第177話「問題なく倒せる程度の力だ」
(な、にが……?)
聖人と認められて以来、数多の邪悪を葬ってきた。しかしその中には強敵と呼べるほどの者は無く、神の加護を受けた聖人として圧倒的に勝利をただ積み重ねてきた。
それが七聖人。敗北などあり得ない人類を導く希望の象徴。聖職者としての修行――荒行の過程で苦痛は何度も体感しているが、戦闘の最中という意味でダメージを負ったことなどない。
そんなアストラムにとって、今腹に受けた痛みはあまりにも想定外のことであった。第四進化種、厄災級魔物邪爪狼鉄人が領域の力をフルに注いだ全力の剛拳。元々攻撃が当たるはずがない、という能力の関係もあり、聖人アストラムの心は乱れていたのだ。
「さて……このまま死ぬか?」
「グッ――」
当然、そんな隙を見逃してくれるほど魔王ウル・オーマは甘くない。その心の隙を立て直す暇は与えないと、再度多重フェイントを駆使して追撃を仕掛ける。
「――未来は視えている!!」
その心の動揺を、アストラムは無理矢理ねじ伏せる。揺らぐ事なき信仰――いわば一種の思考停止により、自身の動揺する脳みそ自体を止めたのだ。
そして、その信仰のまま再度未来視に頼る。やはり先ほどのように未来は確定しきれないと訴えるようにブレているが、それでも――
(それなりに視えているならば、ある程度は対抗できる!)
先ほどは今までなかった未来視が乱れるという事実に不覚を取ったが、完全に視えなくなったというわけではないのだ。あくまでも未来を絞りきれず、複数の可能性が残っているというだけであり、事前にその覚悟を決めておけば動けないということはない。
アストラムも流石は聖人に昇り詰めたというだけはある精神力を発揮し、複数の全てに備えるという形でウルの拳を防御してみせるのであった。
(チッ……少し甘く見ていたか。思ったよりも修正が早かったな)
その動きを見て、ウルは事前に想定していた対処を行ってきたのだと即座に察した。
元々、未来視が――神に与えられた能力が無ければ何もできない勇者とは違い、聖人は素の能力が高い。未来視はあくまでも補佐とし、自身の判断力と反射神経をメインに据えて戦われると簡単にはいかない強さはあるのだ。
動揺している内に崩すのが一番簡単で早かったのだがと、ウルは内心で舌打ちしつつも次の手を準備すべく、一度距離を取るのであった。
「何をやっているのかは知らないが……神のご加護を侮ることは許されない!」
「フン……今ので自信を取り戻したか」
絶対の自信を持っていた100%の未来視を破られてもなお、自分は魔物には負けない。その自信が付いたのだろう。
こうなると、今のままでは崩すことは難しい。しかし、ウルはそれでも余裕の笑みを浮かべる。
より邪悪な手札を切る機会に恵まれた、とポジティブに考えて。
「聞こえないか?」
「なに?」
「この心地よい音がだよ」
ウルはあえて臨戦態勢を解除し、手を広げてアストラムの注意を自分から周囲へと向かうように誘導する。
その視線誘導に釣られたのか、今までウルに集中して遮断されてきた外部の情報がアストラムの眼に、耳に入ってくる。
それは――
「ダメだー! もう防ぎきれない!!」
「ヤメテ! 命だけは助けて――」
「金なら払う! だからワシだけは見逃して――」
四方八方から聞こえてくる、人間達の断末魔の叫び。一秒おきに失われていく、多くの人命の最後の灯火であった。
それだけではない、大きな建造物崩落の音、業火が家屋を燃やす音。パニックになり自爆する市民の騒音。
終わりを告げる音が、あちこちから聞こえてくるのだ。
「グ――!!」
人々の平穏を守護する聖人としては、これ以上に聞きたくない音はない。
つまり、魔王にとってはもっとも居心地の良い調べであるということであるが。
「もう十分だろう。弾は揃った」
「なに……?」
「お前にも教えてやろう。俺の悪意の影の、裏技をな」
アストラムは何を言っているのかわからないという様子であったが、ウルは構わず自らの功罪――悪意の影を発動する。
それも、領域化した王都の魔力をこれでもかと注ぎ込み、大量に影を生み出したのである。
「これは――数で勝負、ということですか」
その数を見て、何らかの召喚系功罪であるとアストラムは目星を付ける。
今の光景もまた未来視には映っていなかったが、それはもう今更だと気にしない方針のようであった。
「そのとおりだが違う。残念ながら、この影は戦闘用というわけではない。お前には傷一つ付けることすら難しいだろうな」
(……確かに、あれが襲いかかってくる未来は視えない)
100を超える数が現われた悪意の影であるが、仮にこの影を戦闘力という視点で評価した場合、最下級の烙印が押されることになる。
魔王ウル・オーマの全盛期であれば魔力量のごり押しで強い影を作ることも――かなりの無駄はあるが――できたのだが、普通にやれば悪意の影の戦闘力は一般人以上兵士以下というところだ。英雄でも天才でもない、それ以下のベテランに秀才すら不要。その辺の街にいる歴史の名前など絶対に出てこない一般人に毛が生えた程度の兵士でも対等に戦える程度のものである。
悪意の影とはあくまでも諜報、工作に用いるのがメインの功罪ということである。
「しかし……だ、功罪と魔道の一番の違いはわかるか?」
「……さて、生憎、異端の技には詳しくありませんので」
本音を言えば、アストラムはウルの語りに付き合う義理はない。それどころか、今まさに起きている悲劇を止めるべく、一秒でも早く決着を付けたいとすら思っている。
しかし、それでも今は迂闊に動けない。戦闘力はない、などという口先だけの言葉を信じて発動された何らかの功罪に飛び込むなど、いくら何でも無謀が過ぎるというものだ。
(未来視は順調に固まってきている。どうやら、奴は極端に読みにくいだけで、時間さえあれば――)
時間をかけることのメリットは自分にもある。そう考え、あえてアストラムは会話に乗ることにしたのであった。
もし、アストラムが万全、心身共に100%の状態であれば、間違いなくそんなことは考えなかっただろう。己の身を犠牲にしてでも人々のために尽くしてこその聖人。その狂気的な信仰心は、間違いなく合理的な思考など押し流していたはずだ。
すなわち、それはアストラムの心が乱れている証。神への信仰よりも自身の合理性を優先してしまっている、異常な状態であることを示していた。
「魔道と功罪の大きな違いは二つ。上限と汎用性だ」
「はあ……?」
「魔道は段によって区切られた威力を超えることはできない。もし過剰に魔力を注げば魔力爆発が起きるだけだ。しかし功罪に上限も限界もない。だからこそ魔道で功罪とぶつかってはいけないんだが……まぁ、これは蛇足だ。今重要なのは二つ目、汎用性だ」
「何が言いたいので?」
「魔道は予め何をするか決めた上で作られているから、一つの魔道で出せる結果は決まっている。しかし、功罪は自由だ。統合無意識から認められさえすれば何でもできる。持ち主の発想と、それを認めさせる実力さえあればな」
(……よし、未来視はほぼ鮮明。あの影に触れずに勝利するまでのルートは視えた)
時間を稼ぐのは十分と、アストラムは足に力を入れる。
しかし、時間が稼ぎ終わったのは魔王ウルもまた同様であった。
「悪意の影も幾つか利用パターンがある――こんな具合にな」
「なっ……不死者だと!? また視えなかったのに……!?」
アストラムの視た未来を破壊するように、わらわらと街中から不死者の軍勢が現われた。
もう何度目かもわからないが、未来で視ていた勝利までの進路は当然穢れた兵士に塞がれた。
「悪意の影を戦闘用に使う場合はこうなる。これが不死者創造魔道のオリジナルだ」
ウルは邪悪さを全く隠さない笑みで、自らの下に集まってくる不死者を跪かせるのであった。
――自身の魂を分離させ、他者へ憑依させる能力『悪意の影』には四つの使い方がある。
メインとなる第一の使い方は、他者の魂と融合することで歪め、その思考、価値観をウルのものに近づけるというもの。
この場合、あくまでも価値観が変わるだけでウルに服従するというわけではないが、本人の意思で動くため100%の能力を発揮できる。
次に第二の使い方は、悪魔との契約に代表されるような魂を奪い取る能力と組み合わせて使う方法だ。
抜け殻となった肉体に悪意の影を植え込むことで魂の代理とし、ウルに服従する……というよりも、ウルの意思で動かせる人形とすることができる。
脳みそはそのままなので知識の全てを引き出すことが可能であるが、肉体と魂の適合率が0%である関係上戦士としては期待できない。日常生活を送らせるのが精一杯だ。
少々本来の使い方からズレる第三の使い方は、悪意の影単体で使い魔として動かすこと。
戦闘力は期待できないが、使い捨てにできる諜報としては非常に優秀であり、実体がないことから壁抜けなども可能とする他、いざとなれば第一の使い方に切り替えることもできる。
そして、最後の使い方は、憑依対象を『魂を持たない物にする』ことだ。
といっても、だからといって無機物に憑依することはできない。やってやれないことはないが、動く機能がないものに取り憑いても何もできないのだ。
しかし……死体ならば話が変わる。バラバラ死体まで行っていると流石に無理だが、本来動くものなのだから別の動力さえ与えれば動くのだ。
この方法の場合、第一の使い方と違い中身は悪意の影のみなのでウルの意思で動かすことができ、第二の使い方と違い『死者』であるためその肉体は魂を持っていない状態が正常。憑依した死体を魔物に改造することで力を引き出すことが可能となるのだ。
「まぁ……この功罪を得たときには無理だった使い方だがな。使っている最中に死体の使役もできれば便利だと思い、できるようにしたのだよ」
使い手に都合の良い解釈こそが功罪の進化だ。
『悪意の影には死体を魔物に改造する能力がある』と統合無意識に認めさせることで使用可能となった裏技なのだ。醜態を晒すことで弱体化する、という恐れがある功罪だが、当然更なる拡大解釈で進化することも可能なのである。
「死体を使役……まさか、この不死者達は……!」
「そのとおり。この街でくたばった人間共の死にたてほやほやの死体を使って今作ったのだよ。気がつかなかったか? この囮用の影達とは別に、喋っている間にも影を作り続けていたことに」
「まさか、そんな……!」
「未来ばかり視て今を見ないからそんなことも見落とすのだ。その神器の中身を真に使いこなしていればあり得ない醜態だがね」
わらわらと集まり続ける悪意の影によって作られた人間素体の不死者達。
その全てが功罪によって魔物に改造されているため、その戦闘能力は術者であるウルの魔力に応じてパワーアップするのである。
(本当は生者も改造して使役できるようにするのが一番なんだが、魂を使役という能力の関係上そこまではできなかったんだが……まぁ、今後の課題だな)
ウルはそんな余談を頭の中で呟きつつ、百を超える不死者を指揮する。
「さぁ……その節穴、いつまで使えるかな? お前は俺を前にしては未来を視ることはできない。それを事実として刻みつけるまで追い込んでやろうか」
「何を――」
「功罪とはそういうものだからな。一応言っておくが、こいつら全員先ほどの俺と同じことをするぞ?」
「は……?」
「お前の未来視を欺くには情報処理を欺けば良い。俺一人すら処理しきれない状況だったのに、これだけの数を相手にまともに機能する訳がないだろう」
魔王は嗤う。偽りの加護を振りかざす愉快な道化を。
「まぁ、こいつら一体一体はお前の魔力量なら問題なく倒せる程度の力だ。頑張って数を削りたまえ」
いくらでも兵の補充はできるがな。
その言葉を最後に、無数の不死者の津波が聖人アストラムへと降り注ぐのであった……。