第162話「一撃で決めさせてもらうわ」
「王よ……もしかして、最初からこれが本来の目的だったのですか?」
突如現われた自らの主である魔王ウル・オーマによって倒した勇者が封印されたオーガのケンキは、なんとも言えない表情のまま、自ら使った自爆技である竜心の反動に痛む身体を休めていた。
「まぁな。勇者退治は、究極的には神の力を封印することができなければ不可能だ。器となる人間を殺すだけならできるだろうが、元々器自体はその辺の有象無象なのだからいくらでも量産される。やるなら力の方を仕留めなければ意味が無い」
「それで後方待機がベストだと……」
そう言って、ケンキは人一人を閉じ込める最低限のサイズに絞られた氷の棺に閉じ込められた勇者を見る。
かつてウ=イザークで使われたという氷結封印魔道は街の半分を覆ったというが、それに比べれば大分小規模だ。本人の言葉どおり、勇者個人を狙うために改良したものなのだろう。
言ってしまえば、勇者が敵陣にいると聞いたその瞬間から、魔王ウルの狙いは最初から一つ。ケンキ達配下に勇者を半死半生まで追い詰めさせ、必要なタイミングで封印魔道だけ自ら使用する。三人相手にしなければならない省エネのことも含め、また最適なタイミングを見計らうための後方指揮だったのだ。
「事実として、私では勇者を真の意味で倒すことはできません。トドメの横やり自体は文句は無いのですが……いつの間にここに?」
「ん? お前達に転移用のマーキングをつけておいたから、後ろから見ていて頃合いだと思う頃に転移してきただけだぞ?」
「転移とは……つまり、ワープとかテレポートとかいう奴ですか? 文献でしか見たことないのですが……」
肉体派のケンキとはいえ、知識の重要性は理解している。本の虫と言っても間違いではないコルトほどではないが、人間の文字を学び、ある程度は読むことができる。
流石に専門書などの小難しい本には手が届かないが、冒険譚などの空想物語くらいは多少読んだことがあり、転移とはそんな妄想の中に登場した能力であった。
「今の俺が使えるものなど高がしれているがな。事前にマーキングが必須の半端なものだ。臨機応変に使うなら事実上、短距離転移に限られる」
「それでも十分だと思いますが……もう良いです。ところで、今後はどうするので?」
「後二箇所次第だが、勇者を仕留める。お前は無理せずに一度後退しろ。勇者を討ち取った今、残党は兵に任せても問題あるまい」
「御意」
「……っと、もう向こうも大分佳境に入ったようだぞ?」
現状の最低限の確認を済ませたウルは、離れた場所で行われている戦いに反応した。どうやら、他の戦場も平行して使い魔か何かを使って覗き見しているらしい。
「カームの奴も中々張り切っているな。どうやら能力的な相性もいいようだし、進化した身体も使いこなせているようだ」
魔王は今も戦いを続ける配下に褒め言葉を送る。
その視線の先は、そこだけが別の世界になったかのように酷い嵐に見舞われているのだった――。
◆
「あら……あっちの決着はついたのかしら?」
余裕を持った声が戦場に響いた。声の主は、魔王軍のカーム。勇者アマホと戦っているはずの魔物だ。
しかし、その声の方向は絞れない。まともに耳が機能しない風と雨が支配する突然の嵐の中、あらゆる場所から彼女の声は響くのだ。
「ぐっ……! なんなのよ!?」
突然の大嵐で化粧が崩れたと苛立つ勇者アマホは、姿を隠したカームに怒りを向ける。
既にマーキングは施してある。嵐のどこに隠れようが、自らの功罪からは逃れられないのだと本性まる出しの下卑た笑みを浮かべながら【体重の功罪・軽重自在紋】の能力を解放。
しかし――
「無駄よ。今の私に、そんな能力は通用しない……相性が悪かったようね」
勇者アマホの功罪は、マーキングを施した相手の体重を自在に変化させること。
それは、一度決まれば大半の相手に勝利できる切り札である。マーキングさえしてしまえば回避も防御も絶対に不可能であり、生殺与奪の一切を握ることが可能な必殺技だ。
それなのに、その絶対の能力を刻んだはずのカームは何の問題もないように言葉を紡いでいる。その姿すら見せずに、嵐の中で今も生きているのだ。
(どういうこと……? もう体重は30倍まで増やしているのに、なんで生きてるのよ?)
勇者アマホは自分の能力の恐ろしさを理解している。故に、理解できない。なぜまだ生きているのかと。
体重を増やされるというのは、単純にその増えた分の重りをつけただけ……という話ではない。それならば、勇者とは言わないまでもそこそこの力自慢なら人間数人分の重量を抱えて動くくらいはできるだろう。
この功罪の真骨頂は、全ての体重が増えること。つまり内臓や血管などへの負担もダイレクトに増やすことができることだ。
筋肉だけで言えば1トンでも支えられる強靭な生物はこの世界ではいないわけではないが、血液の重量が10倍になっても耐えられる生物はほとんどいないと言っていい。流石に心臓の力を鍛えている生物は早々いないのだ。
それこそ、勇者であっても莫大な魔力で功罪そのものを無力化する以外に生き延びる方法はないほどである。
(功罪の能力自体は発動している。それは間違いない。なのに、何故――!?)
勇者アマホは気が付かない。強大な魔力の鎧で身を守り、痛みというものを排除してしまっている勇者には理解できない。
今彼女の身体を打っている雨粒の一つ一つが、普通の水ではありえない重さで降り注いでいることに。
肉体を捨て、魔力そのものへの変化を行う進化――亜精霊嵐狼への変貌を遂げた今のカームが、嵐そのものとなっていることに。
(この肉体に物理攻撃は通用しない。重量の増加、なんて奇抜な攻撃だとしてもね)
精霊とは、魔物とは異なる『意思を持つ魔力の総称』である。
カームは進化によって自らを精霊種に近しい特性を持つ魔物として再構築し、亜精霊となることで肉体の縛りを捨てたのだ。
カームの元々の特性である風に水の要素を加え、意志を持つ嵐へと変化する。それが亜精霊嵐狼の能力であり、嵐という災害を具現化する第四進化体としての姿なのである。
(王から授けられた進化樹形図がなければ絶対に踏み込めない領域……身体がないというのは今でも不思議な感覚だけど、戦闘においてはこの上ない武器ね)
カームがこの姿になることができたのは、魔王ウルからの進化樹形図があったおかげだ。
そもそも進化樹形図とは何か、と言えば、それは群れのボスが今まで経験してきた進化の情報である。
魔物は群れを組む際ボスを決め、それはやがて領域支配者という形で絶対的な差となる。より大きな力を持つ群れのボスは当然真っ先に進化を果たし、群れの同胞とは種族レベルで隔絶した存在になるのである。
さて、ここで生物としての話となるが、魔物は進化することで今までとは別種の生命体と言っても過言ではないほどの変化を起こす。だが、大規模な変化を果たした後、進化前の同族との間に子供を作ることは可能だろうか?
構造的にほとんど変化がないような、進化として失敗しているレベルの差異ならば可能かもしれない。だが、大抵の場合はネズミと犬を交配させろというレベルの無茶である。そもそもサイズの問題で不可能ということも珍しくはない。
つまり、進化種の魔物とは誕生と同時に断絶のリスクを常に抱えている。進化し力を付けなければ明日を生きることができないが、進化していけば未来に繋がらないというジレンマがあるのだ。退化、という手段を得ればある程度は解決できるのだが、少しでも強くあることを求める本能を無視して最適解を求めようなどと考えるのは絶対的な力を持つ魔王くらいなものなので例外である。
その種族繁栄問題を解決するのが進化樹形図の役割である。
領域支配者は配下とした群れの手下に自分自身の進化情報を伝えることが可能であり、それにより本当の意味での同族を増やそうとするのである。群れの配下からしても本来ならば暗中模索で道を探さねばならないところに明確な指針を得ることができ、お互いに利する関係になるわけだ。
そんな魔物の生態なのだが、あくまでも領域支配者としての能力であるため、生殖活動を行わない悪魔であっても進化樹形図の共有は可能である。
特に、無限にも思えるほどの進化と退化を何度も繰り返し、より強い姿を目指し続けてきた魔王ウル・オーマのそれはもはや進化の全てが記録されていると言っても過言ではないほどの情報量であり、ありとあらゆる種族の進化指針として使用できる。
魔物からすれば、魔王ウルの進化樹形図の価値は大粒の宝石を何百個集めても足りないほどのものなのだ。
(精霊の進化情報。自力でここを目指していたら、後何百年かかっていたことか……)
カームはウルの配下という恩恵を最大限に活用し、まともな方法ではたどり着けない亜精霊という位階に足を踏み入れたのだった。
「ああーもう! うざい! 隠れてないで出てきなさいよ!」
(……本当に奇妙ね。本人は事態が全く分かってないのに、身体はしっかりこっちの攻撃に備えているって)
勇者アマホは全くカームが『嵐そのものという環境に変わった』ことに気が付いていないが、あらゆる戦闘記録を保存されている達人回路は当然のように感知し、カームの攻撃に備えている。
それを嵐となったカームはしっかりと見抜いているのだが、だからこそ本人の意識と肉体が全く同調していないというのは不思議なものなのであった。
(さて……どうしたものかしら? 単純に嵐の中に封じておけば弱ってくれる相手ではないし……あれ、試すしかない? あんまり時間をかけるのもよくなさそうだし)
亜精霊となったカームは嵐そのものであるが、意識の中心としての本体は存在する。
嵐の中心部にある、カームの魔石だ。仮に亜精霊となったカームを倒したいのなら、宝を守るように突風が吹き荒れている中心部の魔石を消滅させるような類の攻撃をするのが最も効率がいい。
それを知っているのだろう達人回路は、今センサーを全開にしてカームの位置を探っている最中なのであった。
「――先手必勝、悪いけど、一撃で決めさせてもらうわ」
「はあ? アンタごときがこの私に傷一つでも付けられると思ってんの?」
未だに位置を掴めていない勇者アマホだが、カームから発せられた勝利宣言を鼻で笑った。
事実として、亜精霊嵐狼となったカームの耐久力、防御性能はこと物理攻撃に対しては無敵といっても過言では無いが、攻撃力の面でいうとそこまででもない。
嵐そのものという関係上、一度嵐の中に取り込んでしまえばいつでも攻撃を仕掛けることができる。【司令の功罪・魔狼の軍勢】の応用で風の爪を作り、敵を引き裂くこともカームからすれば簡単だ。
だが、単純な破壊力という土俵では、少なくとも火山大鬼になったケンキに明確に劣る。そしてそのケンキですら更なるドーピングなしでは貫けないのが勇者の守りなのだから、普通にやってもカームでは勇者の守りを破れないのだ。
もちろん、だったら普通ではない技を見せてやるだけなのだがと、カームは嵐の力を一点に集めていくのだった。
「魔王流・天の型・魔滅穿ち――披露しましょう」
魔王ウルより、繊細な魔力コントロール技術が必須であり、カームに向いている技だと伝授された天の型の秘技。
天の型の奥義に繋がる初歩の技であると伝授された必殺技こそがカームの切り札なのであった。