第175話「アレの本領を発揮できるならば」
(この王都を支配下に置いただと? 今の一瞬で?)
突如平和な……というにはあちこちで戦火が上がっているが、それでも人間の領域だったはずの王都は魔物が住まう異界へと姿を変えた。
しかし、そんなことはあり得ない。土地の支配とは決して短時間でできることではないし、魔物の支配から土地を守護する魔力核もまた当然王都に存在しているのだから。
いくら支配力に優れた魔物だとしても、聖人である自分に気取られずにそれを成しえるはずもないし、そもそもそんな未来は『神の首飾り』を持つ聖人アストラムが視ていないのだから。
「何、確かに一から強引に支配するとなれば流石に一瞬でとはいかないが……前の持ち主から譲渡される分には何も難しいことはない」
「前の? ……まさか」
「何かを察したらしい番人はいたが、俺にとっては容易いことだ。多少時間はかかったがね」
王都の魔力核があるのは、王城の地下深くのはずだ。そこが一番堅牢であり、また王都全体を支配する場所であるためである。
堅牢さでいえば魔神会の拠点の方がより強固とも言えなくはないが、街の核である魔力核を好奇心で弄られるのが怖いということと、これを失えば街の防衛力が著しくダウンするような弱点を王族以外が触れられる場所に置きたくなかったという政治的な事情もある。
とにかく、そんな場所に安置されている魔力核を入手することができれば確かに瞬時に土地の支配権を得ることも可能かもしれない。だとしても、異常な支配力の持ち主であることには違いないが。
(――いや、だとすれば余計にありえない!)
しかし、その考えをアストラムは即時却下した。何故ならば、今の王城は決して落ちるはずのない難攻不落の要塞にも等しいのだから。
「今にして思えば、彼女の神託が何を意味していたのかがよくわかる……恐らく、魔力核を守るために神は彼女を城に残したのだ」
神託があったとはいえ、何故この大事な場面で対軍戦闘において無類の強さを発揮する聖女アリアスを城に留める必要があるのか。それが今までアストラムにも視えていなかった。
アストラムの未来視は視ようと思わなければ視えず、また『城』という漠然とした範囲で視ても細かいことはわからない。大雑把な範囲で視る際は、それこそ大軍で攻めてきたくらいのわかりやすい変化が必要という制約があるのだ。
しかし、このような常識外れの支配力を持つ魔物がいるというのならばそれも納得である。魔物一匹が単独で攻めてくるでは、アストラム自身を標的にしているのでもなければまず見落としてしまうだろう。
それを聖女アリアスの信仰心が察知したのだと、アストラムは一人納得するのであった。
「ならば……何故、今王都が支配されている……? 何故アリアスが守る城にある魔力核が奪われる……?」
今王都は異界と化している。魔物から土地を守る魔力核は王城にある。王城は聖女アリアスが守っている。
この三つの現実が全く噛み合わず、アストラムは混乱するばかりであった。
そんな聖人の迷いに、悪魔が囁いた。
「簡単なことだ。言っただろう? 多少は時間がかかったが、番人の相手は容易いことであったと」
「まさか、そんな、馬鹿な……!」
「信じなくてもいいぞ? 現実は何も変わらん。今、この地の支配者がこの魔王ウル・オーマであるという現実はな」
魔王ウル・オーマは動揺するアストラムを鼻で笑いながらもそれだけ告げる。
聖女アリアスが敗れた。だからこの王都は魔物の支配下に落ちた。魔王が言っているのは、そういうことだろう。
しかしあり得ない。七聖人が敗北することなどあり得ない。それは神を疑うことに等しい――
(『影』が戻った今、揺さぶりはこんなもので十分だな)
一方、そうやって自分の中で理性と信仰がぶつかり混乱状態になっている聖人を前に、ウルは心の中で呟いた。
言うまでもないが、ウルと聖女アリアスの戦いなど起こってはいない。何故ならば、彼女が魔王に敗れたのは今よりも遙か昔のことであり、疾うの昔に魔王の傘下に入っているのだから。
だからこそ、番人として残っていた聖女アリアスの相手は会話だけでお終いという『容易いこと』だったというだけであり、別に嘘は言っていない。
では何故このような『嘘は言っていない』話術で攪乱しているのかといえば、それは七聖人の神器を奪うためだ。七聖人とは神器――魔王の功罪の封印を守るものであり、封印は人柱である七聖人の心が強く影響している。
だからこそアリアスの時は街一つ反乱を起こさせ、戦火に沈めるという荒技で絶望を味合せる必要があったが、今ならば『心を侵食する能力』である悪意の影を取り戻したので大幅に簡略化できる。流石に100%疑う余地の無い信仰で心を固められれば悪意の影も跳ね返されることだろうが、ほんの僅かでも揺らげば魔王の支配からは逃れられない。
後は、単純に魔力で抵抗されることのないよう、ぶちのめすだけだ。
「アリアスが敗れるなどあり得ない、ということは……忍び込んだのか? 彼女の感知から逃れることも考えにくいが、それならばあり得ない話ではない」
(そう納得したか。ということは、やはり奴が使っている神器とやらはエセ未来視だけで過去は対象外のようだな)
そして、もう一つ理由がある。それは本来ウルの功罪であるものを神々が封印、改造したことによって変質している神器の能力確認である。
アリアスから事前に七聖人の能力については聞いているが、やはりその本質は持ち主にしかわからない。いくら同胞とはいえ切り札の性能をペラペラ喋るほど彼らも愚かではなく、アリアス自身も『あくまでも自分が知っている範囲では』という但し書き付きでの報告であった。
(もしアレの本領を発揮できるならば、あんな発想になるはずがない。なにせ、実際には――)
ウルは、少し前に熟してきた仕事のことを思い返していく――
◆
「アリアス様?」
「どちらへ?」
それは、神託を受けたから一人王城に残ると決めてすぐのことだ。実際には一人になることができず、従聖人が二人付いてくることになったが、さほど仕事に支障は無いとアリアスは何も言わずに与えられた部屋から出て行った。
そうなると、護衛である従聖人としても付いていかないわけにはいかない。結局、訳がわからないままに二人の従聖人は聖女の後を歩いていくのであった。
そのまま、聖人達は城の中を進んでいく。道中城のメイドやら宮廷貴族やらとすれ違うこともあるが、その全てを無視。
全ての人類に愛を向け、人類のために動く聖人としては明らかにおかしい態度であった。
「どうしたんだ? アリアス様は……?」
「いつもならどんなに急いでいても会釈くらいはするよな?」
流石に、従聖人達もアリアスの様子がおかしいことに気がつく。とはいえ、聖人とはすなわち狂信者のことであり、それは従聖人であっても同じだ。
故に、疑えない。神直々に選ばれし存在である七聖人を疑うことは神を疑うこと。信仰とは盲目に等しいのだ。
「……ここね」
「ここは……?」
「明らかに厳重な鍵で閉じられているようですが」
アリアスが足を止めたのは、普段使われることのない区画であった。
人気が無いその場所には、王の城には相応しくない無骨なデザインの扉があった。外見など一切拘らない、おおよそ芸術性というものに興味がない人間が作ったことが一目でわかる金属剥き出しの扉だ。
「……これ、魔道による封印かけられていますね」
「それだけではなく、扉自体もかなりの頑丈さのようです。何があろうがここだけは破らせない、という気迫を感じますね」
従聖人もまた、聖人と認められるため過酷な修行に耐えてきた偉人である。その能力は多岐に渡り、専門外もいいところの魔道の気配にも敏感であった。
その読みは正しく、この扉は魔神会の特注だ。鍵を持たなければ王であろうが絶対に開かない、何があってもこの中のものだけは守ることを重視した構造であり、ここを開くには手続き上は魔神会、国王両名の承認が必要とされている。
何故魔神会が関わってくるのかと言えば、この扉を作ったのが魔神会であり、解錠できるのも魔神会しかいないという理由だ。国王の要請で魔神会が扉を開く、というのが正確なところである。
つまり、開けるだけならば魔神会の独断でも可能、ということだ。
「――開きなさい」
アリアスは袖口に隠していた鍵を扉に差し込むと、扉にかけられていた封印が解除され、ギギギと鈍い音を立てながら扉が開かれていった。
この鍵は、当然ウル経由で魔神会から渡されたものである。本来何があっても手放してはいけないはずの鍵なのだが、魔神会からすればそんなことよりも魔道の極みに至る方が大事なのだ。
この辺り、能力ばかりを見て人間性を評価に入れなかったことを責めるべきなのか、それとも彼らを魔道以上に惹きつけるカリスマがないこと責めるべきなのかはわからないが、どちらにしても最終的な責任の所在は国王にあるのだろう。裏切った魔神会が一番ダメというのは一般人の感性であり、これは王と魔王の支配力の差なのだから。
「え……?」
「あの、それどうしたんです……?」
当然そんな裏事情など知るよしもない従聖人達はアリアスが何故か持っている鍵に疑問の声を上げたが、アリアスはただ口元で人差し指を立てて『今は静かに』とジェスチャーを送る。
それだけで、何か訳ありなのだろうと察した二人は黙って聖女に従う道を選ぶのであった。
そのまま、彼女達三人は開いた扉の先へと進んでいく。入ると同時に扉を閉め、もう外からは誰かが侵入したなどわからない状態だ。
扉の先は地下に潜る螺旋階段となっており、深く深く潜っていく。その先にある、街の要の下へと。
「ここは……」
「魔力核、ですか」
辿り着いた先にあるものを見て、従聖人達は納得した。王都の土地を守護する魔力核の警備……確かに、七聖人に相応しい役目だ。
なにせ、攻めてくるのは魔王軍――魔物の軍勢。魔物の最も驚異的な能力は何かと言えば、間違いなくそれは領域支配者と呼ばれる特殊個体が持つ土地を支配し異界へと変質させる能力である。
異界の中か外か。それだけで魔物の強さは別の次元のものになるのだから、それを阻止すべき最優先防衛対象はこの魔力核に間違いない。
「この国からの極秘依頼だったのですか? 魔力核の守りは」
「あの鍵もそれで預かったのですね」
従聖人達は此所までの行動に納得したと頷きあった。ここまでほぼ無言で進んだのも、万が一にも自分達が魔力核の下へと向かうことが敵に漏れることを避けるためだったのだろうと。
そんな従聖人達に、アリアスは安心感を与える笑みを浮かべ、そして――
「――え?」
自分の護衛。その内の一人の胸に手に持った神器――神器に似せた杖を突き刺したのだった。