第18話「踏ん張るしかあるまい」
シルツ森林の一角、ピラーナ湖の目前で、小さな戦いが行われていた。
片や現代に蘇った古の魔王率いるゴブリン部隊プラスアルファ。片や実力者揃いの専属ハンターのチーム。
小規模の小競り合いであるが、確かに命がけの殺しあいが本格的に始まろうとしているのだった。
「今の一撃をどうやって――」
専属ハンターの切り込み隊長、グッチは初手から必殺を狙い、自身が持つもっとも強力な一撃を放った。敵のボスと思われるコボルトの、見下すような笑みを砕くために。
だが、その一撃は何をなすこともなく止められてしまった。何が起きたのかわからないまま、グッチはとにかく敵から離れるべく後方へと跳躍。自らの切り札を防がれたことへの動揺を精神力で抑え込み、仕切り直しを図った。
「作戦は以上だ。人間共を血祭りにあげよ」
リーダー格と思われる謎のコボルトは、自分に斬りかかってきたグッチを追うことをせずに、背後のゴブリン達に指示を出している。
内容は陣形の指示。ブラウ、ロットと呼ばれたゴブリン二匹と、小僧と呼ばれた小さなコボルトの合計三匹でグッチの相手をし、残る三人のハンターを自分一人で相手にすると豪語しているのだ。
魔物が個別の名前を持っていることも珍しいが、それ以上に全員が流暢に言葉を操っていることに驚きだった。魔物の中には高度な知性を持つ者がいないわけではないが、それはいずれも進化を繰り返した上位種であり、ゴブリンやコボルト風情がたどり着ける領域ではない。
そんな常識が頭の中に浮かぶものの、グッチは冷静になれと自分に言い聞かせながら剣を構え直す。粗末な木製の盾と棍棒で武装した、一見して弱小モンスターである集団を鋭く見据えながら。
自分の相手をあの三匹がすると言っていたが、奴らはどのくらい強く、そして今の一撃はどうやって防がれたのか。彼らを敵と見なすべき力のある相手であると認め、注意深く敵を観察していく。
目の前の三匹を無視し、リーダー格との戦闘を続けてもいいのだが、それは無謀だと直感が囁くのだ。この三匹は、下級モンスターだから脅威ではないと無視していい相手ではないと。
「マナセンサーによる計測、完了!」
「どのくらいの魔力を有している? 推定危険度は!?」
グッチによる攻防の間に、対象の保有魔力を測定するマナセンサーによって、精密チェックは既に完了していた。
マナセンサーの広域探索モードでは正確な魔力を測定することはできないが、目視できるほどに接近しているのならば、より正確に対象の力を測定することができるのだ。
「……最前列のコボルトは、推定危険度二桁前半から中盤……約40ほど。弱めの領域支配者級!」
「おいおい、まじかよ……コボルトの領域支配者なんて聞いたことないぞ」
「後ろのゴブリンとコボルトは二桁前半、20ほどです!」
「領域支配者の配下クラス、だな」
領域支配者とは、支配した土地から魔力を吸い上げ、己の力にすることができる強力な魔物の総称だ。
更に領域支配者は、配下の魔物にも土地の魔力を分け与えることができる。結果として、領域支配者を相手にする場合、群れ単位で強力な魔物との戦闘を余儀なくされる。
優秀なハンターであるリーダー・コーデの率いる専属ハンターチームならば、領域支配者を倒すことは不可能ではない。戦闘は専門外である偵察役のサッチやサポート専門のシエンですらも、ハンターとしての嗜みとして、最低限の武力――適正危険度20ほどは有しており、戦闘の専門家であるグッチやコーデならば優に40~50程度の相手を狩ることが可能だ。数字の上でならば、マナセンサーから導きだした謎のコボルトを狩猟することは十分に可能だろう。
しかし、マナセンサーがはじき出す危険度は、あくまでも魔力の量のみを参照したもの。詰まるところ理論上の最低値であり、そこに知恵や技術を加えて考えればどこまで上がるかは未知数だ。どんな特殊能力を持っているかも定かではない以上、勝てる保証などあるわけがないのである。
未熟なハンターと違い、ベテランである彼らには『所詮は雑魚であるゴブリンやコボルト風情』といった慢心や驕りは存在しない。というよりも、種族単位の平均値で相手を見下すならば、人間は雑魚に分類されることを忘れてはいないのだ。
故に、コーデの判断は一瞬だった。
「撤退を目的として交戦! 一撃を叩き込み、速やかに離脱する!」
「……冷静な判断だな」
コーデは瞬時にこの場での勝利を放棄し、自分達の生存と情報を持ち帰ることを最優先とした。
◆
人間達の言葉を聞いたウルは、その判断を誉めると共に自分のとるべき戦術を組み立てていく。
(迷いなく撤退指示……情報を持ち帰るのが狙いか)
ウルは目の前の人間たちの狙いを、情報収集であると当たりをつける。
貧弱で脆弱な上に貧相な今の自分を見てなお、油断なくリスクを避けて適切な判断を行える。それは力の大小に関わらず、評価すべき戦士であると言える。
限りなく弱体化している今のウルにとって、油断のない相手はそれだけで厄介なのだから。
(……帰るつもりなら、帰らせた方がいいな)
ウルは余裕を感じさせる笑みを――コボルトの犬顔だが――浮かべつつも、内心で消極的な決断を下す。
敵が情報収集を目的としているのならば、当然自軍が行うべきなのはその妨害――すなわち、この場で殺すことだ。ウルも、それが可能であるのならばそうするだろう。
だが、残念ながら、それは非常に困難だ。力を失った今のウルでは、目の前で戦闘準備を整えている三人の人間を殺すのはほぼ不可能なのだから。
(……あの、湖の領域支配者のようにはいかんか)
ウルは自分の身体を流れる魔力を冷静に評価し、その脆弱さにため息を吐きたくなった。
ウルが復活してから、幾つかの戦闘があった。その全てにウルは圧勝したように、努めて振る舞っていた。
特に、間違いなく復活後に遭遇した敵のなかで最大の力を持っていた湖の領域支配者……通称、水蛇を相手にしてなお余裕を持って圧倒したその力は、他を超越したもののように思えるだろう。
事実、配下達はウルのことを、自分達では決して勝てない強者であると認識しているはずだ。
(実際には種と仕掛けがあるわけだがな)
ウルは「実はそんなことはない」と内心で漏らす。
今のウルは、個体としてはその辺のコボルトよりはまし――という程度の力しか持っていない。領域支配者としての力を勘定に入れても、貧弱な今の身体では湖の力の20%も引き出せていない有り様なのだ。
魔力を受け入れる器とは、すなわち肉体である。ならば、何の変哲も無いコボルトの死体を素材に作成された今のウルの身体では、やはりその上限は最低ランクだ。
その上限を突破するために行われる現象を『進化』と呼び、体内に溜まった魔力に耐えられる肉体を再構成する。それは種族問わず起きる現象であり、魔石を持たない人間であったとしても、外見に変化は無いもののその中身は変質していく。人間の場合は進化ではなく、壁を破るなどと言われる現象だ。
(進化に必要な三つの条件……内の一つ、肉体の強化はまだまだ途中。この戦闘中にというのは期待できんな)
魔石を核とし、魔力との親和性が極めて高い魔物であれば、別物と言っても過言では無いほどの変化も起きえるのだが……簡単に起こせるものではない。
その条件は大きく分けて三つあるのだが、今のウルはそれを満たしていない。特に、地道に器である肉体の強化……つまりトレーニング量がある程度は必要ということもあり、夜中に隠れてこっそりと筋力トレーニングを行っているウルなのだが、まだまだ最低限のレベルにも達してはいなかった。
故に、本来のものから考えれば無いも同じ――という力をやりくりしていかねばならないのである。
(今回は、領域侵略の時のような補給はできん。領域支配者権限だけでどこまで粘れるかの計算が肝だな)
湖の領域支配者、水蛇と戦ったときは、配下のピラーナの捕食によって低すぎるパワーを誤魔化した。
あれは極小の魔力を何とか捕食で補いながら、領域を奪われた動揺の隙を突いた奇襲というのが正しく、能力を数字で示せば話にならないというくらいには今のウルは弱いのである。
(……ふむ。中々、良い構えだ。最低限の基礎はできているらしいな)
ウルは配下に任せた剣士を無視し、奥で構えていた三人の人間の実力を評価する。どうやら、技術的にもそれなりものは持っているようだと。
技術という観点から言えば、ウルは魔王としての経歴の中で培った高水準のものを持っている。今の肉体に不馴れな分全盛期相当とは言えないが、魔王時代に磨いた格闘術や武器術、魔道技術に関して並ぶものは早々いないだろう。
しかし、根本的なパワー不足は無視できない。如何に技術に優れていようとも、ウサギが全力を尽くしたところで獅子を狩ることなど出来ないように、窮鼠が猫を噛むことはあっても、鼠では猫を倒すことが出来ないように、圧倒的な力の差とは決して覆ることはない。
それこそ、水蛇のように油断と動揺の隙を晒してくれなければ、僅かな勝機すら見いだすことはできないのだ。
(魔力的には……ふむ。こいつらの内、後衛の二人は今の俺と同程度の魔力を持っているな。だが、ガントレットの男は一段格が違うか)
ウルはマナセンサーなどもちろん持っていないが、その経験と観察眼により敵の力を正確に把握することができる。
その眼によれば、目の前の三人と一人で戦うのは今の自分では自殺行為と出た。しかし、逃げる選択は初めからあり得ない。ここで弱さを見せることは配下の手前できない上に、敵からの評価にも関わってくるのだから。
(目標は、得体の知れない強敵が森の中にいる。討伐にはそれ相応の準備が必要だ――と思わせることか)
ウルは時間を欲している。隣接する領域支配者を相手に罠とハッタリで時間を稼いだように、人間勢力も迂闊には動けない――という状況を作りたいと思っているのだ。
そのためには、この男達を圧倒しなければならない。実際にはギリギリどころか圧倒的不利だろうが、とにかく『油断はできない強敵だ』という認識を持たせなければならないのだ。
(さて……この身体で、魔道頼りの遠距離戦以外をするのは初めてか。魂の摩耗を考えれば、せめて一部でも取り戻さない限り功罪の残骸は使いたくない。中々に不利な条件だ)
ウルは内心を全く表に出すことは無く、戦闘に移行するべく構えを取る。だが、始まる前からとても万全とは言えない状態だった。
先程の、剣士グッチによる功罪武器の一撃。ウルは何でもないといった態度で、簡単に防げる程度の物だと主張するように余裕の態度を取っていたが、アレは実はコツコツ自作した防御用の即席魔化道具――オートで無の道の障壁を張る効果がある――を一気に消費しての全力防御だったのである。当然、それらは役目を終えたことで失っているので、手札の大半を現時点で使いきっているのだった。
「さて、そう簡単に逃げられるとは思わないことだな、人間」
本心ではさっさと帰れと思いつつ、絶対的強者としての威厳を纏う。
力の底を見切られ、撤退戦から殲滅戦に切り替えられるのが最悪。撃退したとしても、すぐに追撃を出そうと思われても厳しい。
準備を整えるための時間を稼ぎたいウルは、そのために一人勝ち目のない敵を相手に余裕を見せて戦いを挑む。
本当ならば、もう一人か二人、こっちに増援を回したいところなのだがなと思いながら。
(――ここは、俺が踏ん張るしかあるまい。もしあの剣士を相手に戦力を引き抜いてしまえば、まともに持たん)
自分の配下――コルト達の力を、ウルは正確に把握している。
魔道が使える。それだけでしかない魔物たちでしかなく、時間の関係上、まともな武術の一つも教えることもできていない配下の力を――。