第160話「条件は満たした」
「ほらほら、潰れちゃうわよ――【体重の功罪・軽重自在紋】」
ケンキが勇者マッカスに追い詰められていた頃、女勇者アマホもまた、嵐風狼カームを相手に自らの功罪を解放していた。
彼女の能力は、手から放つビームによって対象をマーキング。彼女を示す自作の紋章を刻んだ対象の重量を操ることができるというものだ。
紋章は左右の手でそれぞれ一つずつ、計二つまで同時に発動できる。彼女はこの能力を自らを対象として常に発動しており、それにより体重を0に近づけることで消耗を最小限に抑え、些細な魔力の放出により空中を浮遊しているのだ。
そして、これを敵に刻むことで相手の体重を超重量に変化させ、押しつぶすことも可能。既にカームに紋章を命中させ、その身体にどんどん負荷をかけているところなのであった。
「グ……グッ!」
「ウフフ……今の貴女は体重三倍ってところかしら? ただでさえでっかいわんちゃんなのに大変ねぇ、身体が重いって。その点、私は見てのとおりスレンダーだから風に飛ばされちゃいそうでいっつも困っているのぉ」
人の神経を逆なでするような、わざとらしい語尾を伸ばすしゃべり方で煽る勇者アマホ。
元々、この功罪はアマホが気に入らない女を甚振る際に、事前に対象が座る椅子に細工をして座ると同時に椅子の足が折れるという仕掛けを好んでいたことが誕生の由来だ。
椅子の崩壊によって相手に怪我を負わせるとともに、相手を『見た目よりも重たいんですねぇ』と煽り貶すという何度も繰り返しており、自分のプロポーションに自信があるだけにアマホの女イジメは大半が『体重』を責めるところを起点としていたために産まれた能力なのである。
自分は軽く、相手は重く。その望みを功罪の種は具現化し、実際に使うときも女勇者アマホは大体相手を煽る口調になるのが常なのだった。
(……軽い口調で言ってくれるけど、これはやばいわね……!)
そんなふざけた来歴の功罪に晒されるカームだが、その能力自体は流石勇者の能力なだけあり強力だ。
元々巨体を誇る獣であるカームにとって、質量の倍化はかなり影響を受ける。今はなんとか自前の筋肉で支えられているが、このまま体重を増やされればいずれはその重みに耐えられず生臭い敷物になってしまうことは間違いない。
「……切り札は、できるだけ取っておきたかったんだけどね」
勇者の功罪を見ることができただけ十分かと、カームも覚悟を決める。
幸いなことに、自分の全力と目の前の勇者の能力は、かなり相性がいいらしいと自分の幸運を感じながら。
「私も見せましょう――今できる、最大の切り札を」
「はあ? まともに歩くこともできないくせに何を吠えちゃってるの? これが本当の負け犬の遠吠えって奴ぅ?」
ケラケラと笑うながらカームを見下す女勇者アマホ。
しかし、そんな嘲りの言葉など無視して、カームは自らの中にある進化の軌跡に意識を集中させた。
「さ、そろそろ終わりにしましょ。体重四倍……いーえ、一気に十倍で潰れちゃえ」
邪悪な笑みを浮かべてとどめを刺そうとする女勇者アマホだったが、それよりも先にカームの身体が進化の光に包まれるのだった。
「進化樹形図励起、進化――」
カームの肉体が、光に溶けるようにその輪郭を失っていく――
◆
『火山大鬼!』
『亜精霊嵐狼!』
二体の大魔が、更なる次元に足を踏み入れた。
◆
「ボルケーノ……オーガ?」
勇者マッカスは、目の前に現れた怪物に目を見開いた。
先ほどまでの、赤い体色を持っていた大鬼は、全く性質の異なる怪物へとその姿を変えていた。
ただでさえ巨大だった身体が更に膨れ上がり、今では5メートルはあるだろう巨体と化している。更に、異様なのはその皮膚の性質だ。
驚くべきことに、ケンキの皮膚は超高熱を身に纏い液状化、まさに溶岩を彷彿とさせるそれへと変化している。全身が溶岩化したわけではなく、その変化は主に両腕から肩、背中が溶岩皮膚となっていた。
その姿は決して伊達ではなく、進化と同時に周囲にすさまじい熱気を放っている。ケンキの足元にある雑草など一瞬で燃え尽き炭化し、その火災被害は広がる一方。まさに、二足歩行する火山が出現したというところだ。
通常の地表に出てきた溶岩の温度は平均1000℃と言われているが、ケンキの放つ熱量は明らかにそれ以上である。なにせ、勇者マッカスの功罪によって操作されケンキに襲い掛かっていた鉄製の剣や短剣たちなど、今のケンキに触れることもできずに融解してその役目を放棄しているのだから。
「……熱いじゃないか。俺に汗を流させるとはなんと不敬な」
今のケンキの放つ熱気は流石に応えるのか、勇者マッカスの額から汗が流れていた。
だが、それは決して焦りの感情ではない。ケンキの変貌に驚いていた勇者マッカスだったが、見慣れてみれば何でもないと余裕の笑みを取り戻していたのだ。
「俺に汗をかかせるだけの変化で何ができるってんだよ?」
達人回路がマッカスに教えていた。目の前の怪物には、自分を傷つけられるほどの力はないと。
そう――第四進化体の魔物は単騎で街一つ軽く滅ぼす力を有しているが、勇者の力はそれ以上である。
かつて、勇者を倒した魔王ウルもまた第四進化体で挑んだが、その時もそれだけではダメージを碌に通すことができなかった。更なる強化と技術を重ねてようやく勝利することができたというのが本当のところなのである。
故に、今のケンキではまだ届かない。そんなことは初めからわかっていたことであり……だからこそ、ケンキは更なる手札を追加する。
「――来い、炎馬!」
ケンキは事前に用意していた空間系の魔道により、一本の長物を取り出した。
天を駆ける炎の馬――炎馬が彫り込まれた斧槍であり、普通の人間ならば両手でしっかりと握りしめて使うにも持て余す巨大な武器である。しかし、今のケンキからすれば片手で振り回して何も不自由のない小回りの利く武器、という扱いになる。
炎馬は、かつてエルフたちの森に攻め込んできた人間が所持していた功罪武器だ。功罪武器はたとえ手に入れても担い手と認められない限り力のほとんどを眠らせたままになってしまうが、逆に担い手と認められればある程度まではサイズや形状を調整して担い手にとって使いやすい形に変化する能力を持つ。
炎馬はしっかりとケンキを主と認めているようであり、ケンキが望むとおりに片手で振るう槍としての形を作っていた。
それどころか、かつて炎馬の所有者であった人間と比べてもケンキの方が遥かに適性が高いと言える。戦士としての能力だけで比較してもケンキの方が圧倒的に優れており、進化により炎の化身と言っても過言ではない今となっては性質としても相性抜群だ。
進化によって強大な力を得る代償としてほとんどの武器が使えない――手にした瞬間に熔けてなくなる――という特性を得てしまったケンキが使える数少ない武器として、鹵獲した後魔王ウルが所持していたまま使われていなかった炎馬はケンキへと正式に下賜されたのである。
なお、ケンキ自身の功罪を制御している魔王ウル自らが授けた大剣は、ケンキの給金をつぎ込み、しっかりと耐火耐熱の魔化を施してもらっているので問題なく反対側の手に握られている。
「功罪武器……だからなんだってんだ? 武器を誇るならよぉ……それも俺に従わせてやるよ!」
勇者マッカスは、功罪武器が切り札であるならば問題はないと下卑た笑みを浮かべた。
功罪武器だろうが何だろうが、自分の功罪には逆らえないのだからと。
「――炎馬・熱風!」
戦闘準備を終えたケンキの初手は、炎馬を一振りした高温の突風である。並の人間ならば浴びただけで肺が焼けただれ、見るも無残な姿になること間違いなしだ。
しかし、勇者には通用しない。ただ魔力だけで全てを保護し、高熱の風圧など無視してまっすぐ突っ込んできたのだ。
今のケンキに普通の武器を操っても通用しない。ならば接近し、ケンキの高熱に耐えられる武器の支配権を奪うのが得策であると勇者マッカスは……マッカスの達人回路が判断したのだろう。
(接近か。奴の功罪は、見ていた限り刻印を印す時間はほぼ一瞬。触れられれば武器を奪われると思っていい)
武器使いとしては、非常に戦いにくい相手である。本来ならば白兵戦は望むところと言いたいケンキでも、躊躇してしまう能力だ。
「――溶岩掌!」
ケンキが突っ込んでくる勇者への次の手として選んだのは、武器を直接ぶつけることのない素手の攻撃。
火山大鬼は魔力を素材に自らの肉体の一部である溶岩を増やすことができる。その能力を使い、火山の噴火口と化した皮膚から零れる溶岩を膨張させ、炎馬を握ったまま放ったのだ。
この溶岩は全てケンキの肉体の一部。いわば、巨大化した拳と言っても間違いではない。その威力はただの高熱の塊というだけではなく、鍛えてきたケンキの腕力がそのまま大質量を伴って襲ってくるも同じなのだ。
「な、にぃ!?」
勇者マッカスは、ケンキの拳を前にしても脅威とは思っていなかったのだろう。全ては勇者の力にはねのけられるに決まっているのだからと。
しかし、確かにダメージはほとんどなかったが、流石にサイズが違いすぎたのか吹き飛ばされることになった。そう、僅かにダメージを受けた上に、後退させられたのだ。
「な、なんで……?」
痛みはほとんどない。勇者の鉄壁の守りは健在であり、強く押された程度の衝撃にしかなってはいないし、灼熱の拳もちょっとストーブに近づきすぎて肌がひりひりする程度の痛みに抑えられている。
それが異常なのだ。なぜ、高々魔物の攻撃で自分が後退し、ほんの僅かでも痛みを受けているのかと、勇者マッカスはあっさりと動揺するのであった。
(……今のでもほとんど効果なし、か。さすがにショックだな)
対して、勇者に対してわずかながらダメージを通すという偉業を達成したケンキの表情は厳しかった。
今の拳は、ただ殴っただけではない。握りしめた炎馬から放たれる熱エネルギーと自分の拳を融合させて放つ強打であり、功罪武器の能力を解放した一撃だったのだ。
あれが最強の一撃というわけではないが、物差しにはなる。今のケンキでは、全身全霊の一撃を放っても勇者に致命傷を与えるのは難しい、という結論を出す物差しには。
「――死ね死ね死ね! 俺に逆らった罪で即刻極刑だぁっ!!」
ケンキが勇者の力と自分との距離を測っていたら、勇者マッカスが叫んだ。
勇者に選ばれて以来……というよりも、貴族時代から痛みとは縁遠い生活を送ってきた男だ。暴力を振るうことはしょっちゅうでも振るわれることはない身分の人間として生きていた彼は、ほんの僅かな痛みすらも許容範囲外だったらしい。
「俺の功罪の真骨頂を見ろ! 大地の支配だ!」
勇者マッカスの功罪は、紋章を刻んだ『意思疎通の取れないもの』を操作する能力だ。
その対象は幅広く、中でも最大のサイズを誇るものは言うまでもなく……地面である。
海の上でもない限りいつでもどこでも接触することができ、人間一人という小さな単位から見れば無限にも等しい質量をもつ。いくら勇者でも流石に大地の全てを支配することは叶わないが、周辺一帯の土を自在に操れるというだけでもその脅威は一目瞭然である。
大規模殲滅作戦用のとっておきであり、勇者の力をもってしても疲労を覚えるほどの力の消耗を強いられるが、怒りの限界を超えたマッカスは大地に紋章を刻むのだった。
「大地の操作……地の道による攻撃と同質か」
功罪と魔道を同一に比べることはできないが、やること自体は単純だなとケンキは勇者マッカスの切り札を分析した。
「これが俺の必殺の一撃――大地の津波だ!」
高らかに大技の名を叫び、勇者マッカスは大地を操作する。
要するに、大量の土が襲ってくる技だ。呆れるほど大量にある魔力に任せたごり押し。ある意味で最強の戦術を前に、ケンキは――
「――条件は満たした、と考えていいですかな? 我が王よ」
かつて、王と崇める魔王ウル・オーマに稽古をつけられたときのことを思い出していた。