第176話「神器とやらのメカニズムだ」
「なにをっ!?」
ル=コア王国の中心、コルアトリア城の地下深くで男の困惑に満ちた叫び声が上がった。
聖女アリアスが自らの護衛であり従者である従聖人の胸を貫き、殺した。
突然の聖女の凶行に、偶々生きているもう一人は心の底から動揺しながらも、積んできた修練が身体を動かしアリアスから距離を取る。
これはあり得ない話だ。人々の平和を願う聖人が、異端者以外の人間を手にかけるなどあり得ない。しかも聖女アリアスは聖人の中でもとびきりの穏健派であり、たとえ異端者であろうとも教え導くことで救済しようとするので有名である。
そんな彼女の手により殺人が行われたということは、つまり――
「偽物か――神器『神の守護』!」
――偽物。そう判断した。
と同時に、従聖人は自らに与えられた盾の神器を起動する。能力は強力無比な障壁の発生。七聖人に与えられたそれには大きく劣るものの、神の力を宿す一級品の功罪武器だ。
「貴様、何者!」
「アリアスに決まっているでしょう? 少々、貴方が知るころよりも成長しましたけど」
「戯れ言を! アリアス様が同胞を手にかけるはずがない!」
「信じないんですか? 七聖人の言葉を疑うなんて、聖人失格ですよ?」
今まで浮かべていた慈愛の笑みとは似ても似つかない、邪悪な蔑みを感じさせる笑みを浮かべるアリアス――魔女アリアス。
突然のことに混乱しているかつての同志を撃つことに堪らない愉悦を感じると、アリアスは手にする杖を一振りするのだった。
「召喚――滅する大天使」
疑いの眼で自分を見つめる従聖人に、ならば見せてやろうと七聖人の神器の力を見せつける。
召喚されるのは、聖女時代にも愛用した天使の召喚。数は同時に五体。全力にはほど遠いが、彼一人殺すだけならば十分すぎる兵力だ。
所詮は従聖人の神器。七聖人の神器に勝てるはずもないのだから。
「それは、神器……では、本当に……?」
アリアスの持っていた神器『神の杖』――正式名称、悪意の影は魔王ウルに食われて既に消滅している。
だが、元々魔王の功罪を封印し、それでも溢れ出てくる魔力を神による改変により利用していたのが七神器だ。その大元がウルに還ったというのならば、改めて力を分割して神器と同じ特性を持つ武器を造ることくらい魔王ウルにとっては容易いことである。
神にできることで俺にできないことなど無い。それが魔王ウルの言い草であった。
もっとも、実際には功罪本体を宿していた神器よりも出力、エネルギー量の面で大きく劣るのもまた事実であるが、よほどのことがない限り神器を持っている振りをするくらいなら可能な性能は実現している。
「グ――あああっっ!!」
「……いい声です。何故以前の私はこの美しい賛美歌の魅力に気がつかなかったのか」
自慢の神器による障壁を打ち破られた従聖人が天使に蹂躙される悲鳴を聞き、恍惚の表情となる魔女アリアス。
人の道を完全に踏み外していることが一目でわかる姿を晒しながらも、アリアスは本当の目的は既に果たしたと気楽なものであった。
「――楽しんでいるな」
「はい。そちらも首尾は上々のようで」
「あぁ。あの扉さえ開けてくれれば、別に入る必要はなかったんだがな?」
その場に突如現われたのは、魔王ウル・オーマ。
ここにやってきた方法は、悪意の影と自分の位置を入れ替える転移魔道[天の道/二の段/影転移]である。本来空間転移とはもっと高度な技術なのだが、座標の特定先として最高の相性である自分の分身を指定することで消耗を抑えているウル御用達の魔道だ。
実は、開戦前より王都の魔力核を掌握するため、伝令兵の死体を悪意の影を憑依させた上で操り、王城に侵入させていたのである。しかし流石に影単独では魔神会の封印を破ることができずにおり、下手に転移して乗り込むというのもリスクが高いと判断した結果、こうして合法的に城に入れる魔女を使って侵入した……というのが、今回の任務の成り行きであった。
「すみません。余計なおまけが引き剥がせなかったので、開けるだけでは不審に思われると思いまして。それに、こんな何が起きても外に伝わらない密閉空間、消すには丁度いいと思いません?」
「実に正しい意見だな。さて……これが魔力核か」
ウルは当たり前のように自分の従者を殺したアリアスを肯定し、魔力核の下へと歩いていく。
「これを破るのも何度かやったが、やはり大したことは無い。こうして封印されていなければ外から無理矢理支配することもできたのだがな」
もっとも、その場合は支配下に置いていないもう一人の七聖人、アストラムに感づかれていたのは明白なので、どのみち遠隔支配は悪手であるが。
「――よし、掌握した。後はアリアス。俺の指示に合わせてこいつを破壊しろ」
「いいんですか?」
「あぁ。既に張りぼても同然だが、これの破壊をトリガーとして一気に異界化できるように設定した」
「承知しました」
「その後だが、お前はこの城の掃除をしておけ」
「掃除ですか……何か条件は?」
「後のお楽しみのために、派手にはやるな。とりあえず、国王と王太子の二人を除く王族は全員始末しておけ。逆に言うと、その二人には異変を気づかれることのないようにな」
「畏まりました」
魔王の命令を受け、魔女アリアスは美麗な一礼を見せた。
こうして、王都の土地は魔王の手に落ちたのである――。
◆
(……なんてことも把握できない以上、奴の神器とやらの限界も見えてくる。そもそも、本来の能力を発揮していればアリアスの異変に気がつかないわけがないから薄々わかっていたことだが)
神器に宿る力の本来の持ち主であるウルからすれば、神の首飾りに封印されている功罪によって可能なことも不可能なことも熟知している。
その全てを使いこなすことが可能である場合、ウルの言葉の『言っていないこと』まで全て見切ってきたはずである。にもかかわらず『聖女アリアスがコルアトリア城で敗北した』という勘違いに動揺するばかりの聖人アストラムを見る限り、ウルは自分の予想が正しいのだろうと確信を持った。
「クッ――いずれにしても、今私がやるべきなのは邪悪の抹殺。それに違いは無い!」
「まぁ、それはそうだな」
「彼女の安否は魔王の首を取ってから確認するとしよう。既に未来は確定しているのだ!」
混乱した末、アストラムは考えるのはウルを倒した後だと問題を棚上げにした。ただの現実逃避にも思えるが、そういう切り替えは急場において重要なものである。
事実、ここでこのまま心を乱したままでいれば、確実に死ぬのだから。
「こっちは領域の中で調子が良い……このまま戦っていいのか?」
「問題はない……聖人をあまり舐めないことだ」
既に王都はウルの領域。つまり、この王都という恵まれた土地が宿す魔力の全てはウルのものになっているのだ。
その不利を抱えて戦うのは決してよろしいことではないはずなのだが、アストラムに迷いはない。七聖人の力は、いかなる悪条件を重ねても邪悪な魔物に劣ることはないと確信しているのだ。
「では、試してやろう。お前の視た未来をな」
ウルはそう言って、拳を握った。選んだのは魔道や鎖を使った遠中距離戦ではなく、格闘による白兵戦である。
それは既に視えていたと、アストラムもまた拳を握るのだった。
(下準備はしたが、七聖人とやらと真正面から小細工なしでやるのはこれが初めて……確かめさせてもらおうか)
魔王ウルが直接七聖人と戦うのはこれが初めて。前回は聖女だったアリアスを自分の領域に引き込み無数の罠を張り巡らせた上で配下に戦わせたため、その力を身体で体感したことはないのだ。
それでも自分が負けるとは欠片も考えていないウルだが、まずはお手並み拝見とアストラムの間合いに踏み込み、当てること重視のジャブで牽制する。
「速い――が、全て視えている」
一発の破壊力を捨て、細かく当てて崩すこと優先の天の型・閃打を繰り出したウルの拳を、アストラムは全て回避する。
それも、事前にどこに拳が来るのかを全てわかっていなければできないタイミングでの見事な回避であった。
「――なるほど」
「理解できましたか? 私への攻撃など――」
「ではこういうのはどうかな?」
ただ速いだけの打撃では崩せないと、ウルは変則打撃に切り替える。
拳を開き、指二本だけを立てて筋肉を硬化。その状態で腕を鞭のように振る曲線の攻撃、天の型・蛇牙に切り替えたのだ。
その変化にも、アストラムはしっかりと付いてくる。それどころか、デモンストレーションはお終いと言わんばかりに反撃すら交えてくるのであった。
しかし――
「――馬鹿なっ!?」
アストラムが驚きの声を上げた。
未来を視るアストラムに対する攻撃とは、アストラム自身の能力ではどう足掻いても対処不能……ということでもない限り、絶対に当たらない。
それを攻撃に利用すれば、それすなわち回避不可能の必中。攻撃を繰り出す前から命中することが確定しているという、絶対の一撃と化すのである。
にもかかわらず、ウルはさも当然のようにアストラムのカウンターとして放つパンチを回避した。命中直前に半歩下がって射程距離から外れる、という方法で。
(おかしい。今のは私の拳が顔面に直撃するはずだった。何故――未来も変化。修正は完了)
未来予知が外れるという、あり得ない事態。今までに外したのは『本来の未来にはいないはずの登場人物が現われる』という形だったが、今回は違う。
既に認識していた魔王の動きが、突如未来に逆らったのだから。
しかし、一秒の隙で命を奪われるのが接近格闘戦だ。アストラムは更新された未来の把握に精一杯であり、その大問題について考察する余裕はなかった。
一方、ウルの方は果敢に攻めながらも神器の解析を順調に進めているのであった。
(基本は達人回路の応用か。アレにシステムの補助を付けて擬似的な未来予知をでっち上げているな。事前対策がある程度通用していた事から考えても――)
ウルは未来視の原理へおおよその仮説を立てる。
神の首飾りに封じられている功罪は本来、未来を視る能力ではない。応用法の一つとしてそれができなくもないだけであり、単体では本来不可能なのだ。
その不可能を可能にしているものの正体は、量産型勇者用の達人回路。本来自力で強い聖人には無用のものであるが、あの神器に利用されているのは達人回路であるとウルは考えたのだ。
となれば、それを利用するのはウルに取ってそう難しいことではない。
「――ほら」
「む、無駄です」
ウルは突然動きを変え、大ぶりで腕を振り回した。当然そんなものに当たるはずがないと、アストラムは内心の動揺を隠しきれない素振りで後ろに跳んで回避する。
それも想定通りであると、そのままウルは一気にアストラムを押し込むべく前に進むのだった。
「そろそろ一撃入れさせてもらおうか」
「私に、攻撃など当たらない! 私には全ての未来が視えているのだ!」
「違うな。お前に視えているのは、未来などというものではなく――」
今度は、突進の勢いを利用する体重を乗せた突きを繰り出す。それも全て視えているのだとアストラムは叫ぶように宣言するが、ここでウルはフェイントを仕掛ける。
それも、一つや二つではない。全身の予備動作、視線、呼吸、歩幅……あらゆるフェイントを同時に仕掛けたのだ。
「え――」
その瞬間、アストラムが視ていた未来がブレた。まるで未来を絞りきれなくなったというように。
「お前の未来視の正体は、ただの先読み……予測だ。貴様が後生大事にしている神器の本当の能力は、高性能の情報収集。それによって集めた莫大な情報を、後付けした達人回路の演算能力で分析させてお前に未来の情報という形で渡す。それが神器とやらのメカニズムだ」
達人回路を理解しているウルは、その演算では間に合わなくなるほどの情報を一気に叩き込むことで動作不良を起こさせたのだ。
肉体的なものだけではなく、魔力的なフェイントまで駆使し、更にはシステムの弱点まで丁寧に突くことで未来視を狂わせる。結果、一時的に未来を視ることができなくなったということである。
「――グアッ!?」
未来がわからなくなったアストラムは、ウルの全体重を乗せたパンチを土手っ腹にまともに受けてしまった。
その威力で内臓を傷つけたのか、血を吐くアストラム。領域の中の邪爪狼鉄人の一撃は流石に強烈であり、聖人の衣の防御力を完全に超えていたのであった。
「まずは一発。さて……では、ゆっくりと返してもらおうか――俺の眼、魔道祖の魔眼をな」
ダメージに苦しみ足下がグラつくアストラムを見下しながら、ウルは次で決めると宣言する。
未来を視る男、アストラムの自信の根幹を完膚なきまでに打ち崩した上で――。