第17話「肝に銘じておけ」
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(……魔道トラップが解除された?)
魔物の領域シルツ森林。その中にある湖の畔で、今日も配下に魔道の教練を行っていた古代の魔王ウル・オーマ。
貧弱極まりない兵、建物一つ無い拠点、木を削りだした粗末な武具。そんな最悪に近い状況から復権を果たすべく、短い時間と乏しい資源を駆使して戦力を整えていたのだが、何かに気がついて一瞬その眼を鋭く光らせる。
湖を中心としてグルリと仕掛けた罠の中で、南方面――つまり人間の居住区方面に設置した一部が消失したのだ。それも、発動する前に解除されるという形で。
(……俺の魔道罠を解除か。間違いなく専門の技術を持つ者だな)
ウルは魔道を使いこなす腕を持つが、罠そのものに関しては素人に毛が生えた程度のものだ。自らが支配した太古の王国で教えていた軍事教練の一環……そのレベルでしかその手の技術は習得していない。
故に、その罠を発見、解除できる者がいること自体は驚きに値しない。自らの魔道を無力化されたことに関しても、今のウルの魔力量では大したものを仕掛けることはできなかったことは自覚している。
また、何よりも忘れてはいけない事実がある。魔王ウルが君臨していたのは現代よりも遙か昔……最低でも千年以上も前の話なのだ。
必然的に、ウルの知識は千年以上旧式ということになる。それを自覚しているため、退化してしまった魔物と違い、自分の知る文明よりも発展しているのだろう人間相手に通用するとは思っていないのだ。
現在知り得ているサンプルは復活したときに遭遇したハンターの魔道士一人だけであり、彼女個人に関しては見習いレベルの未熟者であったが、それで人間の全体レベルを理解した気になるほどウルは馬鹿では無い。個人レベルの技術で自分を超える者など存在しないと確信しているくらいには自信家で傲慢だが、それでも自分に都合のいい妄想を前提にするほど愚かではないのだ。
故に、魔道罠を始めとする防衛網が破られることは初めから想定内だった。問題は、そんな技術を持つ者が何の目的で自分達の方へと向かってきているか、である。
(罠を破壊された場合の感知システムまで無効化しなかったのは、そっちの知識は無いからか……あるいは、知られても問題ないからと判断したのか。どちらにせよ、迎撃する必要があるな)
魔道罠は発動、あるいは破壊されたとき術者がそれを察知できるようになっている。これは特別な仕掛けが必要なものではなく、魔道とはそういうものなのだ。
それを誤魔化す細工をすることなくただ破壊しているのは、罠の知識はあっても魔道の知識は無いためか、あるいはこちらに知らせるのが目的なのか。
ウルは思考を巡らすが、いずれにせよ対処しなければならないと腰を上げた。
「小僧」
「どうしたの?」
「南から敵だ。正体は不明だが、想定されるのは人間だろう」
「……人間?」
ウルは今も無の道の修練に励んでいたコルトに声をかける。
破壊された罠を設置していた方角から考えて、侵入者の可能性がもっとも可能性が高いのは人間である。そのことを聞いたコルトの眼に、明らかな変化が生じる。
強い怒りと憎しみ――仲間を皆殺しにされた過去から来る感情が、コルトの中にあふれ出したのだ。
「歓迎してやらねばなるまい。ブラウ、ロット!」
「何でしょう?」
「どうします?」
「お前達二人と小僧は俺と共に敵の予想進路で警戒。敵が現れたら迎撃する」
「わかったよ」
ウルの指令に、コルトは迷わず頷いた。
いつもならば、強敵が現れたと聞いたコルトはまず逃げることを考える。これはコボルトとして当然の発想だ。例外があるとすれば、罠にかかり動きを封じられた敵を前にするときくらいだろう。
だが、今のコルトにそんな意思はない。コボルトとして積んできた弱者の判断……そんなもの、あっさりと焼き尽くしてしまうほどにその心は燃えさかっているのだ。
ウルはそんな配下の異常な状態に、ほんの少しだけ考える素振りを見せる。だが、特に何を言うこともなく指示を続ける。
これはこれで面白い、と内心で嗤いながら。
「――ケルブ! リーリ!」
「お、おう!」
「……なんでしょう?」
続いてウルは、少し前に新たに魔道を習得した二人のゴブリンへと声をかける。
ケルブと呼ばれたゴブリンは、他のゴブリンに比べてやや線が細いのが特徴であり、無の道を得意としている。そして、リーリと呼ばれたゴブリンはその名の通り、他種族からすると外見からはさっぱりわからないが、実はメスだったゴブリンの紅一点である。なお、得意系統は命の道だ。
「お前達は後方待機だ。必要に応じ、魔道を使い前線をサポートしろ」
「わかった!」
「わかりました」
「それと、他の三匹。お前らはこの場で待機。南から来る輩以外の敵が近づいてくるようならばすぐに知らせろ!」
「ギ、ワカッタ」
最後に、まだ魔道を習得していない名無しの三体に指示を出す。
魔道の習得すら完了してない三体では、敵の前に出してもむざむざと殺されるだけだろうとウルは判断し、戦闘からは外すことにした。
三体のゴブリンが命令に従い、南から離れた三方向への警戒に移動したところで、ウルは声を張り上げた。
「方針としては、可能であれば接触と同時に撃破、ないし迎撃。不可能だと判断すれば一旦下がり、湖に誘い込んだ上でピラーナ共をぶつける。いいな?」
湖の先住民、ピラーナ達の生き残りはウルに服従を誓いはしたが、何かあれば裏切るのは間違いない。元々知性を持たない獣に近い魔物である関係上、そもそも忠義という概念自体持っていないのだ。
故に、可能な限り隙を見せたくはない。そんな考えを念頭に指示を出したのだ。
そんなウルの命令に、全員が頷く。その眼には、怒りの感情を除けば僅かな不安が宿っていた。
これは知性が急激に発達した弊害だろう。今までならば命じられたら戦えばいいと何も疑うことは無かったが、知性を得た今となって戦いに恐怖を覚えるのは仕方が無いことだ。
魔道は最弱クラスの汚名から脱却したという自信と共に、己の命を失う事への恐怖も与えてしまっているのである。
「――よいか。貴様らの上に君臨しているのは、この俺。魔王ウル・オーマである。我が名の下にある限り、敗北などありえない! 肝に銘じておけ!」
ウルは発破をかける。自らのカリスマをフルに使い、精神へのドーピングを行う。
ウルが本来の姿で、本来の力を持っていたのならば、この言葉はまさに心の万能薬であった。しかし、今のウルはひ弱なコボルトでしかなく、効果は大幅に落ちているだろう。
それでも、彼らは名もなきゴブリンだったころに感じたウルの異常を知っている。その力を信じ、ウルの名の下に士気を高めていくのだった。
「前に出会った人間共と同程度であれば何の問題も無いが……フン。流石にそこまで都合良くはいくまい」
ウルは森を睨み付けて前進を命じる。
長年封印されていたとは言え、ウルは歴戦の魔王。その経験が磨き上げた勘が、はっきりと言っていた。
今自分のもとに向かっている敵は、今の戦力では一筋縄ではいかない強敵である、と。
「面白い面白い……やはり、極上の味は生への渇望があってこそよの……」
コボルトの顔を邪悪に歪めながら、ウルは笑って戦場へと向かう。
魔王ウル・オーマ。その名こそは、世界最大の厄災なのだと知らしめるために……。
◆
「……これでよし」
「踏んだら木製の槍が飛び出してくる仕掛けってか? また手の込んだ物を……」
復活した魔王に敵として認識された専属ハンター一行。
魔道を利用した罠という規格外の代物を仕掛けた犯人を突き止めるべく森を進んでいたが、罠を一つ一つ潰しながらであったため、時間を消耗していた。
対応できるのは罠の発見、解除を役目とするサッチ一人であるため、どうしても時間がかかる。場所を指示して避けて通る事も可能なのだが、これから向かうのは情報が無い未知の相手なのだ。
魔物の領域に陣取っているような相手とは敵対することが前提のハンターとして、穏便な話し合いで済むなど初めから考えていない以上、退路の確保は基本中の基本。それ故に、一つ一つ丁寧に解除し安全を確保しているのである。
「……この方角は、確か『ピラーナ湖』があるのではないか?」
そんな作業をしていると、ふと思い出したとサポーターのシエンが呟いた。
リーダーのコーデは目線で続きを促すと、シエンも一度頷いて話を続ける。
「これは皆知っていると思うが、人間の領域に近しい領域支配者の領域の一つだ。怪魚人と呼ばれる半人半魚の魔物が生息する湖で、支配するのは水蛇と呼ばれる水を操る功罪能力を有する怪物だったはずだな」
「聞いたことはある。個体としての強さはもちろんのこと、水の中に引きずり込まれることが一番厄介だとな」
「討伐自体は不可能ではないが、水生生物の性質上、支配領域から自らは出てこない。つまり近づかなければ無害であるということと、討伐して別の好戦的な魔物――三大魔のようなものを人間の領域に近づけてしまうリスクを考え、立ち入り禁止区域として指定されているはずだ」
シエンからの情報に、コーデは少し頭を捻る。
ハンターならば、あらゆる魔物を狩るべきか、といえばそうではない。
魔物を狩り尽くしてしまえば人間にとっても重要なエネルギー源である魔石が入手できなくなり、領域支配者がいなくなれば貴重な異界資源が発生しなくなる。もちろん人の領域に踏み込もうとする危険生物となれば速やかに駆除しなければならないが、そうではないのならばほどほどに留めておくのが狩人の嗜みというものだ。
また、シエンの言うとおり、狩猟を行えば逆に人類を危険に晒してしまう等というケースもあり得る。生態系を崩すことで、より厄介な力を持つ魔物が人の領域に近づいてくるといった恐れがある場合は、ギルドの方から狩猟禁止命令が出るのだ。
魔物の領域における立ち入り禁止区域とはそのように判断された魔物の生息地帯であり、自分達が向かう先にあるピラーナ湖はまさにそれだったのだ。
こうなると、いくら情報を得るべきだとは言え迂闊に侵入していいのか悩んでしまうのだ。魔道が使われている以上、人間の犯罪者が立ち入り禁止を無視して湖を占拠している恐れもあるので杓子定規に放置というのも考えものだが、だからといって自分の独断で侵入していいとも言い切れない。
こうなれば、一度引き返してギルドに判断を仰ぐべきか――と、コーデは考えていた。
だが、その考えは少しばかり遅かったようだ。
マナセンサーをチェックしていたサッチが何者かの接近を知らせ、その後小さな影が姿を現したのだった。
「やはり人間か」
「……コボルト?」
湖方面から現れた小さな人影。
ここに来るまでに何度も討伐した、コボルトだ。その背後には数体のゴブリンと、更に小さいコボルトを従えており、ここまでに見てきた魔物チームの編成と変わりはしない。
身構えた割にいつもの雑魚敵だったと気を抜きそうになるシチュエーションであるが、だからと言って何も考えずに油断するほど専業ハンターは愚かではない。
違和感を感じ取る観察眼。それがあるかどうかは、二流と一流の大きな違いなのだから。
「明らかに通常種とは違うな」
「ええ。流暢に喋っちゃって……これが噂の賢いコボルトですかね?」
「それよか、コボルトがゴブリンを従えてるのが気になるな。普通、コボルトがゴブリンに服従するもんだろ?」
姿を見せた謎のコボルトの態度と風貌から、瞬時に異常性を理解する。
例え相手の外見が普通のコボルト同様に貧弱で襤褸切れを纏っただけの格好だからと言って、それに惑わされはしないのだ。
「……なるほど、少しはやりそうだな」
「おいおい、たかがコボルトが随分な自信だな?」
敵の能力が掴めない中、剣士のグッチが敵を侮るような台詞と共に一歩前に出る。
これは決して、グッチが状況判断ができない愚か者であるために出た言葉ではない。グッチの役割は前衛で敵とぶつかる戦士であり、個人戦闘力では自分に劣る偵察役のサッチやサポート専門のシエンを狙われないようにするための挑発だ。
敵の注意を引きつけ、その攻撃を誘導する。それこそが戦士の役割なのだから。
「なるほどなるほど。中々に基本に忠実な動きではないか」
「へっ! コボルトに、何がわかるってんだよ?」
「見れば解るとも。陣形を見るに、お前一人でやるつもりか?」
「あぁ。コボルトにゴブリンなんて雑魚、俺一人で十分よ」
グッチはヘラヘラと笑いながらも、自らの剣を抜き、油断なく構える。
狙いは一撃必殺。チームの中で直接攻撃力では間違いなくトップであるという自負の下、狙うのは今まで通りの初手必殺だ。
そんなグッチの狙いを理解し、他の三人は相手に気取られないように少しだけ下がる。グッチの攻撃に巻き込まれないためであり、より視野を広く保ち相手の情報を収集するためでもあった。
「――功罪武器か」
「――鮮血を散らせ【朱刃飛沫】!」
グッチは上段に剣を構え、踏み込みと共に一振りする。その一太刀は目の前のコボルトの首を正確に狙っており、熟練の技を感じさせるものだった。
しかし、グッチの持つ功罪武器――様々な来歴により妖刀魔剣の類いであると統合無意識より認められ、功罪を得た武器の本領はこれからである。
功罪武器・朱刃飛沫。元は業物とはいえ普通の剣であったが、数多の剣士の手を渡り歩き数多の血を吸った結果、それそのものが一つの功罪を得た魔剣。
その能力は、二段階に分けられる。
第一段階は、構えの状態で銘を呼ぶことで起動させること。そして、第二段階は第一段階の状態で繰り出すことができた斬撃の軌道に合わせて、剣を振った瞬間に剣撃を分裂させること。
すなわち、実体の刃に加えて、更に複数の朱い斬撃を同時に繰り出すことができる能力を有しているのだ。
(――獲った!)
グッチは実体の刃のみに反応したコボルトを見て、必殺を確信する。
功罪を宿した道具は、それを扱うに相応しい力を持った者に使われたとき真価を発揮する。
希少な武具を持つに相応しい技量を持つグッチが使うならば、本体に加えて四つの分裂斬撃を――つまり、同時に五つの斬撃を発生させることが可能だ。
今までは出現したゴブリン全員を一度に斬れるような軌道で繰り出していたが、謎の威圧感を持つ敵を確実に殺すべく、本体と併せて合計五つの刃の全てをたった一体のコボルトに集中させているのだ。
最初に取った上段の構えより繰り出すことができる様々な軌道は、紅い刃となってコボルトを襲う。その刃は標的をズタズタに引き裂くと思われたが――
「攻撃増殖型の功罪を宿した剣か。単純なだけに中々強力だ」
「なっ!」
なんと、実体を含めた紅い刃達は、謎のコボルトの手前で何かに弾かれてしまった。
まるで、彼の身体の周りに見えない盾でもあるかのように、硬質な響きを伴って。
「……大体わかったな。小僧にブラウ、ロット。この剣士はお前達でやれ」
「わ、わかったよ」
「了解」
「畏まりました」
「後ろの三人は、俺が相手をしよう」
謎のコボルトは部下に指示を出しつつ、不敵に笑った。
初めから油断などしていなかったが、いよいよ専業ハンターチームの警戒レベルは最高値に到達する。
目の前にいるのは、断じて弱小モンスターなどではない。未知の能力を有する、危険生物なのだと強く認識するのだった。