第174話「それは外れだがね」
「ぐあっ!?」
「キルネ! ク――」
「無駄ですよ。彼女の魂は既に旅立ちました。残念ながら、異端者は神の御許には行けないでしょうが」
魔神会は追い詰められていた。
最初は五人いた魔王に認められた者も、未来を見通す聖人アストラムの前に手も足も出ずに次々と倒れ、いまや僅か二人までに減っていた。
穏健派であるはずのトープル神殿所属のアストラムであっても、神の敵とみなした相手には一切の容赦なし。七聖人に選ばれるほどの人間には、信仰の狂気がこれでもかと宿っているのが当然なのである。
(まさか、ここまで力に差があるとはね……! あの方にもらった未来視封じも効果切れだし、こりゃまずい)
魔神会会長、マジーは焦りを隠せなかった。
元々魔王ウル・オーマの手によって半壊させられていたとはいえ、魔神会の切り札は魔神会の席次に座るものの数がそのまま強さに直結する。
残り二人では、もう功罪の発動自体ほとんど意味をなさないだろう。しかし、自力で戦うには七聖人という壁はあまりにも高いものなのであった。
(四の段じゃ魔力障壁に弾かれるってかい! 流石は人類の切り札様だよ!)
マジーは認めざるを得なかった。如何に勇者、聖人といっても個としての力を極限まで磨いてきた自分ならば対等以上に戦えると思っていたが、それは自惚れであったと。
確かに技術的な意味で言えばマジーの方が何枚も上手だ。そもそもマジーは戦闘者ではないのだが、それでも長年の経験から聖人アストラムよりも上手く立ち回ることはできるはずである。
しかし、根本的なエネルギーの差は如何ともしがたい。魔神会という強力な功罪を得られる立場にあるマジーの魔力量は人間の中ではかなり高い方なのだが、明らかに人間の領域を越えている聖人相手では分が悪いのだ。
そして、それ以上に――
「[命の道/四の段/粘体騎士召喚]――」
「無駄です。消えなさい」
「チッ! またかい!」
マジーが得意とする召喚魔道を発動しても、事前に何がどこに出てくるのかわかっていましたと言わんばかりにアストラムに潰される。
召喚術以外もそうだ。先ほどから、アストラムを相手に何をやっても先回りされて潰されてしまうのである。魔道は繊細な魔力操作を肝とする技術であり、術の起点となる場所に聖人の馬鹿魔力などねじ込まれては発動することすらままならないのだ。これではどんなに強力な魔道を使えてもまるで意味が無い。
未来を視る力。それはつまり、やる前から成功することを約束するという規格外の異能であるとマジーは認めるしかないのであった。
「聖職者である私は戦闘の専門家とは少々違うのですが、それでもわかることがあります」
「……なんだい?」
「格闘戦にしても魔道戦にしても、はたまたチェスのような盤上遊技に至るまで、おおよそ勝負事とは攻撃と防御、攻めと守りを繰り返すものです」
「だからなんだい?」
語り出した聖人アストラムの隙を突くべく、マジーは魔道を発動させる右手を背中側に回して隠しつつ、魔道の準備をする。
「その二つを繰り返すのに重要なのが、読みと呼ばれるものです。相手がこうしてきたらこうしよう、こうされる前にああしよう……と、お互いの行動を先読みし、より上回る方が勝者となる。つまり――」
「――[命の道/五の段/火蜥蜴戦士召喚]!」
「未来の先読み、という分野で決して負けることの無い私は、読み合いが成立するのならば必ず勝つということです」
マジーの取っておき、個人最高の五の段の召喚魔道を発動する。
これによって生み出されるのは、精霊の一種とも言われる火蜥蜴――サラマンダー。下半身が炎の竜巻となっており、上半身は人型の蜥蜴のような火の眷属だ。
戦闘力は非常に高く、また熱に対する絶対的な耐性を有していることから人間では活動できないような火山などの危険地帯の探索に重宝される召喚生物である。
が――
「召喚を許してあげたのは私です。そうする方がいいようなので」
「――ッ! 一瞬で、消すかい……!」
今までは魔道の発動すら許さなかったが、全てを見透かしているように今回だけは『召喚させてから瞬殺』を選んだアストラム。瞬間移動といっても過言ではない速度で火蜥蜴の懐に入り、腹を抉るどころか貫通する正拳を放ったのである。
何故そのような手を打ったのか? その理由は、説明されるまでもなくマジー自身が知っている。マジーの最高位、五の段にて召喚される召喚生物は、普通のものとは少し違うのだ。
魔道自体が特殊という意味ではなく、マジー自身の能力の問題であり、全身全霊を注ぎ込んでようやく発動にこぎ着けられる五の段にはそれなりのリスクを背負って初めて発動できるというのが現状なのである。
通常ならば、召喚生物がどうなろうが術者が負うリスクは魔力の消耗のみだ。しかし限界を超えて召喚されたそれは、術者とのリンクが強い。つまり、召喚生物が受けたダメージが術者にフィードバックされるのである。
結果――
「ごふっ――!」
「理屈は知りませんが、召喚される前に潰すよりも召喚した後潰した方がダメージが大きいようなので」
術が破られた反動で、マジーは口から血を吐いて膝を突いた。火蜥蜴がやられたのと同じ腹に甚大なダメージを負い、内臓を傷つけたのである。
慌てて治癒魔道で自分の身体の生命維持を図ろうとするが、それもアストラムが妨害すればそれまでだろう。
しかし、アストラムが続けて狙ったのはマジーではなく、残る最後の魔神会であった。
「がはっ――」
「あの人がやられている間に取っておきを撃つ、ですか? どっちでもいいんですけど、こちらの方が効率いいので」
神速の貫手。武術家として優れているわけではなく、豊富な魔力任せの攻撃であるが、人体を破壊するには十分すぎる威力であった。
胸を貫かれた最後の魔神会もまた、その命を落とした。これで、生き残りは半死半生のマジー一人である。
「これでチェックメイト……ですが、あの魔物達の逃げ足には驚きです」
魔神会が聖人に蹂躙されている最中、コルト率いる魔王軍はとっくに撤退していた。というより、最初に魔神会が封印魔道で時間を稼いでいる間に離脱したのだ。
ここで聖人と戦うことはコルトの仕事ではない。それは別で手を打つから、聖人と遭遇しても被害を最小限に抑えて撤退しろと事前に指示が出ていたのである。
それを歯がゆく思うアストラムであったが、まあ仕方が無いかとため息一つで気持ちを切り替える。
瞬き一つできない彫像のように封印されてしまった従聖人達の解放が最優先であり、それを成すためには術者を全員殺すのが一番早い。魔物の駆除は、態勢を立て直してからゆっくりとやればいいのだ。
ここには対軍戦に圧倒的な強さを誇る聖女アリアスも来ているのだし、数の多い害獣駆除は彼女に任せるのが一番であると考えて。
「さて、では裁きを下しましょう」
難易度最高ランクの『治癒魔道』を重傷を負った状態で使える卓越した技術を持つマジーとはいえ、この状況で聖人をまともに相手にすることは不可能だ。何せ、アストラムは蹲るマジーをただ殴るだけで良いのだから。
「もう未来を視る必要もありませんね。では――」
「未来、か。自惚れが過ぎるな人間」
「――え?」
「それは本来、そうやって使うものではないのだぞ?」
100%の勝利。それを確信していたアストラムの身体が吹き飛ばされた。
全くの無警戒であった脇腹を、突然強烈な力で殴られたのだ。
「グ――私に、攻撃を効かせただと……!?」
聖人が持つ絶対防御『聖人の衣』は当然アストラムも有している。それどころか、従聖人達とてランクは大分下がるが持っているのだ。
従聖人達の衣では五星封陣に対抗できなかったが、アストラムはその守りにより封印されることなく抵抗することを可能にした。
その絶対防御を無視し、聖人に痛みを与える。それが可能な生命体など、この世にそうはいないはずなのに。
「任務ご苦労。おかげで下準備は完了した」
「……なら、契約は?」
「ひとまずは完了だ。この先の従属は続くが、対価を払うに値するものだと認める。……といっても、それを受け取る権利があるのはお前しか残っていないようだがな」
アストラムを殴り飛ばした存在――魔物の姿を見て、マジーは歓喜の笑みを浮かべる。同胞を全て失ってしまったが、それでも自分は魔神の領域を見る権利を得たのだと。
それを理解し気が緩んだのか、マジーは魔物――邪爪狼鉄人、魔王ウル・オーマへの敬意の念と共に意識を失うのであった。
一方、殴られた聖人アストラムは驚愕から未だに抜け出せないでいた。
(私に攻撃を通すとは何者――いや、違う。重要なのは、何故私に攻撃を当てることができたのかだ!)
アストラムは未来を見通す。当然、不意打ちや奇襲の類いには無類の強さを誇っているのだ。
事実、アストラムはこの神器神の首飾りを授かって以降、ただの一度も異端者や邪悪を相手に先手を許したことはない。いかなる策を持って挑んできたとしても、その全てに対処できることは未来で決まっているのだから。
だというのに、目の前の魔物はその無敵の警戒網を容易くすり抜けアストラムに一撃加えた。魔神会にトドメを刺すとき、魔物が乱入してくる等という未来は存在しなかったというのに。
「いったいどんな手品を使ってここに現われたので? 貴様のような邪悪、もし近くにいたのならば絶対に気がついたはずなのですが……」
「なに、それは本当に些細な手品だよ、聖人。そんなことよりも――己の命を心配した方がいい」
「フン……ほざけ、魔物が」
どういう理由で自分に攻撃を当て、そしてダメージまで与えたのかはわからない。
しかし、アストラムは警戒しつつもなお自分の勝利を疑いはしない。何故ならば、魔物の出現と共に未来は更新され、既に自分の勝利が見えているのだから。
「そういえば、先ほど異端者集団の出現も見えませんでしたね……どうやら、タネがある手品のようだ」
楽勝だったからこそ頭から抜けていたが、思えば魔神会もまたアストラムの見た未来をすり抜けてこの場へと現われた。
ということは、何か魔道的な手段で『登場時のみ』アストラムの未来視をすり抜けることができるのだろうと考えられる。事実、戦闘を始めてからは魔神会の行動の全ては事前に予知えていたのだから。
「既に未来は確定している。足掻くとより苦しむだけ……大人しく浄化されることを勧めましょう」
「だから言っただろう? 未来を視るなど、人間には過ぎた望みだ。この世に確定した未来など存在しない」
「それはお前が無知だから、というだけですよ。私には、偉大なる神が全てを教えてくれるのですから」
「ククク……ならば、次の展開は見えているのか?」
余裕綽々という態度で、未だに名前すら名乗らない魔物はアストラムを挑発する。
その光景も既に見ていたアストラムだが、やはり不愉快だと鼻をならすのだった。
「……先制攻撃を企んでいますね。会話の流れを断ち、喋っている間に攻撃をしようと考えている。しかし、その攻撃は私に事前に見切られカウンターを入れられる。それがお前の未来です」
「なるほどなるほど。予想通りの回答だ。……残念ながら、それは外れだがね」
「それはまあ、こうして教えてあげている以上奇襲しようなんて考えないでしょうね。それを外れと言うのは負け惜しみというものでしょう」
未来とは本来不確定のものだ。事前に決まっていたとしても、それを覆す小さな波紋一つでみるみる形を変えていく。
そんなことは、未来視の能力を持つアストラムが一番よくわかっている。未来を見た上で取る行動は当然本来のものとは変わり、それを前提として最適な未来を選択してこその未来視なのだから。
事実、先ほど予言を伝えたことで未来は変化している。当然、その変化した先の未来でも勝利を使うのはアストラムに決まっているのだが。
そんな思いは、次の瞬間に崩されることとなるのだが。
「俺の次の一手は……これだよ」
「何を……!? ば、馬鹿な!」
「この王都は既に俺の領域だ。さて……我が異界でこの魔王ウル・オーマに挑む度胸はあるかな? 人間」
強固な守りが敷かれ、常に清浄に清められ、更には現在七聖人が二人も在住している人間の領域。
そんな場所が、突如書き換えられた。人間の支配領域から、魔物の支配領域――領域支配者のための土地へと。
「領域の中の魔物と戦うつもりなら……覚悟はしておくことを勧めるぞ?」
先ほどの意趣返しと言わんばかりに、魔王は聖人を挑発するのであった……。