第156話「我らの勝利である!」
「ク――硬すぎるだろ! 本当にゴブリンか!?」
まさか防がれるとは思っていなかったと、リド要塞の一角で大砲を操っていた砲兵が叫んだ。
射撃戦において圧倒的有利を取れる高い壁を陣地とし、一方的に撃ち続けるという形。これに対人武器としては過剰な威力のある巨大弓や大砲も撃っているのだから、壊滅させられないわけがない。そう思っていたのに、結果は見事に人間の攻撃は魔物達に完全に防がれているのだ。
「この程度の妨害は想定済み。まだまだ訓練の範疇でしか無い!」
この屈強すぎる魔王軍の侵攻。その理由は実にシンプルなもの。
ただ単純に、魔王軍はその程度では止まらないという話だ。この程度の攻撃ならば、ア=レジル攻略の際に経験済みであり、その経験は若い世代にもしっかりと引き継がれている。想定内の攻撃を想定したとおりに防いだだけの話だ。
後は、その過去の経験を越えることができるかである。以前はケンキがその力を前面に出して硬い城門をこじ開けたが、そのような圧倒的な個の力に頼ることなく勝利することができるか、それが彼らの課題である。
「射程範囲到達! 装填開始!」
護衛部隊に守られ、投石機がついに要塞までの射程範囲に入った。
同時に、一緒に運んできた巨大な岩が装填される。その間にもそうはさせるかと人間たちによる攻撃は続いているが、守りに徹した護衛部隊を破ることは叶わない。
「――放て!」
ケンキの号令と共に、側に控えていたゴブリン達が持ち運んでいた太鼓を鳴らす。ケンキ率いる部隊は、言葉を聞いている余裕がない状況であってもこの太鼓の音で指示を受けるように訓練されている。
その指令に従い、投石部隊が一斉に要塞に向かって岩を放つ。若手ゴブリン達が自らに命の道の強化を施した腕力で飛ばした岩は、放物線を描いて要塞の壁にぶつかるのだった。
「グッ――被害報告、急げ!」
「西方向の防壁に損傷! 被害小! 運用に問題はありません!」
たたきつけられた岩だが、魔王軍にとっては残念なことにさほどの効果はなかったようだ。
本来ならば壁を越えその内側にいる人間の頭上に降り注ぐくらいのことを期待したかったのだが、リド要塞の防壁もかなりのもの。その高さに初弾は防がれてしまったのだった。
「軌道修正! 第二弾の準備を始めろ!」
ケンキもそれに対応すべく、投石部隊に今の結果から軌道を修正して次に備えよと命令を出す。
太鼓の音が戦場に響き渡り、人間軍と魔王軍の射撃戦は続いていった。
◆
「ウム……! まだまだ不慣れなようだが、いい射手が揃っているではないか」
第二、第三と攻撃回数を重ねるほどに攻撃の精度を上げていく魔王軍の兵を見て、リド要塞の老将スタラムは素直な称賛の気持ちを口にした。
この展開は、正直老将にとっては想定外以外の何物でもない。数で劣る魔王軍がこの要塞を落とそうとするならば、考えられる手段は強大な個による突破しかないと思っていた。
なのに、蓋を開けてみればその強大な個と思われる大鬼は後方で指揮を執るだけで、実際に攻めてくるのは人間基準でも理解できる道具を使ったもの。まるで人間の軍勢を相手にしているような気分になり、感情をどう表現すればいいかなどとくだらないことを考えていた。
「何敵を褒めているんですか。それよりも、作戦はこのまま継続で? 今のところお互いに有効な攻撃はできていませんが」
「ウム。そうだな……作戦はこのまま継続だ。地の利を活かし、射続けろ」
副官の言葉に雑念を排除した老将は、現状維持を指示した。
確かに、今の人間軍の攻撃は魔王軍に有効打を与えることができていない。しかし全く効果がないということもないだろう。いくら頑丈な鎧に身を包んでいても衝撃を無効にできるわけではないし、確実にダメージは蓄積している。ここで慌てて下手に陣形を崩すよりも、一方的に攻撃できるという有利を継続するべきだ。
それに――
「敵の弾丸は巨大な岩。あれも運んできたのかはわからんが、無限にあるということはないはずだ。矢玉の数ならこのリド要塞に備えてきた我らが負けるはずがない。耐えることこそが勝利への道である」
備蓄の数が違う。魔物相手にこんな展開になることなど考えてはいなかったが、このような真っ当な戦い方を選んでくれるならむしろ自分の土俵だと老将は力強く笑った。
「もとより数ではこちらが圧倒的有利なのだ。消耗戦ならば負けるはずがない。焦らず冷静に、ゆるりと追い詰めていけ」
魔物も人間も、戦い続ければいずれ疲弊するのは避けられない理。そうなったとき、勝つのは予備選力を投入できる数で勝る方だ。
自軍の有利を確信する老将は、わかりやすい戦果よりも目に見えないアドバンテージを求めて兵を鼓舞するのであった。
(最も警戒すべきなのは、あの大鬼による特攻。それに変わりはない。いざとなったときにそれを止める戦力の余裕だけは切らさないようにせねばな)
最悪を想定し、最善を選択する。その理想を体現すべく、頭を休めることなく。
◆
(……想像以上に硬いか。このままではまずいか?)
一方、投石による攻撃を継続する魔王軍の陣営では、ケンキが現状を打破する策はないかと慣れない頭の酷使を行っていた。
本来考えていた投石による防壁の飛び越えは不発。残念ながら、途中で失速して壁にぶつかるばかりだ。
事前の訓練ではあの高さをクリアしていたはずだったのだが、やはり実戦と訓練ではいろいろ違いが出てしまう。特に、放たれた岩を打ち落とそうと要塞の守備兵たちが大砲や矢で迎撃してくるのが魔王軍の計算を狂わせているのだ。
(俺が出れば……いや、それはまだ早い)
最速最善の解決策は自身が突撃することだが、それは最後の手段。
こんな前哨戦で軍団長が前に出なければならないような戦いをすれば、途中で力尽きるのは目に見えているのだから。
(数で劣っている以上、消耗戦はまずい。物資にも限りがある。向こうは自分の国から補給できると考えるべきか。ならば補給を断つ……さすがに無謀だな)
このまま膠着状態を維持し、要塞をぐるりと囲って補給を断ち兵糧攻めという策が浮かぶが、明らかに人数が足りないと却下する。
下手に散らばって各個撃破の愚を犯すわけにはいかない以上、やはり理想は現在の手勢による正面突破だとケンキは結論した。
「よし……魔道部隊を前に出せ! 爆石作戦だ!」
ケンキは現在率いるゴブリン達の中でも、特に魔道の適性が高い者を集めた精鋭部隊を動かすことに決めた。
もちろん、魔王ウルの配下である以上1000の若手ゴブリン全員が魔道の習得は果たしている。しかしやはり得手不得手というものはあり、また目標とするのが魔道を使うよりも殴った方が強いというケンキなこともあり、ゴブリン軍は全体的に魔道より体力派が多い。
そんな中で、体力よりも魔道を磨くことを選んだ貴重な人材達が、所属条件二の段習得の魔道部隊である。
『地の道/二の段/爆裂球・魔化!』
魔道部隊が一斉に使ったのは、爆弾の性質を持つ魔力球を作る魔道だ。それに魔化技術を組み合わせることで、ただのでかい岩に爆弾の性質を付与したのである。
素材は所詮ただの岩であり、時間もほとんどかけてない即興魔化なので、効力は大したことない。若手ゴブリンの魔化技術の腕前もまだまだ未熟であり、総括して魔化を維持していられるのは精々五分程度だろう。普通の武具や道具に魔化を施すという職人仕事として評価するなら落第の出来でしかない。
しかし……どうせ五分後には爆発して木っ端みじんになる使い捨て兵器の作成ということならば、何も問題はなかった。
「投石部隊、放て!」
壁を越えることは諦め、壁の破壊に移行した爆弾石の投下。
人間たちも当然反撃してくるも、ただの魔道ならば弓矢で誘爆させ迎撃することもできるかもしれないが、魔力の核があるのは魔化を施した岩の内部。岩そのものを割るくらいの威力がなければ魔化に対する妨害にはなりえない。
今まで通り、矢と大砲で勢いを殺され壁にぶつかるが、それと同時に爆発。リド要塞の防壁を確実に削っていくのであった。
(このまま壁に傷をつければ、いずれ敵の守備兵も今のように安定した射撃などできなくなる。そうなれば白兵戦に持ち込み、一気に制圧だ……!)
射撃戦では数でも高さでも負けているが、拳の届く範囲こそケンキ率いる鬼軍団の真骨頂。
その勝負に持ち込めさえすれば多少の数の不利などなんのことはないと、軍団長ケンキは一気に壁を破壊するべく戦力を更に投下する。
「魔道部隊は魔化と合わせて各自攻撃を開始せよ! 貫通力と物理破壊力重視! 亜人部隊は総員魔道部隊のガードに回れ!!」
人数が少なく、その汎用性からできれば魔力を温存させておきたい魔道部隊だが、ここが勝負どころとケンキも手札を切った。
穴の開いた要塞など砂上の楼閣。それだけは避けるべく人間たちが手を打ってくると見越し、今こそが勝負所だと戦力を一気に投入する。
『無の道/二の段/回転念弾!!』
一斉に魔力弾を飛ばす魔道を発動させ、投石とタイミングをずらした魔弾の雨が防壁にそそぐ。
高速回転する魔力弾により対象を抉るこの魔道により、防壁に小さな穴をあけ耐久力を一気に削る作戦なのだ。
「まずい――」
どれほど重厚な壁も、蟻の一穴から崩壊する。魔弾の雨により細やかな穴を開けられた防壁の表面に、無数の罅が広がっていく。
それを見たリド要塞の老将は、手を誤ったと皴の刻まれた顔により一層深い皴を刻むことになった。
「今だ!」
一気に破壊せよと、残る爆弾石を同時に発射させる。
それにより――ついに、リド要塞の防壁の一角が音を立てて崩れ落ちたのであった。
「――第一防壁の守備兵は撤退! 要塞内にて迎撃せよ!」
崩れた壁に押しつぶされ、何人もの兵士の命が消えていく音が聞こえてくるかのような感覚を覚えつつも、老将は叫ぶ。
このまま壁の中に入れないことを目的にして応戦しても、対応しきれない。そう判断し、味方の死を嘆く暇はないと素早く戦線を下げる指示を出したのだ。
「伏兵部隊も撤退せよ! 作戦は中止だ!」
続いて、魔王軍からは誰もいないように見える場所へと老将は声を張り上げる。
(迂闊……! あの大鬼の警戒要員も全力で防衛に回すべきだったか? いや、クソ……どちらも詰みの道だったか!!)
老将の命令と共に姿を現し、要塞内部へと撤退するのは老将の切り札だった者達だ。
対大鬼――ケンキへの切り札として伏せていた伏兵部隊。単騎で突撃してきた際、手数を一気に増やすことで敵の計算を狂わせ、近づく前に一斉射撃で蜂の巣にする。それが当初から強者によるごり押しを仕掛けてきた場合に備えていたプランだったのだが、それを不発に終わったと撤回。
老将は、絶望的な戦いに挑む覚悟をするのだった。
「いい反応だ……だが、もはや流れは止まらん!」
敵将の叫びを聞き、その判断の冷静さをケンキは素直に称賛する。
しかし、最大の防御壁を失い、瓦解する部隊をまとめ上げるのは一筋縄ではない。その隙を与えなければ勝ちだと、ケンキは今まで待機させていた主力部隊――白兵戦部隊を崩れた壁から突撃させる。
ここで活躍するのは速度自慢の亜人部隊である。敵の撤退を妨害すべく直線距離を一気に詰め寄り、みるみる敵の兵力を減らすことに成功するのであった。
(籠城までに大分数を減らせたな。これで、後は圧力をかけていけば問題なく制圧できるか)
(兵力を大幅に奪われた……私の失策だ。だが、それでもおいそれとここを通すわけにはいかんのでな!)
互いの将の思惑が重なる中、戦いは要塞に立てこもる人間と外から攻める魔王軍という構図に切り替わっていった。
その後、リド要塞は老将の粘りと老獪さをこれでもかと発揮し、実に三日に及ぶ籠城戦を行った。
しかし、白兵戦における兵の質の圧倒的な差はあまりにも大きく、また貴重なはずの魔導士を大量に投入できる魔王国との常識の違いに対処しきれずに陥落。国内最新の要塞として君臨していたリド要塞の終焉と共に、中立地帯ネカリワ地方は魔王国に対する一切の守りを失ったのだ。
なお、リド要塞を守るべく、指揮官である老将は最後の最後まで逃げることなく戦い続け、討ち死にするまで決して抵抗を諦めなかったという。
そして、このリド要塞攻略戦において、軍団長ケンキはただ一度だけ自らの手で剣を振るった。その相手は、部下を失い最後の一人になろうとも、老いた身体にムチを入れて剣を持つ老将との一騎打ちだったという……。
「この戦は我らの勝利である! しかし慢心するな! 油断もするな! 戦いはこれからだぁ!!」
勝利の勝ち鬨を上げつつも、魔王軍は止まらない。
ケンキは最初の難関を突破したと魔王国へと報告を入れた後、そのまま手勢を率いてオ=ネカリワ都市へと真っ直ぐ進軍する――。




