第180話「人間というのは実に愉快なものだな」
「……クククッ! いやいや、冗談だ。お前たち人間はこのような言葉が好きらしいので適当なことを言っただけだよ」
先に手を出したのは人間なんだから文句を言うな。そんなニュアンスの言葉を口にした魔王ウル・オーマはすぐさま自分自身で口にした言葉を笑いながら否定した。
何が何だかわからないという様子のル=コア王国国王アレストと、王太子ドラムは目を白黒させるばかりである。
「こ、今回の攻撃……そして、住民の虐殺とは、復讐ということではないというのか?」
アレストは自分の中で出来上がっていたストーリー――異界資源のため魔物たちの住処を荒し、労働力確保のために魔物を奴隷にしてきたという正当な権利に対する不当な報復――は間違いなのかと、目を見開いた。
「いやいや、勘違いしてもらっては困るな。お前たちが魔物どもの住処を荒し、亜人共を追い立てたのは正当な権利だ」
それは確かに今を生きる人間の常識だ。人間こそが神に選ばれた種族であり、亜人も魔物も人間の奉仕種族として神が与えた奴隷である。それがエルメス教の教えなのだから。
だから、人間は魔物を攻撃することに躊躇しない。人間へ服従しない魔物や亜人を攻撃して死に追いやるのは当然の懲罰であり、服従させた奴隷をこき使うのはそれが自然な姿なのだから罪悪感など抱きようがない。
それが人間とそれ以外の関わり方である。それはアレストもドラムも変わらない認識であるが……それでも、魔物である目の前の魔王に肯定されるというのは不気味さしかないのであった。
「何故それが正当な権利なのか? 答えられるか?」
「それは……神が認めた――」
「愚答。神共が何を言おうが俺に関係あるか」
魔王の問いに、アレストは素直に人間の常識で答えた。しかし、その回答は魔王の望みとは異なるものであったようだ。
「他者から奪う権利を持つ者など生物誕生より一つしかない――勝者であることだ」
「な、に?」
「過程はどうあれ、かつて我は神共に敗れた。故に、勝者である神とその奴隷である人間どもは我らから奪う権利を得た。俺はそれを一切咎めない。その全てを肯定しよう」
地獄の罰を連想させるかのような冷たい目で見下ろしながら、魔王は人間達の1000年に亘る暴虐の全てを肯定すると宣言した。
しかし、その発言で救われることは決してない。なぜならば、魔王が肯定したのは勝者が敗者から全てを奪うことであり、人間が魔物から奪うことへの正当性ではないのだから。
「ぐ、うぅ……」
「その唯一絶対の真理に基づき、俺もまたその権利を主張しよう――勝者は何をやっても許される」
復讐ならばまだ救いの道はあった。本心は別として、誠心誠意謝罪し相応の賠償金の支払い――という、国と国との外交に落とし込むことができるかもしれないからだ。
1000年単位での略奪に対する賠償金がいくらになるのかはわからないが、それでも交渉するという行動には移れたかもしれないのだ。
しかし、野蛮の極みと言える勝者が敗者から搾取するだけ、という話になればもはやどうしようもない。勝者が満足するまで、敗者は奪われるしかないのだから。
(フン……まさか、本気でこの俺が報復だの復讐だのだけで動くような存在だと思っていたとはな)
そんなことも理解できなかったのかと、ウルは二人の王族に対する内心の評価を更に下げる。
攻撃されたから反撃した、という理屈である場合、逆に言えば人間が魔物に手を出していなければこの魔王ウル・オーマもまた人に牙を向けることもなく平和に暮らしていた、ということになる。
ウルは嗤う。そんなわけがないだろうと。仮に1000年の間に人間という種族が慈悲と慈愛に狂っていたとしても、だから自分が大人しくするのかといえば、そんなことはあり得ない。
相手が善であろうが悪であろうが、どうせ腹が減ったら食うだけなのだから。
大義も名分も必要ない、理不尽なる暴虐。それが魔王であるということを、魔王ウルは再び世界に刻まねばならないと改めて胸に刻むのであった。
「では、まずはどんな馬鹿でも誰が勝者なのか理解できるよう、万の首を我に捧げよ」
「ま、万など……」
「無論今すぐとは言わん。猶予を一日やろうではないか。その間に、俺に献上される幸運な一万人を選定するといい」
僅か一日で、一万人の犠牲者を選べ。その無理難題にアレストは真っ青になって口をパクパクとさせるばかりであるが、魔王は止まらない。
「無論、その中には貴様らも含まれる……と言いたいところだが、俺は寛大だ。俺の命令を完璧に成し遂げたというのならば、それ相応の報酬を出すと約束しようではないか」
「ほ、報酬?」
ウルの覇気に押されてここまでだんまりであったドラムが反応した。
このままでは自分は100%助からない。その絶望の中に、一本の糸が垂らされたのかもしれないのだ。
「あぁ。もし明日の夜……そうだな。日が完全に沈むまでに一万人の生贄を用意すれば、お前たち二人は生かしてやろう」
「ほ、本当だな!? 一万人で俺を助けるんだな!」
「あぁ。これは契約だ。俺は契約を破らない」
ドラムの顔には『自分が助かるために一万人の国民を犠牲にすること』への罪悪感など欠片もない。
国民など放っておけばいくらでも増えるただの数字であり、王太子である自分のために死ぬことは国民義務であると信じて疑っていないのだ。
そんな息子の態度にアレストは一瞬ギョッとした表情を浮かべるものの、それもすぐに消える。考えてみればその通りであり、国王である自分のために盾になるのは国民として当然の義務ではないかと思ったのである。
「では、契約成立でいいのかな?」
「ああ! 約束は守ってもらうぞ!」
「もちろんだ。爺さんの方もいいな?」
「……わかった。明日の日暮れまでに、一万人の選定を行おう」
「よろしい……あぁ、一応言っておくが一人一万人だからな?」
「グ……わかった。二万だな」
魔王国への討伐のために、もう一人の息子は既に王都を出ていてここにはいない。助けに来てくれることを期待したいところだが、救うべき首が少ないのは今だけはありがたいことであった。
その他にも、この城には自身の妻を含める親族が何人かいるのだが、それも見捨てる。今現在生きているのかもわからないような者の為に回せるリソースなど無いのだ。
そんなことを考えている二人の王族との契約を完了したウルは、愉快で仕方がないという笑みを浮かべて右手を宙へと向けるのであった。
「と、いうことだぞ? 国民の諸君。貴様らの王は俺のとの契約に同意した。君たちはどうするかね?」
ウルの右手から魔力が飛び、魔道が発動される。
地の道に属する通信魔道であり、事前に通信先に使い魔などを配置し、お互いを起点として映像と音声をリアルタイムで届ける四角い窓のようなモニターを空中に作り出す。
その術を使い、ウルは空中に複数の窓を作り出したのだ。
「え……?」
突然映し出された窓に、アレストはただでさえ血の気の引いていた顔が更に白くなる。ドラムは訳が分かっていない様子であるが、状況は彼ら親子にとって最悪以外の何物でもない状況であることは映像から一目瞭然であった。
映像に移っていたのは、広い倉庫か何かに集められた王都の住民たちであった。万を超える王都の住民たちの眼が、王族親子を見ていたのだ。
王家という最も高貴な一族を見る庶民の目は畏怖と尊敬に満ちているべきなのに、これ以上ない憎悪と敵意に満ちた眼で。
「事前に話したとおり、諸君らは王族二人の延命のために生贄になるそうだ。それで問題はないか?」
魔王ウルは全てを話していた。王族への要求と、その回答次第で住民たちがどうなるのかを。
それを聞かされた住民たちは信じていたことだろう。普段から自分たちの私腹を肥やすことしか考えていない王侯貴族であっても、いざとなれば上に立つ者として民を守ってくれるだろうと。
そんな僅かな希望は裏切られた。王族としての誇りなど欠片も見せることなく、国民を犠牲にして自分達だけは助かろうとする醜い本性によって。
「あぁ。ちなみに、彼らとは別に貴族連中も一か所に集めてお前たちと同じ提案をしたのだがな?」
「え……?」
「向こうも見事に同じ穴の狢だったぞ? 自分たちが助かるためなら庶民なんていくらでも殺して構わんと異口同音に言っていた。それも彼らはしっかりと見ているからな?」
更に空中の窓は増え、そこにはバツの悪そうな顔をした貴族たちが集められている場所が映されていた。
それを見たアレストは、完全に全身の力が抜けて崩れ落ちた。
こんなことを庶民国民に知られてしまえば、もはや王家を崇めることなどありえない。更にその下部組織といえる貴族たちの信用まで完膚なきまでに落ちたとなれば、もう国としての体裁など保てるはずもなかった。
「あ? あ? 貴様ら……誰を許可もなく見ている!」
そんなこともわからず、自分に敵意を向ける庶民たちに怒鳴るドラム。そんな愚行を止める気力も湧かないアレストは焦点の合わない眼で床の絨毯を見つめるばかりであった。
「……さて、王侯貴族たちの命を救う条件として、俺は君たち国民を生贄にしろと提示し、彼らはそれを承認した。よってこれから君たちは彼らのために犠牲になるわけだが……俺は実はとても優しく慈悲深いのだ。よって、君たちにも生き残る権利を与えるべきだと思っている」
優しさの欠片もない邪悪な笑みを浮かべながら、怒りに満ちている民への提案を行う。
魔王らしく、一番面白い方法を提案するのだ。
「王侯貴族には民を生贄にすれば処刑対象から外す。同じ権利を君たちにも与える……そうだな。十ポイントだ」
魔王が突然口にした謎のポイントに、話を聞いていた国民も貴族も王族もあっけにとられた様子になった。
そんな人間たちの様子など気にしないまま、魔王は言葉を続ける。
「あまり複雑なルールにしても面倒だ。シンプルに、平民十ポイント、貴族千ポイント、王族十万ポイントするかな」
「ど、どういう意味……」
「今言った身分に応じたポイントを集めた者は今回の処刑を見送る。そしてポイントを集める方法だが、今言ったポイントの持ち主を殺せばいい。平民を殺せば十ポイント、貴族を殺せば千ポイント、王族を殺せばなんと十万ポイントプレゼントだ」
愉快爽快であると、ウルは思いついたゲームのルールを説明していく。
「平民は十ポイントあればいいから、誰か一人殺せばとりあえずセーフティーだ。逆に貴族王族は中々大変だが、まぁそこは命の価値と理解してくれ」
「し、しかし十万など……」
「さっき約束したとおりだ。平民一万人でちょうどクリアできる数値としている。それと、このポイントは他者への譲渡も認めるから、余った場合は他者に譲ってしまうといい。余剰しても特に景品はないのでな。逆に言えば、老人や子供などを生かしたいのならば頑張って稼げということだが。あぁそれと、もし途中で死亡した人数と条件未達成の人数の合計が一万に満たない場合はポイントの少ない順に足切りとするから、自分一人生き残るだけを考えるとしても可能ならなるべく集めておいた方がいいかもしれないな」
ウルが提示した悪魔のゲームは、人間同士の生き残りをかけた殺人ゲームであった。
期限は明日の日が沈むまで。そのタイムリミットまでに生存しており既定のポイントを稼げていれば今回の大処刑から除外される。
ポイントを得る方法は、ゲームの参加者の首を取ること。身分によって首の価値が変わり、上の立場の首を狩ればそれだけ多くのポイントを得ることができる。
ポイントは譲渡も可能であるため、家族友人を守りたい場合は余剰に稼ぐ必要がある。それと低確率ではあるが、このゲームでの犠牲者が一万に届かない場合は規定ポイントをクリアしていてもポイントが少ない順にアウトとなる。
そのほかのルールとして、ゲーム終了まで王都を出ることは禁止とするという項目が追加され、このゲームは契約として王都中の人間へと黒い契約書が降り注ぐのであった。
「悪魔との契約の応用編だ。イカサマは絶対不可能のゲーム招待状というところだな」
逆らえば普通に殺されるという状況で、悪魔の契約を拒めるはずがない。契約の功罪である以上、ゲームさえクリアできれば命の保証があるということだけが、王都の人間達へ残された最後の希望であった。
「あぁ、ちなみにゲームを無視して俺を殺しに来るというのが最善の回答だ。俺はこれからゲーム終了までこの街の中央にいるつもりだから、俺を殺す算段がついた勇者はいつでもかかってくるといい」
混乱する人間たちを尻目に、魔王はゆっくりと玉座から立ち上がり、城を後にした。
と、同時に繋げられたままの窓からがやがやと混乱した民衆の声が玉座の間に届いてくる。
その内容は概ね意味のないものだ。助けてくれ、許してくれ、誰か何とかしてくれという人任せな叫びが支離滅裂に続いたのである。
そんな中で、誰かが声を挙げるまで。
「王族だ……!」
「え?」
「王族の首を取れば十万……一万人分の命が助かる!」
「そうか! それだけあれば家族も友人も……!」
「貴族でもいい! それでも百人分は助かるんだ!」
平民は同格である平民を一人殺せば自分の命は確保できる。しかし、それをやれば誰かの恨みを買い、また自分が助かるために標的にされやすくなることだろう。誰だって、善良な一般市民よりは殺人鬼の方が殺しやすいものだ。
もちろん倫理観が邪魔をして動けない者が大多数であるが、緊急避難なら仕方がないと受け入れている者もいる。だが下手に動いた場合の報復と標的にされることを恐れて動けない人間たちが、その言葉で大義名分を得てしまったのだ。
王族や貴族なら、自分たちを犠牲にしようとした悪なのだから別にいいだろうと。奴らを殺せば大勢の同胞を救える正義の行いなんだから構わないだろうと。
「王族を殺せ!」
「貴族を殺せ!!」
王都の中で最大の勢力を持つ平民派閥に狂気が広まっていく。
敵を王侯貴族と定めることでお互いの身を平民から守る同盟。保身と怒りで作られた固い結束が、彼らを殺意に満ちた狂戦士へと変えるのであった。
「ククク……まったく、人間というのは実に愉快なものだな」
そんな人間達の動きを各地に配置した配下から確認しつつ、魔王は嗤いながら王都の中心へと向かうのであった……。




