第179話「お前たちだろう?」
「し、静かになったか? も、もう敵の駆除は済んだのか?」
情けなく震えた声。誰が聞いても覇気の欠片もない軟弱さを晒しているのは、ル=コア王国の国王アレストであった。
国王であるアレストは、魔王軍侵攻の知らせを――未来予知という曖昧なものであっても――聞いた瞬間、怯えを隠すこともできなくなり自室に引きこもっていた。その周りには王族の護衛を任務とする精鋭で固めており、何としてでも自分だけは助かりたいという意思以外は見えない。
本来ならばもっと不安なはずの国民を鼓舞し、強さを見せるべき立場なのだが……この様では不安しか与えられないと判断した側近により自室で引きこもる、という王に相応しいとは到底言えない行動を許されていた。
「ハハハ……たかが魔物なんてすぐに駆除し終わるに決まっているさ。珍しいのがいれば俺のコレクションに加えてやってもいいな」
そんな情けない王に反応した情けない声は、もう一人の王族ドラム王太子であった。
何故ドラムが父王の私室にいるのかといえば、部屋の主であるアレストと似たような理由であった。
いや、ドラムはある意味もっと酷い。魔王軍に攻め込まれる、という異常事態に怯えによるパニックになったアレストとは違い、ドラムは自分のものを脅かされているという怒りでパニックになった。軍事の知識などさっぱりない――王太子としてそれはそれでまずいのだが、勉強をサボっていたツケである――にもかかわらず王太子として無茶苦茶な命令を出し始めたのだ。
ただでさえ食料不足の物資不足で混乱し、士気が低下しているというのにさらにかき回されては堪らないと、王都に残っていた希少な能力ある軍人が『王族を守る』という大義名分と共に守りを固めていた王の部屋に押し込んだというのが一連の流れである。
本音を言えば、王族を守るため派遣されている精鋭兵も戦場へと回した方がいいというのが軍人たちの意見だろうが、王政である以上王族は最低限立てねばならないのがつらいところである。
しかし、その苦悩も既に終了している。根元から腐りいつ倒れてもおかしくはないこの国を本当の意味で支えてきたそんな彼らも、既に息を引き取っているのだから。
「ここか?」
「は、はいぃ……」
「ム、誰だ?」
親子二人、強がってみたり八つ当たりしてみたりで不毛な時間を過ごしていた時、王の私室の外から聞き覚えのない声とそれなりに覚えがある声が聞こえてきた。
「――そこで止まれ! 狼藉者!」
「陛下、殿下、下がってください!」
謎の声が聞こえてきた直後、部屋の外で警備を行っている兵士の怒鳴り声が聞こえてきた。
見張りに狼藉者と判断された正体不明の声が近寄ってくるとなれば、護衛の仕事だ。王の周りを固めていた精鋭兵が王族二人を庇うように陣取り、扉に向かって剣を構える。
その直後、ドゴンという大きなものが壁にぶつかった音と、べちゃっという何かが潰れた音が室内まで届くのであった。
「今の、音は……?」
到底、日常の中では聞くことなどない音。それを聞いても姿勢を崩さず剣を構える辺りは流石の精鋭だが、残念ながらここまできてしまえばその覚悟に意味はないのである。
「フン……人間の城という奴は何かにつけて小さくイライラするな」
鍵のかかった扉を、それも王の私室という最上級のセキュリティーを施されている部屋の扉を飴細工のように破壊して中を覗き込むのは、赤い体色の鬼――魔王軍の軍団長が一人、ケンキである。
その手には死の恐怖に怯える城の大臣が握られており、彼に道案内をさせたのは間違いないことであった。
「失礼するぞ。これでは入れないんでな」
この部屋は当たり前ながら人間のサイズを基準に作られており、大鬼がくぐれるサイズの入り口はない。
そこで、ケンキは暖簾でも潜るかのように入り口の縁に手をかけ、壁を破壊して室内に侵入するのであった。
「さて……どれが王だ?」
ケンキは偉そうな人間に王のいる場所へと案内させた。
ケンキからすれば、王とは自らの主である魔王ウル・オーマのことである。が、群れ――国ごとに王がいるということは理屈では理解している。そして戦いの終わりとは群れの王が討ち取られた時であり、そのために大将首を探してここまでやって来たのである。
「あ、あわわわ……」
人間の王、アレストとその息子ドラムはケンキという厄災級の魔物を前に腰を抜かしていた。
彼らが見てきた魔物とは、全て調教され牙を抜かれた奴隷だった。そのイメージのみで魔物を侮り見下していた彼らにとって、闘気と戦意に満ちている大鬼など正気で認識できる相手ではないのだ。
「……おい、めぼしい者はいないようだが、本当にこの部屋にこの国の王がいるのか?」
ケンキは部屋を軽く見渡し、王と呼ぶに相応しい者は一人もいないと判断したのか、未だ握ったままの人間へ問いかけた。
ケンキからすれば、王とは最も強い者のことをいう。人間の国では王を強さではなく血統で決めるということは知識として知っていても、だとしてもそれなりに強くカリスマのある人間だろうと思っていた。
だからこそ、豪華な衣服を身に纏うばかりで自分を前に腰を抜かして股ぐらからアンモニア臭をさせているような人間が王とは認識できないのであった。
だからこそ問いかけたのだが……手の中にいる人間は既に意識を失っていた。ケンキからすれば蟻を摘まむように優しく接していたつもりだったのだが、それでも戦士でもない人間には強すぎたようである。
「……お前達に問うが、この中に王はいるのか?」
ケンキは役に立たなくなった道案内をぽいっとその辺に投げ捨てる。
そして、自分に対して剣を向けている兵士のことなど気にもとめずに声をかけるのであった。
「へ……陛下には手を出させん!」
ケンキの威容に怯えていた精鋭達であったが、そこでようやく自分の仕事を思い出したのか、なけなしの気合いを込めてケンキに向かっていく――が、その一秒後には先ほどのべちゃっという音が何だったのかを理解させるように赤い染みへと変化してしまうのであった。
「……脆い」
ネカリワでは勇者を相手にしていたケンキだ。元々オーガの時点で既にただの人間にどうこうできる存在でもないというのに、ここまで修行を積んだ今となっては空きっ腹の上に大して練度が高い訳でもない軍では精鋭とされる、というだけの人間に劣る要素がないのである。
「……これで残ったのはお前達二人だけなのだが……まさか、お前達のどちらかが王なのか?」
王の護衛は一瞬で皆殺しとなった。ケンキを相手にそれでも挑んできた度胸だけは褒められるが、残念ながら実力が余りにも不足していたようだ。
「お、王はこいつだ! 俺は関係ない!」
「なっ! ドラム、お前……!」
国王を探しているというケンキに怯えきったドラムが父親を売った。自分は国王ではないのだから無関係なのだと。
それを聞いて慌てるアレストであるが、ケンキはそうかと小さく頷くだけであった。
「お前が王なのか。人間の文化に詳しいとは確かに言えんが……一体何を考えているのだ?」
ケンキは心底理解できないとアレストを見つつ、その隣のドラムにも目をやった。
「ならば貴様は関係ないのだな? ならついでに殺す――」
「お、俺は王太子! 未来の国王だ! 俺には利用価値が沢山あるぞ!」
王じゃないのならば殺すか。そんな呟きを聞いたドラムはすぐさま方針を転換した。
恐怖と呆れで口をパクパクさせるばかりのアレストと並べてみても、どう考えても群れの頂点に相応しい姿ではない。
「……では二人とも連れて行くとしよう。我が王の意思を確認する必要もあるからな」
ケンキの受けた命令は『国王を連れてこい』である。しかし、ならば王太子という人間を殺しても問題ないのかはわからなかったので、とりあえず二人とも連れて行くことにしたようだ。
「いくら脆弱でも一国の王。迎えに雑兵を寄越すのは無礼とのことだ。よって、お前達は俺が連れて行くが文句はないな? 抵抗するなら、命さえあれば他は何をしてもいいと言われているのでそれ相応の対処をすることになるが……」
「て、抵抗はしない。しかし……」
「ならばいい。さっさと行くぞ」
痛い思いをするのは嫌だと両手を挙げる王族親子であったが、それでも交渉はしたい。そんな彼らの思いをケンキは真っ向から無視し、両の手で彼らの身体を掴んで歩き出す。
向かう先は、この城の中枢――玉座の間である。
◆
「……来たか」
「王よ、この国の国王という人間を連れてきました」
「ご苦労。そこに置いておけ」
アレストとドラムは身体が潰されるのではないかという力をかけられながら、玉座の間まで荷物のように運ばれてきた。
本来ならばそんな無礼な態度を取られるはずがない立場だった親子は、しかしそれに対して文句を言う余裕もないほど息も絶え絶えの様子で玉座の間の中央――謁見を申し入れた側が跪くべき場所へと放り投げられたのだった。
「グ……」
「この俺が、どうしてこんな目に……!」
屈辱に震えるアレストとドラムだったが、顔を上げた瞬間その身体は固まった。
本来アレストしか――将来的なものを含めてもドラムまでしか座ることを許されない玉座に一体の異形が足を組み頬杖を突くというだらしのないポーズで腰掛けていたのだ。
しかし、その姿は何故か堂に入っていた。王らしいきっちりとした姿勢などなくとも、どれほど無造作であっても、それでもなお玉座に相応しいのはこの怪物しかいない――と、現役の国王であるアレストが考えてしまうくらいには。
「さて……我はウル・オーマ。諸君らの国へ宣戦布告を行った魔王本人だ」
「魔王……」
その言葉を聞き、アレストの中にあったのは屈辱と敗北感であった。
元々、アレストは自分が王に相応しい人間だと思ったことはない。偶々王族の家に生れ、偶々長男だったから玉座に着いただけの凡人であると自分を理解している。
それでも、玉座に座った以上決して認めてはならないことだ。侵略者が自らの玉座に腰かけているという光景は。
「……フン。お前らは情報通りのようだな。特に見る価値もないか」
ウルは自分の気に当てられて満足に言葉も吐けない様子の王族二人への興味を早々になくした。
本音を言えば、ウルの想像を遥かに超える気迫を見せたルドルフ公爵と同等以上の傑物が出てこないかとほんの少し期待していたのだが、所詮無駄な期待であったと楽しみを別に切り替える。
「さて……既にこの王都は、ひいてはこの国は我が手に落ちた。異論はあるかね?」
ウルはだらけた姿勢を変えることなく、淡々と現国王と次期国王を前に国盗りを宣言した。
それに対し、アレストもドラムも異論も反論もいくらでもあることだろう。
だが、残念ながら安全な場所で机上の数字を相手にするか、絶対に抵抗できない者を甚振ることしかしてこなかった彼らに、魔王を前に自分の意志を示す勇気などあるはずもない。
滅ぶにしても栄えるにしても、王族の意地を見せてやろうという気概はさっぱりないのであった。
「……ないなら話を続けようか。今後このル=コア王国は魔王国に吸収することになるが、まぁそんな面倒なことはまた後でという話だ。それよりも、俺は早急に一つやっておきたいことがある」
「や、やっておきたいこと、だと……?」
「あぁ……この王都の民を貴賤を問わず皆殺しにする」
軽い日常会話と言われても何の違和感も抱かないほどの自然な口調で、とんでもないことを言い放った魔王。
その言葉を前に、アレストもドラムも硬直するほかなかった。
「……と、言いたいところなのだがそれは一旦保留だ」
が、すぐさま魔王はその言葉を撤回した。
いくら邪悪な化け物とはいえ流石にそんなことは――と僅かに安堵したのも束の間、ウルは悪意を畳みかける。
「貴重な知識、技術を持つ者まで殺すのはあまり賢いこととはいえん。まぁ……きりよく一万も吊せば十分か」
「なんだと……!」
一万。それは、王都の人口の一割に相当する数だ。そんな人数を失えば王都の経済は崩壊し、国に亀裂が入ることは間違いない。仮にも国を支配すると宣言したのになぜそんなことを言い出すのか、アレストには全く分からなかった。
「さて……その一万だが、どのように決めるべきだと思う?」
「は……?」
「もっと人数が少なければ投票でもやったら面白そうなのだが、流石に候補者万単位はやってられん。かといってくじ引きというのも面白みに欠けるし……」
ウルは遊びのルールを決めかねているという様子で、万人の大虐殺計画を口にする。
そのおぞましさ、恐ろしさに既にアレストの心は悲鳴を上げる。人の命を何とも思っていない怪物に、一人の人間として何かを叫びたくて仕方がない状態だったのだ。
それこそ、一時的に死の恐怖を忘れてしまうほどに。
「フ――ふざけるな! 何の罪もない人間を何故殺さなければならないのだ!!」
アレストは自分の喉が裂けるのではないかと思うほどの声量で叫んだ。一人の人間としての、魂の言葉を。
しかし、そんな言葉は魔王に全く届いていない。むしろ、この上なく見下した目でアレストを見ながら、聞き分けのない子供を諭すような口調で答えるのであった。
「面白いことを言うなぁ? 何の罪もない魔物や亜人を嬉々として殺しまわったのは、お前たちも同じだろう?」
魔王はわざとらしいくらいに演技を感じる口調でそれだけ言って、絶望する国王の表情を愉快そうに眺める。
全く魂の籠らない空虚な言葉で、人間の意地を否定してしまったのであった……。