、星を流れるエネルギーが引き起こす自然現象の類いだ。
ジルと呼ばれた未熟な少年は、数値で表せばゼロに等しい奇跡によってこの場から活かされたのである。神も悪魔も関わらない、自らが持つ天性の運によって――。
「少し、いいものを見た。あの闘気と殺意への褒美として、ある程度手心を加えてやるか……」
その奮闘は、ほんの僅か魔王の機嫌を取ることに貢献したようであった……。
◆
「……なんか降ってこないか?」
「え……子供?」
「おい! 子供が飛んでくるぞ!」
馬の駆け足など遥か置き去りにする速度で飛ばされたジルは、やがて墜落する時を迎えた。当然意識などない上に、この速度だ。どう考えても彼の未熟な身体は粉みじんになる未来しかないだろう。
そんな彼の姿を偶々目撃した一団――シェイカー第二王子率いる魔王国討伐部隊の面々も、全員同じことを考えたことだろう。
しかし、奇跡は起きた。彼らは休憩と補給を兼ねてとある湖の側で休息を取っていたのだが、ジルの身体は奇跡としか言いようがない角度で着水。見事な飛び込みにも似た形で水中へと沈み、爆散という結果を逃れたのである。
更に――
「お、おい! 急いで助け出せ!」
偶々近くに彼らがいたおかげで、溺死という結末も回避することに成功する。もし着弾地点が僅かにでもズレていれば、もし討伐隊の休息がもう少し違っていれば、ジルは間違いなく死んでいた。
それを乗り越えたのは、きっと運命というものだったのだろう。
その後、意識を取り戻したジルの話を聞き、シェイカーは王都が陥落したことを知る。今の戦力で王都奪還を目指しても犬死にするだけであることを悟り、また自らがル=コア王族最後の生き残りと知り、シェイカーは魔王国を目指していた進路を変更。
最も頼りになり、解決の糸口になるだろうエルメス教国への亡命を決意し、王都に家族を残している率いていた兵達を説得し、共に国を去ることとなるのだった。
魔王の計略によって生み出された分断作戦による各個撃破という未来を変え、ジルという新しい同行者と共に……。