第166話「ル=コア王国に栄光あれ!」
「兵はなし……民衆共は家に籠って震えるだけ。死を受けいれている……というよりは、生を諦めた姿というべきか」
三人の勇者を含んだネカリワ防衛軍は敗北した。
勇者の敗北、という信じられない事実を前に兵たちの士気は壊滅状態となり、瞬く間に瓦解。元々個の能力だけで言えば魔王軍の方が優れていたところにそんな有様になれば、後は時間の問題であった。
そうして持てる戦力の全てを集結させた防衛軍が倒れた今、このネカリワの街を守る者は誰一人としていない。指揮官を任せたケンキ達幹部勢を治療のために戻し、自らを指揮官として街に乗り込んできた魔王ウル・オーマの歩みを止めようとする者は誰もいない状態だったのだ。
(それでも、門を閉めての籠城戦くらいの悪あがきはしてもよさそうなものだが……ふむ)
あまりの無抵抗に、逆に魔王の足が止まった。
長い戦闘経験が、こういう時こそ油断してはならないと告げているのだ。
「この妙な気配も併せて考えると……おい」
ウルは引き連れている大勢の配下のまとめ役を呼び、指示を出す。
その後、ウルは再び歩き出す。目指すのは、この街の頂点……都市長にして公爵が住まう屋敷だ。
◆
「……来たか」
ネカリワ都市長、ルドルフ公爵は愛用の椅子に腰掛けて静かに待っていた。侵略者が自分の眼前までやってくるのを。
「随分、落ち着いているのだな? もっと慌てふためいてもおかしくはない状況だと思うが」
「なに、これでも王家の血を引く身なのでな。その最期を無様なもので穢したくはない、というだけの小さな意地だよ。魔王、ウル・オーマ殿」
「ほう?」
律儀に扉を開けて入ってきたのは、魔王軍の総大将――魔王ウル・オーマ。配下の一人も連れることなく、単身ルドルフの下へとやって来た怪物の王である。
ルドルフは魔王の名を宣戦布告にて知っているが、流石に姿かたちまでは知らない。
知らないが、それでも一目ではっきりと理解できた。人類の切り札であり戦略兵器とも呼ばれる勇者を打倒するほどの、世界の脅威。
それを率いることができるとすれば、それは目の前の魔物以外にはいないだろうと。その身をコボルトという矮小な器に宿していてなお、ルドルフの目には測定不可能な脅威と恐怖が具現化したような怪物が見えるようであった。
「思ったよりも肝が据わっているな。この国の王族など、いざとなれば無様に泣き叫んで命乞いをするだろうと思っていたが」
「……否定はしないさ。人間、誰だって命は惜しい。いざという時に自分の命を最優先できるというのは一種の才能だと私は思うな」
「なるほど、一理あるかもしれんが、貴様はそうはしないのだな?」
「残念ながら、私は命よりもプライドを優先してしまう愚か者だったらしい。己の矜持、などという銅貨一枚の価値もないものを命よりも優先してしまうくらいには。もっとも、使用人達は逃がしたがね」
自分の命を諦め、自暴自棄になっている……ようにも見えるルドルフ。
しかし、ウルの目から見て、目の前の人間はまだ全てを諦めているわけではないと感じられた。自分の命を諦めている、という点においては真実を語っているが、しかしただ諦めただけの負け犬とは明らかに違う強い目をしているのだ。
(口とは裏腹に目は何か企んでいますと宣言しているな。しかし、同時に死の覚悟も決めている、か)
だからこそ、自分の命を度外視した何かを企んでいるのだろうとウルは考える。
「まぁいい。さて……では、仕事の話といこうか?」
「何だろうか、侵略者殿?」
「俺の要求はこの都市の全権だ。この都市に集まっている全ての富、情報、流通経路。その全てをいただく。その際、お前が協力してくれれば随分と楽になるのだがな?」
ウルの要求は、ル=コア王国の心臓部と言えるネカリワ地方の完全掌握。それとこれは実物を見てから決めたおまけであるが、指導者として優れるルドルフのスカウトだ。
ルドルフからすると、その要求は想定の範囲内であった。王国に宣戦布告し、最初の大規模戦闘でこのネカリワを狙った以上、その目的がこの街に集まる富にあると考えるのは自然なことだろう。
ここが落ちれば王国は国内外の経済的循環機能を大きく失い、著しい弱体化を強いられる。その代わりに、魔王国は巨額の金額と新興国家としてはあり得ないパイプを手にすることになるのだ。
とはいえ、実際に魔物国家がル=コア王国のように諸外国と交流できるということはないが、それでもこの街が持つ各国とのパイプは国の繁栄に大きく役立つ。特に、そのパイプを今まで維持し、使ってきたルドルフが協力するならばなおさらに。
しかし――
「悪いがそれはできないな。私はこのル=コア王国を統べる貴族であり、住まう民。何があろうが国を売ることはやらぬ」
「命、がかかっていてもか?」
「無論。今まで散々生まれ持った地位のおかげで良い暮らしをしてきたのだ。その対価として、私は最後の最後まで我が祖国に尽くす責任がある」
「立派なことだな。この国にお前のような男がいるとは本当に想定外だ……何故お前が王をやっていないのだ?」
ルドルフの言葉は場を誤魔化すための嘘やハッタリではない。ウルはそう判断した。
こうして会話しているのは時間稼ぎのためだが、しかし吐いた言葉自体に嘘偽りは無いと。
「王……か。私は国王の親戚ではあるが、直系ではない。王位継承権自体は血筋の関係上一応あるはずだが、王位簒奪など企てて国を荒らすことはしないとも」
「この国を本気で救うなら、お前のような男が立ち上がるべきだったと思うぞ? 少なくとも、貴様が王座に座っていたのならば何より守るべきこの街を放置して中央を固める、などという愚策は取るまい」
「……国王批判をするつもりはないが、最も重要な拠点となるこのネカリワの守りを放置するどころか、国中の戦力を自分の守りのために集めてしまう中央の連中には思うところがあるな」
おかげで、絶対に死守しなければならないこの街をネカリワ単独で守らねばならなくなってしまった。
それでもルドルフは考えられる全ての戦力をかき集めて抵抗したが、結果がこれでは協力要請を無視した中央の王侯貴族達に文句の一つも言いたくなるのが人情というものである。
「……さて、そろそろいいか? お前の協力を得ることは難しいようだが、まぁじっくり説得するのも悪くはない。とりあえず拘束させてもらおうか」
「ふむ……捕虜か。当然の選択と言えばそうだが、私は生憎このネカリワも、そして私自身も渡すつもりは無い。祖国を滅ぼすつもりの怪物に協力することも、利用されるのも御免だ」
「ではどうする? 時間を稼いでいたところを見ると、何か策があるのだろう?」
「如何にも。……はっきり言って、勇者を退けた貴様ら魔王軍は絶対に滅ぼさねばならない脅威だ。しかし、残念ながら、もうこの街にお前達と戦えるような武力は無い。だが……」
そこまで言って、ルドルフは徐に椅子から立ち上がり、背後にある大きな窓の方を見た。ウルに背を向けたのだ。
といっても、座っていても立っていても、構えていても背を向けていてもルドルフとウルの関係に違いなど無いのだが。
「私は領主として、都市の長としてこの街を守る義務がある。しかし、それ以上に守らねばならないのはこの国だ」
「……ほう」
「本来ならば、完全なる勝利を収め、街も国も守ってやりたかった。しかし、もはやこの街を守ることは叶わないだろう。だから――」
ルドルフは愛おしげに窓から見渡せる街の景色を眺める。
これが、最後のチャンスだと知っているから。
「――せめて、街ごと消え去る。我々の死が避けられない未来ならば、この街の終わりが決定された事実ならば、その滅びの中に君たち侵略者も加わってもらおうか!」
そう言って、ルドルフはずっと手の中に隠していた小さな筒を取り出した。
この筒は、魔神会に依頼して作られたいざという時のとっておきだ。
その名も、自爆装置。このネカリワの街の様々な場所に厳重に封印された状態で置かれている強力爆弾の封印を解除し、起動するためのものだ。
もし敵国に攻め込まれ、占領されたときの最後の逆転の切り札。街もろとも敵を滅ぼす、国の玄関として作られたネカリワ都市最大最悪の秘密だ。
「私達と共に消え去れ、魔王!」
ルドルフに戦闘力は無い。しかし、その覚悟は決して一流の戦士に劣るものではない。
勇者などという力だけの俗物からは決して味わうことのできない、自らの全てをかけて自分を殺そうとする鋭く重い殺気。
それを受けたウルは――実に愉快そうに嗤った。
「いい覚悟だ――お前を認めよう、人間。だが……少しばかり、詰めが甘かったな」
「ッ!? な、何故!」
自爆装置は確かに起動した。本来ならば、それと同時に各地に仕掛けられた爆弾は同時に起爆し、ネカリワの街は、街が誇る防壁の内側は跡形も無く消し飛ぶはずなのだ。
しかし――沈黙。起動した自爆装置はそのままに、何も起こらないのだった。
「実を言うと、最初から爆弾の存在には気がついていた」
「なに……?」
困惑するルドルフに、ウルは静かに告げた。
「雑な封印だったからな。確かにアレならば何が起ころうが誤作動を起こして起爆、なんて事故は起らないだろうが、少々封印の匂いが強すぎた。あれではある程度魔力感知を修めている者ならば何かがあるくらいのことは察する」
「では、まさか……」
「いや、それでも封印の場所を特定するくらいはできるが、だからといって下手に触るわけにはいかん。封印の中身を検分する時間もなかったし、下手に破れば何が起こるかわからん。というか、わざわざ隠すように封印しているものなど十中八九危険物だろうからな」
ウルは街には行ってすぐに封印の気配に気がついたが、征服者として真っ直ぐ歩く最中に封印の下へと移動するわけにもいかない。
そこで、配下を向かわせ状況を確認するに留め、特に細工も無くやって来たのだ。
「封印されているのは何か、と考えたとき、方向性は二つ。一つは盗難対策として封印により守る隠し財産。もう一つはいざという時の兵器。そう当たりを付け、その上で財宝の場合は後で回収すれば良いとして、兵器であったときはどのようなメカニズムで使うのか? と考えればその予想は立つ」
「――魔力による、遠隔起動……!」
「そうだ。現地に手下を送り込んでの直接起動型という可能性もあったから、こちらの配下を向かわせもしているがね。その場合はその場で工作員を消すだけでOKだ。そして、遠隔の場合ならば俺がそれを妨害するだけでいい。この部屋一つに結界を張るだけのことだからな」
ウルは、もし封印が兵器であった場合、その起動権限があるのは街の最高権力者である都市長以外にないと判断していた。
だからこそ、真っ直ぐこの都市長室を目指したというのも狙いの一つだったのである。
「……そうか。私の最後の策も、破れたか」
「正直なところ、警戒はしたが実際にこれが役立つとは思っていなかったよ。本気で命を捨てる覚悟があるとは想像していなかった」
ウルは嘲るような口調でそう告げるが、それは同時に魔王ウルの心からの称賛の言葉でもあった。
魔王の想定を超える。それすなわち、有象無象のエサから魔王の敵、存在を認めるに値する個人として見なされたということなのだから。
「さて、全ての策破れたお前に改めて問うが、お前の力を俺に寄越すつもりはないか? 後悔はさせないぞ?」
「……敗者の分際で何を言うかと思うかもしれんが、その問いに頷くことはできない。この命はこの国に生まれ、この国に育てられたもの。最後の最後まで、この国に殉じるのが私の使命だ!」
ルドルフはその場で上着を脱ぎ捨てた。
まさか闘る気かとウルは僅かに眉を上げるが、その下に隠されていたものを見て納得するのだった。
「私の策はまだ、全て破れたわけではない。街もろとも魔王軍を滅ぼし、各国の有力者を殺した罪の全てを君たちに押しつけ人類を結束させる……そんな企みは潰えても、まだ総大将を巻き込むことならばできる!」
「腹に爆弾を巻いておくとは、古風ながら確実な手だな。確かにそれなら妨害はできん」
なんと、ルドルフは筒状の爆薬を自らの身体に巻き付けていたのだ。
全てが失敗に終わったとき、せめて自爆することで敵を巻き添えに自らの生命に幕を引くために。
「死の覚悟を決めた目……なるほど、そこまでやっていたならそれも当然か。国に育てられた命を国に返すとは、見事」
「この命尽きるまで、私の使命に殉じよう――ル=コア王国に栄光あれ!」
事前に用意していたのだろう、火種を爆薬に付けるルドルフ。
――次の瞬間、都市長の館の一角は、大爆発と共に吹き飛んだのであった。
「この命尽きるまで、か」
誰の耳にも届かない魔王の言葉をかき消すように、盛大に――